413.ここまで完璧な負けフラグが立つのは初めてかも
「それじゃ、ちょおっと待ってねえ」
女媧とは、古代中国神話の女神である。文献によれば人の頭に龍の体という神々しいのだか気味が悪いのだか現代の異国人たる私たちには判断が難しい姿をして、泥を捏ねて人間を作ったという。
他にも婚姻制度を作ったとか、楽器を作ったとか、天地を修復したとか、いろいろ伝承が残っているけど、今回重要なのは人類創造の部分だろう。いわゆる地母神だ。
……仮にもあの夜津さんを含む四姉妹の末っ子ということで、目の前にいるこのひとにもばっちりクトゥルフ要素が含まれていることになる。あまり突っ込まないでおこう。
それにしても、モチーフが雑多な姉妹たちだ。ヨルムンガンドとシェロブ、夜刀神に女媧とは。制作経緯や込められた意味が気になるところだけど、九津堂にはたまにそういうところをあまり考えずに妙なとっかかりから作る悪癖がある。期待はしていない。
「何か手伝うことがあったりは」
「今回はないよ。これはこの子にしかできないことだけど、材料さえあればこの子にとっては難しくない作業だ」
「その材料というのは?」
「特殊な泥と、生者の振る舞いができる死者の魂」
「……つまり、ほぼ無理ですね?」
「泥自体は《不死鳥の灰》でもあれば作れるみたいなんだけどね」
「んー、なら泥自体はどうにかなるの。けど魂はないの」
〈もしかして今から人体錬成を見られる?〉
〈どう見ても人体組成ではないけどな〉
〈どう見ても……泥です……〉
〈女媧ってそういう神だし〉
〈しれっと難しいことをおっしゃる〉
チャイナドレス……本国では旗袍と呼ぶものだ。私たちにも見覚えがある衣装を着こなした女媧さんが壺の蓋を開けて、中から出てきた泥を捏ね始める。……あれ、旗袍って清代になってから成立した、それも漢民族ではなく女真族由来の衣装じゃなかったっけ。大丈夫? ……まあ今更といえば今更だけど。
なんでも雫さんの泥は特別製だそうだけど、普段使いする泥は《不死鳥の灰》以外はさほど入手難度が高くないものでできるらしい。その不死鳥の灰が大変に思えるけど、これは不死鳥の知人がいれば問題ないとのこと。その人がどんな気持ちで自分の炎の灰を採取することを許可するのかはわからないけど、ヘアドネーションのようなものだろうか。
ただ、そもそもの魂となるもの……生者のように振る舞える魂というのが、とても難しいとのこと。大抵の死者は死を受け入れて現世への執着を失ってしまうか、そうでないならどこかが壊れてしまって元通りにいられなくなるらしい。火車から神に転じた火刈さんが言うなら間違いないのだろうけど、だとすると確かにほぼ存在しない。
「よく漫画とかであるパターンだと、自分が死んだことにそもそも気付いてないタイプの幽霊とか?」
「たぶんダメだよチカさん、捕まえてから体に入れるまでのどこかで死を自覚すると思う」
「その通りだよ。そしてそうなればあとは他と同じになる」
「うーん……だとすると本当に、死の衝撃に耐え切って壊れずに保たれるしかない?」
「うん。つまり、儀式なしで《レイス》になったようなレアケースだけだ」
「わたしは入れ物のほう専門で、中身は管轄外だからねえ。綺麗な状態じゃないと結局うまく動かないか、すぐ暴走して魔物化しちゃうの」
〈だめかー〉
〈そう簡単に抜け道はないか〉
〈ポンポン作れたらいっぱいいるわな〉
〈レイス?〉
〈この世界レイスいるんですか!?〉
〈それも魔物じゃなくてだと……?〉
〈これはアンデッドの道始まったか〉
アイリウスが興味深そうに齧り付いている中で女媧さんが本格的に泥を形にし始めたからか、その中から人魂のようなものが出てきた。相変わらず泥から離れきらずに伸びているけど、それは火刈さんに甘えるように擦り寄っている。
この話だと、雫さんはそのレアケースであり一度は死んでいる存在なのだろう。もしかすると、死者にかかわる火車だからこそ自身が死んだときにも機能したのかもしれない。
