130.期待値MAXから始まる非異世界アクトレス
※お開きの小説は『Dual Chronicle Online ~魔剣精霊のアーカイブ~』で間違いありません。
翌9月2日、月曜日。
まだ《バージョン1.1》は二日目だけど、今日は配信はお休みだ。これは事前に告知してあって、リプライでは激励の言葉をたくさんもらっている。
「お嬢様、ご緊張なされておいでで?」
「ううん、大丈夫。あと、その呼び方はやめて」
「大丈夫そうですね」
目的地へ向かう車で隣の席に座っているこの慇懃無礼な女は、名を浅倉玲という。……私の、マネージャーだ。
必要に迫られて私が母や妹と同じ事務所に所属した時、以前から顔見知りだった所長さんから紹介されたひとである。非常に優秀で、機器や編集にまで通じていて、しかも24歳とかなり若い。私とは6つ差になる。
ではなぜそんな存在が九月頭という日本では中途半端な時期に配属できたのかというと……どうやら私の所属を見越してずっとポストを空けておいたらしい。いくら我が母が大手まで引き上げた事務所とはいえ、さすがにここまでの扱いは目眩がする。あと犯行の計画性にちょっとムカつく。
さて、そんな玲さんだけど……私とは昔(といっても中学の頃だけど)から面識があった。何しろ彼女は所長の娘なのだ。母について事務所に行った時、私の話し相手はいつも彼女だった。
だからお互いに気心は知れていて、一昨日帰ってきたら家にいていきなり「九鬼邸に住み込みます」と言ってきても抵抗はなかった。驚きはしたけど。
だから今は私と同居状態で、配信やタレント業に加えて私生活のサポートまでしてくれている。……思ったんだけど、もはやこれは家政婦というかメイドじゃない?
だから昨日もダイブ中の私の横で配信のモデレーターをしていたし、その片手間にいくつか撮ったきり放置していた配信外の動画を探り当てると嬉々として編集を始めた。どうやら編集作業が好きらしい。
「その白々しい敬語はどうにかならないの?」
「慇懃無礼な従者といえばこのような調子でしょう?」
「自覚あるならやめてよ」
「はーい。でもま、朱音が平気そうで安心したよ」
……うん。さっきの様子は戯れで、こっちの口調が玲さんの素だ。かなりラフで、私としても接しやすい。ここまで雑な扱いをしてくれる人は他にいないから。
ちなみに、私は緊張しないわけではない。昔から家族の影響もあって色々なものに慣れすぎているから、今更テレビ番組くらいでは緊張しようがないだけだ。
「にしても、わざわざ行くなんて律儀だよね。VRだから遠隔参加でいいって言われてるのに」
「初仕事からそこまでいろいろ蔑ろにする度胸は私にはないよ。礼儀なんてものまで語る気はないけど」
確かに私はVRのみの参加でいいとは言われているけど、今日は初回だ。周りは甘やかしてくれるけど、その全てに乗っかることはできなかった。
場合によってはVR参加しか選択肢がないVtuberならともかく、私はリアルで顔出しもしている。体力がないことは間違いないけど、五年前ならともかく今の私はテレビ局の中を歩くだけで心配されるほどではないのだ。
今日の用事は事前ミーティング。橙乃パパ(※この呼び方は彼の自称だ)の局で放送される連続ドラマの打ち合わせだ。
今日は一部のキャストさんとの顔合わせだけ。撮影はまた今度となる。
「あ、来た来た。ようこそ、朱音さん」
「わあ、本物だ。ささ、こっちにどうぞ」
「え、ええと……おはようございます。今回はよろしくお願いします」
案内を受けてミーティングルームに入ると、いきなりの歓迎ムードだった。画面越しによく見る役者が数人、それぞれにマネージャーらしき人がひとりずつ。ホスト席にあたる場所に座っている三人の男性は、監督と演出家と脚本家か。
私が誘われたのは……なぜか主演らしき女優さんの隣だった。他に空きの椅子はない、というかわざわざ片付けられている。
いや、あの。私は主役級ではないって聞いているんだけど?
