2.立ち上がれ、私の分身
暗転した画面中央にポリゴンの破片を散らした銀髪の少女の背中が映り、一拍。ワープしたかのように周囲の光景が変わっていく。
雄大な音楽とともに姿を現したのは、自然豊かなファンタジー世界。少女はその高台に立っていた。
鮮やかな銀髪の、よく見れば耳の長い少女の頭上に緑色のネームタグが開いた。名前は《ルヴィア》。この世界で、後にある意味で代表となる存在である。
『ここが、《幻双界》……!』
そのまま後ろにカメラを引いて切り替わる。獣人や鬼、竜人や妖精なども混ざる江戸時代じみた和風の街角、街道を走り去る早馬、森の中に佇む遺跡。雪をいただいた美しい山と、それに迫る勢いの幻想的な大樹が遠方に見える。
まるで過去の日本にタイムスリップしたような、それでいて洋風の少女がなぜか溶け込む風景。絶妙な違和感が、ここが異世界だと示してみせる。
……しかし直後、その各地で獣や怪物が暴れ始めた。音楽も不穏なものに変わり、眼下の景色も薄く黒いもやに覆われていく。異形と化した怪物や暴れる野生動物たちに押され、ついには人々も街外郭の防壁から外に出られなくなってしまった。
それを見下ろす少女は一人、胸の前で掌を握って憂いを見せる。──その時。
『ようこそ、《来訪者》さん』
背後から掛けられた声に振り向いて、合わせるように画面もそちらを向いた。その先には──艶やかな黒の毛並みを持った、九尾狐の女性が立っていた。
『どうか力を貸してほしい。この世界を、救ってほしいんだ』
少女の一人称視点に切り替わった。まっすぐな瞳を向ける女性と目が合う。
HPバーや時刻が表示された視界の中で、女性から繋がった青色のネームタグがポップアップした。《綾鳴》。
ゲームらしい、かつてのアニメにあったような演出を残して、暗転。代わりにタイトルロゴが浮かび上がった。そこに合わせて、銀髪の少女の声。
「《デュアル・クロニクル・オンライン》、《バージョン0》参加者募集開始。──私と一緒に、この世界で戦ってくれますか」
CMが切り替わった。
整理していくと、まずタイトル。《デュアル・クロニクル・オンライン》という。名前の通り二つの世界を救うと聞いているけれど、ベータテストではそのうち片方だけが舞台となるそうだ。
次に《幻双界》。これはその世界の名前だ。PVに出てきた和と昼の世界が《幻昼界》、対になる洋と夜の世界が《幻夜界》。このあたりはオープンされた公式サイトに記載があった。
《来訪者》。このゲームにおいてプレイヤーは現地でそう呼称されるらしい。NPCのAIが高度で本物の住人のように振る舞うから、私たちプレイヤーは彼らから異物として認識される。CMに出てきた《綾鳴》さんら世界の有力者が、世界の危機に際して私たち《来訪者》を異世界から戦力として召喚した、という体をなすそうだ。
そして《バージョン0》。このゲームではベータテストをそう呼称するらしい。サーバー事情などによる人数制限とそれに伴う抽選などが行われるというだけで、ストーリーは正式サービスの前日譚になるのだとか。
事実上の第一陣ということになり、ステータスなども持ち越せるとのこと。まあ、ダイブ型VRによるMMOゲーム自体が初めての試みだ。いろいろと調整はしていくつもりなのだろう。
「お疲れ様、お姉ちゃん」
さらさらのライトブラウンがふわりと揺れる。ぱっちりとした大きな瞳が真正面から私を捉え、柔らかく細められた。……ため息が出るほどの美少女だ。
CMを見つめていた我が妹、九鬼紫音がにやにやと振り返ってくる。まあ、嬉しそうなのはいいんだけど。
結局は私もこういうお仕事をすることになった、ということで。天才高校生女優様はなぜか姉を人前に出したいらしかった。いずれ共演したいとか言っていたあたり、下手をすると乗り込んできたりまでありうるかもしれない。
