92.巨大蛸討伐戦・開幕
被害軽微のままボスを水揚げして、海へ戻れないよう退路を塞ぎながらコの字型に囲うように布陣する。少しトラブルこそあったものの、なんとか当初の予定通りになってくれた。
完全に囲い込まないのは、全方位を囲まれたMMOのボスはお約束として強烈な全方位攻撃を使ってくることがあるからだ。フレンドリーファイアが増えてしまう恐れもあるし、こういう時は一方向をわざと空けて戦場に指向性を持たせるのが常套手段である。
……ちなみにこれ、後になってわかったところによると、正解だった。包囲してしまって全方位範囲攻撃を受けたサーバーがあったそうなのだ。イベント中は他のサーバーの配信は見られないようになっていたから、私の配信を見て真似たりはできなかったらしい。
ずっとタコから逃げていた船はなんとか無傷のまま生き延び、乗っていたプレイヤーを下ろして帰っていった。下船者たちはMPとSPが減っていたから、一旦後方へ下げて補給させておく。
《感電》の影響はかなり大きかったようで、難航する可能性も考えていたセットアップが簡単に済んでしまった。こういう抜け道的なギミック、九津堂は元々けっこう好きなんだよね。
『まだいけるか?』
『合図が出る前に稼いどけ!』
『どうせ強いんだろお前! 前払いだオラッ!!』
いくら巨大なユニオンボスといえど、こちらの人数が人数だ。さすがに三桁後半のプレイヤーで一度に攻めるには手狭ということもあって、今回はフルスイッチ方式を取っている。
今は三交替に分けたうちのブランさん率いる第一レイドが、ボスの挙動に注意を払いながらできる限りのダメージを叩き込んでいるところだ。これがなかなかの猛攻撃で、早くも三段あるゲージのうち一段目が二割ほど削れている。
「私は第三レイドの後衛に参加しつつ、全体の把握を行うことになります。今回はチーム指揮はお任せですね」
「第二はケイさん、第三はリョウガさんだね。三人ともギルマスだからちょうどいいか」
「三人もギルマスがいるのに、当たり前のように全員が総指揮官から逃げるのはなんなんでしょうね?」
〈お嬢のほうがいいからだろ〉
〈いつの間にか絶対女王みたいになってるよな〉
〈お嬢が上にいる時の安心感ヤバいんよ〉
〈もうお嬢がギルド作れよ〉
ちなみに私はギルドを作る気はない。参加の方も今のところは考えていない。
いくらDCOのギルドが緩いからといって、完全に自由というわけではないからね。どこかで面白いことがあれば即座に飛んでいくべき公式配信者としては、動きはあまり制限されたくないし、周りに迷惑をかけたくもないのだ。
さらっと言ったけど、今回は私は後衛だ。いつものパリィはひとまず封印し、剣を杖代わりにして魔術師に混ざることとなる。
慣れと得意で無理やり前衛をやっているだけで、今のステータス的にはむしろ後衛型なんだよね。現に精霊、種族値は妖精とかなり似ているのだ。
これはボス戦全体の情報を頭に入れて、必要な時には私が緊急の指示を出さなければならないから。さすがに断ったけど、作戦段階では負担を鑑みてそもそも戦闘に参加しないという選択肢も提示されていた。
「私への依存度が高い状態は、あまり望ましくはないんですけど……っと、そろそろですね」
「さあて、このボスはどんな動きをしてくるのかな」
『ボスが動くよ! 前衛、下がって!』
〈おお、綺麗に下がった〉
〈訓練されてるなぁ〉
〈攻略組はこういうとこスムーズだよな〉
ブランさんの指示で攻撃していた前衛プレイヤーたちが一斉に退避する。その動きはさすが前線攻略者たち、この場面での逃げ遅れはほぼ死と同義であることをしっかり理解している。
彼らが足の射程範囲外まで下がったその直後、大蛸は八本の足を思い切り伸ばして叩きつけた。
もちろん、被害はない。大蛸は苛立たしげに体ごと足を振り回した。
大蛸戦はユニオンバトルにしては静かに、しかし痺れるような緊張感とともに始まった。
最初ということもあり、まずは攻撃パターンを確認しながら慎重に攻めるブランさん。個人で戦う時のダメージディーラーっぷりとは裏腹に、彼はこういう堅実な指揮を得意としている。だからこその第一レイド担当だ。
大蛸は目の前の敵たちに向けて反撃を繰り返すが、しっかり見極めて対処する第一レイドに手を焼いていた。ボスのHPは緩やかに減っていくが、プレイヤー側の被害は想定よりもずっと少ないままだ。