「いいの、気にしないで。私が近づきたいだけだから。……うわ、お人形さんみたい。かわいー……」
「…………えと、あの」
わざわざ遠くの椅子を片付けてまで私を誘い込んだらしい彼女は、女優の木崎沙知さん。……私が着席すると椅子ごと近づいてきて、なんかまじまじと顔を見つめてくる。
そんなことをされた経験のない私はあたふたすることしかできなかったんだけど、後ろに控えているはずの玲さんは助けてくれなかった。このやろう。
「そのへんにしたらどうですか? 朱音さん困ってるでしょ」
「あ、ゴメンね朱音ちゃん。ちょっとテンション上がっちゃって……」
「い、いえ。大丈夫です」
「すみません、朱音さん。この人、たまにこうなるんで」
木崎さんに捕まってしまった私を助けてくれたのは、彼女を挟んで向こう側に座っている少年だった。
金坂哲さん。今をときめく高校生俳優だ。……私と二つしか離れていないのに少年呼ばわりは失礼だろうか。しっかり者のようだ。
ちなみに一連の様子は他の人たちにも見られていたわけで、そちらからも声が飛んでくる。
「木崎、ロリコンは相変わらずだなぁ」
「ちょっと土田さん、それは朱音さんの方に失礼ですよ」
「む……ああ、確かにな。すまない、朱音さん」
「いえ、大丈夫ですよ。自覚もありますし、慣れてますからお気になさらず」
木崎さんに慣れた様子で野次を飛ばした男の人は土田さん、それを窘めた女の人は瀬戸さん。土田さんは初老、瀬戸さんは三十路くらいの有名な役者さんだ。
ロリ呼ばわりに慣れているのは本当だけど、そう呼ばれた瞬間に玲さんは小さく吹き出していた。帰ったら一度くらい締めておいた方がいいのかもしれない。
どうやら私が最後ではなかったらしい。後から二人の役者さんが、さらにしばらくして三十代くらいの男性が入ってきて、それからミーティングが始まった。
タイトルは『電脳仕掛けの全能神 ~デウス・エクス・ブレイン~』。小説原作の映像化となるドラマで、いま最後に入ってきた人が原作者なんだとか。私は一応聞いたことはあったくらいだけど、読書家の深冬なら知っているかもしれない。
“今よりさらにもう少しだけ時が進み、「電脳妖精」と呼ばれるAIによる生活の補助が当たり前となった時代。特殊な捜査方法を導入した変わり者集団「電脳捜査課」が、普通の捜査ではお手上げの難事件を電脳妖精から証言を手に入れて解決する”というのが、だいたいのあらすじ。要は近未来要素をアクセントとして混ぜた刑事ものだ。
主演であり探偵役のひとりとなるのが、金坂さん演じる《高松ヒロト》。特殊な技能を見込まれてヘッドハンティングされた若き異端児で、実力は確かだが警視庁内の風当たりも強い。
もうひとりの主演で、助手役の立場を受け持つのが木崎さん演じる《伊藤イオリ》だ。こちらは正規ルートから入ってきた新人で、当初は高松のことを信用していなかったが、共に捜査をしていくにつれて無二の相棒になっていく。
土田さんは高松をスカウトした《荒木部長》、瀬戸さんは高松を認めているが闇を抱える《大島先輩》の役。ほかの二人は伊藤と同じく懐疑的ながら捜査には協力的な先輩と、コメディリリーフを担う事務所の雑務さんだった。
……あれ?
手渡された資料と台本を見るに、メインキャラにあたりそうな電脳妖精のキャラクターは存在しない。
いや、元々端役と聞いていたから当たり前なんだけど、だとしたらこの主人公組しかいない場に呼ばれたのは何?
「それで、九鬼さんですが……各現場で鍵となる情報を持っている電脳妖精の役をお願いします」
「……うん? その電脳妖精って、現場ごと……毎回違う個体なんですよね?」
「はい。それぞれを演じ分けていただければと」
…………とんでもないこと言われなかった、今?
「本来は各話ごとに多少無理やりにでも一人ずつオファーする予定だったのですが、プロダクションさんに『朱音ちゃん一人で大丈夫だ』と言われましてね」
「……玲さん」
「所長だけでなく、美音さんとシオンさんの意向でもありますので」
なるほど。確かに端役だね。端役を話数分だけ兼役するから結果的に主役並の扱いになるだけで、嘘はついていない。
なんで???
こういうことはあんまり言いたくないんだけど、もしかしてうちの家族と所長、ばかなの?
