140.伝説の駅前事件
女三人寄ればなんとやらというけど、三人どころか五人いたところで雑談に限界はあるもので。
喫茶店雑談はある程度のところで切り上げて、近場をぶらつくことになった。……なぜかこういう歩き方に前よりも慣れた気がしているのは、DCOで何度も街歩きをしているからだろうか。
「AT○ィールド展開!」
「さっきは内心笑ってたけど、いざ内側に来てみると居心地悪いねコレ」
当然とばかりに目に見えないバリアは再構築。美少女が一人増えて、斥力も1.25倍……かどうかはわからないけど。
だいたい半径5メートルくらいの空白の中を歩く。……その範囲内は開いているけど、そのぎりぎり外のエリアは逆に人が密集しているのはなんなんだろうね。
たぶんそろそろ「よくわかんないけどそういうイベントかもしれないし空気読んどこ」みたいな人が大半なんじゃないかな。最初から私たちは関わってないせいで、止めるタイミングもない。
……ざわっ。
「あっ、おい!」
「あいつらやりやがった」
「空気読めん奴っているんだなぁ」
群衆が妙にざわついたと思ったら、正面から三人の男がこちらに近づいてきていた。
というか群衆のほう、もう本当にただの空気読みになっているよね? 誰も頼んでないんだけど?
「なあ嬢ちゃんたち。ツレの男がいないなら俺らと遊ばね?」
「みんなカワイーし、女ばっかりでいるのも損っしょ」
「そーそー、俺らなら退屈はさせねーよ?」
いかにもな調子で話しかけてきたのは、まさしくいかにもなチャラ男三人組だった。
カラフルな頭髪、ぎらぎらしたファッション、金属音がやまないアクセサリー。そして下心マシマシの態度と、粘つくような心地悪い視線。隣の夕夏が微妙に顔を顰めたあたり、たぶん胸への視線を隠してもいないのだろう。
……とりあえずその品性とかその他いろいろなものをどこかに放り捨ててきたみたいな有様は置いておくとして、彼らはなんでこの異様な状態の衆人環視(文字通り)の街中でこの手のナンパが成功すると思ったんだろう。
これらに対する私たちの反応は、こんな感じだった。
「アレだね。ステレオタイプすぎて逆に面白いね」
「わかります。もしかして私たち漫画の世界に迷い込んだ? みたいな妙な非日常感がありますよね」
「絶望的に似合ってない髪の色、デザインが喧嘩したアクセサリーの付け合せ、クオリティを横に置いてとりあえず派手派手にしましたみたいな完成図……うん、参考になる」
「いやまあ、あの記号以上のものが見いだせないファッションはいいとしてさ。五人に三人でこういう露骨なナンパかけてくるのちょっとムカつかない?」
「こいつら完全にあたしとあーちゃんだけ眼中にないわよ。視線でわかるわ」
…………散々な言われようである。真っ先にギャグ扱いした私も大概の自覚はあるけど、特にことりがとんでもない毒舌をかましていた。おおむね同意見だけど、当人たちを目の前にこれだけ言える強心臓の持ち主だとは初めて知ったよ。
そして小夜さん、完全に戦闘民族の感想だよそれ。私と水波ちゃんは本名にもリスクがあるから、咄嗟に初耳の愛称で呼んでくれたのはありがたいけど。
このあまりにも予想外のレスポンスに、なぜか観衆は沸いた。いいぞ、もっと言ってやれ、とか聞こえてくる。見世物じゃないぞこのやろう。
しかし当然ながら、意気揚々とナンパに来てみればここまでボコボコに言われて、しかも直接返事すらされないというぞんざいな扱いを受けた三人組は神経を逆撫でされたわけで。
「んだとゴラァ!?」
「随分とコケにしてくれたじゃねえか。あァ?」
「俺らのソウルファッションのどこがダサいんだよ! もう一回言ってみやがれ!!」
あまりにもあんまりなナンパを見せながら向こうから絡んできたとはいえ、けっこうな悪口を真正面から受けたわけだ。この沸点の低そうなチャラ男たちがキレるのはわからなくもない。
……ちょっと待って三人目だけ違う怒り方してない?