……それはそれとして、なんとここにきてキーワード取得だ。《レイス》、要は幽霊のことなんだけど……ヘルプを開くと、種族カテゴリに入っている。これはただの幽霊ではなく、種族と認められるような別の存在ということだろうか。
それに、儀式といった。それは本来なら儀式を経てなる存在だということで……これはもしかすると、プレイアブルにもなる新種族かもしれない。
女媧さんはまだ両脚を整え終えたところで、まだ時間がある。一体型フィギュアの原型のように服ごと形作っている向こうも気になるけど、少し聞いてみようか。
「レイスというのは?」
「ああ、そうか。このあたりにはいなかったね。……端的に言うと、儀式で肉体を捨てた魔術師のことだよ。本来は死者というわけではない」
「肉体を捨てた……」
「一長一短ではあるんだ。暮らし方は変える必要が出てくるけど、肉体を介さないことで魔術は修めやすくなる」
「そちらの世界でどんな認識かはわからないけど、幽霊とは違って人類として扱われている種族だ。後天的になるものという意味では、《ソルシエ》と似たようなものだよ」
「……ひとつ聞いたら別の知らないものが出てきた」
〈なるほど〉
〈儀式って進化イベのことでは〉
〈アンデッドではないと〉
〈案外ラフに種族扱いされてんな〉
〈ソルシエ!?〉
〈情報が落ち着かねえ!〉
〈V2への布石か?〉
なるほど、聞く限りではエクストラ種族のひとつということになりそうだ。魔物として存在する幽霊とは明確に区別されていて、肉体はないものの生きている人類の一角。儀式とやらが進化イベントになるのは間違いなさそう。
そのレイスが泥の体を扱うことができるかは不明だけど、わざわざ肉体を捨てた人たちに模造品を与え直すというのもお節介だろう。となれば雫さんがそうだという、死の際に偶発的にレイスとなってしまった存在しか有効活用はできないか……なんて考えていたら、またキーワードが取得された。
またしても種族カテゴリで、《ソルシエ》らしい。こちらはある程度想像がつく。
「ソルシエって?」
「すごくざっくり言うと、フランス語で魔女のことだね。ソルシエは男性形で、女性形はソルシエール」
「あ、そっちは聞いたことあるけど……魔女なのに男性形? というか、なんでフランス語?」
「女性が多いとはされるけど、原義では魔女は女性に限らなかったの。フランス語なのは、英語と日本語には男性を含められる語がなかったからだと思う」
ただ、実際ソルシエがどんなことをできる種族なのかはこれだけではとんとわからない。古代シャーマニズムの使い手から中世や創作で描かれるもの、果ては近現代カルトまで本当に意味が広いから。
たぶんファンタジーでよくある黒魔術系ではないか、とくらいは思うけど。火刈さんたちもあまり話してくれなかったし、これは追加情報待ちかな。
「だけど、ルヴィアさん。あなたたちにとっては、レイスは気になる存在なんじゃないかな」
「えっと、それはどうして」
「レイスは《魔力生命体》だから」
「…………それは確かに、ちょっと興味が出てきますね」
〈なんと〉
〈ここにきて!?〉
〈うわそれは急に熱い〉
そろそろ新種族プレビューの話も一段落というところで、締めとばかりに梓さんが豪速球を投げてきた。《魔力生命体》か、確かにそれなら気になる。精霊が無条件で持たされていたそれのさらなる活かし方が見つかったりするかもしれないし。
「……よおし、できたっ」
「お疲れ様。……うん、よくできているね」
「じゃあー、雫ちゃん。入ってみて? いつも通り、自分で修正しきれないズレはすぐ言ってねー」
ほどなく女媧さんが作業を終えた。なんだかほとんど火刈さんと梓さんと話していた気がするけど、作業に集中していたから話しかけづらくて。ずっと見ていたアイリウスが目を輝かせているからいいか。
実際、こんな短時間であの泥が火刈さん似の美幼女にビフォーアフターしていた。ガワだけだったとしても凄まじい器用さと美的感覚だ。仕組みも中身もわからないとはいえ、あれが魂が入るだけで動くならなおさら。