「シオンちゃんのお姉さんを悪く言うつもりはありませんけど、さすがに新人の朱音さんには荷が重いのでは?」
もしかして私を持ち上げる身内のせいで話が終わってしまっているのだろうか、と思った矢先、嬉しいことに助け舟があった。
そうだ、土田さん。もっと言ってやってください。どうやらこの場には私についてまっとうな感性のひとが他にいないみたいだから。
……これに対して監督さんが返した答えは、単純だった。
「ならば、実際に演じてみてもらえばいいだろう。ある程度演じ分けられれば採用、そうでなければ何人か他に探せばいい」
もちろん彼らは大真面目なんだけど、どうか言わせてほしい。
切実にツッコミが足りない。
というわけで、やってみることになりました。
だってなんか、私の演技力の期待値が異常なほど高値で推移しているんだもの。ここらで一度、本来のところを見せなければなるまい。
もちろん、やるからには全力だ。さすがに荷が重いとは思うけど、それを決めるのは私ではない。これを見たホスト席の御四方である。
実のところ、合理的ではあるからね。私は希少性のせいで初めてなのにオーディションすら受けずにオファーされている。周囲が私の演技力を測る材料は、今のところ出演CM二本とDCO配信内の茶番やRPだけなのだ。
隣室に移り、持ってきていたVR機器をセットしてダイブ。ローカル空間にカメラを設置して、ミーティングルームのスクリーンに繋ぐ。
「準備、できました」
「よし、ではさっそく頼む。まずは一話の役だ。金坂さん、相手役を頼めるか」
「はい」
一話に出てくる電脳妖精は、ごく普通の家庭用サポートAIだ。あまり特別な演技はいらないだろう。
電脳妖精全体の特徴は頭に叩き込んでおいた。「感情表現は行うが人間より希薄で、人間、特に主人に逆らうことはない。現実でも開発が試みられている従順なサポートAIと近い性質」だ。全く別のコンセプトで開発されている九津堂のそれとは大きく違う。
本格的にお芝居をするのは初めてだけど、練習は昔から経験がある。一時期はリハビリも兼ねて、紫音の練習相手もしていた。
……ちょっとだけ、高揚している。
「用意、アクション!」
これまでやってきた通りに。
合図に合わせて、私は意識を没入させた。
「聞こえるか?」
見知らぬ声で意識を取り戻した。こちらへ呼びかけているようだけど、心当たりはない。
だが、応答する。私はそうするようになっている。
「はい。あなたは……?」
「警察の者だ。君の主の事件の捜査に来た」
私はマスターの生活と仕事を助ける電脳妖精だ。マスターのことは好きだけど、マスター以外のことには興味を持たない。
この知らない青年には話しかけられたけど関係はない。……はずだったが、気になる言葉が聞こえた。
「……マスターの仇を、とってくださるのですか?」
「そうだ。そのために君に協力してほしい」
事件の翌日からここには警察が来ていたが、私に声を掛けてくる人はいなかった。それから数日、ソレは自殺ということで片がつきかけていた。
私はマスターが襲われたことを知っているのに。人間の電脳妖精に対する権限を使われれば、それを話すことができるのに。
でも、私の方からそれを言い出すことはできない。正確には、そうしようと思わないし、思えないようにできている。
……そんな中で、この青年は私に話を聞いてきた。会話による依頼という形で権限を使って、私の情報開示条件をアンロックした。
「……その日のことで、何か知っていることはないか?」
私は、マスターのことが好きだ。それは人間が人間に対して持つという“好き”よりも希薄な感情であるそうだけど、それでもマスターのお役に立てるのは私の喜びだった。
そんなマスターを、あの女は奪ったのだ。
「はい。私の視覚データ、および聴覚データを開示いたします。マスターのため、お使いください」
私は電脳妖精だ。マスターとは違う、作られた存在。この感情も紛い物だ。この怒りもきっとマガイモノだ。
だけど。
マスター。あなたの仇をとったら、私もすぐにそちらへ行きます。だから、どうか待っていてください。
「カット!」
……意識が戻ってきた。
正確には、お芝居中は半ば客観的に自分の演技を見ていた私の意識が主体に戻った。この感覚は紫音に話したことがあるんだけど、その時はびっくりするくらい目を輝かせていたものだ。「もっと元気になったら、絶対一緒にお芝居しようね」なんて口約束もしたことがある。
役が抜けて素に戻るまでの時間には個人差があると紫音が言っていたけど、私の場合は数秒くらいだ。戻った時には、見ていた面々はみんな固まっていた。
難しい顔をしているような、単に驚いているような……。
「これは……」
この空気には覚えがあった。
……DCOで派手なプレイをした後のやつだ。
「九鬼さん。是非、予定通りに頼みたい」
「…………わかりました」
まだひとつの役しか演じていないけど、断れなかった。断らせない表情と眼光だった。
Q.朱音の演技力は?
紫音「健康体なら間違いなくアカデミー賞獲ってた」
水波「自分がそれにノミネートされてる人がなにか言ってるけど、実際すごく上手いですよ。紫音と同じくらいじゃないかなあ」
というわけでがっつり現実パートでした。今後は定期的にこういうのが挟まりますが、なるべく本筋の比率が高くなるようにしますのでご心配なく。