232.きっと新時代の先駆け
ログアウト。
意識が現実世界に戻ってきて、VRセットを外す。あの後ハイになった皆と一緒に最前線まで暴れに行ったから、前半の驚きの連続も合わせて疲労はそれなりに大きい。
だけどそれ以上の充実感を感じて、一度大きく伸びをした。……私がログアウトする時、みんなは「ギルドハウスに戻って二次会をする」などと飲み会みたいな騒ぎ方をしていたけど、大丈夫だろうか。近隣住民……はあのギルドハウスの立地だといないからいいとして、騒ぎすぎて変なことになったりしていないといいけれど。
普段ならもう支度をして寝るところなんだけど、今日は少し違う。新たな家族を紹介しないといけない。
自宅用のARグラスを起動して着け、スタンバイモードのままだったVRセットと繋ぐ。これで出てこられるはずだ。
「アイリウス、いる?」
『もちろん、いるの!』
VR機器から飛び出すように現れて、私の目の前の空間にふよふよと浮く手のひらサイズの女の子。アイリウスは一度嬉しそうに微笑んでみせてから、部屋に興味を持ったようであちこち見回している。
アイリウスにとっては向こうの世界が故郷で、これまであっちで生きてきたんだものね。ただ通信魔術として連絡を取ってきているだけの他のひとたちとはわけが違って、実際に異世界に来ているのだから、この様子は無理もない。
『はへー……知らないものがたくさんあるの。あれもこれも気になるの』
「それは後でね。時間ならいくらでもあるから」
『わかったの。……そういえば、ルヴィアも見た目が違うの』
「こっちの世界ではこうなんだ」
『もしかして、名前も違うの?』
「うん。朱音、っていうの」
『アカネ、なの?』
アイリウス、いい子だ。ちゃんと言うことを聞いてくれるし、教えたことはちゃんと覚えてくれる。ところどころにちょっとヤンデレっぽい面は見え隠れしていたけど、たぶんただ寂しかったり、私に振り向いてもらえなくなるのが怖かっただけなんだろうな。この子、ずっと昔から一人だったみたいだから。
手招きしたら寄ってきて肩に乗ったから、指先で頭を撫でてやる。肩に乗る小さな重みも、指先に髪の感触も、ぴとりとくっついてくる温もりも、全て再現されているのが《ハーフダイブ》を標榜する新型ARグラスの凄いところだ。物を介さずに直接触れる分には、もう現実のものと変わらない。
『どこに行くの?』
「下の部屋に私の家族がいるから、紹介しようと思って。アイリウスは私の新しい家族でしょ?」
『……! わかったの!』
というわけで、部屋を出てリビングへ。配信を終えたのは向こうもわかっているはずだから、たぶんARゴーグルを準備して待っていることだろう。
「……やっぱり集まってる」
「お姉ちゃん、お疲れ様」
「おお、その子が」
「うん。向こうの私と一緒になった存在で、新しい家族のアイリウス」
『えっと、ルヴィア……じゃなかったの、アカネの家族さん、これからよろしくなの!』
「ええ、よろしくね」
「Freut mich」
『……??』
心配はしていなかったけど、ファーストコンタクトは問題なさそうだった。メグのドイツ語がよくわかっていなさそうなくらいかな。
ともかく、一人ずつ自己紹介。
『…………もしかして、アデルなの?』
「あ、覚えててくれたんだ! そうだよ、向こうではアデルなの」
『こっちでの名前はなんなの?』
「紫音だよ、朱音の妹なんだ」
『シオン、覚えたの』
「Ganz schön schlau」
もしやと思ったけど、やっぱりアデルのことは覚えていたようだ。剣として話すことができなかった間のことも、浄化から解放されてからのことは全部覚えているようだから、そうかなとは思った。
それもあってか、紫音とはすぐに打ち解けてくれたようだ。向こうのことを知っているから、紫音の方もうまく合わせている。
メグ、この子がドイツ語をわからないのをいいことにかなり忌憚のないことを言っている。AIテクノロジーは日本が……というか九鬼と九津堂のタッグが強すぎるから、無理もないけど。
『雰囲気でわかるの、アカネのお母様なの』
「あら、褒めるのが上手ね。美音でも、ママでもいいわよ」
『ミオ……ママなの!』
「ちょっとお母さん!?」
私とお母さんがそれなりに似ていることをうまく読み取ったらしいアイリウスに、しれっと凄いことを言い出す我が母。確かに私の半身ともいえるけど、そんなに躊躇なくママと呼ばせるのはどうなの?
