迎えの馬車は走る
アラームをセットし忘れ、久しぶりに寝坊して欠伸をしながらブリッジに出ると、アリアとアーニャが待っていた。どうやら、ニオ・フィクナーについて分かったようだ。
なにをするよりもまずコーヒーをマグカップに注ぐと、モニターを覗く。そこには、日本地図が表示されている。ボンヤリと寝ぼけ眼で見ると、一点が赤く点灯していた。
「見ての通り、ニオ・フィクナーは日本の西湖とかいう湖を囲む山梨の田舎にいるわ。昔は観光地帯だったそうだけれど、ライアードが買い取ったそうね。衛星画像から見る限り、ただのボロ屋が並んでいる、村みたいなところだけれど」
「確かに、ただの田舎だな。しかし、周りにずいぶんと家屋が密集している。防衛のためか?」
そこまでは分からない。アリアが手を振ると、アーニャが付け足した。アンドロイドに守らせていると。
「普通の人間なら、お金次第でセキュリティを解除しかねませんから。父は、なによりもアンドロイドを信用しています。どれだけアンドロイドが発展しても、自分は超えられないと思っているのでしょう。ブルーイルミネイト号にいたようなアンドロイドが周囲の家屋から、二十四時間見張っています」
「ついでに言うと、結構なジャミングがかけられているわね。こんな山間にはヘルデンテノール号は行けないから、バックアップは難しくなるわ」
「まさか、見ているだけとは言わないよな」
なめないで頂戴。アリアは衛星画像をズームすると、密集している家屋の中央を映した。
「ここにあるあばら家に、アンドロイドやドローン、それとジャミングと監視カメラを操るメインサーバーが隠してあるわ。これを破壊出来れば、こっちからシステムダウンを起こして、アンドロイドも機械類も無力化できる。バックアップも可能になるわ。あんたたちにはまず、このメインサーバーを破壊してもらう必要があるわね。その後はニオ・フィクナーを連れて逃げるだけよ」
なるほど、スリルには欠けるが、これは更なるスリルへの架け橋になる。やってやるかと意気込むと、アリアが、今回ばかりはワルサ―とネクストでは厳しいと、モニターを見ながら言う。
「余程人間を信用していないのね。人間の見張りは一人たりとも見当たらないわ。でも裏を返せば、どれだけドンパチしても、誰も死なないの。だから、アンドロイドを破壊出来る武器が必要になるわ」
そんな物、用意していない。殺さないのが二人にとっての美学だったのだから、鋼鉄製のアンドロイドを破壊出来る武器――銃器の類は持ち合わせていない。
そんな考えはお見通しか。アリアはブリッジに置いてある金庫を開けると、埃を被ったリボルバーとホルスターを取り出した。
「S&W M19 別名コンバットマグナム。千九百五十五年に製造されたマグナムよ。古いけれど、357マグナム弾を撃てるの。グリズリーでも仕留める威力よ。どんな強固なアンドロイドでも、太刀打ちできないでしょうね。予備の弾薬も五十発はあるから、使う時が来たら使ってちょうだい」
ズンと重たいコンバットマグナムを手にして構えてみると、ワルサ―のような軽さもなく、ネクストのような装弾数もない。六発で撃ち止めの、非常にクラシックな拳銃だ。これならばID認証なしでも撃てるが、どうしてこんな物を金庫に入れていたのか。聞けば、ジョークとしては面白いだろうと不敵に笑っていた。
「私たちが捕まって、この船が乗っ取られた。それで金庫を開けたら、銃器の類しか入っていなかった。中々面白いんじゃない?」
悪趣味だよ。そうは言いつつも、ワルサ―とネクストを机に置いて、コンバットマグナムをベルトに付けたホルスターに入れておく。まさかこのご時世に西部劇のような拳銃を持ちだすとは夢にも思わないだろう。予備の弾丸も、ベルトのポーチにしまっておく。アリアがアーニャにも渡そうとしていたが、それを断っていた。
「私には、ブルーイルミネイト号でも使ったデザートイーグルがあります。同じくマグナム弾を発射できるので、アンドロイドの相手なら任せてください」
デザートイーグル。ひ弱な女性や子供が撃てば、衝撃で骨が折れる拳銃だ。しかし、この数十年で、問題だった衝撃が緩和され、装弾数も十発に増えた。ついでにサイレンサーも付けられており、音もなくマグナム弾が放たれる。
「なら、はいこれ」
