131.バーチャルとリアルを演じるには
「……玲さん」
「なに?」
「私、やらかしたと思う?」
「それはもう盛大に。来期からオファーが増えそうだね」
だそうです。
正直なところ自覚はあんまりないんだけど、どうやら私の演技は自分で思っているより上手いらしい。
「朱音ちゃん、まだ自分の演技力に自覚ないんだねぇ」
「そう言われても……」
「カンヌ候補のシオンちゃんが『自分より上手い』って悔しそうにすらせずに宣言して回ってるのに」
私は自己評価が低い方ではないけど、それでも実感がなければ自負はできない。
これが放映されて視聴者からの受けもよければさすがに「私は演技が上手い」と胸を張っていえるけど、ついさっきまでは人前で本格的に演技をしたことがなかったのだ。自信がなくて当然だと思う。
「今回の件で自覚できた?」
「……まあ、さすがに」
「ならよし。朱音ちゃんは演技が上手い、それでいいでしょ?」
……なんだかんだで、こうしてあっけらかんと事を済ませてくれる。玲さんのこういうところは素直にありがたい。
「ちなみに、さっき困ってた私を放置した挙句笑ったのは忘れてないからね」
「げっ……ほ、ほら、もう帰るよ!」
この人、もしかして私より精神年齢低い?
今回の用はそれで終わり。帰途につくために廊下に出ると、廊下には見覚えのある顔があった。
「あ、もしかして九鬼朱音さん?」
「はい。……新条リリアさん、ですよね」
「わあ、知ってくださってたんだ。嬉しい」
新条リリア。私と同じ事務所に所属している新人女優である。最近たまに見かけるから気になって調べてみたら、デビューから半年と経っていなくてびっくりしたものだ。
大学入学とほぼ同時にスカウトされたそうで、そこからは現状トントン拍子。今のところは大きな役はもらっていないようだけど、気の早い記事なんかではネクストブレイクの候補に名前が挙がっていたりする。
「敬語はやめてください。同い年ですし」
「でも朱音さんは……ああ、それが普通なんだったっけ」
「ええ。学校でも実はこうなんです」
当たり障りのない会話が続くが、なんというか……ずっと憧れのような視線が飛んでくる。芸能活動ではあちらが先輩だろうに、先月まではほとんど配信しかしていなかった私がリリアさんに憧れられる理由はないと思うんだけど……。
と思っていたら、その答えは向こうから教えてくれた。
「実は、朱音さんとはどこかでお話してみたいなって思ってて」
「そうなんですか?」
「うん。ほら、私はまだ新人だから。仕事もそんなに多くないんだよね。だから……」
「……もしかして、VR女優を考えているんですか?」
「そう、そうなの。同じ事務所に入ってきたって聞いて、もしかしてチャンスなんじゃないかって……厚かましいけどね」
もじもじ。……所在なさげな動作も様になっている。「いい役者は普段から動作の感情表現がしっかりしている」とは紫音が以前言っていたことだけど、彼女はまさしくそれだ。
そして私はというと、正直なところ救われた思いだった。視線を上げたリリアさんと目が合って、私の顔を見たらしい彼女が面食らっている。
「それなら今度レクチャーしましょうか。空いている時を教えてもらえれば、簡単なことくらいなら教えられると思いますよ」
「あ、あれ? 嫌がられると思ってたんだけど……」
「まさか。むしろ私以外にいないせいで困っていたんですよ。仕事を断るのも心苦しいし……」
実は私、現時点で二本のドラマを断っている。経験がない上に本業がある私には、複数本の連続ドラマはいくらなんでも荷が重い。最初に話が来たものしか受けていないのだ。
しかも片方はそれでも諦めてくれなくて、「気が変わったらぜひ」とか「適任のお知り合いがいれば教えてください」とか言われている。私は答えに窮しているところだった。
「なので、今ならドラマのお仕事もお得なセットでついてきます」
「え、なに? テレビショッピング?」
「番組終了から30分以内にお電話いただいた方にのみ……」
「か、買います買います」
乗ってくれた。いい子だ、新条リリアさん。
「とりあえず、連絡先を。細かいところは追って決めましょう」
「わかった。……どうしようヒサくん、鯛を釣ろうとしたら通りすがりの神様に鮭をもらっちゃった……」
隣にいたマネージャーさんになぜか助けを求めるような声色を向けたリリアさんと別れる。今後の付き合いは多くなりそうだし、仲良くなれるといいな。
……隣で玲さんがニヤついていた。ちょっと一発叩くから屈んでくれないかな?
