86.九鬼朱音の憂鬱
八月十五日、バージョン1が始まってから二度目の木曜日。お盆ということもあって、昼間でありながらDCOは過去最高クラスの接続数を記録している……のだけど。
ルヴィア/九鬼朱音 @Ruvia_DCO
昨日もお知らせした通り、今日の配信はお休みです。ちょっと友達に会ってくるので!
ただの業務連絡に5桁のいいねがついたSNSを見ると、思わず溜息が出てしまう。
ずいぶん遠くまで来てしまったものだ。これでもフォロワー数は妹の10分の1だけど、それは紫音がおかしいだけ。どういうことだ、国民の数パーセントって。
挙句、私の配信に特に頻出するトッププレイヤーたちにもそれぞれ4~5桁のフォロワーがついていた。みんなさすがに困惑気味だけど……アカウントを作って私と会話している時点で、自業自得なのかもしれない。
中でもそれを特に有効活用していたのは、実はシルバさんとリュカさんだったりする。あそこでは彼らは時折私より目立つ。
もっとも、そんな現状は運営的には大歓迎なのだそうだ。それもそうだろう、私の知名度はゲームの知名度にそのまま直結する。
大胆なマーケティング戦略が上手く決まったこともあり、《デュアル・クロニクル・オンライン》はいちゲームタイトルの域を超えた存在になりつつあった。お茶の間でも自然と名前が出るし、新聞にも(若者のブームや経済効果のような取り上げ方で)載らない日はないほどだ。大手ゲーム会社のひとつでしかなかったはずの九津堂ごと、最近になって一段進んだような気がする。
その中心に、私がいた。
「……それが、重荷なの?」
滞在中の龍ヶ崎邸から目的地へ向かう送迎車の中、隣に座っていた小早川橙乃は心配そうに覗き込んできた。
「そういうわけじゃないよ。話を貰った時点でこうなるとは思ってたし、注目される覚悟もできてた。紫音のことも昔から見てるから、人目を集める感覚もなんとなくわかってた」
「……その割には、あんまり嬉しくなさそうだけど」
橙乃のお父上はテレビ局のお偉いさん……包み隠さず言えば社長だ。私もよく見知っているけどさっぱりした人で、DCOと関わっている間の私には自発的には手を出さないことを明言している。その代わり、もし私がDCO以外の件でメディアに出るなら彼の局を優先すると約束してあった。
そんな立場の人の娘として生まれた橙乃は、当たり前ながらそちらの業界に通じている。少し事情は違うが似たことだからと、今回はボランティアでサポートをしてくれるそうだ。
一般的には、有名になってファンが増えることはいいことであると私も理解している。チャンネル登録者数は勲章であり、私の仕事の成果だ。もちろんSNSもその延長線上にある。
だけど、私はその感覚が希薄であるらしい。もちろんリスナーやファンの人達に感謝はしているけど、その数字を見て一喜一憂したりはしないのだ。
それ自体は概ね好意的に受け取られているらしいから、それはいいんだけど。
「私だけならいいの。私のしてることだから。……だけど、いつの間にか周りの皆まで似たようなことになってるでしょ?」
「そうだね。私も……もう2万人か」
「SNSは仕方ないけど、ゲーム内で配信に映っただけの人ですら人目につくようになってきてる。これ、このままでいいのかなって思って」
私も配信をしているわけだから、その中で起こったことが話題になったり切り抜きになったりするのはわかる。だけど、その流れで一般人でしかないプレイヤーが望まぬ注目を浴びすぎるのは、少し歪な気がするのだ。
まして、自由作成のアバターとはいえVRMMOは顔が映る。当然その姿は衆目のもとになるし、ファンアートに描かれることさえあるのだ。
従来の配信に映る一般人とは、少し事情が違うのではないか。
しかしそんな感じの話を聞いた橙乃は、それなら大丈夫だとばかりに微笑んだ。
「朱音も気づいてるでしょ、それは。だから最近は新しく巻き込む人を減らしてるし、事前に許可も取ってる」
「まあ、そうだけど」
「ルヴィアの配信はね、ちょっとしたお祭りみたいなものなんだよ。みんな、そこで何が起こるかはわかってる。それでもいい人が近づいてきて、嫌な人はもうとっくに逃げてるの」
それは察していた。最近になって、私の配信中は明確に避けるプレイヤーが散見されるようになっていた。邪魔をしてしまって申し訳ないけど、自己防衛してくれるのはありがたい。
一方で積極的に画角に入ろうとしてくるプレイヤーも少なくないのだ。最近だとペトラさんとか、メイさんあたりがわかりやすい。
そもそも明確にトッププレイヤーとして活動している人たちは、スタンスの差はあれど大抵は人目を疎まない。カメラが苦手な錬金術師のハイムさんでさえ、配信カメラさえ意識しなければ目立てるのだ。
MMOというジャンルにおいて、突出することは目立つことと同義。それは言うまでもない。
「でも、みんながみんな配信に映っていいから絵を描かれてもいい、ってわけでもないだろうし」
「それならもう、配信中に聞いちゃえばいいんじゃない?」
「…………それも、そうなのかな」
なかなか大胆な案ではあるけど、理には適っていた。こういう発想の転換、橙乃は得意なのだ。
そして橙乃の明るい声を聞いていると、自然と気分も晴れてくるのもいつものことだった。
ちなみにこれ以降は実際に訊くようにしてみたんだけど、ほとんど全員が「むしろ描いてほしい」と言い出してファンアートはかえって激増した。
そんな話を含めて、上等そうな乗用車に揺られること一時間ほど。
「あ、朱音さん! 橙乃さんも、お久しぶりです!」
目的地へ到着した私たちを出迎えたのは、今話題の売れっ子シンガーソングライターだった。
