殺さずに黙らせる手はず
エリアナインの砂浜に隣接するホテルクイーン。十二階建てで一階につき部屋は二十六室。他にも、砂浜を目の前にした特別なコテージも借りられる。受け付けは一階にあり、泊まることのできるのは、ハイレベルでもアビリティポイントが七十五点を超える人のみ。ついでに言うのなら、クイーンという名は、あの伝説的なロックバンドから頂いたらしい。
ベルカントは雲一つない快晴の空の下で、とある変装をしてクイーンの前に立っている。勤めて静かに、かつ、品のある佇まいで、行きかう人の中でアルマを待っていた。
「来たわよ。青いロールスロイス・ゴースト。乗っているのはアルマ一人のようね」
いつも通りの黒いピアス型無線機から聞こえてくる声に入口へ目をやれば、丁度その車がホテルの入り口へと走ってくる。自動運転のようだが、Iウォッチをズームすると、その風体が見えてくる。事前の調べ通り、黒い口ひげを生やした初老の男性で、少し細い体つきをしている。服装は、地味なグレーのスーツだ。
ズームを止めると、アルマはホテルの目の前に停めて、ドアを開けて出てきた。ベルカントは一礼すると、しわの目立つ手のひらから車のキーを受け取った。
「くれぐれもぶつけるなよ。あの車は君の給料百年分はする」
「かしこまりました」
受付へと去っていくアルマに、駐車係に変装していたベルカントは、車に乗ると、キーを入れて駐車場へと走らせる。その間に、この車の自動運転機能をアリアの物とさせて。
「完了したわ。プラン通りね」
「これくらい、いつもやっている」
車の中で変装を解いて、いつもの黒スーツと素顔に戻る。アルマがこの車に戻ることはおそらくないので、盗んだ駐車係の服装はそのままだ。
ネクタイを締め直し、サングラスをかけると、財布から偽造したアビリティカードを取り出す。名前はクラング・フォート。白人で二千五十年十二月二十四日、クリスマスイヴにニューヨークで生まれたことになっている。アビリティポイントは七十九だ。下手に高いと、アルマに接触しづらくなるので、七十代だ。
「二階の六号室で予約のクラングだ。チェックインはできるかな」
「アビリティカードのタッチをお願いします」
「これでいいかな。それと、車の鍵が落ちていた。駐車係を叱っておけ」
申し訳ございません。謝る受付嬢から離れ、六号室へと階段を上がる。内装は実に派手な作りになっている。クイーンの曲に影響されたのだろうか。だとしたら、天国のフレディ・マーキュリーは酷評するだろう。どこにも、顔写真の一つすらない、勝手に受けた影響で作ったろうから。
そんな、ロックをただの激しい音楽だと勘違いしているオーナーが作った階段を上り終えて六号室に入る前に、隣の七号室の目の前にある壁に、針穴ほどのチップを付着する。超小型の監視カメラだ。なにせ隣には、アルマが泊まっているのだから。
部屋に入れば、アリアからアルマが部屋を出たという報告がくるまで、ルームサービスでコーヒーを頼んで、バスローブを着てベランダでくつろいでいた。季節は夏にさしかかり、日差しは丁度よく、この鍛えた体を照らしてくれる。いつも薄暗い海中にいるから、この光は暖かくてたまらない。
「こういうのを役得と言うのかしら」
「少し違う。確かに日差しは心地いい。だが、今回はネクストもワルサ―も持ってきていないんだ。盗みが見つかれば、走って逃げるしかない」
「なんなら泳いで逃げたら? 時間はかかるけれど助けに行くから」
「あのスーツ、お気に入りなんだよ」
それはどうも。アリアは適当にあしらうと、しばらく時間が流れた。いつでも頭が活発に動いていてくれるようにコーヒーを頼んだが、本当はテキーラでも飲みたかった。
だが一般人が飲酒運転を控える様に、盗みの際に酔っていては仕事にならない。泥棒はいつだってシラフだ。スリルは別にして。
そうして、だんだんと日が傾いてきた夕方に、アルマが動いた。トイレなら自室にあるし、何か食べたければルームサービスがある。つまり、長い時間留守にする可能性が高い。
サングラスを外して、黒いスーツに着替えて、部屋を出る。廊下の先にアルマが消えていくと、即座にベルトのポーチから特殊ビニールを取り出して、アルマの部屋のドアノブに巻きつける。剥がせば、親指以外の指紋が手に入った。親指は、すでに車のキーから取っていたので運がいい。
「行先は分かるか」
「この程度のセキュリティなら片手で解けるわ。全部の監視カメラをハッキングしたけれど、どうやらカジノへ向かったようね。ポーカーの席に着いたわ」
