464.私は許そう。だが九鬼が許すかな!
動画が再生されて、部屋の中に音楽が流れる。まっすぐながら深みのあるバンドサウンドで、高校生バンドらしい爽やかさを全面に押し出している。
そこに合わせられた歌声は、少し機械的な加工がなされたような……もとい、本当に機械から奏でられたもの。今やボカロと呼ばれて一大ジャンルを占めるに至った、合成音声ソフトによるものだ。
『───そうか。『2ndWind』が動いたか。全く、すいぶん待たせてくれたじゃないか』
「……いい歌」
『ああ。あいつらはこのくらいはやれる。自分たちで思っているよりよっぽどポテンシャルが高い』
それを聴いていた青年が、どこか愉しそうに呟いた。私がその主張そのものには肯定も否定もしないまま感想だけを返すと、まるで自分が褒められたかのように彼はにやりと笑う。
だがその一方、彼はそれ以上の感動を見せなかった。それはさながら、予想外のことなど全く起こっていないのだと示すような、強者の余裕。
『だが、グランプリを獲るのは俺たちだ。……お前の方が上手いだろ、カグヤ?』
「そう思ってる。今のうちは」
『わかってるさ、こういうダークホースは期間中にどこまで伸びるかわからない。だが、それならそれでいい。もっと伸びてくるほうが、よっぽど面白い』
それでいて彼は、ライバルが成長することをむしろ望んでいる。勝ち負けよりよほど深いところで、競争の面白さを求めている。
だから私も、それを期待してきていた。彼がそれを望むなら、そうあってほしい。それが何より彼の喜びに繋がるから。
「……でも、有の曲が一番」
『ああ、そのつもりさ。疑ってもいないが、歌い上げてくれよ。俺の歌姫』
「任せて。……あの子にも、負けない」
……思えばこのときからもう、私はあの子……『2ndWind』のボーカルに据えられているバーチャルシンガーの鳴風ハジメにライバル心を抱いていた。彼……私の相棒、有の影響なのか……それとも、どこか自分に似ていると感じ取っていたのか。
だが、どちらにしろ関係はなかった。有の曲と私の歌で、頂上に立つ。やることはなにひとつ変わっていないのだから。
『────カット! OK!』
……というわけで、私は今日、ドラマの撮影に来ていた。
前期と違ってこの冬クールはレギュラー役は受け持っていないんだけど、そんな中でひとつ重要な役回りは与えられているタイトルがあったのだ。それがこれ、『翼を歌えバーチャルシンガー』である。
「音楽家一家に生まれるも歌唱の才能に恵まれず一度は音楽の道を諦めた主人公が、仲間の説得でバンドに加入。不在のボーカルにバーチャルシンガーを迎え、あらゆるジャンルのバーチャルシンガー曲が集うグランプリの優勝を目指す」という青春活劇。ストーリーもコンセプトもストレートで、ドラマオリジナル脚本ながら少年漫画的な作風になっている。
私の役柄はバーチャルシンガーの音皇カグヤ。そのグランプリにおける前回王者である青年・有の相棒だ。ストーリー的には中盤からの登場で、後半における超えるべきボス的ポジションに位置する。
前半から出番があった有と違い、カグヤは今のが初登場シーン。「意図して強そうな雰囲気を出してください」と演出から指示が入っていたんだけど、これがけっこう難しかった。
『いや、さすがだね。めちゃくちゃ強そうだったよカグヤ』
「上手くできていたならよかったです。けっこう役作りに苦慮したので……」
『そうだったか? 自然に見えたけど』
「あー……」
一緒に見ていた主人公組の面々も口を挟んできてくれたけど、これは少し、答えにくい。確かに自然に見えるのは当然といえば当然なんだけど……。
「家で相談したんですけど……『オーラだけ素のまま出せ』って言われて」
『ああ、普段のアレ』
『確かにDCOで出してるわ』
『妥当ですねぇ』
「……まあ、今更否定はできませんけど」