「おかえり、お姉ちゃん。玲さんも」
「ただいま。今日はオフ?」
「うん。夏休みは仕事漬けだったし、これでも始業式だからね」
「お疲れ様。ちゃんと休めてる?」
「大丈夫だけど、今のお姉ちゃんには言われたくないなー」
ぐうの音も出なかった。
紫音はいつも多忙だけど、慣れているし自分でコントロールもできる。まだ今のやり方に慣れていなくて、疲労回復が読み切れない私の方が確かに危うい。
我が家は忙しい人が多いこともあって、家族全員が揃わないことも多い。紫音もお母さんもロケやライブツアーの時は長く家を空けるし、お父さんもしばしば帰りが遅くなる。
体が弱い私は……いや、こういうと語弊があるな。人より体が弱い私は、周りの過保護によって長く一人でいることをよしとされない。だから幼馴染たちが頻繁に家に来るし、家族の不在率が上がる長期休暇の期間は親戚や親友たちのもとや実家に身を寄せることになっていた。
私はちょうど一昨日そこから帰ってきたところだけど、紫音もお母さんも少し早く帰ってきていた。妹は半日の始業式を終え、今日の午後はオフだったようだ。
「そういえばお姉ちゃん、冬はどうするの?」
「今度からは東京にいるつもり。玲さんもいるし、仕事もあるし」
「それもそっか。それなら近いロケ地だったら毎日帰ってこようかな」
そんな複雑な事情があった私の生活は、玲さんというジョーカーの登場でひとまず終わりを告げることとなった。
なにしろ彼女、最初から住み込みを希望したのだ。四人で暮らすにはあまりにも広すぎる家から一部屋を借りて、普段から私のサポートをしながらそこで暮らすことになった。
これには私も面食らったけど、よく考えたら彼女はただのマネージャーではない。いつも自宅から行っている私の配信や動画にも手を出してくれる契約になっている。……というか、仕事量や頻度でいえばそっちがメインだ。
毎日うちに通わせる手間を考えると、私は彼女の希望を快諾する他なかった。事実、さまざまな面でその方が利便性が高いわけで。
……この話を聞いた紫音のマネージャーさんも便乗して居候したがったけど、そちらはあえなく却下された。「私はお姉ちゃんみたいに繊細な体はしてないし、補助が必要なほど配信とかをする気もないから」とのこと。
どうしようもないほど正論だった。
さて、そんな玲さんだけど、彼女の仕事はけっこう多岐にわたる。
まずひとつめが、私が芸能活動を行うときのマネージャー。主にスケジュール管理とサポートだね。
といっても、私の場合は仕事は来るオファーを絞るものだ。私の体力と相談しつつ、配信業をなるべく優先しながら、取捨選択を行って仕事を受ける。……他のタレントさんたちに怒られそうだから、この話の深掘りはやめておこう。
ふたつめに、私の配信のサポート。コメント欄の管理や配信告知から、機会があるかはともかく画面レイアウトや概要欄の編集の権限まで与えてある。
私はこれまで信頼できる知り合い(というか、配信ゲスト経験プレイヤー)にはマークをつけていたけど、彼らにアシスタントや配信の管理を頼むことはなかった。仮にも公式配信だから、契約のないいちユーザーに勝手にそれを任せるのはよくないのだ。
だけど、玲さんは契約で結ばれた私のマネージャー。これまで自己管理だった私の仕事内容に手を出してくれるのだ。昨日お試しでやってみたけど、まあ楽なこと。
みっつめ。私のチャンネルの管理と投稿。具体的にはアーカイブの管理と、公式切り抜きや動画の編集投稿だね。
これまではまずいと思った時だけ自分で手をつけて、それ以外はそのままアーカイブとして残してあったけど、そのあたりの編集もしてくれるようになった。いったいどういうわけなのか、玲さんは動画編集の技術もばっちり持っていたのだ。
これによってとっておきの場面は自分のチャンネルで切り抜き動画を出すこともできるようになったし、配信外でもつけっぱなしにしている録画映像からも何かあれば編集して投稿できるようになった。チャンネルとしての自由度が大幅に上がったわけだ。
……いよいよもってVtuberみたいだなと思った人、怒らないから手を挙げて。私も思ったから。
そしてよっつめ。……私生活の補助。なんと玲さん、家事までやってくれる。
さすがに任せ切りにはしないけど、他の仕事もあるのに文句ひとつ言わずいろいろしてくれている。本人は「今は私も住んでるから」と涼しい顔で言っているけど、私としては頭が上がらないし微妙に居心地も悪い。
