451.バージョン2、画角がもっとカワイくなる!
狂骨の井戸という極上のレベリングポイントが開放されたとはいえ、そのメインターゲットにして攻略プレイヤーのボリュームゾーンを占める圏外組はここで10ものレベリングを要求されている。どうやら少しずつ見た目や挙動の違うものが混ざってきているおかげで飽きはしないようだけど、私が行くべきはそちらではない。
昨日からは攻略対象たる睨疚城の偵察じみた小規模侵入を始めているところだった。火刈さんは当たり前のようについてきているけど、彼女は戦闘にはあまり参加しない。というのも、彼女のような《人理超越者》はみだりに力を振るうと世界のバランスが崩れかねないとか、発展を阻害するとかで行動を起こすことが少ないらしい。おまけに現状だと、万一汚染された場合の被害が大きくなりすぎるから、と。
明日は大人数になる予定になっているんだけど、この事情もあって今日は昨日まで同様に一人。またソロで城のほうへ……となりかけたところで、私は斜め後ろへ振り返った。
「おっと」
「ふにゅっ」
〈ん?〉
〈え、何〉
〈何が起こった?〉
〈なんか飛んできた!?〉
〈なんでわかるんだよ〉
〈普通に振り返って受け止めてて草〉
〈これが魔力覚か……〉
〈嘘つけ! 魔力覚がこんなに使いこなせるわけないだろ!!〉
すると胸元目掛けて白い弾丸が飛び込んできたから、これを受け止める。STRほぼ皆無の私でも持ち上げられる程度の軽いそれは、今のVITは最低限以上ある私なら受け止め切れた。
可愛らしい鳴き声がした腕の中を見れば、これまた愛くるしい白猫。……そのまま抱き締めて、頬擦りしてみる。素晴らしい触り心地……。
「わ、ちょ、ちょっとっ!」
「ふふ」
「あー! やっぱり! やっぱり全部わかってましたね!?」
〈うわいいなあ〉
〈ずるいぞ〉
〈お嬢そこ代われ〉
〈!?〉
〈シャベッタアアア!?!?〉
〈幻双界は猫も喋るんだなあ〉
〈獣人系ですらないちゃんとした猫だ〉
〈いたずらお嬢〉
〈あれ、この声〉
するとこの猫、喋り出した。それに対して全部わかっていましたよと示唆すれば、不服そうに毛を逆立てててしてし。柔らかい肉球による戯れはご褒美でしかないと、わかってやっているのだろうか。
そう。全部わかってやっていたし、この猫はただの猫ではない。魔力覚を通せば一発でわかる。
「そもそも、わからないだなんて思っていないでしょう? こんな唯一無二の魔力をしておいて」
「むー……やっぱり魔力覚、ずるいです」
「幻双界の方にそれを言われるのは少しこそばゆいですね。……こんなところで会うとは思ってませんでしたよ、紗那さん」
〈!?〉
〈えっ紗那さま!?〉
〈あっ人型になった〉
〈マジで紗那さまだ〉
〈なんで睨疚に?〉
〈わかってたって、もしかして前からいたの?〉
空中に飛び上がると、そこで縦に一回転。順の向きに戻ったタイミングで人型になったのは、すっかり元気になった様子の紗那さんだった。あの白猫姿は、対の夜霧さんは見せていた黒猫姿と同じものだろう。
そう、実は彼女、前からいたのだ。知られていない白猫姿で、ずっと私についてきていた。
「いつから気付いてたんですか」
「函峯を出る前からですね」
「最初の最初からじゃないですか! なんで声をかけてくれなかったんですか!」
「こっそりしたかったのかなと」
「うう……これじゃ気付いてほしくてちょろちょろしてたのがバカみたい……」
〈最初からいたの!?〉
〈かわいいことしてる……〉
〈それで時々視線が変な方向いてたのか〉
〈お嬢はずっと気付いて見てたと〉
〈隠れてたとしても隠れられてない〉
〈しょぼしょぼ〉
〈気付いてほしかったんだ〉
半分は嘘で、気付いてほしいのかもとは思っていた。隠れていて驚かしたかったのか、どちらなのかはわかっていなかったけど。
気付いているコメントがあるけど、私は12日から三日間ずっと近辺を可愛らしくちょこまかしていた紗那さんに癒されていた。日曜日に関東が紗那さんに守られているという話を火刈さんにしてもらったときなんかは、鼻高々に「えっへん」となっていたのがあんまり可愛くてついついはっきり視線を向けてしまっていたものだ。