「ならそこで網膜のデータを頂く。上手くいったら部屋を探って招待券を盗んで逃げるよ。手はず通りにな」
それにしても、ポーカーとは。事前に調べたアルマは神経質で、争いごとを嫌う性格だと聞いていたが、なぜギャンブルに手を出すのか。
考えるのは後だ。招待券がなければ、クイーンでのプランが全て無駄になるので、損害をなくすために急いだ。
一階部分の奥。レストランと室内プールに別れる廊下をまっすぐに進むと、極めて健全なカジノが開かれていた。掛け金の上限は決まっており、大儲けも大赤字もできないようになっている。逐一ズームしながら進むと、ポーカーのテーブルにアルマは座っていた。Iウォッチに表示されるアビリティポイントは九十二。周りから一人だけ飛びぬけている。
だからか、誰も隣に座っていない。下手に勝って特別保護能力者を怒らせたくないのだろう。ベルカントはそんなことを気にせずに、隣へ腰かけた。
「どうも、アルマさん」
気さくに話しかけてみるも、情報通り神経質なのか、こちらの顔を伺って、「どこかで会ったか」と、小さくしゃがれた声で聞いてきた。
「私も不動産には興味がありまして。まだアビリティポイントが八十にも届かない若輩者ですが、この業界のトップと会えてよかった」
「そうか……君、名前は? Iウォッチの故障か、名前が歪んでいてね」
「クラングです。しかし、ポーカーですか。お得意なんですか?」
この質問に大した意味はなかったが、アルマは予想以上に緊張した素振りを見せると、今日が初めてだと答えた。
「賭け事には、その、手は出したくなかったのだが……そ、そう、新しい土地にカジノを造ろうとね。だから、こういう分野にも手を出さなくてはと」
嘘半分、本音半分。ベルカントは変装の達人だ。その基礎として、他人の考えていることを会話と顔色から見抜くのは天才的だ。
だが、なぜこんなしょうもない嘘をつくのか。無線機越しに、アリアも新しい建築計画はないと言っている。
「その、君、ポーカーとやらをはじめてくれ」
アルマを待っていたのか、ディーラーがカードを配り始める。ごく普通のポーカーだ。様々なルールのあるポーカーは、生まれの違いで勝負が成立しないことを避けるために、ある程度は決まっている。
最初に五枚配られ、チェンジは一回。あとは勝負に出るためにチップをビッド、つまりは差し出す。その後は、コールを宣言して同数のチップ出すか、ドロップしておりるか。それとも、レイズして場に出ているチップ以上の勝負に持ち込むか。一巡目が終われば、ドロップした人以外は不要なカードを捨てて、親から同数貰う。そして二回目のビッドを始めて、コールとレイズとドロップを選んで場が回り、一番強い手の人が場のチップを総取りする。
ディーラーからカードが配られると、ベルカントはアリアからの指示を待つ。監視カメラから、アルマの手を見ているのだ。
今回は別に勝ちに来たのではない。アルマと親交を少しでも深めるため――いや、そういう風に周りに見られるようにできればいい。
つまり、上手いこと負けてアルマを称賛し、他人から見て仲良しになるのだ。ベルカントへ配られるカードに、そこまで意味はない。しかし、初心者のアルマから見てもおかしくない程度に勝負に出られる手は作らなければならない。
順番的に、アルマの次がベルカントだ。最初の手を見て、素人なのは誰が見ても明らかな程に挙動不審なアルマは、ドロップした。ベルカントにはツーペアが入っていたが、同じくドロップする。
次は、アルマがレイズした。初心者ならば、手に自信がある証拠だ。案の定、アリアから見て、ストレートが狙える手だった。
「私はあなたの運が怖い。降りることにします」
そうしてドロップを宣言する。アルマは満更でもないのか、こちらをチラチラと見ていた。
「無事にストレートが完成したわよ。背中を押すなら今ね」
アリアの指示に、ベルカントはオーバーリアクションでアルマを褒め称えた。きっとその手は、特別保護能力者として持ち得る運が導いた最高の物だと。
これにも、満更ではなさそうに笑っている。
そうやって勝負が続くと、いったん休憩となった。アルマの元には大量のチップがあり、ベルカントには少ししかない。こうして自分が下だと思わせておけば、金持ちは基本嬉しがる。アルマも例にもれなかったようで、不動産について、アドバイスならなんでもすると、調子に乗っている。
