オペラより感謝を込めて
ガスがベルカントの姿を隠している内に、海中から潜水艇――アメリカ軍の最新型のヘルデンテノール号が浮上してくる。
全長八十二メートル、最大幅九メートル、乗ろうと思えば五十人だって乗せられる。水中を二十ノットで進むヘルデンテノール号は、黒と白のコントラストが描かれている。
高速艇を潜水艇の脇に固定させ、ハッチを開けて中へと入る。すぐさま潜水して、周りから見たら手品の様に消えただろう。
ハッチの梯子を降りて、LEDの照らす潜水艇の中に出る。中には双子の趣味が合わさった黒と白のテーブルと、黒と白の椅子が四畳半ほどの居住空間に置かれており、それぞれの部屋と、キッチンからトイレ、更にはシャワーに洗面台へと繋がる通路がある。
使っていない場所も多くあるが、二人では広すぎるのだ。
梯子を降りたらブリッジへとまっすぐに抜けて、足の踏み場もないほどにケーブルが鉄の床を這っているのがアリアの仕事場だ。どこか薄暗いここに、左端にはソファー、右端には五台のモニターと、キーボードが設置されている。ついでに、流れるような白髪の後ろ姿も、そこにいる。
ベルカントは適当に丸椅子を引っ張ってくると、盗んできたダイアモンドをモニターの方へ投げる。それを、すわり心地を最重視した椅子に腰かけるアリアがキャッチする。
「何度も言うけれど、万が一に割れでもしたら一銭にもならないの。丁重に扱ってくれないかしら」
椅子をクルリと回転させてこちらへ向いたアリアは、昔と変わらず白髪を長く伸ばし
て、黒い瞳でダイアモンドを手にしている。いつも白いスーツ姿で、二十七になっても、よく言えばスレンダー。悪く言えば凹凸のない女らしくない体つきをしている
「それで、どうだったのかしら」
アリアはウィンストンを咥えると、白いジッポーで着火しながら今回の盗みはどうだったのとか伺ってくる。ベルカントもトレジャラーを取り出しながら、「まあまあ」と答え、黒いジッポーで火をつける。
今回の盗みは、スリル欲求を満たすにはまあまあなのだ。百点満点中七十五点ほどだろうか。アリアもアリアで、あまり満足していなかった。
ベルカントがスリルを求めるように、アリアはネットの世界に広がる情報戦を好む。十重二十重のセキュリティを突破しながら、最終的にハッキング、もしくはクラッキングを愉悦としている。
似ているようで似ていない二人が一服すると、ベルカントは「次の獲物は決まったか」と、盗んできたばかりだというのに、アリアへ情報を求める。
しかし、アリアは両手を振って「ダメね」と落胆していた。
「私が挑むに値するセキュリティも、あんたのスリルが満たされる宝もないわね。どこもかしこも腑抜けているわ」
「銀行やら美術館は腐るほどあるのに、肝心なところが抜けているな」
ソファーに寝転がると、アリアと同時にため息を吐く。今回のダイアモンドすら、見つけるのに苦労したのだ。金持ちたちは、そういう宝物の情報を遮断し、ベルカントたち泥棒の総称ブラックカラーに知られないように隠している。
そんじょそこらの警備会社以上慎重に隠された宝を見つけて盗むまでは楽しくてスリルに満ちているが、こうも隠れられると、なかなか味わえなくなる。
暇つぶしに、ふざけた盗みでもやろうか。何の価値もない適当な絵画を盗むと予告状を出し、必要以上の手間をかけて盗む。絵画の持ち主も、裏表両方の社会で名の知れた『オペラ座の双子』からの盗みなら、価値があると判断して、厳重な警備を用意してくれるかもしれない。
しかし、あくまで「かもしれない」だ。面倒事は御免だと、監視カメラの一つもなしに盗めてしまうかもしれない。それは非常に退屈で、時間の無駄だ。
ならどうするか。トレジャラーを灰皿に捨てると、アリアがモニターからこちらへ振り返った。
「久しぶりに、私たちも休暇にしない?」
休暇と聞いて、身を起こす。仕事がないのなら、それもありかもしれない。
「金ならいくらでもあるから、どこかのカフェにでも繰り出すか」
スリルとセキュリティを求める二人にとって、金はそこまで大事ではない。換金しているか飾るかしているが、基本的には売り払っているのだ。
「決まりね。それじゃ、私たちが行ってもいいような店を探すわ」
