397.その声自体が勲章になるから
司令部に戻ってきた。ひとまず手の空いている精霊を集めて、那夜を浄化していく。
「この浄化という手順、二種類あります。ヒーラー全般が行える通常のものと、精霊だけが使える特殊なものですね」
『ほう。違いはあるん?』
「ちょっと性質が違って、ケースによって得手不得手があったりはしますが……最大の違いは、使うリソースの差ですね」
私やDCOをこれまでも見てきたリスナーなら覚えていることだとは思うけど、これはそれ以外の新規層にも見られることになる。目の前で初めて行うことについては、一応話しておいた方がいいか。
「ヒーラーの場合はアーツ、つまり技として浄化を行うので、戦闘リソースであるMPを使います」
『MPって、さっきから必死に管理してる』
「そうです。一方、精霊は生命活動に近い形……植物の光合成のような感覚なんです。なので使うのはSP、スタミナですね。この世界ではご飯を食べると回復します」
『……なるほど。つまり、精霊なら浄化をやっても戦いに影響しないってことやな?』
「正解です。なので今回はこうして、精霊が寄ってたかって食事会をしながら浄化していくことになりますね」
『言い方よ』
ポーションと違って、SP回復の食事は上限がない。SPの減少は空腹と同義とされているから、お腹が減ったら食べられるよね、というわけだ。
普段ならどっちでもいいんだけど、ポーション許容量を使い切るような状況では変わってくる。一方で精霊は基本的に全員トップ勢と強者揃いだから、ポーション酔い状態の人だけをこちらに呼び寄せるのが都合がいいというわけだ。
『この時間帯にVR空間でご飯食べても大丈夫なんですか?』
「それは大丈夫なんです。ダイブVR黎明期にそのあたりで事故があったことで、VR空間では満腹中枢への刺激を行わないことが義務付けられているんですよ。DCOもその例に漏れず、いくら食べてもお腹が膨れません」
『夢みたいな話ですね……』
「観光で来る分には嬉しいですけど、こうして必要に駆られてやっていると善し悪しですよ。ただでさえお昼時でお腹減ってるのに、食べ物で食欲は刺激されても満たされないから余計にお腹が減っていきます」
「でも食べてきたら今度は食欲なくなっちゃうから、先に食べてきたりとかしづらくて……」
難しい問題なのだ。VRで食べても満たされないようにはなっているけど、そうすると食べれば食べるほど逆に食欲が増していくことになる。
一方で今言われた通り、先に現実で食べてからだと食欲がなくなるのだ。こっちでは現実の満腹感もカットしてくれるとはいえ、直前まで感じていた記憶はどうしようもない。
「うーん、悪いんだけど何人かは先に食べてきてほしいかな。たぶんおやつ時には立て続けに撃破が出て今より浄化が忙しくなるから」
「あー、それは間違いないですね」
ということで、ひとまず私が引き受けて他の面々は昼休憩へ。前線にいる精霊たちも、配信担当のソフィーヤちゃん以外はタイミングを見て行ってきてもらうことにした。
私はひとつ予定があるからもう少し後、ボス撃破が出てくる前には戻ってこられるように行ってくるつもりだ。
ユナだけ残ってくれて、司令部の方も少し見ながら二人で浄化することしばらく。
「……ぅ、うん…………」
「目が覚めましたか」
彼女は巻き込まれて取り巻き扱いで出てきたということもあってか、案外早く浄化が済んだ。ぼうっとした様子で起き上がって、ふらつきながら見回す。
「ここは……」
「大丈夫、安全地帯です。……那夜さん、意識を失う前はどこまでご存知でしたか?」
彼女は原作である百鬼戦録では、厳しい経歴もあって警戒心の強いキャラクターだった。扱いも最初は慎重にしておく。
この場が安全であることと、私の背後に派遣されてきている双界人の超越者が見える位置に陣取って敵ではないことを示すのが最初。それから、情報の与え方を探るためにまずは記憶を辿ってもらう。汚染中は基本的に記憶がないのと、彼女はいつから汚染されているかわからないから。
「大丈夫、来訪者については聞いてる。《厩橋》が解放されたのも知ってるから」
「それなら、つい最近まで無事だったんですね。今は厩橋の解放から三週間半、燎さんが再失踪してから五日目です。ここは《薄明と虹霓の地》のマスタールームで、解放作戦の本部を置いています」
「そっか、精霊の。……悪いけど燎のことは任せて、私は玲亜を探しに西へ行ってたの。結局見つからなくて躑躅咲の近くまで戻ってきたところで、燎と会って」
ただ、そこは杞憂だったらしい。那夜さんが汚染されたのはここ五日以内で、対象は燎さんだからこれ以上の複雑化はない。今周知されている情報はだいたい押さえていて、警戒される心配も教え直す必要もなさそうだ。
もはや気にすることではないけど、再失踪後の燎さんの足跡も見えてきた。厩橋の西から山道を回って躑躅咲、つまり甲府近辺を南下したらしい。その最中、親友の気配を嗅ぎつけた燎さんと出くわしたと。