中でも特に趣味のよくなさそうな見た目をした中央の男が一歩踏み出してきた。額にわかりやすい青筋を浮かべて、右手を引き絞りながら握りこんでいる。
……私は左手で水波ちゃんとことりを下がらせた。夕夏と小夜さんも意図を察して少し距離をとっている。
男の正面にはナンパの対象ではなかったはずの私しかいなくなったけど、頭に血が上った彼らにはもう関係ないらしい。素人感丸出しの動きで襲いかかってきた。
「うら、ッ……!?」
「…………」
なんとなくそうじゃないかと思っていたけど、私の目はずいぶん鍛えられていたようだ。《攻撃予測》のようなシステムアシストはないのに、まるで拳が止まっているかのように見える。
右足だけを残して、左足に重心を移しながら一歩。それだけで簡単に拳は空を切って、男は私の右足に足首を引っかけてコンクリートに熱い接吻を交わした。
沈黙。
「…………なんだ今の」
「ねえ、あの子いまスライドしなかった?」
「バトル漫画かなにか……?」
「ねえママ、あのおねーさんかっこいい!」
「真似しちゃダメよ。……男の方も別の意味で真似しちゃダメよ」
……あ、起き上がった。
さっきよりもさらに怒りを露骨に見せた顔を向けて、また殴りかかってきたけど……予備動作がない分さらに遅い。
今度は右に一歩。交錯する前に左足を引き戻しながら、がら空きの背中を軽く押してみる。
ごつん、と痛そうな音がして、また静寂が訪れた。
「……あの、大丈夫ですか?」
あんまりいたたまれないものだから、後ろで固まっている四人の前に回り込んでからつい声をかけてしまった。……うん、わかっているんだよ。ある意味私がやりました。
だけどさ、ほら。ナンパして、コケにされて、殴りかかって、身長143センチの小娘に二度もやすやすと避けられて転んで。そろそろこの人のHPは0だと思うんだ。
「…………ぉ」
「お?」
「覚えてろよおおおおおッ!!」
「普通に嫌ですけれど……」
やはり限界だったようで、彼は逃げ出してしまった。この期に及んで円形が崩れない観衆に穴を開けると、完全に怯えた表情の取り巻き二人も慌てて続く。
……が、その向こうにはお巡りさんがコンニチハしていた。そのまま任意の事情聴取に連れて行かれるさまを、観衆ともども無言で見送る。
……集まってきていたお巡りさんの中から二人ほどこちらへ歩いてきた。
「すみません。お話、お聞かせもらえますか」
「はい。今の件ですか?」
「ええ。……疑っているわけではありませんよ。あの三人組は我々もこの辺りの要注意人物としてマークしていましたから」
なるほど。
「もっとも、そうでなくても場の空気でわかりますが」
「でしょうね。……本当に、なんでこうなっているんでしょう」
そのまま一部始終をお巡りさんに話して、途中のやや過激な発言をやんわりと注意されて、それで終わり。ほぼ完全に被害者側ともあって、拘束時間は五分となかった。
「それにしても、怒り狂った大の男を簡単にいなすとは……失礼ですが、何か武道を?」
「いえ。護身術は見稽古くらいで……あとは」
「あとは?」
「………VRゲームなら」
あ、まずい。お巡りさんの表情が変わった。
「もしや……いえ、不躾でしたね」
「いいえ。お気になさらず」
「では、ご協力感謝します。……しかし、VRか。訓練にいいのか……?」
お巡りさんはそのまま周囲の目撃者に話を聞きに行ったけど……うん。手遅れだね。今の話、ちゃんと観衆は聞いていたようだ。
変装、上手くいったと思っていたんだけどなあ……さすがにVRの話まで出てしまうと、これだけ雰囲気を変えてもわかってしまうようだ。
「どうする、あーちゃん。逃げる?」
「手遅れじゃない?」
「……そうだね」
結局諦めてそのまま歩き出したんだけど、なんとATフィールドは継続された。大多数が私の正体に勘づいただろうに、それでも彼らは空気読みをやめないらしい。いや助かるけどさ。
