盗みの準備
アリアがIウォッチに映るアビリティポイントまでいじくってくれたおかげで、スターバックスには無事入店でき、個室へと案内される。ハイレベルの特権として、この情報社会でプライバシーが守られる場所に入れるのだ。
「俺はエスプレッソ。お前は?」
「同じでお願い。追加で、二人分のサンドイッチも」
畏まりました。深々と頭を下げたアンドロイドが、注文した商品と共に、パスワード式の個室に案内され、ごゆっくりと礼をして、LEDに照らされたソファーに向かい合って座る。
しばらくは、特に会話もないままエスプレッソを口にしながらサンドイッチを食べていた。恋人でも夫婦でもない双子なので、今更話すことなどないのだ。そんな二人だからか、同時にため息を吐いた。
「なんのため息だ?」
「あんたからどうぞ」
分かったよ。ベルカントはどうせ同じ事なのはわかり切っているので、前置きはなしに、アビリティカードを取り出した。
「やっぱり、世界は窮屈だ。監視カメラなしで一服するのに、アビリティカードを偽造しないといけない。それと、こんなカード一枚のために、世界はどんどん他人を蹴落として這い上がろうとしている。より良いクラスのため、点数のためと」
「そうしなければ、こうやってプライバシーを守られながらコーヒーを飲むことだってできなくなるから、しょうがないじゃない」
そう割り切っているようなアリアも、この世界の窮屈さは――不自由さは感じているはずだ。
「ライアードが人材派遣の名のもとに、斎賀アキムの息がかかった優秀な奴らを世界中のあらゆる機関に送り込んで、深く根をはっている。噂じゃ、世界中の著名人の弱みを握ったって言われているしな。今や、世界は斎賀アキムが影から動かしていると言っても過言ではない」
「『社会的優生能力』、だったかしら。アビリティポイントを決める大義名分の名前は」
その通りと頷いておく。こんな面倒な仕組みを作った目的だが、全ては、人類の進歩のためだそうだ。
より良い人材を生み出し、より良いコミュニティに参加させ、より良い何かを成すか作る。斎賀アキムは、それを目的として、これらを作った。神の所業とも呼ばれるそれは、優秀でなければ、優秀になれと社会が頼んでもいないのに押し付けてくるのだ。
「世界はどんどん優秀な人が生き残り、能力のない者は淘汰される。この分だと、いつか、劣っている奴を殺し始めても不思議じゃない」
「泥棒――ブラックカラーの私たちからすれば、そこまで関係のある話じゃないけれどね。むしろ、優秀で金持ちの人がすぐに見つかるから、得かもしれない」
そういう考え方もあるか。ベルカントはエスプレッソを飲み干して、もう一杯頼もうとしたら、アリアの白いIドロイドがオペラの着信音を奏でた。
「この番号、マーティンからよ」
「俺たち専門の情報屋か。出ないのか?」
「待たせる男は駄目でも、女はいくらでも男の時間を盗めるのよ」
「天才的な盗みだが、マーティンの情報は、いつも俺たちにとって有意義なものだ。早く出ろ」
「はいはい……久しぶりね、マーティン」
ようやく電話に出たアリアを見つつ、もう一杯とタッチスクリーンに手を伸ばしたら、アリアが止めた。見れば、難しい顔をしている。
「ここが囲まれているとでもいうのか」
「冗談はそこまでよ。今スピーカーに切り替えるから。あんたも聞いて」
なにやら重要な話のようだ。テーブルの真ん中に置かれた白いIドロイドから、情報屋であるマーティン・クロスベルトが喉を整える音が聞こえた。
「相変わらず映像はなしか。まあ、こちらもそうだから仕方ないのだがな」
「前置きはいい。なにがあった」
マーティンはしばしどもると、絶対に漏らすなとだけ前置きをした。
「世界で有数の金持ちたち、それこそアビリティポイントが九十を超える『特別保護能力者』十名ほどに、とあるメールが届いたらしい。どこから誰が出したのか、躍起になって探した奴もいるようだが、影も形も見つからない」
「特別保護能力者でも尻尾がつかめないのか」
「ああ。どうやら、そんな雲の上の奴らよりも優秀なハッカーがいるようだな。あらゆるセキュリティを突破して、もちろんウイルスソフトにも感知されずに届いたメールなんだが……なんて言ったらいいのか。どうにも奇妙なんだ」
「奇妙なのは確かだが、そんな奴らに送られてきたメールについて、なんで知っているんだ」
アリアも頷くと、マーティンは言葉を探していたのか、少し待つように言われる。
「厄介事かしらね」
「だとしたら大歓迎だ。それで、伝える気になったか」
電話越しにマーティンが「これも秘密だ」と言い、話し始めた。
「俺たち裏の情報屋は、誰がどこの組織に情報を流すのか暗黙の了解があってな。俺がお前たちオペラ座の双子を担当しているように、他の情報屋も専属の組織がある。今回の件について、俺のところに回ってきた情報を聞いて回ったんだが、知っているのは名の知れたホワイトカラーが専門の奴が一人しか見つからなかったんだ」
「もういいだろう、なにがあったのか教えてくれ。じゃないと切るぞ。コーヒーを頼みたいからな」
「わかった、わかったから切るな。いいか、今からそっちに、俺ともう一人の情報屋に届いたメールを送る」
キーボードの音が聞こえると、白いIドロイド上にデータが届く。アリアはそれを3Dホログラムとして立体的に映し出すと、ふざけているとしか思えない内容のメールだった。
「『大天使ミカエルの名のもとに、世界を手にできる宝を与える』……お前にしては、ずいぶんと安っぽい情報だな」
