178.朱音の親戚が普通の人なわけがない
長かった夏休みも終わって、ついに大学の秋学期が始まった。といってもうちの大学は一週目はガイダンスだけだから、来週の月曜日まではかなり早く終わる。
そういう事情もあってそれなりに早い時間に帰宅したんだけど……。
「……なにあれ」
「さあ……」
私の家に、シックな高級車が停まっている。
これ、大抵の人ならすごい危機感を覚える場面だと思うけど、こと私の場合は焦ったりはしなかった。偉い人が突然押しかけてきても、揺らぐような家ではないから。
……でもね。だからといって、こんな光景を見て驚かないなんてことはないんだよ。
「朱音の家の場合、何が来てるか逆にわからないからなぁ……」
「とりあえず、入ってみるしかないかな」
誰か来ていたとしても、家には入らなければならない。……一旦お隣の小早川家に避難することはできるけど、何の変哲もないお客さんだった場合に後で困るのだ。
好奇心は猫をも殺すというけど、小早川橙乃は猫ではない。どうやらついてくるようだ。こう見えてアグレッシブな子なんです。
というわけで、オープンザドア。
「ただいまー……」
「お邪魔します」
玄関の靴を見る。今日はオフの紫音と、お父さんもいるようだ。そして客人のものらしきしっかりした靴がひとつ。大きさと雰囲気からして、おそらく少女のものだろう。
気配からして、どうやらリビングに誰か来ているようだ。誰が来ているにせよ、顔は見せておいた方がいいだろう。……大事な話をしていたらいけないから、念のためノックもしておく。
「……あ、お姉ちゃん」
「!」
中にいたのは三人。紫音とお父さん、そして知らない女の子。お母さんはレコーディング中で、玲さんは靴がなかったからたぶん事務所かな。
客人は西洋人だった。大人びた美貌に少しの幼さを見え隠れさせる、プラチナブロンドを伸ばした背の高いお嬢様だ。
そして私が入ってくると、お嬢様は目を輝かせながらこちらを向いた。
「Du bist Lieselotte, nicht wahr?」
「…………Was?」
「……ねえ朱音、私帰るね」
「なんで」
「私、ドイツ語は習得してない……」
「別にドイツ語が話せないといたらいけない空間とかではないと思うけど」
そう、今のはドイツ語だ。私にとっては父方の祖母の母語で、彼女やその影響を強く受けて育った父によって私と紫音も操れるようになっている。
ここからはドイツ語は日本語に訳してお送りします。
「ええと、人違いでは?」
「そんなことないわ! アデーレともそっくりだもの!」
「アデーレ……あ、紫音のことか」
私に向かってリーゼロッテと呼んできたお嬢様だけど、どうやら間違いではないらしい。アデーレというのは、ドイツでの紫音の通称名である。
ハーフの人の中には、父母両方の母国で二つの名前を持つ人もいる。お父さんも一応これで、どちらの国でも通用する名前でファミリーネームだけを使い分けている。
日本にしか住んでいないクォーターである私たちには本来ないものなんだけど、家の事情とかの影響で呼び名があるのだ。通称名というのは、戸籍的には非公式なもうひとつの名前のことである。
「ねえアデーレ、もしかしてリーゼロッテ、何も知らないの?」
「……お父さんがね、無理させたくないってずっと」
紫音のドイツ語名はAdele Leyna Feegalt。アデーレがファーストネームで、フェーガルトは祖母の実家の姓だ。間に挟まっているのはミドルではなくセカンドネームというんだけど、これ以上はドイツ文化の話になりそうだから割愛。
だから、お嬢様がいうアデーレというのは紫音のことである。紫音は以前一度ドイツで仕事をしたことがあって、その時にはそう名乗ったそうだ。
……だけど、私にはそういう名前はなかったはずだ。幼い頃から病気で、ドイツに行くことすらままならなかったのだから。
「あー……実はね、お姉ちゃん。私のときも、通称名は向こうで勝手につけられてたの」
「そうなの? ……ってことは、もしかして」
と、ここでお嬢様がメモ帳を取り出した。さらさらと何か書きつけて、ページを破り取って私に押しつけてくる。
そこにあった文字列は……「Lieselotte Roderika Feegalt」。
「えっと、これ、私の名前?」
「ええ!」
「そ、そうなんだ……」
「リーゼロッテ、ローデリカ、フェーガルト?」
「……うん、そう読むみたい」
なんというか、いきなりそう言われても困る、というのが本音だ。19年間ずっと九鬼朱音として生きてきて、いまさら「あなたはリーゼロッテ・フェーガルトです」って言われても実感がない。
そんな様子の私を見て、紫音は困ったように笑っていた。気持ちはわかる、と顔に大書してある。
ただ、こればかりはね。命名したのは本家の人だし、当人である私に知らせなかったのは良かれと思ったお父さんだ。いまさら文句を言っても仕方ない。
だから認めて、少しでも慣れるしかないのだ。私はリーゼロッテ、私はリーゼロッテ……。
多少落ち着いてきたから、話を進めよう。
「それで、あなたは?」