でもお巡りさん、バリアに合わせて歩きながら目撃者取材を続けるのはやめない? いや仕方ないのはわかるんだけどさ、絵面が腹筋に悪いのよ。
紆余曲折あったけど、ひとまずはなかったことになった。暗黙の了解というやつだ。
で、また数分ほど歩いたんだけど。
…………なんかある。
「……なにこれ。ステージに撮影機材?」
「何かイベントでもやるのかな」
「きょう金曜日だけど……」
「あれテレビ局じゃない?」
「しかもテレビ暁ですよ。嫌な予感しかしない……」
この駅前にはイベントが開催される時によく使われる屋根付きの半野外ステージがあるんだけど、そこで何かの準備らしき作業が行われている。ところどころに大きめのカメラがある上に、舞台端には実況席のようなスペースまで用意されている。
その割には舞台上にはほぼ何もない。強いていうなら奥のスクリーンが用意されているくらいだ。その手前に不自然なほど広い空間……なんだろう、これ。
一瞬スルーしようかとも思ったんだけど、裏手の駐車場に停まっている車やカメラの側面を見て踏みとどまった。
さすがにね、テレビ暁はちょっと完全無視はできないんだ。最近お世話になったり巻き込まれたりと関係が深いから。
とはいえお邪魔はしないようにすぐ離れるつもりだったんだけど、ここで舞台脇にいた人影がこちらに気づいた。そのままこちらへ駆けてくる。
「朱音。このあたりに来てたんだ」
「偶然ね。朝言ってた用事ってこれか……」
「はー、今日の格好また一段と可愛いね。やっぱり素材がいいと可能性も無限大……」
すっかり意味を失ってしまった変装用の装いをひとしきり見て、橙乃は「それじゃ」とばかりに元の場所へ戻ろうとした。
……彼女は私の後方に群がるアレはともかく、知人をないがしろにする人ではない。これはフリだ。
「橙乃、現実逃避やめて」
「…………ちゃんと変装して出かけたよね? それが何をどうしたらこんなことになるの?」
それは私にもわからない。
小早川橙乃は困惑顔でしばらく思案すると、観客席の一角からこちらをうかがっていた一団を手招きした。
……いや待って。こっちから行った方がいいよねさすがに。あの人たち、雰囲気的にたぶん偉い人だよね?
さて。
「朱音ったら、いつも大変ねえ?」
「あ、ことりもいる。久しぶりー!」
おそらくこの件の責任者たちであろう人たちのもとへ向かうと、ちょうどこちらに気づいた春菜と秋華もこちらへ降りてきた。二人のいっていた用事は橙乃の手伝いだったらしい。
三人もことりとは友人だったから再会には素直に喜んだし、小夜さんとは以前に面識がある。自然と残る夕夏もユナであると察して、挨拶はあっさり終わった。
「改めて本題なんだけど……みんな、守秘義務は守れる?」
もちろん、と頷く三人。私と水波ちゃんは聞かれるまでもない。
「それじゃ言っちゃうと、これはウチが明日から開催するVR体験型イベントの準備とテストプレイだよ」
「へえ……やっぱりフットワーク軽いわね」
説明された概要をざっくりまとめると、こんな感じだ。
今週末の土日、つまり明日から明後日にかけて、テレビ暁はこの駅前ステージで体験型イベントを行う。
内容は主に二つだ。まだまだ普及途上であるVRダイブのチャレンジと、トップVRプレイヤーの動きや感覚の追体験。実際に自分でやってみて、それから最高峰のプレイもオマケで味わってもらうと。
チャレンジパートはいくつかの種類のミッションから選んで挑戦する形式だ。それぞれの種類に複数の難易度があって、簡単な方からクリアするごとに次のミッションに挑戦できる。最高難易度までクリアできたら賞品があるらしい。
ただし、このミッションの方向性はさまざま。《DCO》のように武器や魔法を使った戦闘もあれば、VR環境でスポーツやゲームをするものもある。共通しているのは体をある程度以上動かすことと、高難度になると現実の身体能力では足りないからVRに慣れなければならないことだそうだ。