「では聞きたいのですが、このように勝負――経済界で勝つには、なにが重要でしょうか」
「ポーカーは運かもしれないが、そうだね。重要なのは、慎重になることだ。崖際に宝があるからと、勢い余って走って行ったら落ちたではすまされないからね」
向こうから宝という単語が出たのは計算外だが、いい兆しだ。このまま、招待券があるのか探れる。
「では、あなたが宝を手にする時はどうするのでしょうか」
「慎重に、一歩ずつ近寄るよ。常に後ろから蹴落とされないか注意を配りながらね」
「なるほど、誰かに落とされては、宝を得ても意味はありませんからね――ですが、もしも翼の生えた天使が救ってくれるのでしたら、どうします?」
宝、天使、この二つのワードがこちらから出れば、いい気分で講釈をたれていたアルマも勘付く。その顔はみるみる青くなり、冷や汗が頬を伝った。
「わ、私は部屋に戻らせてもらうよ。チップは君にあげよう」
「チップはいりません。欲しいのは宝です」
慌てて逃げようとしたアルマを見て、アリアはプラン通りに動いた。
アルマの眼球上にあるIウォッチをハッキングして、微弱だが電流を流した。静電気ほどの痛さだが、眼球ならば話は別だ。両目を押さえて悲鳴を上げて、痛いとのたうちまわる。
さて、このあとやる事は二つだ。ベルカントはテーブルを囲む人から見たら、アルマの友人だ。なので、目を押さえて倒れたアルマに近寄り、「目がどうしたのですか」と迫真の演技で片目を無理やり開けさせる。こちらのIウォッチがアルマの目を凝視したら、今頃アリアが映像として保存しているだろう。
「網膜のデータは取れたわ。あとはお願い」
慌てているふりをしながら冷たく了解と心で囁けば、袖に隠してあった人差し指ほどの注射器をつまみ、他の人が囲みに来る前に首へ注射した。大丈夫ですかと揺するふりをしながら。
人が集まり始めると、注射器は隠して、医者を呼ぶように慌てる。なにせ、今流し込んだのは即効性の猛毒だ。死にはしないが、一か月は昏睡状態になる。殺しをしない二人なりの、黙らせ方だ。
つつがなく済んだ。ホテルの医者が駆けつけてくると、アルマの胸ポケットに見えていた部屋のカードキーをスル。特別保護能力者が倒れたとあって、場は大騒ぎだ。その隙に抜け出して、二階へとごく自然に向かい、カードキーをスライドさせて、ビニール手袋をつけたら、アルマの部屋を物色する。手荷物、着替え、その他持ってきている物をすべて漁ると、出てきた。招待券が。
しかし、これは……。
「それで間違いないけれど、カジノの方であんたがいないって騒ぎになっているわよ。二階に向かったとも伝わっている。警備員も動いたわ」
流石はエリアナインのホテルだ。どこよりも安全で健全で不自由。その安全を維持するための武力が、ベルカントを怪しいと判断するだろう。
「なら、花火を上げてくれ」
「日本人はたしか……たまやー、だったかしら。花火の時に言う掛け声みたいなの」
「とっととやってくれないと、天使の宝が奪われるぞ」
分かっている。アリアがカタカタとキーボードへ入力すれば、外の駐車場で爆発が起こる。アルマの車だ。
「ここからでもよく見える。念のために聞くが、周囲に人はいないよな」
「おじいさんとの約束だもの。人がいたらあんたが捕まっても爆破しないわよ」
「それでいい。脱獄くらいなら一人でどうにかなる」
こちらへ向かった警備員も、外の爆発に気を取られているだろう。一階からは、着飾ったハイレベルたちが、テロでも起こったのだと勘違いしたのか、我先にと逃げている。あれでは、他人を蹴落とし合うノーマルと大差ない。
だが、招待券をこうしてじっくり見られたから、アルマがカジノへ向かった理由が知れた。
「宝は、クルーズ船ブルーイルミネイト号にて特別ルールのポーカーにより得られる、か」
ポケットに大事にしまうと、二階から降りて逃げ惑う人々に紛れて姿を消した。あとは、ヘルデンテノール号でアリアが必要なことをすませておいてくれるだろう。
アリアがキーボードを打つ音だけが響くヘルデンテノール号は、エリアナイン近海にて深く潜っている。元々軍事用に造られていたので魚雷などもあるにはあるが、使ったことはない。
しかし、今回の盗みでは出番があるかもしれない。なにせ、宝はクルーズ船の中で奪い合うのだから。最悪の場合、魚雷で騒ぎを起こしている間に盗むか逃げるかする。ベルカントはそうならないために、この特別ルールについて思考を巡らせていた。