「わたしはマルガレーテ。フェーガルト家現当主の娘で、あなたの再従妹よ」
「……九鬼朱音……じゃなくて、リーゼロッテ・フェーガルト、です」
遅ればせながら自己紹介。どうやらフェーガルト本家子女がはるばる日本まで来てくれたらしい。
ちなみに、またもや有名人である。マルガレーテ・フェーガルトといえば、ドイツの代表的なファッションリーダー。日本でいうモデルだ。
年は18、なんと同い年である。ゲルマン系は特に大人っぽいというけど、本当にそうだ。私の血にも四分の一は入っているはずなんだけどな……。
「ね、リズって呼んでいいかしら?」
「うん。……じゃあ、メグ?」
「ええ!」
可愛いね、この子。見た目では大人っぽく感じるけど、話してみるとちゃんと同い年だ。上品さを失わない中で無邪気なところがある。
ちなみにお互いに呼んだのはそれぞれの一般的な愛称だ。健太郎くんをケンちゃん、綾香ちゃんをアヤちゃん、と呼ぶような感じ。
西洋人にとっても、六音節は普段呼びには長いのである。
「そちらは?」
「ああ、彼女は橙乃。私の親友だよ」
「トーノ、ね。……ええと、英語ならわかるかしら?」
「あ、うん。ありがとう、トウノ・コバヤカワです」
「コバ、ヤ……日本人の名前って難しいわね」
「お互い様だよ、それは」
私のアカネ・クキも、Kが二つ詰まっているから読みにくいだろうし、リーゼロッテもマルガレーテも日本人は噛みかねない。異文化交流の第一歩は舌との戦いである。
さっきはドイツ語ができなくてしょんぼりしていた橙乃だけど、英語なら普通にコミュニケーションできるとわかって胸を撫で下ろしていた。……ここまですらすら英語を話せる日本人も、そんなに多くないと思うけどね。
「うーん……日本語、勉強しようかしら」
「あんまり気にしないで。やる気なら手伝うけど」
「それで、メグはどうして日本に?」
「実はわたし、しばらくここにホームステイすることになったの」
「……えっと、経緯からお願い」
「あら。ごめんなさい、結果から話してしまうの、昔からの癖なのよね」
結局ドイツ語での会話になるし、いちいち翻訳するのもまどろっこしいからと橙乃は帰っていった。彼女にも伝えることがあったら、後から私が連絡することになる。
そして始めた踏み込んだ話の一手目、いきなり爆弾が飛んでくる。
「これを見て」
「ええっと……『話題沸騰中の最新日本ゲーム、フェーガルトとの関係は?』……って、これ」
「実はリズ、ドイチュラントでも有名なのよ」
見せられたドイツ語の記事は、どうやらまだ日本にしか存在しないVRMMOを向こうの視点から探ったもののようだった。どんなゲームなのかの説明、ドイツへの輸入時期の推測、そして看板娘ルヴィアの素性。
うん、ルヴィアの中身がフェーガルトの親戚の娘だとばっちり書いてある。私の従伯父にあたるフェーガルトの社長へのインタビューもあって、当たり前のようにリーゼロッテという名前まで載せられていた。
「確かに、こういうこともありうるか……」
「むしろこれまでが静かすぎたんだよ」
「向こうではみんな楽しみにしているのよ、『輸入はまだか』って」
記事内容をちゃんと読むと、フェーガルト氏は「もしも許可が取れた場合は、ゲームを手掛ける子会社と連携してドイツ国内での展開に全面的に協力する」と明言している。「リーゼロッテとなんとか連絡を取れないか検討中だ」とも。
九鬼もけっこう大きなグループだけど、フェーガルトはそれをも凌ぐ巨大企業だ。そのトップがここまで断言するあたり、全力を挙げるという意向は本気なのだろう。
……また私という存在の重要度が上がった。
「それでわたしが留学も兼ねて直接日本に来て、いろいろ調整しつつリズと親交を深めてきなさい、ということに」
「なるほど。いつになく本気だね、フェーガルト……」
「当たり前よ。これが上手くいくかどうかで、今後が左右されることだもの」
ちょっと大袈裟な気はするけど、わからなくはない。そのくらい、DCOが見せたVR技術の進歩は目覚しいものがあったし。
それに、世界有数の大企業であるフェーガルトが贔屓目なしにそれだけ評価してくれていることは、私も嬉しい。一応関わっているコンテンツの拡大に繋がるわけだからね。
「……まあ、事情はわかったよ。私にできることなら協力する」
「! ありがとう、リズ!」
私に断る理由もないし、フェーガルトはこれまでも面識がないのによく気にかけてくれた人たちだ。その上で可愛い再従妹の頼みともなれば、私は答えるにやぶさかではない。
もっとも、さっきから何も言わずに眺めているお父さんの様子を見るに、既に話はある程度通っているはずだ。最重要ミッションである九津堂との交渉においては、たぶん私の出る幕はない。
「……とりあえず、夜にドイツ語で軽く紹介でもしようかな」
「ええ、それがいいわ! 告知は任せて!」
日本とドイツの時差は8時間。午後8時からやればちょうどいいかな?
超が五つはつく世界的名家のお嬢様がホームステイ。情報統制は頑張っているようです。
なんか主人公の名前が増えましたが、軽く流しておいて大丈夫です。再登場時は改めて説明しますので。