途中で名前が出てきた「玲亜」は《矢車玲亜》で間違いないだろう。苗字が同じだけど血縁はなく種族も違って、名前も居場所も失ったところを拾ったら懐かれて同じものを名乗るようになったという経緯がある。
那夜、ひいては燎とも深く関わる人物だから、こうなってくると登場していないのが少し不自然にも思えてくるところだ。どうやら行方不明らしい。
「そうだ。燎は」
「まだ戦っています。申し訳ないことに、私たちが汚染を削り切ることができなくて。……こちらを」
ただ幸いなことに、那夜さんは非常に軽い症状で済んでいるようだった。汚染に囚われてからかなり日が浅かったことと、一度戦って削り切っていることが要因だろう。
司令部の画面のうち燎戦のものを拡大して見せると、不安げな表情で眺めながらそわそわ。画面の中には、安定した戦局とはいえ予断は許さない戦いが繰り広げられていた。
すると那夜さん、立ち上がる。
「行かなきゃ」
「えっ?」
「燎は何度も私を助けてくれた。それに、厩橋をほったらかしにして苦しい思いまでさせてるんだ。今度は私が助けないと」
どうやら戦場に向かうつもりらしい。負い目があるからと焦っている様子で、ついさっきまで自分自身も散々な目に遭っていたというのに迷いがない。
だがそれを止めたのは私ではなかった。
「ダメだよ」
「梓さん……どうして」
ついさっき双界中枢から司令部への助っ人として、雪景梓さんが来ていたのだ。彼女は私たちから見れば百鬼戦録のグランドヒロインであり、どうやらこの世界でも那夜さんと浅からぬ関係があるらしい。
そんな人物に制止されて、しかし那夜さんは諦め切れない。そんな那夜さんを諭す梓さんの姿は、彼女が百鬼戦録の梓よりも大きく成熟した存在なのだと知らしめる存在感があった。
「また汚染されに行くの? 来訪者は那夜を助けるために最強格の戦力を何人も注ぎ込んで、切り札まで一つ切ったんだよ。また汚染されたらどうなるかなんて、考えなくてもわかるはず」
「それは、そうだけど。でも」
「それに、この汚染は近しい者ほど伝染しやすい。現にそれで結乃がやられてる。……他の、たとえば夜界の戦場ならともかく、燎のところにだけは行かせられないの」
「…………」
「恩なら他で返しなさい。人理超越者でもない今の私たちにできるのは、来訪者の邪魔にならないことだよ」
那夜さんはそこで引き下がった。気が済んだ様子ではなかったけど、行ってはいけないことは納得せざるを得なかった様子だ。
だけど、それでただ無力感を抱かれるのもよくない。私たちは迷惑に思いながら那夜戦を行ったわけではないのだ。むしろそれが全体の希望になってほしいから、那夜さんには元気でいてほしい。最前線に送ることはできなくても、じっとしていられない気持ちは歓迎だった。
「那夜さん、よければここで見守っていていただけませんか? とにかく人手が足りていなくて、ここからの戦いは司令部に人を置けなくなってくるかもしれないんです」
「…………そんなことでいいなら」
「助かります」
「ううん、今の私はそのくらいのことしかできないし」
まだ落ち着かない様子ではあるものの、那夜さんは承諾してくれた。
……きっと彼女は安全圏に留め置く口実くらいに思っているだろうけど、とんでもない。これにはしっかり彼女にしかできない実利があった。
何も難しいことではない。矢車那夜は原作での立場や活躍もあって、非プレイヤーからも高い知名度を誇る。その声が、一時はこの戦いを震撼させた那夜が味方として全軍に聞こえる言葉を発しているのは、決して馬鹿にならないほどの士気高揚になるはずだ。
このままいけば勝てる。その道筋が見えている。それを示すのに彼女ほどの適任は現状他にいない。
「そうだ。これ、あげる」
「……これは」
「《曼珠沙華》。燎にとっては特別な花だから、思うところがあるはず」
……なるほど、そうきたか。
曼珠沙華は彼岸花のことだけど、戦録においては鬼灯燎の特別なアイテムとして登場する。…………これこそが五章で燎が探し求めた、那夜の呪いを祓う薬の原料なのだ。
それを今度は那夜の方から出してくるというのが憎らしい演出だけど、効果のほどはもはや疑うべくもない。
「ルヴィアさん、戻ったよ」
「おかえり、カレンちゃん。……よし、では私もこれを届けてからお昼にしてきます。ハルカさん、こっちお願いしますね」
「うん、行ってらっしゃい。私はいつでもいいから、戻ってきたらで」
ここでカレンちゃんとアズキちゃんが昼休憩から戻ってきて、私とユナが一休みする番になった。今日は午前中から夜まで続くから、それぞれ適宜休んでもらっておかなければならない。
ただ、司令部から戦場までは結局精霊が行くのが格段に速い。しかもダンジョンマスターである私は、司令部にしているマスタールームへ直接ログインできる。曼珠沙華は私が届けに行って、そのままログアウトすることにした。