さすがにここまでしょんぼりされると罪悪感が湧くけど、その一方ですぐに頭頂部をこちらへ向けてぐりぐり押し当ててくるほどのはっきりした感情表現にあっさり癒されてしまった。これで上を向いた後頭部を撫でたら喜んでくれるんだから、誰だって骨抜きにされてしまうというものだ。
凛々しく導いてくれる女王の側面と、いじらしく甘えてくる仔猫のような側面。どちらもバランスを保っているからこそだろう。四ヶ月も失踪していて関わっている時間の方がよほど短いとは思えないほど、当たり前に認識に溶け込んできているのは空恐ろしくすらあった。
どうやらそのままついてくるようだから、改めて城の方へ向かいながら。
「ここにいるということは、今は自由にしていられるんですね」
「はいっ。なんか、義兄さまが今後一年分まで、今できる政務は全部終わらせちゃったみたいで……」
「何者なんですか悠二さん」
「普段は無理しないように止めているのですが……わたしたちがそもそもいなかったので、『帰ってきてから負担にならないように』って、張り切っちゃったみたいで」
「あのてんやわんや、やりすぎのせいだったんだ……」
「なので夜霧も一緒に放り出されて、今頃クレハさんのところにいるはずです」
〈えぇ……〉
〈ヤバすぎて草〉
〈妹たちの分もやってるじゃなくて自分の分まで含めて一年分終わってるのか〉
〈張り切っちゃってどうにかなるもんなのか〉
〈本末転倒では?〉
〈紗那さま不満げだ〉
〈そら救出時にあんなふうに励まされてやっぱ仕事ないですはね……〉
てっきり数日くらいは遊びに出る猶予があるという話だと思っていたんだけど、年単位ときた。幕藩体制的な地方分権で昼王室の仕事はあくまで統括だけだとしても、さすがに予想外だ。
まあ紗那さん自身もわかっているだろうけど、彼女の本領は世界最高のモチベーターだ。城でやる書類事務がなくなったところで、救出直後に悩んでいたようなアイデンティティの危機はない。むしろこうして前線にいるなら、戦いの舞台になる街の士気を大幅に上げる効果が期待できる。
……えっと、年単位ということは。
「なので、忠武ではご一緒させていただこうかと」
「そうなりますよね。……でも、向こうならともかく昼界のこちらは危険も伴うのでは……」
「ふふ、頼りにしていますよ」
「……ルヴィア、諦めてこれから一年間紗那さまを守るの。もう顔に『せっかくの機会だし、ルヴィアさんと遊びたい!』って書いてあるの」
「まあ、私でいいならいいですけど……」
〈紗那様レギュラー化キタ━━━━(゜∀゜)━━━━!!〉
〈完全に当てにされてて草〉
〈あっ違うこれルヴィアにひっつくための口実だ〉
〈かわいい〉
〈紗那さま渾身のガッツポーズ〉
〈公式配信者っぽくなってきたじゃん〉
〈ここまできたらお嬢が好かれること自体も人徳よな〉
そうなるよね。おそらく一年は続くであろうバージョン2、まるごと紗那さんと一緒だ。私としては歓迎だけど、かえって都合のいい展開すぎて不安になる。
だけどまあ、危険なはずの昼界圏外すら計算して私を取り込もうとする王女様の、このきらきらした瞳と表情を無碍にはできない。腹を括って守り抜くことにしよう。目の前にある紗那さんの笑顔は、この幻昼界で多くの民にとって何より尊いものなのだ。
ただ、ちょっと気になってしまうのは、悠二さんが結果的に紗那さんと夜霧さん抜きで、それも凄まじいほどの余裕を持って政務を回せてしまったことだ。さすがにそれは各所に相当な無理を強いたのだろうけど、実際はその半分以下ですら回ってしまう。
そうなると、実務的には紗那さんと夜霧さんは必ずしも中央で政務をしている必要はないということになる。……そしてたぶんそれは、私たちは知らずとも当事者たちの中では周知の事実だったはずだ。
なのに紗那さんたちにも割り振られていたのは、「政務を紗那さんと夜霧さんもやっている」という事実よりも重要度が高いものが存在しなかったからだ。だけどもしも、この解放同行が女王として民を励ます重要な責務ということになったら?