こう言われてしまうから。確かによくそう言われはするし、少なくともはなから人畜無害とは程遠い質な自覚はあるけど、かといって自信家ではないからどうしても積極的には認めがたい。
周囲からそう思われ言われる分には困らなくなってきているだけでも成長なのだ、これでも。ましてこんな、「強者の風格が出ている」のような言説ではなおさら。
『そう考えるとこないだの新春のやつのほうが、むしろキャラとは離れてますよね』
『アレ見たときは本当に多芸だなって』
「むしろ桃華のほうがやりやすかったかもしれません。周囲に参考になる子もいましたし、自分とは全く違うタイプのほうがむしろ」
『それはわかる。半端に似てる方がやりづらい』
『でもそういうのの方が求められてたりするのよねぇ』
今日の撮影はこれで終わりなこともあってか、話が盛り上がってきた。やはり皆さん似たような経験はある人もいるらしい。
新春特番として放映された『仮面の夫婦は外したい』は、今回と同じ局のドラマだからここで話題に出せる。あのときの役柄は強かながらも甘え上手な末っ子気質だったから、私と離れている分割り切って演じやすかった。
だけど確かに、私に求められている役柄は今回のようなものだろうとは思うのだ。だからそういう、むしろやりづらい感覚にもなるべく慣れていかないといけない。紫音のように何の気兼ねもなくできるのが「できる役者」だと私も思うから。
……まあ、それは紫音の得意分野だし、あの子は世界でも有数という姉としても誇らしい評価を受けている。肝要なのはひとつ他者に劣る要素があっても、それに囚われないことだ。
『……そういえば朱音ちゃん、どこぞの横柄なオファーを断ったって本当?』
『お、おい!』
「いえ、構いませんよ。……横柄というほどのものではありませんでしたが、噂になっているようなことが起こったのは本当です。私にはどうしても、優先すべきものがありますから……」
……そう。実は先日、ちょっとしたトラブルがあった。とある局からオファーをいただいたんだけど、それを断ったら一悶着あったのだ。
それまでにお仕事をしたことのない局だったんだけど、ちょっと厄介なことになって。情報系のバラエティ番組だったんだけど、実は九鬼はその番組が時折よろしくない取材方法を取ったり、裏取りの甘く信憑性に欠ける内容を放送していることを掴んでいた。取り上げられたことのある取引先にわざわざ聞いてくれたのだ。
とはいえそれを話してくれた企業が「実害はほぼなかったし、終わったことだから」とことを荒立てる気がなかったようだから表には出さず、それとなく断るにとどめたんだけど……そのときに先方が口走ったのが、
『本当なら横柄どころか侮辱じゃないですか、あんなの! “ゲーム配信をして遊んでいるのだからスケジュールが合わないはずがない”だなんて!』
「怒っていただけるのは慰めになりますけれど、そんなものですよ。世の中、時代の流れに追随することが難しい方や組織というのは、どうしても存在しますから」
そう、そんな感じのことを言われた。実際はもう少しだけ迂遠で嫌味っぽかったかな。
私は「そう言われても困るし、そう思うような人たちとは一緒にお仕事はできないな」くらいの反応だったんだけど、これに静かにブチギレたのはうちのマネージャーだった。録音データをリアルタイムでFSプロの所長と父のもとへ転送したかと思うと、そのまま即座に退室の挨拶をそらんじて通話を切ったのだ。
私は「あらら」とは思ったけど、止めはしなかった。本当に怒るべきは最大にして最優先のビジネスパートナーである九津堂ごと貶された私だったのに、ちょっと冷めた目くらいしかできなかった私の代わりに怒ってくれたのだから。
『…………え、今とんでもなく辛辣なこと言わなかった?』
『向こうのスタッフまで綺麗な二度見してたぞ』
「今のはオフレコですよ?」
『いやまあ朱音ちゃんの立場からすれば、オフレコにしないといけないほどのものでもないとは思うけど』
