444.むしろ相場より高く払おうとするクライアントvs相場を死守するクリエイター
翅の採寸も済んだから次に行こう。それを含めて新装備枠は試作品を使わせてくれるそうだけど、それ自体まだこれから作るところだから受け取りは明日以降。
次だけど、マスタールームに寄る。やらなきゃいけないこともあるんだ。
「先に触ってもらっちゃっててごめんね」
「いえっ! わたし自身、エルヴィーラさまに代わっていただいていたのが心苦しかったですからっ」
まずはダンジョンの設定を弄る。新エネミーはまだいないけど、さっき紹介した新要素の中に大きな影響を及ぼすものがあったから。
来たのは《落花繽紛桜怪道》のマスタールームだ。ここでやることとは。
「今からここの推奨レベルを75まで引き上げますっ」
「圏外レベルが上がった以上、当然ながら圏外攻略に要求されるレベルもそこまで上がります。なので、圏外組養成所を通過した時点でのレベルも75、つまりトップ-5レベルが妥当になるわけです」
〈それはそう〉
〈大事だ〉
〈そっか、バッジの信用を考えると即やる必要があるのか〉
コメント欄に気づいている人がいるね。そう、私たちはプレイヤー側の自己防衛を兼ねた効率化の方策として“圏外組養成所”の概念を作ったけど、これの目的はふたつあった。プレイヤーレベルによらない戦闘の実力をつける玄関口と、ジムバッジの付与だ。
このジムバッジは私たちが圏外組というプレイヤーレベルだけでは振れ幅が大きすぎる人たちの実力を把握しやすくなる概念なんだけど……これまではこのジムバッジはトップレベル-15、つまり現レベル65かつある程度のプレイヤースキルでの取得を想定していた。だけど今日から、レベル75までは上げやすくなった。
つまり、ジムバッジで見たかった実力をつけずとも、推奨レベル+10の暴力で簡単にクリアできるようになってしまったのだ。
「なので、全てのジムがレベル押しのパワープレイが発生する前に、速やかに推奨75に上がります。これは担当のダンジョンマスター全員が把握しているので、漏れはありません」
「ただ、トップ勢と圏外組の実力差が縮む今後の前線の難易度に合わせる形にはなるの。攻略状況次第だけど、これまでよりは必要な戦闘センスは下がるはずなの」
「それと、養成所以外の高レベルダンジョンがいくつか、推奨65~75に変更されます。新規格の養成所に挑むまでのレベリングは、その区間の地域ができるまではひとまずそちらでどうぞ」
〈なるほど〉
〈それは確かにそうだ〉
〈ジムの目的が果たせなくなっちゃうのか〉
〈まあPSゲーそのものは低減されるから……〉
それに伴って、初出レベルが65から75ほどだった一部のMobも出現させられるようになった。今回はそれを含めてのリニューアルだ。
そうして各地のダンジョンが底上げされると、そこに登場するものは《薄明と虹霓の地》から外すこともできるようになる。ただどう調整するかの具体案まではさすがに聞いてないから、そちらは後日。
これで真っ先にやるべきことは済んだから、ちょっと時間を確認。
「少しだけハウジングも見ておきましょうか」
〈今時計見たな〉
〈視線が右下に〉
〈次のイベントへの調整してるぞこいつ〉
〈城の正門前に拾伍時ヨリって立て看板があるんよ〉
みんなも目敏くなったよね。そうだよ、わざわざ時刻指定付きで待ってくれるくらい紗那さんは優しいの。
それは何も私だけじゃなくて、プレイヤーみんなの真っ先にやりたいことを優先させてくれている。だから私一人が約束より早く行っても始まらないのだ。
建てるなら流石にこっちということで、《薄明と虹霓の地》に移動。そのままとりあえずハウジングメニューを見てみる。
「レイアウトは……うわ、とんでもなく自由ですねこれ。しかもマスタールーム専用メニューもある」
「マスタールームには便利な機能がたくさんあるんですっ。せっかくですから、使ってくださいっ」
システムそのものは、ハウジングと聞いて思い浮かぶものにかなり近いと思う。一部のトップ勢はギルドハウス増築のときにちょっとだけ触ったけど、見取り図から自分で作ることも可能だ。もちろんおすすめやお助けモードもあるし、それを無視して変な作りにしたら費用が高くなるけど。
というか、自由度が高すぎる。建物のレイアウトから配置、間取りに至るまで好きなだけ指定可能だ。作りによって細かく値段が変動する点も含めて、現実での建築さながらだ。VRの強みを存分に活かしている。さすがにデザインを取り込むには手間がかかるようだけど。
「……この手のシステムでは珍しいのは、自分で決めずにお任せにしたらむしろ高くなりますね」
「当然じゃないですかっ? その分は職人さんが考えなきゃいけないですしっ」
「ああ、そっか。ちゃんと幻双界の大工が建てに来るんだ」
こういうのはこだわらない方が安くなるのが相場だと思っていたけど、これは確かに。職人に「いい感じにやっといてください」と丸投げするのは、手間賃がかかって当然だ。これもリアリティというものか。
というか、マスタールームにも大工が来るんだね。機会さえあれば意外と気軽にそういうことも起こるんだ。
メニューをよく見たらあくまですぐにできるのはデザインまでで、いずれも完成まで時間がかかるようになっている。あの短期間でライブステージを二つも作った幻双界の大工たちだから、現実のそれよりはだいぶ短いけど。
まだ時間があるから、ちょっと考えてみよう。
「といっても……ここに似合う建物って……?」
〈それはある〉
