70.少女たちのリアルな夏休み
……目が覚めた。あまり見慣れないが、見覚えはある天井だ。
私たちは先日から青森県の某所へ来ていた。メンバーはいつもの幼馴染6人で、行き先はうち二人の実家。目的は帰省と避暑、といったところ。
ちなみに紫音はドラマのロケ中だ。やはり学生女優の長期休暇は忙しい。
「……ん、んぅ…………?」
「……あ、ごめん。起こしちゃった?」
寝室は二人ずつ。二人で使っても広いくらいの部屋だけど。最低限の身嗜みを整えていると、気付けば相部屋の少女が開いたばかりの目を擦っていた。
「んん。そろそろ起きる時間だし、大丈夫。……おはよ、朱音」
「おはよう、橙乃」
艶やかな黒髪をショートボブに揃えた、私よりは明確に高い身長となかなかのスタイル。私にはよく見慣れた彼女の名は、小早川橙乃という。
名前に入った「橙」の文字が示す通り、彼女はミカンのプレイヤーだ。背丈も髪色も、顔立ちの幼さも全く違うが……よく見ると、パーツは一致しているのがわかる。
ゲームで私よりもやや背を低くしているのは、ちょっとした意趣返しだそうだ。まだ眠そうな応答の声も、ゲーム内でのミカンよりは幾分か大人っぽい。
「どこ行くの?」
「稽古を見てくる。もうやってるだろうし」
「私には参考にならないだろうからなぁ……いってらっしゃい」
どうやら橙乃、まだ眠いらしい。
受け答えこそできているが、彼女はあまり朝に強くない。もうしばらくそっとしておくのが吉だろう。
長い廊下を通って武道場へ。人のことは全く言えないんだけど、ここの家主はかなりのお金持ち。というか古い名家というやつである。
まず敷地内に立派な武道場がある時点で割とおかしいのだが、まあとにかく広い。私の弱い体では外周をぐるりと歩くだけで疲れるくらいには。
純和風、立派な日本庭園が見て取れる縁側だ。みんなで並んで西瓜を食べられるし、線香花火……どころか家庭用の小さなものであれば打ち上げ花火もできる。少しばかりちゃちな使い方かもしれないけれど、私にとっては印象深い。
とはいえさすがに屋内。いくら私でも内部の縦断くらいで疲れるほど遠くはなく、渡り廊下を抜けて武道場へ入った。
「……はっ!」
「せいっ!」
その中では稽古を積む二人の少女と、それを黙って見守る一人の老人。滞在中に限れば毎朝の風景だ。
竹刀を握っている大人しそうな顔立ちの黒髪セミロングが姉の龍ヶ崎深冬、薙刀を振っている快活そうなアホ毛くせっ毛のロングヘアが妹の千夏。
深冬がクレハ、千夏はジュリアだ。二人は年子の姉妹で、深冬が私と同い年。つまり千夏は一つ下で紫音の同級生となる。
二人は集中しているようだし、私は気づかれたところで混ざれるわけでもない。あまり気を散らせないように足音と気配を殺して脇に回った。
ご老人……二人のお祖父さんに会釈して隣に座る。お祖父さんは何やら私に驚いたような素振りをみせたが、すぐに気を取り直したようだから気にしないことにした。
「ふっ……!」
「やっ!」
ちなみに二人は模擬試合中だった。ふつう剣と薙刀は試合をしないんだけど、別に二人は武道をしているわけではないから問題ない。
というのもこの二人、稽古の名目は護身術なのだ。大会にでも出れば簡単に表彰されそうな腕前をしているけれど、二人ともそもそも部活に入っていない。だから“剣術”だ。
その分、動きや立ち回りは非常に実戦的。深冬と千夏の群を抜いた実力は現実のこれに付随したリアルスキルだし、私も見様見真似ながら参考にして取り入れている。