雫さんと思しき魂は躊躇なくするすると泥だった体に戻っていって、すぐに動き出した。ほとんど違和感のない、ただまだ体が硬そうなだけの仕草でまず腕が動くと、続けてあっさり起き上がった。汚染除去と浄化後の休養自体は壺の中でできていたのかもしれない。
すぐに立ち上がりすらしてみせて、全身を軽く確認して問題ないと判断すると火刈さんの方へ。そこまでの体格差はない体へぴったり抱きついて、幸せそうに姉妹の抱擁と洒落こんでいる。
しかしそれも数秒で終わって、次は女媧さんとも同じように。それが終わると、いよいよこちらに向き直った。
「…………えっと、お姉さんたちは?」
「ああ、雫は本当に最初期からだったからね。一から説明するよ」
少女説明中……。
「えっと、つまりお姉さんたちは、暴れちゃってたわたしを止めて、その汚染も関東からは消してくれたすごい人たち、ってこと?」
「そうだ。汚染は私たち双界人にはほぼどうにもできないものだったからね。感謝しないといけない」
「そうだったんだ……ありがとうございましたっ!」
「どういたしまして。雫さんが無事に復活できて、私たちも嬉しいです」
〈かわいい〉
〈かわいい……〉
〈いやさすがにかわいいわ〉
〈これが……泥人形……?〉
〈中身いっぺん死んでるとは思えんな〉
〈なるほど確かに神造形師〉
なんというか、こうなってしまえば本当にただかわいいだけの子猫少女だ。つい昨日なかなかの死闘を繰り広げた形態変化持ちのラスボスで、死を経験したレイスが泥人形に入ったものとは思えない。
コメント欄もすっかり浄化されていて、かわいいと庇護欲に染められている。……いや、一瞬なにか見えた気がして消えた。もしかしたらものすごい速度で運営モデレーターが仕事をしているだけかもしれない。
これは人気が出そうだけど、近くに火刈さんがいるだろうから万一はないか。しばらくここで療養させて、落ち着いてきたら紗那さんたちに応じて登城するらしい。
私たちはしばらくここで話して、火刈さんと連絡を交わした人なら訪れていいとお墨付きをもらった。あとはお暇しようかと思ったんだけど……そうだ、ひとつ手を打っておこうか。
「あの、女媧さん」
「なあにー?」
「もしかするとそのうち、誰かをモデルにして小さな人形を作ってほしいと依頼してくる方が来るかもしれないのですが……」
「……おー? 面白いこと考えるね。そっちの文化?」
「まあ、はい。……そういう話があっても、モデルが拒んだら作らないでおいてほしいんです」
「んー、当たり前のことに思えるけど……」
「大事なことなんです」
「まあ、わかった!」
「そ、そんなっ……!?」
「あ、それと! 八朔仄火さんの場合は、自分を作れって言ってきても応じないでほしくて!」
「……よぉく見れば、仄火さんとそっくりだねキミ。どういうことかは、なんとなくわかったよ」
〈ああ……〉
〈な、なんてことを!〉
〈人の心がないのか!?〉
〈結乃ちゃん絶望してるよ〉
〈いやまあ当たり前なんですけど〉
〈ちゃんと肖像権の概念とかあるんですね幻双界〉
〈アメリアちゃん泣くぞ〉
〈どうしてだろう、敗北の匂いがする〉
〈というか手遅れなのでは?〉
無事に女媧さんの理解を取り付けることができた。それがどういうものでありどんな羞恥をもたらすかは、どうやら話を聞いただけでわかったようだ。この場にいる中ではミカンのフィギュアを欲しがっていた結乃ちゃんがショックを受けているけど、私たちとしては重要な問題だからごめんね。
…………このときの私たちは、これで守り切れたと思っていた。本気で確信していたのだ。
ネタバレ:二人は敗北します。
それと、新作が出ました。あのフロルちゃん主人公のVtuberコメディです。互いに読まずとも問題ないようにはなっていますが、本作と近いノリなのでよければぜひ。世界線も共有しているので何人か共通キャラも出てきますよ。
……オーバーキルは現在根本から見直しています。現状未定とだけ……。