まあ、オフレコとは言ったけど、漏れたらまずいようなことは言っていない。これでもヘイトコントロールというか、世論がどう向くかくらいは計算しているし。でないと利害に直結する同業者である共演者の皆さんだけならともかく、片付け中のスタッフさんたちにまで聞こえる場でこんなことは話していない。
「それに、一緒にお仕事をすることはない方々ですから。こんなことを腹の中で思いながら表向きは仲良く、なんて性格の悪い腹黒とはなりませんし」
『おおう。当然っちゃ当然だが、出禁までいったか』
『だから九鬼は怒らせるなとあれほど……』
ちなみにその後、当日のうちに父から話を受けた。内容は「該当局での仕事及び関連するものについては今後一切受けないこと、またCMについてもオファーを受ける際の条件に該当局で放映しないことを求めること」だった。……海千山千の財界重鎮でそうやすやすとは表情を乱されない父があれほど怒りを湛えているのを見たのは、初めてのことだった。
聞いた話だけど、FSプロでもその日のうちに会議が行われたらしい。議題は「特定民放局に対する所属タレントの降板および関係断絶について」……息つく間もなく事務所単位の問題になっていた。その後の顛末は、今のところ私のほうから訊いてはいない。まあ、結果は遅くとも四月頃には出ているだろう。
一方で、九鬼グループ傘下の企業が全てスポンサー撤退を決めたことは知っている。なにしろそのうちデモンディーヴァと、電脳ファンタジア所属ライバーがCM出演するものについては、形式上は私の管轄下だ。こちらは改編期を待たないことになったから既に動いている。
「なので、そろそろ表に出てくる話なんです」
『ああ、だから教えてくれたのか』
『……でもそれ、九鬼と関係を悪くしたくない企業は追従するよね。そうなったら見かけ以上に大ごとになるんじゃ……』
『仕方ないですよ。九鬼を怒らせたらどうなるかなんて、中学生でもわかるんですから。……ちなみに、オファーの交渉担当って』
「大事には扱われていたんでしょうね。統括部長と自己紹介を受けていました」
『救いようがない……』
「担当ディレクターの方と二人でしたが、表情と発言はお二人ともだいたい同じで」
『これ今のうちに私もNG出しといた方がいいかも……』
話は大きくなると思う。わざわざ晒しあげる趣味はないし、実のところ私がまだ出ていない主要民放はひとつしかなくて自明だから名前は出していないけど、場合によっては局そのものの存亡の危機になるかもしれない。九鬼はその可能性が現実的にある程度には巨大だ。
その交渉担当があくまで一スタッフの暴走や失言だったなら、私は玲さんを止めていたと思う。そうしなかったのは管理職まで出てきて、かつ二人いてどちらも止めなかったからだ。そういう意味では、私自身が見切ったとはいえるだろう。
『よくそんなこと黙ってられたね、毎日のように配信してるのに』
「制裁が実際に発生してから発覚するほうが、市民感情は暴走しづらいですから。大ごとにはどうしてもなってしまうでしょうけれど、荒立てる気はなくて」
『一番愚弄されたの、朱音ちゃん本人だよね……? 聖人すぎない……?』
まあ私はもともと、そういう人もいるよね、くらいの感覚でやっているから。配信に来て一緒に楽しんでくれるような人ばかりの世の中というわけではないし、こういう可能性も頭には入れていた。配信では荒らしは即座にボッシュートされていたし、これまではその機会もなかったけど。
それに、怒るべきことにはちゃんと自ら怒りを示したほうがいいことも多いと思う。ここ一年でだいぶ感情の発露が上手くなったつもりの私だけど、そうしたマイナスの感情は今でもうまく出せない。それは私は、よろしくないことだと思っているんだけど……どうしても、なかなか。
本作はフィクションです。実在の人物・団体・事件とは一切関係がありません。