天音水波。私と並んで、DCOを機に爆発的に知名度を上げた人物である。あちらは元々それなり以上に有名だったけど。
紫音のトークに出てくる程度の一般人から若者の話題の定番になった私に対して、彼女は深夜アニメのエンディングテーマを歌っていたところから大出世。この夏はもう、TVをつけていれば彼女の歌を聞かない日はないくらいだ。
「久しぶり、水波ちゃん」
「下手で迷惑かけるかもだけど、今日はよろしくね」
「またまた。朱音さんで下手だったら、上手いひとが紫音くらいになっちゃいますよ」
今日は配信者ではなく、演者としてのお仕事。
水波ちゃんと一緒にCM撮影である。
事務所所属からの逃げ道としてDCOの配信者を選んだ私だったけど、結局のところ以前のラジオ出演を機に事務所へ入ることにしていた。籍を置くだけならタダだからと、母と妹のいる事務所に押し切られたのだ。
かといって普段はただのプレイ配信しかしていない私にマネージャーはついていないから、必要な時は橙乃が引き受けてくれることになっている。これも恩作りの一環なのだそうで。
とはいえ、直接契約している九津堂以外の利益に絡む活動をするにあたっては必要な措置だ。今の事務所は以前から懇意だったし、事情をわかってくれているからありがたい。
私が名目上も芸能人となったことを茶化す向きはあったけど、もう仕方ない。現にこうしてCMオファーすら来ているのだから。
というか、そんなことをからかってくるDCOの友人たちにとっては、別に他人事というわけではない。
DCOのCMを見た局や企業の中には、早くもVRを使った演出に価値を見出したところが現れはじめている。リアルさはさすがに劣るとはいえ、現実では難しい演出ができる点は確かに画期的だ。
それに際して、いわゆる“VR慣れ”をした人材に需要が生まれつつあるのだ。この慣れはとにかく長時間VRダイブを行うことでしか得られないから、既存の役者では少々無理がある。
そこで考えられたのが、VRに慣れ親しんだ人材──たとえば、私のような──を取り込む戦略。さすがにまだまだ少ないから本格運用は難しいけど、演技力をあまり必要としない風景系のCMのエキストラには早くも動きがあると聞いている。
中でも芝居ができることが知れていて、知名度もあり、事務所に所属さえしている私は引っ張りだこらしい。……まあ、当たり前ではあるか。
「九鬼さん、初めまして。ディレクターの日下部と申します。今回はお受けいただきありがとうございます」
「こちらこそ初めまして、九鬼朱音です。今日はよろしくお願いします」
水波ちゃんと先に話しちゃったけど、まずは挨拶。この優しそうな目をした壮年の男性が、今回のディレクターであるらしい。
優しそうな人でよかった。私も一応は初めての仕事、それなりに緊張はしているのだ。
「でも、意外でした。九鬼さん、てっきりこういうお仕事は渋られるかと思っていたので」
次に出てきたこの疑問符は、まあ予想がついていた。たぶん多くの人が同じ疑問を覚えると思う。
だけど、そこには根本的な認識のズレがある。
「私自身は、むしろ今回のようなお仕事は大歓迎なんですよ。元々女優には憧れもありましたし」
「そうなのですか?」
「はい。ただ、体力と普段の仕事があるだけで」
さっき、私には各社のCMオファーが届いているらしい、と言ったけれど、伝聞型だったのはそのほとんどを事務所が止めているからだ。
理由はいくつかあって、まず最初に私はDCOの公式配信者であること。九津堂と契約している身だから、そちらの妨げになりすぎるような仕事の受け方はできない。……まあ、これは溢れすぎないための建前だ。
そして当然、体力がないこと。一度女優デビューを断った最大の理由なのだから当然だ。どのくらいないのかというと、高校の体育の授業で「これならできるだろう」と受けてみた卓球ですら、散々楽にさせてもらいながら一時限もたなかったくらいである。
そして今はもうひとつ、私自身が青森にいること。あくまで避暑であって必ずしも帰京してはいけない理由があるわけではないけど、わざわざ帰京してまでお仕事を受けるほどではない。何しろ私は女優ではないから。
でも、私は女優の仕事をしたくないわけではない。むしろ可能ならやりたいのだ。そのあたり、よく勘違いされている。
九津堂に迷惑がかからない範囲内で、体力面の心配が要らないVRでのお仕事で、なおかつ都合がつくのなら。私は来る話を拒むつもりはない。限界もあれば都合もあるから、そのあたりは事務所にお任せ状態だけど。
「そうだったのですね……ダメ元のオファーでしたが、結果的によかったわけですか」
「これ、一応オフレコでお願いしますね。できるお仕事の量は少ないですし、もう順番待ちになっているみたいなので」
「はは、そういうことでしたら。そちらの事務所の方を怒らせたら、いろいろと怖い」
ちなみに我が事務所、母と妹はもちろんのこととして、大御所から話題の役者まで錚々たる面子が並ぶ大手である。
こういうお話は今後も機会があるだろうけど、あまり脅しみたいにならないように気をつけなきゃいけないかも。
ちょっとだけ寄り道、現実世界でもお仕事です。
VR女優という概念は今後も時折出てくることになるかもしれません。あんまり出ないかもしれません。
とても今更で、もう一週間前のことになるのですが、本作の累計PVが100万を突破しました!
正直ここまで来られるとは思っていなかったので、未だに感無量の思いが強いです。前回錯乱して後書きに何も書けなかったくらいには混乱していました。
これいつも言っている気がするんですけど、本作はまだ始まったばかりです。気長にやっていきますので、今後ともよろしくお願い致します!