アリアがテーブルの引き出した一枚のカードと、手のひらサイズの小箱を渡した。
「なにがあるか分からないからね。念のためアビリティカードとIウォッチを受け取って。名前もアビリティポイントも適当に決めておいたから」
そんなことができるのか。アーニャはポカンとしていると、「簡単よ」と自慢している。
「名前は、アナスタシア・ホーグナーのままでいいわよね。アビリティポイントも七十六にしておいたから、どこにでも行けるわよ」
受け取ったアーニャは、それを天井にかざして、眺めていた。
「これが、私のアビリティカード――ずっと貰うことのできなかった、生きている証」
それを壊しに行くというのに、アーニャは心底嬉しそうに笑っていた。
「装備は整ったわね。山梨でも、ドローンは飛ばせるわ。高高度からになるけれどね。やれることはヘルデンテノール号からするから。まずは中央サーバーを無力化して頂戴――あと、馬車の準備は整っているから」
馬車と聞いてなんのことだか分かっていないアーニャとは別に、コンバットマグナムをホルスターにしまう。今回はネクストの出番はないだろうし、相手はアンドロイドなので、容赦なく撃てる。
「色々と準備をしてくる。ちょっと待っていてくれ」
ベルカントは席を外すと、自室に散らばる変装道具から、いくつか手にして、ネクタイを締め直した。
姿見でも確認し、黒一色の姿が見てとれる。ベルカントは初めて二人で潜入するので、アーニャがドジを踏まないように、入念に準備した。
ブリッジに戻ると、モニターに西湖付近までの道のりが表示されている。東名高速道路を河口湖で降りたらすぐだ。東京から走らせれば、すぐに東名高速道路につく。約一時間四十分ほどだろう。
「それじゃ、馬車にのっていってね。あと、気を付けて」
東京近辺に付近に浮上したヘルデンテノール号から出る際、珍しくアリアが心配していた。
「一緒に来られないのが寂しいのか?」
「私の仕事場はここで、気に入っているの。でも、誰かが現場に行かないと、私の技術は生かせない。要は、あんたに死なれると職を失うのよ。セキュリティに潜りこんでも、肝心の宝は手に入らない。だから、死ぬんじゃないわよ」
分かりましたよ。不器用な気遣いに感謝しておくと、浮上して、備え付けてある高速艇にアーニャと乗り、太平洋側の海辺へと走らせる。あまりの速さに抱き着いてきたアーニャに、更に飛ばすと、震えていた。
意外に弱気な奴なのだなと再認識すると、堂々と波止場に停めておく。注意しに来た係員にアビリティカードを見せると、深々と頭を下げて去っていった。
「それじゃ、馬車に乗るか」
「あの、何度も聞きますけれど、馬車っていったい……?」
「ついてくればわかる」
なんでもない海沿いの下町をアーニャと歩けば、立体型の大型駐車場に着く。そこに入ってエレベーターを登れば、高級車が並ぶ中に黒光りするフォード・モンデオが、周りの高級車に負けないように佇んでいる。鍵はないが、Iドロイドから特殊な電波を当てると、ドアが開く。
「こいつがオペラ座の双子による馬車だ。早く乗れ。それと一応オーダーメイドだからな。速く走るというより、装甲を重視した作りになっている。ロケットランチャーの直撃を受けても走り続けるほどにな。タイヤも、銃弾くらいなら傷一つつかない」
まるでアメリカ大統領の送迎車の様に改造されたフォードに、アーニャが助手席に座ると、ドアを閉めて、手動で出発した。
そのまま 東名高速道路まで車で行くと、アンドロイドが認証のためにアビリティカードの提示を求める。斎賀アキムのアンドロイドと違い、機械の部分がむき出しのアンドロイドにアビリティカードを見せて、東名高速を走りだした。
高速道路を自動運転で走りながら、二人とも煙草を咥えている。車内に充満しないように、タバコの煙は自動的に排出されながら。
特に会話のない粛粛とした雰囲気のまま、フォードは走る。沈黙は嫌いではないが、なにやらチラチラとこちらを見ていた。
「何か用か」
ぶっきらぼうに言ってやると、慌てて顔をうずめる。少し待つと、思い切って口を開いた。「堅気の仕事につかないのか」と。
「この件が無事に終われば、世界は突然与えられた自由に戸惑います。そんな時に、あなたの変装技術からくる洞察力を生かし、アリアにはデスクワークについてもらう。私と兄さんなら、犯罪歴を消すことくらい容易です。だから……」