追体験パートは、VRダイブシステムの隠された……もとい影の薄い機能である《リプレイモード》を使う。事前に記録された別のプレイヤーによるプレイレコードを再生できるものだ。
再生すると体が勝手に動いて、記録時と同じ五感を味わうことができる。従来の録画や録音を五感全てに拡張したもので、これはこれで新技術として研究されていたり。
慣れないうちはどうしても違和感があるけど、便利なものだ。私たちに馴染み深いところでいうと、ムービーモードで使われているのはこの技術だったりする。
これらはまる二日間のイベントとして開催しつつ、映像と音声だけになってしまうものの配信サイトでも生中継される。さらには後日、面白かった場面をハイライト番組として地上波放映するそうだ。
企画運営はテレビ暁のイベント部で、スポンサーには九津堂や配信サイト、VR関連の企業などの名前が並んでいる。……あの、私はこれ聞いてないんだけど。
「なんというか、また大胆に動きましたね」
「何かすごく大掛かりな世界に飲み込まれてしまったような気がする……」
「……四人はともかく、VRにびたいち関係ない私が聞いていい話だったのかな」
夕夏もことりも、諦めて。こうなったらもう流れに任せるしかないから。一緒に巻き込まれれば怖くないよ。
ところで、場所を移した割にはお偉いさんたちが全く喋っていないんだけど……あ、この表情を見るに説明を任せているだけだね。説明を終えた橙乃が視線を向けると、ついに口を開いた。
「申し遅れましたが、イベント部長の霧島です。朱音さんのお話はかねがね」
「ご存知のようですが……九鬼朱音です。お気になさらず、こちらこそテレビ暁さんにはお世話になっていますから」
「それならよかった。……そちらは天音さんと、お友達で?」
「はい。特にこちらの二人はDCOでの知人です」
なんてことのないように済ませたけど、霧島さんや周りの方々が目を光らせたのは私にもわかった。しかも二人だけでなく、ことりに対しても。
そして後方、さすがに会場外で自重している(なぜか解散する気配はない。暇なのかな)皆さんにも。……うん、橙乃と彼らの魂胆、わかってきた気がする。
「よろしければ、私たちにもテストプレイをお手伝いさせていただいても?」
「それはもちろん。こちらからお願いしたいくらいですよ」
私から切り出したのは、報酬が発生する仕事にしたくなかったから。色々面倒だし、私たちの方から無理に体験させてもらっている、ということにした方が話が早いのだ。
見れば小夜さんも夕夏も明らかにテンションが上がっていた。
「なんかどんどん話が大きくなって目眩がしてきたけど……頑張れ、みんな」
「せっかくですし、未経験者の反応も試してみましょうか」
「そうですね。そちらの方がよろしければ」
「……うん。わかってた。こうなるのはわかってたよ」
「あ、それなら私もぜひ」
新人さんごあんなーい。一人だけ逃がすとでも?
私たちと遭遇したのが運の尽きだと思って、諦めて楽しむといいよ。同じくVRはほぼ未経験なのにノリノリの水波ちゃんを見習って。
「ときに橙乃。このイベントはけっこうな待ち時間が発生すると思うんだけど……その間は?」
「あのスクリーンで挑戦中の人の映像が流れるから、観客席で整理番号チップを持ちながら楽しんでもらうよ」
「…………」
「…………」
「ちょうどあっちに人がたくさんいるけど、見てもらう?」
「そうしようかな」
沸く観衆。近くにいたスタッフに導かれて整然と観客席に座る、気持ち悪いほど行儀のいい人の群れがそこにはあった。
いやほんと、君たちこの駅前まで何しに来たの?
朱音ちゃん、君が一番毒舌では?
勘違いされがちですが、朱音は運動神経はむしろかなり良いです。基礎体力がなさすぎて一瞬でバテるだけで、一瞬だけならキレッキレの動きを見せます。