〈家建てるような雰囲気の場所ではないよね〉
〈ポツンと一○家ってレベルじゃねーぞ〉
〈なんか工夫しないとか〉
そう、いきなりだけど、ハウジングに向いた景観とは言いがたい。《薄明》はダンジョンそのものは本当にバリエーションに富んでいてなんでもどこかしらには似合うけど、マスタールームとなると話が別なのだ。
ボスエリアとマスタールームは、ガラス質の他ではあまり見られない平らな地面が地平線まで続いている。しかも空は常にいわゆるマジックアワーで、大きな虹まで常時かかっているという幻想的な風景だ。幽玄とも形容できるそれは個人的にはとても気に入っているんだけど、ハウジングとなると話が変わってくる。
こんなところに普通の建物なんて建てたら、かえって景観阻害極まりない。ログハウスだろうが石造りだろうが寝殿造だろうが、シュールとしか言いようがないだろう。
となれば、このエリアに似合う普通でない建築を用意するしかない。ただ、それってどんなもの? 私は建築やデザインの道は通ってきたことがないから、ちょっとすぐには思いつかない。
『幻想的に溶け込ませるか、荘厳さを出して風景の主役にするかの二択かな』
「ちょうど呼ぼうとしてたところだったよ、ありがとうsper」
〈うわぬるっと来た〉
〈当たり前に出てきて草〉
〈sper先生たすかる〉
〈来てほしいタイミングで来るじゃん〉
というわけで私の知人でデザインや芸術といえば一択、sperに通話をかけ……ようと思ったところで向こうからかかってきた。どうやら見ていたらしい。
たぶんフロルとの二窓だろうけど、二窓を作業のお供にするのって一般技能ではなさそうだよね。マルチタスクにかけては私の言えたことではないけど。
とりあえず提示してくれたのが、大まかな二つの方向性。この風景を主役にして溶け込ませるようにオブジェクトとして作るのがひとつ。背景としてのこの光景が合うような荘厳な、それこそファンタジー系の中でも幻想的でやんごとないキャラクターが住んでいそうな主役を新たに作るのがひとつだ。
「といっても、前者はそのままだとちょっと難しすぎない?」
『そうだね、そこあまりにも何もないから。今の様子に溶け込ませるというよりは、他にもいくつかオブジェクトを作ってエリア全体の雰囲気を少し変えることになると思う』
「現時点だとコアと申し訳程度の背景オブジェクトしかないからね。もう少しぽつぽつと飾りを置くべきか……」
溶け込ませるといっても、何もないところには何も溶けない。水すら入っていない空のビーカーに塩を入れるようなものだ。
だから風景を主役にする場合、その風景を作るところからになる。背景オブジェクトをたくさん作って、それに調和させるようなイメージだ。
『主役にする場合は、それこそ神殿とかお城くらい雰囲気を出したほうがいいよね。屋敷くらいじゃ背景が強すぎて負ける』
「だよね。でもさすがに、いきなり城は厳しいな……いくら私でも、これからインフレしていくハウジングを最初から最上級にするほどのお金は持ってない」
建物そのものをエリアの主役に据える場合はというと、かなり存在感の強い大きくて派手な建物をどかんと鎮座させることになる。そのくらいはしないと、強すぎる背景に勝てないから。
ただ根本的に、どうやらそこまで作り上げるにはまだエルが足りない。それもそうだ。私は数十億エルほど抱えているけど、お城なんて建てるには現実でも土地代を除いて数千億くらいは平気でかかる。見た目だけで、単体で。しかもメタ的には、これは今後数年はかけてインフレしていくのに付き合うシステムの初日なのだ。
というわけで、ちょっと今は手が出ない。となるとどうしても一択になるか。
「現時点で考えられるのは前者かな。デザイン的にはそっちの方が難しいけど」
『今のそこ、アニメのオープニング映像とかで出てきがちな謎の心象風景だからね。まずはその雰囲気は消さなきゃ。……だけど、それは大丈夫?』
「大丈夫。そもそもここ、ボスエリアと雰囲気被ってるから。向こうに風景は残るし、ボスエリアのほうがそれっぽいからマスタールームは変えちゃってOK」
言ってしまえば、本当に何もないからこそ完成しているたぐいの風景なのだ。何を置いたとしてもノイズになってしまうから、雰囲気ごと変えるしかない。
ただ、それには実は抵抗がなかった。最高のロケーションで《薄明の影》と戦えるボスエリアだけで、幽玄は充分といえば充分だから。
『じゃあ……ちょっと考えてみようかな』
「……円とエル、どっちにする?」
『そこでどっちかは払うって即答するあたりと、円の選択肢があるあたりさすがだよね』
「あ、ごめん。今強制で両方になった。sper宛の投げ銭がものすごい量来てる」
「…………うん、ありがたく受け取っておこうかな。私もプロ、ってことで」
〈任せろ;5000〉
〈sperのデザインエリアとかタダで見れていいわけないだろ!;10000〉
〈少ないですが観覧料先払いしときますね;2000〉
〈依頼料は俺たちが払う;20000〉
そこまで考えて第一段階が決まったところで、sperが自分から手を挙げてくれた。ありがたいことこの上ないけど、プロイラストレーターに私のもののデザインをさせてタダというわけにはいかないよね。「友達だから無償でやってくれない?」は滅ぶべき文化だ。
しかし支払い方法を決める前にリスナーたちが払ってしまったから、無事両方払いということになった。といっても私も円でも上乗せするから、安心して仕事として計上してね。
「チップだから」
「確定申告が……」