「……とか、考えてそうな顔してますね」
「嘘でしょ……!?」
「こ、こんなの初めてなの。ルヴィアが不意打ちで思考をトレースされてるの!?」
「わたしも考えましたから。……結論は未定ですが、そうなるかもしれません」
「お見逸れしました……」
〈!?〉
〈え?〉
〈こやつ……できる!?〉
〈紗那さまってこんな強キャラだったの!?〉
〈思えば最初からお嬢と対等に話してたな〉
〈あまりにも予想外なだけで、アメリア並だと思えばまあ……〉
〈ちゃん様にはむしろ読ませてたもんな〉
〈同じこと考えてたのか〉
〈同類ってことかあ〉
〈これもしかして覚醒させたのお嬢じゃね?〉
これはかいつまんで言えば、「紗那さんがバージョン3以降もレギュラー化するかもしれない」という話だ。そうであると同時に、今の紗那さんはこれまでの自分の役目が失われても別の役割を状況に応じて見いだせるということでもある。
それを触発したのはあのときの私の激励では、という言説にも反論できないし、私は感情と理詰めの両立をされると頷くしかなくなる考え方をしている。まだ忠武の旅を経て紗那さん自身がどう考えるか次第だけど、このまま全国を共にする可能性はけっこう高そうだった。
「少なくとも、忠武のサナには挨拶したいですし……逢阪に娘がいるので、あの子たちのところまではご一緒すると思います」
「ああ、そっか。娘……。しかしそうなると、ミッドガルドで私がアズレイアに行くとき、どうするかはまた考えないといけないかな……」
「つまり他の公式配信者も他人事じゃないってことなの」
「まあ、夜霧さんもいるから余計にね」
〈娘〉
〈このちんまくて可愛い紗那さまに娘がいるの、未だに信じられない〉
〈いうて璃々ちゃんもそうだし〉
〈こう見えて本卦還りだぞ〉
〈紗那さまも化け猫というか猫神のたぐいだもんな〉
とか言っていたら、おそらくバージョン3の中盤になるであろう逢阪までは同行が確定した。つまりこの旅そのものが、忠武の慰問に加えて娘の様子と身の安全を見に、あるいは助けに行く意味を持っているわけだ。
それにしても、無理もないけど紗那さんは特に外見と年齢の乖離がプレイヤーやリスナーに受け止められていないね。実際はこの世界はむしろ見た目通りなほうが珍しいくらいだけど、あまりにマスコット的で可愛らしいからこそどうしてもそう見られてしまうようだ。
ところが実際はもう本卦還り、つまり還暦を迎える年頃で、独り立ちした娘が何人もいる。定義的にはロリババアですらあるかもしれない、火刈さんの存在もあって誰もそう認識していないけど。
「まあ、ともかく。そういうことなら、これからよろしくね、紗那さん」
「!!!!」
〈おっ恒例のだ〉
〈お嬢って口調変えるときはいきなりやるよね〉
〈紗那さま過去一のハイテンション〉
〈ぴょんぴょんしておられる〉
〈やっぱリアクションが十代前半なんだよな……〉
〈これを直に見て口元が緩まないお嬢おかしくない?〉
まあこれが一番いい機会かと思って、この話の締めにかねてから要求されていたタメ口を使ってみたら……物理的にぴょんぴょんして全身で喜びを表現する紗那さん。いや、そこまでされるほどのものじゃないとは思うんだけど……。