通常のポーカーならば、クイーンで行ったものと同じだ。変装技術を応用して裏をかけばいい。しかし、天使は姑息な手段を使う泥棒に微笑みかけるだろうか。なんらかの障壁があると考えておいた方がいい。
つまりは、特別ルールの概要と、通常のポーカーの勝ち方の両方を頭に入れておく必要がある。
「できたわよ」
アリアのタイピングが終わると、椅子を回してこちらへ向く。
「無事、怪しまれないようにできたか」
ベルカントもポーカーから頭を切り替えて、モニターを覗きに行く。そこには、アルマのスケジュールがアリアによって改ざんされていた。
猛毒は急病により倒れたことになり、ベルカントがアルマの会社から代行で行くということになっていた。誰もが不可解に思うであろうベルカントという代行者も、アルマの指紋と網膜の認証なしでは操れないスケジュールなので、社長の考えだと黙るしかない。
「でも、本当にいいの?」
「なにがだ」
「名前よ。ベルカントそのままでいいのかなって」
「集まってくる連中をよく見たろ。どこかで見た悪い顔だらけだ。たぶん、俺たちと似たような事をした奴が何人もいたんだろうな。当然、俺の名も知られている」
ブルーイルミネイト号への搭乗券が手に入ってから改めて調べてみれば、ブラックカラーばかりが表示される。ベルカントたちと同じく、泥棒たちだ。すでに、十人中九人は見知った悪党だ。搭乗券を守り抜いた金持ちもいるが、一人だけしかいない。名前も顔も初めて見た黒人のアーランド・ポールマン。歳は三十九で、アルマと同じく不動産で一発当てた特別社会保護能力者だ。
最も、この面子の中で本当にホワイトカラーなのかは怪しいところだが。
「アーランド・ポールマンについてわかったことは?」
「少なくとも、私が衛星をハックして探しても見つからなかったから、会社に引きこもりの社長なんじゃないの」
盗みに際して、こう不透明なものはできるだけなくしたいのだが、明日の夕暮れにはエリアナインの波止場にブルーイルミネイト号が来る。詳しく調べる時間がないのだ。
「とにかく、今回は本気で行くぞ。俺はワルサ―とネクスト、それから変装道具と毒物一式は持ち込む。お前は?」
「ブルーイルミネイト号はこの前の銀行以上のセキュリティよ。普通じゃ、まずサーバーにたどり着く事すら不可能ね――普通のハッカーなら」
にやっと笑い見上げるアリアは、久しぶりに楽しんでいた。
「私が全力をもってハッキングして、船内全部の監視カメラから盗み見てやるわ。だから、ポーカーの勝ち方なんて考えなくていいのよ」
「生憎、全員見られていると警戒するだろうな。おそらくカードはテーブルに伏せたまま一目見るだけだ。お前には、こっちから指示を送る。合図もな。それをこなしてくれ」
「暇つぶしに忍び込む分にはいいのよね」
「ハッキングできるだけで幸せなら好きにしろ。ただ、逃げるための準備は万全にしてくれ」
「いつでも照明を切ってあげるから。念のため、ヘルデンテノール号も近くにいてあげる。最悪の場合は海に飛びこんで頂戴」
「だから、このスーツ気に入っているって」
「何言っているのよ。あれだけのクルーズ船に、そんなスーツじゃ馬鹿にされるわよ」
ということで用意しておいた。アリアはいつの間にか、ベルカント用の世界最高級のスーツを用意していた。
「防弾性能はないけれど、ナイフの類がある程度無力化できるわよ。負けが込んで殴り合いになった時のためにも、こっちを着ていってね」
「これで、俺のお気に入りが汚れることはなくなったわけか」
助かった。ベルカントは珍しく礼を言うと、アリアが笑っていた。昔から息はピッタリでも、褒め合ったことは数えるくらいしかない。
「まあ、本当の本当に不味くなったら魚雷を撃ちこむから。バックアップは任せてね。それと、これを持っていって」
アリアが差しだしたのは、袖に隠せる程のチューブだった。
「それを一滴でもつければ、あんたのIウォッチ越しになんのカードか認識できるわ。どんな勝負になるのか分からないから使わないかもしれないけれど、持って行って」
「相変わらず手際がいいな」
毒物一式をベルトに固定し、そこにしまっておく。とはいえ、ドンパチは避けたいが、面子が面子だ。いざとなった時、泥棒として、どれだけ殺さずに事を終わらせられるか。
「俺は明日に備えて寝る。なにかあったら起こしてくれ」
現場担当は体力勝負だ。アリアの様にエナジードリンクではすまない。しっかりした休息と、食事が必要だ。アリアは壊滅的に料理が苦手なので、インスタントの物になるだろうが。