……以前、「本当はもう一人欲しかったのよねえ」とか言っていたのを思い出した。たぶんこの人、アイリウスを本当に娘として扱うつもりだ。いや、アイリウスを愛してくれる分には文句はないけどさ。
『楓悟だ。パパでもいいぞ』
「お父さんキャラ崩壊凄いよ」
『パパ……ん、フーゴって、聞いたことあるの!』
「そうなの、アイリウス?」
『エルヴィーラさまが言ってたの、「とってもえらい人で、アイリウスは会うことになる」って!』
「ああ、そうなんだよ。私は幻双界とエルヴィーラさんを助けている九津堂を、そのまた助けているところの代表なんだ」
『ふぉぉぉ! パパ、ほんとにすごい人なの!』
テンションが上がるアイリウス。実は彼女に限らず、九津堂のことを知っているような(そこそこ以上に重要な)双界人は、九津堂のことをかなり好意的に見ている。自分たちの世界の奪還と復興を助けてくれているから当然でもあるんだけど、だからこういう反応になるのだ。
アイリウスは賢いから、細かい事情を知らずともこれだけでお父さんが幻双界を支援していることを理解した。お父さんの周りをくるくる飛び回って、無邪気に感謝を表現している。
『どうもありがとうなの。これからもどうかよろしくなの』
「ああ、もちろんだよ」
さてここまではすんなりいったんだけど……。
『あなたは……アカネと似てはないの』
「私は玲といいます。朱音さんの配信をこちら側からサポートしているんですよ」
『ああ、あの来訪者を増やすための宣伝なの! じゃあとってもいいひとなの!』
アイリウスはとても賢いけど、一方でどこか子供らしさのある思考回路をしてもいる。割と「いい人」の判断基準が緩めだから、これだけでばっちり信頼モードになるようだ。
しかも好奇心より目の前の人を優先するから、今もあのカメラで配信されていることに気づいていない。……まあ、気づいていても宣伝として肯定してくれるのかもしれないけどね。
『…………』
「Was ist denn los ?」
『アカネと似てる、けど……何言ってるかわかんないの……』
うん、どうしよう。こればっかりはどうしようもないというか。
だが意外なことに、解決策を持っていたのはアイリウス自身だった。
『あ、そういえばなの!』
「わ、アイリウス?」
『エルヴィーラさまからお手紙を預かってたの! 困ったら開けてって言ってたの!』
「手紙……って、これ!」
アイリウスがごそごそと懐を探ったかと思うと、手紙を取り出して私に手渡してきた。どうやらARグラスにも対応したメールのようで、添付ファイルが三つついている。
開いてみるとこんな感じだった。
“九鬼朱音様へ。
突然の事で驚いたかとは思いますが、このメールは中身を見ないよう言い含めた上でエルヴィーラへ持たせています。渡されたら是非お読みください。
当社および九津堂はこの度、ライフパートナーAIの試作に成功しました。これは元より九鬼会長のご意向で朱音様にお試しいただく予定でしたが、時期的にもちょうどいいということで今回、『アイリウス』として朱音様のもとへお送りすることになりました。
詳細については九鬼会長がご存知であり、取扱説明書もこのメールに添付させていただきました。どうか楽しみながらテスト運用にご協力いただけると幸いです。
また、ご自宅での実用を鑑みて、取り急ぎドイツ語および英語の翻訳パッチを添付させていただきました。お役立てください。
デモンディーヴァ 技術開発部一同”
…………なるほど。
深く考えるのはやめて、とりあえず添付されたパッチを開くことにした。
「アイリウス、これ使って」
『わあ、美味しそうなの!』
「協力者のひとが送ってくれたみたい。これを食べると言葉がわかるようになるんだって」
『それじゃ、遠慮なくいただくの! えへへ、ありがとうなの!』
実体化したパッチは、アイリウスにちょうどいいサイズのショートケーキになった。小洒落た演出……というよりは、これもまたテストの一環なんだろうね。お父さんはじっと様子を見ているし……これ配信に見せていいの? お父さんが何も言わないってことはいいんだろうけど。
ちなみに『デモンディーヴァ』というのは、九鬼グループ傘下のIT企業だ。九津堂とは大々的に提携していて、DCOより前の頃からたびたび技術提供している。