最近は家族全員の仕事が増えていることもあり、お母さんは近く新たに家政婦さんを雇うつもりらしい。……私もそれがいいと思う。なんなら二人くらい雇ってもいいと思う。
他にも細かいものはあるけど、今のところ大別するとこの四つだ。家事についてはいずれなくなるとしても、私から見れば八面六臂といっていい。
「……ところで玲さん」
「なに、朱音ちゃん?」
夕飯の支度はほぼできているようで、お父さんの帰宅時間が近づくまでまったり。玲さんとは私も紫音も短くない付き合いだから、距離感はかなり近い。ひとつ屋根の下で暮らしている現状もあって、感覚的には姉妹のようなものだ。
紫音は女優業への専念を決めているから模試は受けないけど、明日に控えた実力試験はある。その勉強をしていたところだったけど、一区切りついたのかペンを置いた。代わりに持ったのは携帯端末……あ、録画モードにした。
私は気づかないフリで話を続けた。玲さんは紫音が死角で何をしているか気づいていない。
「それ、なに?」
「朱音ちゃんの過去のアーカイブ」
「切り抜きでも作るの?」
「うんにゃ。ほら、ここ見て」
玲さんが示したのは、今も作業中のPCの画面。明らかに編集中のものだから、そこはいいんだけど……いや、これって。
「これとこれ、別日のやつだよね」
「そ。これもだし、こっちも違うよ」
「……もしかして、名場面集?」
「あたり。もう7週間もやってるんだし、あってもいいでしょ?」
まあ、確かに。これでも私はけっこうな撮れ高を稼ぎ続けている自覚があるから、そういう動画のネタには困らないだろう。
必然的に私がやらかした場面が多くなるからちょっと複雑だけど、それがチャンネルとして利が大きいことであることはわかっている。こういう活動はよほどひどくない限り黙認するつもりだ。
初パリィ、王都の祠、人形退治、樹海でのボス戦。万葉での熊戦やドッグファイトもある。これまでの私の配信内容から絞りに絞って、30分弱に纏める気らしい。
……ちょっと。魔法少女はダメだって。ダメだからそのファイルはしまって玲さんお願いだから。
「そういえば、紫音はリリアさんと知り合いだっけ」
「新条リリアさん? あるね。年上だけど、妹分みたいな感じになってるよ。すごくいい子だけど、なんで?」
玲さんの作業を見ながら、隣の紫音に声をかける。さっき知り合ったリリアさんについてだ。
事務所が同じでほぼ同年代だし、リリアさんの方もかなりの有望株。当人たちも言っている通り、この二人に面識すらないなんてことは考えにくかった。
「今日ばったり会ってね。流れでVRを教えることになったの」
「へえ。リリアさん、VR女優に手を出すの?」
「そのつもりみたい。生身を諦めたって感じではなかったけど」
むしろ「ちょうどすぐ近くに別ルートが見つかったから、そっちも狙ってみようかな」くらいの様子に見えた。それでいいと思うし、むしろたぶんVR俳優業はそういう子が来てくれないと困りそうだ。
これには紫音も納得したようだ。片手で端末を構えたまま器用に腕を組むようなポーズをしてみせる。
「あのくらいの立場なら、確かにちょうどいいのかもね。どっちもできるようになれば、それこそ今のところ他にない武器になるし」
「紫音くらいになったら寄り道になっちゃうか」
「VR女優と共演はしたいけど、私自身はねー。お姉ちゃんががっつり別ゲーの配信するようなものだよ」
確かに、今の私がDCO以外のタイトルを配信するのはけっこうな寄り道だ。準備期間中は暇を持て余していろいろしていたけど、DCOが稼働しているのにわざわざ大々的に別のゲームをやる理由は私にはない。
紫音も似たようなものなのだろう。面白そうとは思えど、九鬼シオンの需要は他のところに溢れている。しかもVR女優という役の側は、生身ほど紫音個人を求めていない。
わかりやすく手を出さない理由を示してみせた紫音だけど……どこか遠くを見ている気がしたのは、気のせいだろうか?
……まあ、考える必要はないだろう。この子は助けが欲しい時はそうと言うから。言わないのなら伏せておきたいことなのだろうし、そっとしておこう。
水波「なんなら二人とも私より歌うま」
姉妹「「さすがにそれはない」」
ゲームでは自己評価のしっかりしている朱音ちゃん、リアルでは違うの巻。ちなみにシオンちゃんは本気でそう思っています。