「だが、こいつが金持ちたちに送られたのは確認済みだ。俺を信じるか、信じないか。取引はそこから始めよう」
「……数分後にかけなおす」
通話を切ると、ソファーに座りなおした。アリアも同様に、ソワソワとしている。なにから話したものか。考えていれば、アリアはキナ臭いと切り捨てた。
「大天使ミカエルがどうとか、こんなもの、誰かのおふざけでしょ」
「おふざけで、特別保護能力者から逃れられるのか。奴らは、それこそ多方面に秀でている。お前でも忍び込むのが難しい相手だ。ライアードからも、優秀なアドバイザーが送られている」
「でも、世界を手にできる宝って、いったいなんなのよ。ここはスクリーンの中じゃないのよ?」
「分かっている。ただ、それ相応の物が用意されているのかもしれない。ライアードの株主の座とかな」
あり得ない話ではない。アリアも考えを改めはじめたのか、コーヒーカップを覗いて唸っている。
「それに、もしもそれだけの獲物なら、俺たちにとって最高の仕事になる」
「……ヘルデンテノール号に戻ってからかけ直すって、メールを送るわ。すぐに出るわよ」
「その前に、コーヒーをあと一杯だけ頼んでもいいか。早起きしたからか、眠いんだ」
なら先に浜辺にいる。メールを送りながら席を立ったアリアの背中を見ながら、注文をして、ベルカントも黙考していた。大天使ミカエルと世界を手にできる宝について。
「お待たせしました」
二杯目のエスプレッソが届くと、シュガースティックをたっぷり掻き混ぜて、一気に飲み干す。おそらく、この後は頭を使うことになるだろうから。
マーティンとの取引は簡単なものだった。なんでも、メールの届いたホワイトカラーの元に、郵送で手紙も来たらしい。中になにが入っているのかまで、それを知るには情報料の上乗せが必要となったが、相応の情報は手に入った。
「メールと手紙が届いたのは、日本に滞在している不動産王のアルマ・ファークスね。手紙に入っていたのは、なにかの招待券のようだわ」
マーティンから送られてきた荒い画像をスキャンすると、そこまでは知ることができた。
「どこかに招かれて、ミカエルとやらから世界を手にする宝を得るっていうわけか」
「どうにも、事はそう簡単じゃないようよ。送られてきた手紙とメールから検索をかけたけれど、世界中でマーティンの言う通り十人は天使からのお誘いが来ているようだわ。石油王にハリウッドスター、それからアルマのような不動産王にね」
「天使のくせに、人を選ぶのか。面の皮を一枚剥がしたら悪魔かもな」
「どっちでもいいわよ。で、肝心な招待券の在りかだけれど、一番近くにいるのもアルマ・ファークスね……やっぱり、キナ臭い」
その通りだと、ベルカントも腕を組んで頭を捻っていた。世界中の善人に世界のすべてを手にする宝を渡すこと自体がおかしいわけであり、それを知るのはごく一部だ。
だというのに、マーティンに送られてきた情報とアルマの居場所が近いのは、偶然で片づけるにはいかない。なんらかの罠があるとも見られる。
しかし、ここまで宝の情報を握って攻勢に出ないのは臆病者のすることだ。泥棒はどれだけ慎重になっても足りないが、必ずなんらかの行動に移す。それがたとえ、全貌どころか欠片がつかめた程度の話でも。
「アルマは今、日本のどこにいる」
「流石に特別保護能力者だけあって、すぐにハッキングは見つかったわ。痕跡は消したけどね。知れたのはスケジュールの一部ね……近いうちに、大きな仕事がある。そのために、エリアナインのホテル『クイーン』へと向かう。読み取れたのはそこまでだわ」
大きな仕事。言葉通りなら、不動産王であるアルマがエリアナインを訪れる理由にはならない。エリアナインに、ライアードの本社以外にはまともな会社も住まいもないからだ。ライアードに用があるのなら別だが、それなら大きな仕事と残さずに、ライアードにて会議、とでも書いておくだろう。
つまり大きな仕事とは、この招待券が関わっているかもしれない。宝が何を指すのかは知らないが、大金が動くのは、メールと手紙を受け取った面子を見れば明らかだ。タイムイズマネーを体の芯まで刷り込ませている金持ちたちを、ミカエルを名乗る誰かが長く待たせるとは考えづらい。
結論として、アルマは招待券を使いなんらかの場に出る。その準備として、エリアナインに来る。
「なにをするのかは知らないが、アルマの外見は分かるか」
「公表されているわ。身長が百七十七、体重は六十五。平均的ね。顔の方も、あんたの変装でどうにかできるレベルよ」
「いや、出来ることなら変装という形にはしたくない」
どういう意味? アリアは怪訝な顔を浮かべると、ベルカントはなぜこうも人を集めるのかがひっかかっていたのだ。
「世界中から特別保護能力者を集めているわけだからな。招待券を使う場には、本人が行かなくてはならない。だが、アルマの癖や口調を全て知るには時間がないだろう。俺としては、アルマの指紋と網膜のデータを手に入れて、毒を盛る。それから招待券を奪い、手に入れたデータを使ってスケジュールを変更させて、俺という代理人が行くことにしたい」
なるほどね。納得したアリアは、アルマの泊まるクイーンの場所と時間をモニターに表示した。そこから枝分かれする、無数の情報にいつでもアクセスできるようにして。
「どう攻め込むのかはあんたが考えて頂戴。私はいつも通り、それを上手くいかせるためにバックアップに回るから」
当たり前の様に言うアリアに呆れながら、盗みのプランを考える。ようやく面白くなってきたと、ベルカントのスリル欲求は芽を出した。