だから私としても、二人の稽古は見て損をしないのだ。一挙手一投足から竹刀の先端に至るまで、今日明日DCOで試すかもしれないものだから。
「……あっ」
「そこっ!」
「そこまで」
この二人の対面だとほんの少しだけ深冬に分があるけど、今日は千夏が上手だった。穂先で竹刀を引っかけて弾き、最短で引き戻して胸元へ据えられる。
二人が静止するとほぼ同時、お祖父さんも一声かけていた。鋭い声色ではないものの、厳かな様子は有無を言わせない。
「お疲れ様、二人とも」
「ありがとうございます、朱音」
「あ、おはよ朱音姉」
深冬の丁寧語調はデフォルト、千夏は普段はラフな口調をする。ちょっとした逆転現象だけど、これは慣れたものだ。いつぞやにクラブハウスで配信したときは、あれは猫を被っていた。
置いてあったタオルを手渡しながら挨拶。朝とはいえ真夏ということもあって、二人ともそれなりに汗をかいていた。
「しかし朱音ちゃん、本当に見えとるのか」
「ええと……やっぱり普通じゃないんですか、これ」
「うちの倅は見えんと言っとったよ」
本格的に自覚ができたのはDCOが始まってからだけど、どうやら私には生まれつきなかなかの動体視力が備わっているらしい。幼い頃から当たり前だったこの二人の得物捌きを見切ることは、どうやら普通はできないのだそうで。
現実ではまず体がついてこないんだけど、仮想世界ではそれが非常に役に立っていた。私がクレハと互角にやり合えたことの大部分はそこに起因している。
単にそれだけのことだと思っていたのだけど、続いて彼から聞こえたのは予想外の発言だった。
「それに入ってくる時、儂も一瞬気付かんくらいだった。いつの間にそこまで気配を消せるようになった?」
「え?」
……ええと、そんな自覚はなかった。
自覚はないのだけど……いつの間にか何かが芽生えていたのだろうか。
「うーん……あるとしたら、ヘイト管理の感覚じゃない?」
「タンクに任せる時のあれ? 私、たまにタンクもやるくらいなんだけど……」
「仮想世界を手に入れた朱音は、どんどん伸びていますからね。じきに私も勝てなくなるかも」
「さすがに言い過ぎじゃない……?」
「深冬がそうまで言うか。儂は仮想世界ではさほど動けん、打てんのが残念だな」
かっかと笑うお祖父さんだけど、深冬と千夏は今の今まで常人には目で追うことすらできないらしい試合を演じていた。VRとはいえ、私はこの二人に実力で勝っているつもりはないのだけど……。
ただ、私の体には体力不足で眠っている能力がいくつかあるらしいことがわかっている。このまま特訓を重ねれば、あるいは仮想空間の中だけなら追いつけるのかもしれない。
……そうだといいけれど。
稽古を終えた二人がシャワーを浴びに行ったから、私は母屋へ戻る。案外時間が経っていたから、もう皆起きているはずだ。
お祖父さんは朝は別の部屋でお祖母さんと過ごすそうだ。少し心苦しいけど、私たちだけにしてくれる気遣いは正直ありがたい。今私たちが集まったら、話すことの大半はDCOのことだから。
「おはよ、朱音!」
「おはよう。……暑いよ、春菜」
「二人はどうだった? どうだったの?」
「相変わらず。羨ましいくらい俊敏だったよ」
深冬と千夏は稽古と行水で遅れるから、ここでは朝食は主に残り3人の担当だ。私もやろうとはしたんだけど、断られた。気分は箱入りお姫様だ。わたくしにも何か手伝わせて頂戴?