私たちは私立の附属校に通っているから、大学まで進学に心配はない。現に私は今、大学受験をパスして卒業を待つのみだ。代わりに受験勉強は6年前に嫌というほどやったけど。
「これでベータ開始までは何もなし?」
「そのはず。向こうもこれ以上漏らすわけにもいかないだろうし」
「あ、あくまでプレイヤーって話、ちゃんと本当なんだ」
紫音が開いているネットニュースはこうだった。
『デュアル・クロニクル・オンライン 公式プレイヤーに九鬼シオンの姉』
今夏グランドオープンを予定している世界初のVRMMORPG、《デュアル・クロニクル・オンライン》。その運営会社・九津堂はきょう、公式プレイヤー・イメージキャラクターとして九鬼朱音さん(18)を起用することを同日開設の公式サイトにて発表した。
発表された朱音さんは国民的女優である九鬼シオンさん(17)の実姉。テレビ暁系の生特番・△△に出演し、大きな話題となっていた。
九津堂は同日付けで新CM・プロモーションムービーを公開。両映像にも朱音さんのVRアバター《ルヴィア》が出演している。同時に彼女のオープンベータテスト参加・公式プレイ配信の決定も公表された。
九津堂はこの発表について「あくまでプレイヤーの代表としての起用であり、期間限定イベント時などを除いて運営側としての仕事などはあまり行わない。彼女には極力プレイヤー目線でのゲームプレイを行っていただく」としている。
予想以上に話題になっていて、正直少し引いている。SNSトレンド一位とか、ネットニュース独占とか、そんなに群がる物なの?
「まあ、少なくとも最初はサーバーも限られてるだろうからねー。プレイしたくてもできない人も多いだろうし、その人たちがまず何を見るかというと……」
「私の配信か。これだけ盛り上げられれば、嫌でも知ってるだろうし」
「ネットのゲーム界隈なんかだと、むしろそれについての盛り上がりのほうが凄いかもね。画面に映るならやっぱり可愛いほうがいいでしょ?」
言葉に詰まった。この国民的美少女、ナチュラルに姉を持ち上げてくるのだ。もう慣れているし、わざわざ反論もしないけど。
ともあれ、それだけの注目度だということは頭に入れておこう。事は思った以上に重大らしい。
……メール着信。差出人は……九津堂?
内容は…………へえ。
◆◇◆◇◆
本人が妹に現実を見せつけられている間にも、新たに公開されたCMとトレーラーの影響はネットの海を猛スピードで駆け巡っていた。
──例えば。
『で、どうするよ』
「そりゃやるよ、もちろん。当たればだけど」
『まあ全員当たるってことはないだろうけどな』
『順調にいけばサーバーはじきに解放されるさ。当たった奴だけ先に行けばいい』
「そもそも、わざわざ同じ面子で群れる必要はないからね。いるに越したことはないけど」
『違いない。そもそも私たち、お互い顔も本名も知らないわけだし』
『ゲームが楽しそうだから行く。それだけですね』
とあるMMORPGのギルドチャットでの会話である。決して人数は多くないとはいえ、彼らは揃って興味を示した。
無理もない、何しろ彼らは攻略組だ。それも長く続けてきたタイトルの出涸らしを憂えて、新たな世界を探し始めていた矢先だったのだ。そこに《デュアル・クロニクル・オンライン》という全く新しいゲームが現れたのだから、興味が向かないはずがなかった。
『でもどうなんよ、実況者としては』
「たぶんだけど、向こうは生配信がメインだ。編集なんかにはあんまり手を出さないだろうし、俺たちがやってるようなのとは毛色が違う」
『なら大丈夫かねえ』
「まあそうでなくとも、一組で足りるってことはないと思うよ」
『それもそうだな。あえて被せて手分けするのも手か?』
『ですね。ともあれ、まずは目指せ、《明星の騎士団》再結成!』
