446.破れた金魚すくいのポイの端っこに残った紙くらい頑強
さて、翌日。
昨日はその後もあれこれ見て回ったりはしていたんだけど、撮れ高は限定的だったと言わざるを得ないかな。というのも、特に大きかったイベントは滑空式の待機列とプラクティス魔力覚だったから、どちらも精霊にとっては蚊帳の外だ。
また電ファンのゲーム強者コンビが爆速会得したとか、例の目隠しがプラクティスで使えるようになっていて公式化したとか、切り抜かれるようなイベントはあった。ただそちらはソフィーヤちゃんの見せ場だから邪魔できなかった。
「というわけで、本格的に再始動といきましょう」
「きばってこー、なの!」
「えー、アイリウスは私が仕事で空けている間に野球アニメを見ていたらしいです」
〈待ってました!〉
〈いよいよか〉
〈さすがに運営も成人式に被せてはこなかったか〉
〈覚えた言葉を使いたいお年頃じゃん〉
〈かわいいね……〉
〈タンコロリン以来の野球要素たすかる〉
〈お嬢始球式とかしないの?〉
できると思う? 九鬼朱音の身体能力だよ?
そりゃまあ、できたらやりたいよ。うちは球団も持っているし、そっちからイベント出演の打診は来ている。だけどこと始球式なんてやったら、下手をすればホームベースより手前で止まりかねない。
適材適所ということで、そういうのは紫音の担当だ。去年水波ちゃんもやっていた。
それはさておき、やってきたのは函峯。ここが箱根だから、峠を通過すれば静岡県域に突入となる。
「ちなみに温泉はあるらしいです。まだ安全確認が取れてないので入れませんが」
「それに加えて、こちらではさほど開発もなされていないんだ。地球界ほどは旅も楽ではないからね」
「汚染の影響がない前提でも、魔物はいますものね。地形も含めて、王都の一般人が来るには厳しいですか」
〈しれっといるじゃん火刈さん〉
〈江戸時代って凄いんだな〉
〈天然の要塞だし……〉
〈観光地化は難しいか〉
そもそも箱根は山で、しかも活火山だ。温泉はそこから来ている以上、それが再現されている函峯は温泉もあるんだけど……未整備な上に危険地帯扱いで温泉どころではないというのが実情。仮にもバージョンボスの元根城というわけか。
箱根が湯治場として栄えたのは江戸時代の後期からで、それまではとても堅牢な天然の要塞としての扱いが主だった。関所も有名だ。
観光地化したのはさらに後、関所が廃止されて国道一号ができた明治時代のこと。つまりそれまでは「交通が大変で旅の道すがらくらいでしか来ないけど、来れたらいいところ」だった。
もうひとつ、実は王都の一般住民のうち非戦闘員の平均レベルは50くらいなのだ。これは函峯近辺に自然生息する魔物が持つレベル80を相手取ることはかなり厳しいもので、単純に戦闘職でないと命の危険がある。そんなところに呑気に旅行、なんてできるのは護衛を雇える人たちか冒険者くらいだろう。
ということで、そもそも需要不足で開発もあまりされていない。今の函峯はほぼただの要塞、城塞都市だ。
「……まあ、仮に近辺の安全と交通をどうにかしたとしても、観光地化は難しいかもしれませんが」
「ああ。なにしろここは、西向きの防衛線だからね」
「やっぱり……」
「おや、やっぱり、か」
〈なんか知ってる感じだ〉
〈なんかあるんです?〉
〈歴女出てますね〉
〈火刈さん、これだけで地球でも似た役割があったと察する〉
このあたりは、箱根の要塞という要素に由来する話だ。たぶんすぐに話に出てくると思うから、詳しいところはいったん封柵の解除を待とうか。
「ちなみに火刈さん、ここにいるということは」
「そろそろ本拠に戻ろうと思ってね。急がないし、解放されていないと意味もないから、巫川までご一緒するよ」
そういえば火刈さんの本拠こと《三又神社》は東海里にあるという話だった。急がないからというのは建前で、どうやら手を貸してくれるようだ。この道は難所も多そうだし、ありがたく頼ることにしよう。
時間通り、もはや恒例の午後一時。私の方も役目だと思ってもう遠慮をする余地もなく封柵手前まで来ていたのだけど、そこに現れたのは。
「やあ、久しぶりだね!」
「……本当に久しぶりですね?」
「《富士》のことを見ておくのが、普段からのボクの役目なんだ。だからそう頻繁は空けられないんだけど……もう少し進んできたら、もっと会えるようになるかもね」
綾鳴さんだ。最初の最初に会った人物でありながら、犯罪ペナルティ担当をしているところに居合わせて以来の再会だった。
普段はそちらの役割もあるということで、品行方正にしていたらなかなか出会わないのだ。同じ役を持つラインさんあたりは会おうと思えば会えるけれど、どうやらそうでないのはもうひとつ役目があるかららしい。
……それにしても、ログを見るに地球と地名が漢字まで一緒だ。関東という地方名はともかく、昼界局所の地名としては初めてかもしれない。