「ええと……聞こえるかしら?」
『あ、わかるようになったの! その、アカネの親戚さんなの?』
「ええ! マルガレーテよ、メグと呼んでちょうだい」
『メグ、なの。わかったの』
無事にパッチが効いたようで、アイリウスは普通に話せるようになった。私には今もアイリウスの言葉は日本語に聞こえるけど、メグにはドイツ語に聞こえているはずだ。
最近はメグも日本語の勉強をしているようでめきめき理解力を高めているけど、それでもまだ会話は難しい。これでメグも安心してアイリウスと話せるだろう。
「……どうしようリズ、この子ものすごく可愛いのだけど」
「でしょ。これからここで暮らすから、慣れて」
『りず??』
おっと、私をリズと呼ぶメグの言動にアイリウスが混乱してしまった。小首を傾げる様子は可愛いけど、わからないことは教えてあげなければ。
この世界でもやや珍しい事例だけど、国を跨ぐことで名前が別になる場合についてもアイリウスへ教えてあげることに。横で又聞きしている配信のリスナーさんにもちょうどいい説明になるだろうか。
少しレクチャーしたら、「なるほど、アカネとルヴィアみたいなものなの」と納得してくれた。ちょっとだけ違うけど、だいたい合っているしそれでいいか。
その後もしばらく話して、0時を回った頃合いで寝ることにした。
とりあえず今後の生活については一通り済んで、後は明日を待つのみだ。日中の大学の話をした時は、「邪魔しないし静かにしてるからついて行きたいの」と言ってきてどうしようかと思ったけど、結局抗えなかった。
ただ、ここで問題がひとつ。
「さすがに寝る時は、これ外さないと」
『えーっ』
まあ着けたまま寝ることはできるんだけど、毎日ARグラスを着けたまま寝るのはちょっとね。
世の中にはけっこう前から毎日ARや非ダイブVRをつけたまま寝起きする人も少なくないけど、こう、気持ち的には私はちょっと。
『なんてね、なの。実はそこもエルヴィーラさまに聞いてるの』
「……もしかしてあの人、未来予知とかできたりする?」
『たまにしてるの』
「瓢箪から駒」
まああのスーパーガールはいいとして、なんとまたも解決策をアイリウスが持っていた。
さっきのメールだ。取扱説明書とアイリウスの翻訳パッチに加えて、もうひとつ添付ファイルがあった。これをイヤーカフ型の骨伝導イヤホンに繋いでインストールすると……。
「……え、これって魔力覚?」
『そうみたいなの。こっちの世界にはあんまり魔力がないって聞いてるけど、少なくともこれでわたしのことはわかるの!』
「なるほど、その手が……」
どういうわけか、DCOの中ではお馴染みの魔力覚が発生した。受け取る情報がないから現実世界だと役に立たないと思っていた魔力覚だけど、なるほどこれなら意味がある。
せっかくだからARグラスにもインストールしておいて、改めてグラスを外す。インストール先がイヤホンだから、これならアイリウスの声は聞こえる。
ここまでするならVRセットかARグラスのどちらかはつけっぱなしになるけど、それは今の世界では珍しくもないことだ。セーブモードで充分なようだから、特に問題はないだろう。
『これでアカネと一緒に眠れるの』
アイリウスは鼻歌まで歌い出して、もうべったりだ。……あれ、この鼻歌、ギルドハウスで聞ける紗那さんのキャラソンじゃない?
満足げに私の胸元の上に丸まって、だんだん反応が鈍くなってきた。ARはつけていないから乗っている感触はわからないけど、そこにいることは便利な魔力覚でわかる。
……すっかり第六感を植え付けられてしまった。どうしよう、謎の研究機関が押しかけてきたら。
「それじゃ、アイリウス。おやすみ」
『おやすみなの……』
また新しくなる明日からの生活に期待を馳せながら、私たちは眠りについた。明日もきっといい日になるだろう。
寝ていた間にDCOでちょっと騒ぎがあって、その件で起きて早々頭を抱えることになるのは、この六時間ほど後のことである。
お約束的な、これまでちょっと避けていた方向。アイリウスは可愛いですね。可愛いですよね?可愛いって言え。
次回は掲示板回です。苦手でない方はお付き合いを。