被ダメージが少なければ巫術師たちの回復負担が減って暇になる。仕事が減った巫術師は余裕ができて、《陽術》や《陰術》を掛けやすくなる。そうなれば自然とダメージ効率が上がるから、無理に攻めるよりもむしろDPSが高くなるのだ。
この手の指揮経験が豊富なブランさんは、それを誰よりわかっている。
「やっぱり安定感がありますね、ブランさんは。任せておけば間違いはほぼ犯しませんし」
「やっば経験は力だよなぁ」
「あれで顔も性格もよくて、彼女までいるんだからやってらんねーよほんと!」
「二人とも、どうしてそう無駄に人のNGワードばっかり……」
〈これ配信だぞ〉
〈アーカイブ残るよね?〉
〈これは後日決闘ですわ〉
〈お嬢に続いてブランまで……〉
……注釈しておくと、ブランさんに彼女はいない。いないけど、開始直後からずっと一緒にいるカナタさんとの息があんまりピッタリなものだから、二人のことをカップル扱いする風潮があったのだ。
ブランさんはそれをからかわれるネタとして捉えているようだけど……話をややこしくしているのは、カナタさんの方はどうやらブランさんに気がありそうだという事実だった。
それに気づいた察しのいい人たちはネタを控えるようになったのだけど……世の中にはお節介な人も存在する。人の配信で囃し立てる芸人ペアもその手合で、わざとネタにすることで遠回しにくっつけようとしているのだ。
〈*カナタのサブ:お二人とも、明日の昼過ぎにウサギ広場に来てくださいね。ちょうど練習相手が欲しかったんです〉
〈ヒェッ〉
〈こわ〉
「「…………」」
「最近のカナタさん、一段と強いですからね。お二人とも、せいぜい頑張ってくださいね」
……どうやら、今回の折檻役はカナタさんの方になりそうだ。
そうこうしているうちに、少しずつボスの攻撃パターンがわかってきた。
開幕で繰り出してきた薙ぎ払い攻撃は、今のところ通常攻撃には含まれないようだ。あの叩きつけから薙ぎ払いへ繋ぐ動きは開幕の挙動……となると、これがそのまま最初のゲージ攻撃になる可能性が高い。これまでの傾向がそうだから。
慎重に見極めている第一レイドとの戦いを見るに、通常パターンはこんな感じだ。
まず八本の足による叩きつけ。続けて大量の水魔術 《ウォーターバレット》をエイム甘めに投げつけて、その次に墨の撒き散らし。そして最後に、そのタイミングでボスに近かった方から8人のプレイヤーに向けて足の突き攻撃。以下繰り返し。
「一番厄介なのは墨でしょうね。単体のダメージこそほとんどないですが、全体攻撃な上に顔に受けると視界が潰されるようです」
「《生活魔術》の《清浄》を使えば消せるけど、前衛となるとそれですら詠唱に時間かかるからなぁ」
「そうなんですよね。魔術の詠唱って慣れに依存するところがあるので、普段ほとんど魔術を使わない人は時間がかかるんです」
「《生活魔術》なんてふつう戦闘中に使わないものねえ?」
「何も見えないまま攻撃されて、コマッタコマッタって感じだな。タコだけに」
〈は?〉
〈は?〉
〈は?〉
〈ここは寒いな〉
〈今8月だぞ〉
〈南半球かな?〉
〈すまん一瞬マジでわからなかった〉
途中で真面目に説明へ参加してくれたシルバさんに感心した私が馬鹿だった。反応に困るギャグを放ちながらハイタッチする二人に、思わず《氷魔術》を撃ちたい衝動に駆られてしまう。
コメント欄の皆、そうじゃないんだ。この二人はスベっても喜ぶ特殊な人たちなんだ。むしろ意図的にスベった感じすらするから、ここで「は?」と返すのはむしろ彼らの思う壷なんだ。
正しい対処法は、無視。それか一部コメントにあるような「ギャグだとわからなかった」である。巧拙はそもそも関係なく、ギャグとして反応してはいけないのである。
それはともかく。
この墨の撒き散らし攻撃は本当に厄介だ。一応水に触れれば落ちるからボスの魔術でも消えるけど、そんなことはボスも承知の上だから墨は魔術の直後に撒いてくる。
そうなると対処法は限られてくる。すぐに《清浄》を使って消すか、腕でかばったり顔を背けて顔には当たらないようにするか、目が見えないまま足攻撃を避けつつ攻撃し返すか。
……もちろん最後の手はほぼ無理だ。できたら人間卒業認定をしていいくらいだろう。
おのずと詠唱に慣れているプレイヤーは《清浄》で、そうでないプレイヤーは防いで対処するようになっていた。
『第一レイド、スイッチライン割りました!』
『第一下がるよ! ケイさん、スイッチよろしく!』
『第二レイド、行くよ! 墨には特に気をつけて!』
『足元にも気をつけろ! 普段の感覚のままだと転ぶぞ!』