そんな《富士》、なんでも当分入ることはできないらしい。昼界の中心としてのあまりの霊力によって魔境中の魔境と化しているから、踏み入ったらまず生きて帰ってこられないのだとか。
それを管理するのが綾鳴さんの役目……納得だ。重要度でいえばエルヴィーラさんにも劣らないだろう。
「本題に入ろうか。……これから君たちには、第二の地方───《忠武》に踏み入ってもらうことになる。忠武は戦いの地方、これまでよりさらに厳しい冒険になるだろう」
「ええ。望むところです」
「うん、期待してるよ。最終目標は《堰ヶ祓》の挟撃、そこでの汚染根源の浄化だ。……そして、忠武の攻略に際して、真っ先に押さえてほしい場所がある。……君はもう察しているようだね」
「ええ。確かにそこ……“ニラヤマ”を取らないと、背後から脅かされ続けることになりますからね」
「そうだ。……第一目標は、《睨疚》。ここを解放して、足掛かりにしてほしい」
封柵が取り払われた。見た目は普通の柵だったけど結界のようなものだったようで、綾鳴さんが手をかざすとふわりと消えるとともに……私にも辛うじてわかるほどの汚染の気配が流れ込んできた。
出発だ。西方面への道が開かれたけど、私たちはまず南へ進み始めることとなる。
さて、さっきの話の続きをしようか。
〈なんでわかるんだよ〉
〈毎度の事ながらほんま……〉
〈さすがっすお嬢〉
「前提として、たぶん忠武の地名にはルールがあるんですよ。地球界の同地と、読みは同じ名前になっているという」
「その通りだよ。このあたりは地名に紐づいた要素が多いからね、神秘が力を保つにも、紅葉界の頃と同じ名を置くのが都合がよかった」
昨日の紗那さんとの会話中に取得していたキーワードたちだ。旧国名に合わせた大きめの地域区分もそうだったけど、潔巣に革半縞に堰ヶ祓にと局所的な地名も一致していた。
これは戦国史に出てくる地名と照合しやすい要素だけど、火刈さんが言う通り伝承と地域を結びつけて根差した神秘を置きやすいことにも繋がる。
「で、睨疚……地球の字にすると韮山ですね。反射炉で有名なところですけど、ここ、箱根と結んで防衛ラインを形作っていた要衝だったんです。具体的には、豊臣秀吉による小田原攻めのときに北条家が使った場所です」
〈なるほど〉
〈大事な場所だってことはわかった〉
〈それを逆に東から行くのか〉
昼界のだけど、マップを見せながら説明していこう。箱根は神奈川県と静岡県の県境付近にある山を中心とした一帯だ。芦ノ湖……昼界では《函峯湖》と簡略化されているけど、この大きな湖が山の西側を沿うようにある。
よく箱根の関と称される関所はこの湖の南端にあった。たった今私たちが出発したのもここにあたる。
まず指したのは、そこから南西に少しだけ進んだ場所。今もそろそろ前方に見えてくるところだ。
「ここは山中城、防衛ラインの中枢です。史実では三時間くらいで落ちました」
「え? 三時間なの……?」
「要塞化しようとして大きくしてたら未完成のまま戦いになったとか、そもそも大きくしすぎて守り手の人数が足りなかったとか、いろいろあるんだけどね」
「はは。寒いから露出を減らそうとして大きな服を着たら、ぶかぶかで風が入って寒いみたいな話だね」
「例え話上手いですね火刈さん。……でも、仕方ないんですよ。いくら城でも、15倍以上の人数で攻められたらそりゃすぐ落ちます」
〈三時間〉
〈瞬殺じゃねーか!〉
〈逆効果で草〉
〈わかりやすい〉
〈ぶかぶかの服着た火刈さん需要〉
〈15倍か……〉
しかも東海道のど真ん中、今でいう国道一号上にあったからね。真正面から轢き潰された。いくらなんでも速すぎたとはいえ、当然の結果ではあった。
防衛ラインに話を戻すけど、ざっくり芦ノ湖の北から駿河湾の近くまで縦線を引いたような線だ。北側には別の城があったんだけど、韮山はこの南側担当だった。箱根の南を大回りに素通りさせないためのストッパーだ。
「なのでまあ、言ってしまえば箱根が落ちた時点で必要性は薄れてたんですけど……裏を返せば、ちょうど函峯を取り戻したところである私たちにとっては大事な場所なわけです」
「そう。だから真っ先に解放しに行くんだ。睨疚を防衛線に使えれば、西からの汚染が簡単には関東に流れ込まずに済むからね」
「……多分こんな感じで、忠武では今後も戦国をなぞることは多いんでしょうね」
〈完全に理解したぜ〉
〈関東が安全地帯になったから、自陣として守る感じね〉
〈あれ、もしかして昼界もSLG?〉
それらしい要素は出てくると思う。攻略順という、普段はあまり意識しないくらいマクロな形でだけど。さながら戦国ゲーだ。
そういうわけで、睨疚は最重要な前線基地ということになる。おそらくここを押さえたあとに、まずは守りながら伊豆半島を平定することになるんじゃないかな。それも北条早雲の逆順そのものだし。
上手い人はあの部分だけですくえたりする、そんな硬さ。