◆◇◆◇◆
──例えば。
「VRMMO、か」
「まさしくファンタジーの具現化だな。やるのか?」
「わからん。システムがどうなるのかを見てからだな」
「まあ確かに、せっかくのフルダイブVRでオート生産は嫌だよなぁ」
MMORPGは冒険や戦いだけのゲームではない。生産職に魅入られたゲーマーたちもまた、DCOには注目していた。これまでクリックで済まされていたクラフトという行為を、自分の手で行うことができるのではないかと。そうして一品もののアイテムが作成できた暁には、きっと素晴らしい達成感があるのだろうと。
そしてもちろん、そんな彼らを失望させる九津堂でもなく。
「……おい、また新しい動画が来てるぞ」
ドワーフの鍛冶屋によって振り下ろされる槌。飛び散る火花。少しずつ形を成していく剣。正しくファンタジーと呼べる光景はそこにもあった。
「…………これは、想像以上だな」
◆◇◆◇◆
──例えば。
「DCO……ふっふっふ、腕がなるじゃないっスか」
「やるんですか、検証」
「そりゃまあ。だってVRMMOっスよ? あたしらみたいな検証班にとって、これほど面白いものもないじゃないっスか」
「でもおねーさん運動音痴じゃないですか」
「ぐっ……そ、それは言わないお約束じゃないっスか……」
二十代前半ほどの女性と、小学校を卒業したかどうかという少女。さも当然といった様子で女性の膝に少女が座っている。完全に弛緩した雰囲気が、二人が親戚ないし親しい仲だと声高に主張していた。
この女性のように、ゲーム内の仕様を検証することを楽しむプレイヤーもまた存在している。彼らは他のプレイヤーから奇異の目を向けられることこそあったが、自分も彼らの恩恵に預かっていることは誰もが理解していた。
VRMMOというゲームの自由度を考えれば、検証もきっと楽しいものになるだろう。時に変態と呼ばれる彼らだが、やはり興味を持たないわけもなく。
「あんまりシャレにならない気がしますよ? 動けなきゃできない検証とかも多いでしょうし」
「ま、まあそうなんスけどね……。でもほら、それでも血は騒ぐというか」
「……はぁ。仕方ないですね、わたしも一緒にやります」
「えっ……いいんスか?」
「当たり前でしょ。わたしだっておねーさんと一緒にゲームしたいですし。というか、連れてってください」
「そっすか。ありがとう、マキナちゃん」
「いいえ。一緒に頑張りましょう、おねーさん」
───もっとも、彼女たちがわずか1500人の狭き門を突破できるかは、全く別の話なのだが。
◆◇◆◇◆
──そして。
「───ッ、見てみて! 朱音! 朱音っ!」
「あーうん、聞いてた聞いてた……通ったんだ、よかったー」
「また朱音とゲームできるっ……! っ、ぁー、でも……」
「そーれで、どうするの。やるの? やらないの? 私はやーるー」
「うぅぅ……やるっ、やります!」
「はぁい。じゃあちゃーんと、怒られない程度に節度を持つ事。いい? いいよね?」
「わかったぁ……」
「それでよしよしねえ。で、今回の割り振りどうするの? やっぱり相談?」
「その方がいいかな、早いとこ相談して決めちゃお」
「そうねえー、そーしましょおー。今回はどういうのやるの?」
「前回はヒーラーしてたから……今度はタンクやりたいなぁ……」
「じゃああたしはキャスでー……ま、今回は自由にやっちゃいましょお? まだシステムも細かいところ公開されてないし? ないもん?」
「そうだね、始まってから色々考えてもいいかも」
「じゃ、とりあえずってことでー、お父さんに返事しとくねえ?」
最後のパートの四組のうち、一組だけ全員ベータ抽選に落ちます。いったいどれなんでしょうね(すっとぼけ)
次回からようやく配信、およびゲームスタートです。また明日よろしくお願いします。