カジノロワイヤル
生気の抜けたマーティンからは、運も抜けていったのか、次々とチップが奪われていく。勝たなければ破産という背景からか、落ち目の状態でも勝負に出ては負けている。おかげで、手持ちのチップは二百六十枚に達した。他のブラックカラーたちは勝負を諦めているのか、せめて手にしているチップを二千万と交換するために、大きな勝負には出ない。
ジリジリと、ベルカントのチップは増えていく。そして十回目だろうか。休憩の際に、アーニャが寄ってきた。
「どうやったのかは知りませんが、あなたは大きな手を持ちながらもジョーカーを見抜き、ゲームにも勝とうとしています」
「やはり、あのストレートはあんたの仕業か。それで、それだけを伝えに来たのか」
「いえ、その……もういいかな、と思いまして」
なんのことだ。ベルカントは訝しむと、アーニャは両手を合わせて見上げてくる。「ゲームはベルカントの勝ちにする」と言って。
「色々と事情があり、アーランドの様なブラックカラーに渡すわけにはいかなかったのです。ですが、あなたは勝ちに誰よりも迫っています。ですから、もうあなたの勝ちにして、終わらせようかと思いまして――時間も、あまりありませんし」
時間がない。そう言った途端、発砲音が聞こえた。同時に、アリアから緊急の知らせがくる。警官隊が、その部屋に向かっていると。それを聞いていたのは、アーニャも同じだったようで、激しく狼狽していた。
「あと、少しだったのに……」
なにがあと少しで、どうして警官隊がここに来るのかなど知ったことではない。ただ言えることは、この場にいては捕まるということだ。
「アリア、脱出経路は」
「今調べて……メール?――これは!」
「なんだ、なにがあった」
「その部屋、ブルーイルミネイト号の中に造られた違法カジノらしくてね。さっきのトイレとか通路とかに、壁に模した扉がいくつもあるわ。たった今、大天使ミカエルさんから届いたのよ。アーニャじゃ正常な判断を下せないから守ってくれってね」
「アーニャも狙われているのか。とにかく脱出経路を送ってくれ」
「いいけれど、相当の数よ。たぶん、普通の逃げ方じゃ無理ね」
「ならどうしろと」
「海水浴って言えばわかるかしら」
ベルカントは呆れると、デッキまでの経路を送るように伝える。
「アーニャ、お前を連れていけば、宝は手に入るんだな」
「え? はい……でも、奴らがすぐそこまで……」
「追われるのは慣れているし、宝を持って逃げるのも嫌というほどやってきた。お前一人くらい、どうにかなる。それと――泳げるか?」
どういう意味。そう言いかけたアーニャの手を取ると、Iウォッチにアリアからの経路が表示される。手を引きながらネクストを抜いて廊下へ出れば、アリアがハッキングしたようで、壁だと思っていた扉が開いた。
その暗い通路を抜けて行くと、アラームの鳴り響くホールに出た。一般客に立食パーティーが振る舞われていたようだが、アラームの音にシャンデリアに照らされたホールは大混乱となり、警官隊たちも、なかなか動けずにいる。
それでも、迫ってくる警官隊はいる。無事に逃げるため、ネクストを片手で発射する。暴徒鎮圧用のゴム弾だから死にはしないが、死ぬ程痛いはずだ。
しかし、
「止まらない……?」
青い制服を身に纏う警官隊は、ネクストの弾丸を受けてもひるむことなく向かってくる。どういうことだ。頭を回転させていると、アーニャが人間ではないと、腰のベルトからデザートイーグルを取り出して言う。
「詳しいことは、逃げきれた後に話しますが、あれはアンドロイドです」
「なに……? あれだけ精巧なアンドロイドの製造は、禁止されているはずじゃ……」
「それも含めて、逃げられたら教えます――逃げられますよね」
「スパイ映画みたいにはいかないがな」
ひ弱だと思っていたアーニャが最新式のデザートイーグルを撃ちまくっている中、ベルカントもお守り用のワルサ―で対抗する。アンドロイドなのは確かなようで、弾丸に抉られた個所から機械部分が露出している。
「ワルサ―じゃ、ちょっと弾が足りないか……アリア、あいつらはアンドロイドみたいだが……やれるか?」
「もう取りかっているわよ。一分頂戴」
「現場の一分と、バックアップの一分を同じにするなよ」
アンドロイドだというのに、禁止されている人間への攻撃も行ってきている。主に日本警察の拳銃だが、向こうは二、三発当たっても動けるのに対し、こちらは一発で致命傷だ。
「少し荒っぽくなる。悲鳴は上げてもいいが、暴れないでくれ」
え? とデザートイーグルを撃っていたアーニャを抱きかかえると、立食パーティー用のテーブルに走って、スライディングで足を倒して壁にする。弾丸が一般客もいるというのに放たれている状況で、流石に悲鳴をあげたアーニャからデザートイーグルを奪うと、机越しにアンドロイドたちにトリガーを引く。
ブルーイルミネイト号の心臓部分であろうホールが混沌に包まれている。他のブラックカラーたちは逃げられただろうか。そんなことを気にしながらも、アリアを待てば、ようやく一分経ったようだ。警官隊を模したアンドロイドたちが、クラッキングにより動けなくなっている。
「今の内だ。走れるか」
「な、なんとか」
「死にたくなければ、ついてこい」
ホールから階段を上がり、次々と行動不能になるアンドロイドの中を駆け抜けていくと、人間の警備員が数十名駆けつけてきた。人殺しだけはできないのでネクストに切り替えると、弾丸は警備員たちの腹や足を強打し、その隙にとにかく階段を駆け上ってデッキに出る。背後には、まだまだ余る程に警備員が迫っている。
「私は、公の場に出るわけにはいかないんです! ここで捕まったら……」
「大丈夫だ。逃げ道ならある」
「どこにですか! 目の前には海で、後ろには銃で武装した警備員。右も左もパニックでまともに進めませんよ!」
「だから、聞いただろ。泳げるかって」
クエスチョンマークを浮かべたアーニャを抱くと、追いついた警官隊たちへ人質の様にデッキのフェンスを背に抱く。そして胸ポケットから一枚のプラスチックカードを放り投げる。
「次の開園は未定だ。楽しみにしていてくれ」
『オペラ座の双子』そのプラスチックカードに目を奪われている内に、ベルカントはフェンスからアーニャを抱きかかえて飛び降りた。非常に女らしい悲鳴を上げながら海に落下したアーニャは、いつものことだと割り切っているベルカントに泳いで詰め寄った。すぐにボートが降りてくると。案の定、ブルーイルミネイト号は航行を止め、警備員を乗せたボートが降りてくる。
だが、こっちも間に合った。
「とっとと入ってよね。この船はあんまり見られたくないから」
ヘルデンテノール号が浮上し、ハッチを開けてアリアが急かしながらガスマスクを二つ放り投げる。アーニャに無理やり被せると、周囲にチャフとスモークが撒かれ、その間にベルカントが梯子を降りて入ると、アーニャは足を滑らせて落ちてきた。
なにがどうなっているのか分からないアーニャに、ベルカントとアリアは同時に口にした。「オペラ座の双子へようこそ」と。