そうこうしているうちに最初のスイッチ。ボスのHPはさらに一割半近く削られているから、このままのペースなら最初のゲージ攻撃は第二と第三レイドの交代前後になりそうだ。
ちなみにスイッチ基準は巫術師の平均MPが5割を割るか、あるいは戦闘困難者が前衛の二割を超えるか。この規模のフルスイッチは本来けっこう難しいことだけど、今回はサーバー内の練度を信じて比較的頻繁にスイッチを挟むことになっている。
巫術師は戦闘中にもポーションでMPを補充しているけど、DCOにもポーション酔いは存在する。後退中はポーション酔いのスタックを消化しつつ、戦闘で疲れる精神を休めてもらう。前衛はこのタイミングで減っているHPをポーションで回復だ。
幸いにもスイッチは上手くいったから、ここからは第二レイドの戦いとなる。彼らはまだボスとの戦闘を肌で覚えていないが、代わりに冷静に観察できている。戦況の安定を期待できるはずだ。
ケイさんは個人だと敵を欺いてクリティカルボーナスを荒稼ぎするトリッキーな戦い方をするが、指揮をさせると安定した攻めを継続するのが上手い。現に今も、ボスの注意点と隙をレイド全体に共有していた。
『墨は落ち着いて消すか防ぐ! 砂は厄介だけど、他の攻撃はよく見れば避けられるよ!』
『ちゃんと踏み込めば砂浜でも動けるから、足を取られないように冷静に!』
もちろんその声は他のレイドにも聞こえているから、彼らも参考にすることができる。こうして注意事項を言葉にしてくれるのは凄くありがたいし、即座にそれができるケイさんは得難い人材だ。
彼女の指揮と注意喚起もあって、第二レイドは上手く安定して戦いを進め始めた……のだけど。
「……うん?」
「なんだあの挙動」
「あ、もしかしてジュリアが突き対象になってる?」
〈初めて見る動きだ〉
〈ゲージまだだよな?〉
〈あージュリア〉
〈飛んでるのか〉
八本の足を同時に突き出す単体攻撃のタイミングだった。それまでは全ての足が水平に伸びていたのだけど、今回は一本だけやや上向きになっている。
それが空を飛んで空中から攻撃していたジュリアへのものだとわかったのとほぼ同時、事件は起こった。
『うわぁぁっ!?』
「え?」
「は、なんだ今の!?」
「そういう挙動になるのこれ?」
〈草〉
〈なにそれ〉
〈振り上げ判定が済んじゃってる?〉
水平に突き出された足はそのまま持ち上げられて、プレイヤーが密集している場所へ向けて叩きつけられる。その際に本来は全ての足が同時に振り下ろされるはずなんだけど、今回に限って一本だけワンテンポ早く落ちてきたのだ。
どうやら上方向に突き出されたことで予備動作が不要になり、その角度を使ってそのまま叩きつけ攻撃に移行したようだ。もちろんそんな挙動は誰も予想していなかったから、避け切れずに攻撃を受けてしまったプレイヤーが少なからず発生していた。
「うーん……ちょっとした不具合みたいなものかな、これは」
「どういうことだ?」
「運営の想定では、まだ前衛の飛行プレイヤーはいないはずだったんですよ。自分で言いますけど魔法剣士の精霊なんて例外もいいところですし、竜人はそもそもプレイアブルにはまだいないはずの種族ですから」
つまり、このボスに対して空中から近接攻撃を行うことは想定されていないのだ。
順当にいっていればそれは問題ないはずだったんだけど、まだ始まったばかりなのにそこに例外が三人も現れてしまった。そのうち一人がああしてボス戦で条件を満たして、想定外の動きが発生しているのだ。
「とりあえず、『ジュリア、クレハ! 地上に降りて戦って!』」
『わかりましたわ!』
『そういうことであれば、低空飛行なら大丈夫ですかね』
〈せやな〉
〈しゃーない〉
〈低空飛行かしこい〉
〈*運営:以降は対空近接の想定もして制作します。申し訳ない……〉
〈運営さん元気出して〉
〈ええんやで〉
〈想定を吹っ飛ばす三人が悪い〉
ユニオンチャット越しに指示を伝えると、二人からはすぐに返事がきた。この速度からして、ある程度は自分たちでも察していたのだろう。
それと同時にコメント欄に運営さんが顔を出した。神妙そうな反省状態だけど……正直、これは仕方ないと思う。私たちが先に想定外のことをしているんだ。
ボス戦開始。なにげにユニオン単位で単一のボスと戦うのは初めてですね。ベータ最後はあくまでパーティ戦闘の集合体でしたし。
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