言葉に詰まったようなので、続きを述べた。
「斎賀アキムの消えたライアードに来ないか。そう言いたいんだろ」
図星を突かれて縮こまったアーニャだが、その方が安全で、効率よく金を稼げて、ある程度の自由を得られると、あるかもしれない未来を言う。
「確かに、あんたたちの下につけば、そういう所謂普通の生活が送れる。だがな、俺は泥棒だ。泥棒として技術をガキの頃から教え込まれて、もう世界中で馬鹿みたいな宝を手にしてきた。俺は、この仕事を気に入って――いや、違うな」
外の風景を見る。木々は伐採され、連なる山々は禿ている。代わりに、人口爆発により増えた移民用の家屋や学校が建てられているが、フォードが進むにつれて、そんな、ある意味優しい物や措置はなくなり始める。
ローレベルやボトムズが社会から虐げられ、壊れかけの家屋で雨風を防いでいるのだ。どこか薄暗く、索漠としている。ベルカントは、そんな風景を眺めていると、いつの間にか、かつてのエリアナインと重ねあわせていた。
まだアビリティカードが普及していない頃。薬物中毒者と犯罪者が身を隠していたスラムは――エリアナインは、まさに高速道路の下に蠢くローレベル以下の人々と同じだ。
あれは、自分たちだ。おじいさんに拾ってもらえなかった、貧しく汚らしい人々。
もう一服すると、アーニャに「知らない」と返した。
自分でも女々しいことを口走っているのは百も承知だ。だが、眼下に広がるスラムが、どうしても感傷的にさせる。
「ガキの頃に、アリアと一緒に拾われて、その人に泥棒としての技術を教えてもらった。だが、裏を返せば、俺とアリアはそういう生き方しか知らないんだ。毎日コツコツ働いて、家に帰れば愛し合う妻が待っていて、夕食を準備してくれる。子供が生まれて、成長を見守りながら、老けていき、死ぬ――知識としては知っていても、実際にやってみろと言われたら、出来ないだろうな。金の繋がりでも血の繋がりでもない異性と一つになる。俺にはそんな芸当、とてもじゃないができない」
どうして? アーニャはまるで自分自身の問題の様に深刻な顔をしながら顔を覗き込んでくる。青い双眸には、一片たりとも打算的な考えは含まれていない。本気で他人を救いたいと思えるのだろう。そんな人が残っていて、こうして同じ仕事につけているのは、偶然か、運命か。
どちらも不透明で信じられない。ベルカントは吸い終えたトレジャラーを窓から捨てると、「愛したことも愛されたこともない」と答えた。
「俺とアリアは、祝福して生まれてきたわけじゃない。スラムのトイレで産まれたまま放置されていた。どうにか生きたが、ひ弱な子供に金を稼ぐ術はない。そんな時に拾ってくれて、よくしてくれた人はいるが、所詮はただの善意だ。アリアも、双子だから異性としては見られない。愛されたこともない奴が、愛し方を知っていると思うか?」
青い瞳に映るベルカントの黒い瞳は、孤独さを抱いていた。結局は人間、一人なのだと。そんな考えを悟ってくれたのか、アーニャは左手に手のひらを重ねた。
「少し、あなたのことを誤解していました。殺しも厭わないブラックカラーだと。ですが、違ったようですね」
強く握ってくれた手のひらからは、感じたことのない温もりが伝わってくる。胸の奥はチクリと痛むが、まるで暗い部屋に蛍光灯でもついたかのように、うすぼんやりと明るくなる。
これが、愛情というものなのだろうか。仮にそうだとして、アーニャはなぜ、自分にそこまでしてくれるのか。だから聞くと、簡単な答えが待っていた。「人の愛し方なら教えてあげる」と、太陽のような笑顔で。
胸の奥が、またチクリと痛んだ。この感情の正体はなんなのだろうか。口に出して聞こうとすると、アリアから邪魔が入る。そういうやり取りをするのならば、無線機を外せと。
「ついでに、そろそろ着くわよ」
インターチェンジが見えてきていた。自動運転なので気にする必要はないのだが、ここからニオ・フィクナーが囚われている、村というより集落と言った方が適切だろうか。そこへ迫っていた。
センチメンタルになるのは、いつでもできる。ベルカントはベルトのポーチから変装道具一式を取り出すと、まずアーニャに迫る。
「メイクアップだ」