食器やサラダの配膳を終えたところで私と遭遇して、真っ先に飛びついてきたのが希美浜春菜。……まあ見ての通り、フリューリンクだ。
一方で味噌汁を作りながら声をかけてきたのが希美浜秋華だ。口調からわかるとおり、こっちがルプスト。
この二人、現実では双子とあって本当に見分けがつかない。……無表情で黙ってさえいれば。
実際の判別のしやすさは見ての通りである。
「見稽古の成果はあ?」
「いくつか思いついたことはあったよ。私にできるかは置いといて」
「ステータスとか動きやすさも、本人の性質とかも違うもんね。むしろあれだけ取り込みながら自己流に作ってるルヴィアが凄いというか……後衛選んでよかったというか……」
「えへへぇ」とか呟きながら私の薄い胸元へ頬擦りを繰り返す巨乳を無視して、目玉焼きを作っていた橙乃がぼやいた。彼女は以前プレイしていた従来のMMOではタンクだったところを、DCO開始に際して春菜と入れ替わる形でヒーラーに回っている。
後衛は元々やってみたかったそうだけど、《ローカルプラクティス》でいろいろ試したところVR近接適性がなかったらしい。橙乃、現実での運動神経はいいんだけどね……。
私と橙乃が入れ替わる形で該当するんだけど、現実と仮想世界の運動神経はしばしば一致しない。筋力や体力以外の部分でも、ところどころ別の能力が参照されるらしいのだ。このあたりは未解明な部分の多い分野だけど。
「ほら、できたから座って。二人もすぐ来るでしょうし、食べるわよお」
「はあい。朝から朱音エネルギーを補給できるの最高……」
「ねえ秋華、あなたの双子の姉が変態みたいになってきてるんだけど……」
「でも朱音はそんな春菜のことが?」
「なんだかんだ好き」
「ライクの方よねえ」
「せ、先制攻撃ぃ……」
根本的にいい子なのだ。こうして暴走しているのも親愛と庇護欲のオーバーフローであって、メンヘラとかヤンデレとかそういうのではない。私もそれがわかった上で受け入れているし、お互いが距離の近さに甘えている部分がある。
世の中にはそんな私たちにさえ掛け算をしそうな人たちもいるし、別に人に話して楽しいものでもない。そんな幼馴染の実情は話すつもりはないけれど。
「それで皆、今日はどうするの?」
誰から言い出すかはまちまちだけど、内容は毎日の話題だ。今日は私からで、答えは次々に返ってきた。
「肉ロードにもう一度行こうかと」
「サクさんにも《他無神社》で呼ばれてるから」
深冬と千夏はもう少ししたらそれぞれソロでやるつもりと言っていたけど、今はまだ二人で行動していた。終盤は進化もあって駆け足だったから。ちなみに昨日は夜草神社にいたらしい。
《他無神社》とは、転移門を守っていた龍神であるサクさんの神社だそうだ。多分元ネタは読み同じの某神社だろうね、龍だし。
で、肉ロードとはそんな他無神社へ続く獣道のことだ。とにかく多種多様な動物が出て、大量に肉が採れる。二人は進化クエストの道中で訪れていて、初来訪時はダンジョンだったのだとか。
「私と秋華はいつも通り二人で、夜の北方面かな」
「今はどんどん版図を広げてくべきだろうしー?」
希美浜の双子は今後も二人で動くらしい。タンクとアタッカーで相性もいいし、さすが双子というべきか息もぴったり。パーティの基礎ができているから他のプレイヤーも誘いやすい。
二人でとは言うものの、二人だけとは限らない。その場で即席パーティを組むのは日常茶飯事だそうだ。
「私は昼のほう。ちょっとイベント出てるんだ」
「イベント?」
「うん。結乃さんから」
即席パーティの常連がもう一人。春菜と秋華は夜で、彼女は昼を中心に動くそうだ。……まあ、巫女服を着込んだあたりから察してはいたけど。
そんな橙乃は早速イベントが出たらしい。結乃さんというと私も相棒の件で縁のある、三又神社の巫女さんだ。
……幻昼界、神社ばっかりだね。王都から離れていない今ばかりのことだとは思うけど。
「朱音は?」
「今日は昼のほうかな。王都の変化と新しいマップを見せておきたいし」
深冬と橙乃は昼を、千夏と春菜と秋華は夜を重視して動くつもりだそうだけど、私は両方を動いていこうと思っている。
公式配信者としてあまり偏りたくないのが一つ。また代表役になることもあるだろうから、自分の目で少しでも多くのことを知っておきたいのがひとつ。もちろん他にも理由はいろいろ。
負担は多くなるけど、それくらいでちょうどいい。マルチタスクは得意なのだ。
「昼の王都っていうと……」
「うん。そこも心配なんだよね。そのあたりも見てくる」
まずは、今現在幻昼界で発生している懸案事項があった。今日はその確認からだ。
ちょっと箸休め、ようやく幼馴染たちの現実の姿が見えた全編リアルパートでした。
なおゲーム開始以降、配信コメントが存在しない回は掲示板と幕間を除いて2回目です。当然ながらDCOしない回はその括りだと初めてです。めちゃくちゃ攻略配信してんな?
次回は1/21(木)の更新です。よろしければブックマーク、更新通知の設定、そして高評価をよろしくお願いします。優しい方がいらっしゃったら、執筆の燃料をお恵みください。