再び点灯したモニターにカタカタと打ちこんでいくと、日本地図が画面に表示される。今は東京に隣接する太平洋にいるわけだが、はたして、いい店は見つかるのだろうか。
しばらく待っていると、アリアは見つけたようだ。
「無難にスターバックスにしましょう」
「リッチだな」
スターバックス。一昔前までは庶民の憩いの場として愛されていたが、ここ三十年近くで、その姿を大きく変えた。
今や庶民は注文をするどころか、入店することすらできない。他の店もそうだ。とある線が人々の間に何本か敷かれ、クラスごとに分けられている。属するクラスによって、行ける場所といけない場所が生まれて、社会的格差は広がっている。
そんな、いくつかあるクラスの中で上から二番目となるハイレベル以上に値する人々のみが入店できるのが、今のスターバックスなのだ。
「偽名で『アビリティカード』を作っておくけれど、なにか希望はある」
「ジェームズ・ボンドはだめか」
「怪しまれるに決まっているでしょ。こっちで適当に作るわ」
おじいさんと一緒に見た007に影響を受けて、アリアだっていつもスーツ姿だというのに、冷たい奴だ。
しかし、アビリティカードの偽造がばれたら大変なことになる。
もう一服するかと迷っていたら、アリアの腱鞘炎にならないのが不思議なほどのタイピングが済む。すると、隣接している印刷機から、二枚の強化プラスチックカードが出てくる。その表面はタッチスクリーンとなっており、ネットに繋がっている。
「アビリティカード。今やこれ一枚でなんでもできる」
ダイアモンドの仕返しだろうか、ヒョイと投げられたそれを掴むと、それのタッチスクリーンには、生まれや、今までの成長、職業などが羅列されている。他にも色々とあるが、アリアが偽造したアビリティカードには、ベルカントとアリアの顔写真が載っている。これには、性別以外なにもかもが偽造の情報と偽造のアビリティポイントが、液晶に表示されている。
「それで、アビリティポイントは……おお、驚異の八十二点か。お気に入りのスーツの出番だな」
「気に入っているようだけれど、もっと高いブランドものにしてくれないかしら。女の私だから言うけれど、やっぱり男を決める時、外見が一番先に印象を決めるのよ。逆ナンパされるくらいに相応のスーツを用意して」
「これだって、十分高かった。それに、どういうわけか、この仕事をしていると女遊びができないからな。たまには、着飾って美人の一人でも捕まえるか」
「私以上の相手にしてね。オペラ座の双子の品が落ちるから」
品とは。こんな真っ黒に染まったブラックカラーがよく言う。それに抗うために、こだわっているのかもしれないが。
「明日の昼前、十一時に予約を取ったから。寝坊しないでよね」
分かりましたよ。肩をすくめて、キャッシュカードやクレジットカードにもなるアビリティカードを財布にしまって、ヘルデンテノール号の中に無理やり造った自室に入ると、丸い強化ガラス越しに見える海の景色を見ながらベッドに座る。
四畳半ほどの部屋には、そこら中に変装器具が散らばっている。明日の様に、ただ一服するだけなら適当でいいのだが、狙う対象によっては、入念な準備が必要なのだ。
しかし、ベルカントのズボラな性格から、商売道具とも呼べる桂やファンデーションはしまわれない。使う時に拾っていくのだ。
ベルカントはそのまま横になり、ポケットからIドロイド――二千十年ごろに作られたスマートフォンを進化させた端末を取り出す。ベルカントは指が長いので、Lサイズだ。
当然と言えるのかはあいまいだが、アリアが色々と改造して、市販の物より通信速度からなにまで、別物になっている。
「アラームは朝七時、と」
指紋認証で開いた画面をスライドして目覚まし時計代わりにすると、黒いワイヤレスイヤホンを両耳につける。流れてくるのは、何度も聴いたオペラ、『フィガロの結婚』だ。
ベルカントとアリアにとって、オペラは名前の由来であり、共に一番好きな音楽のジャンルだ。音量を調整して体から力を抜くと、ベッドに身を委ねる。
そうして、海の中で魚に囲まれながら眠りにつく。オペラを聞きながら、ゆっくりと。
翌日、元々備わっていたトイレを済ませ、鑑の前で歯を磨いて、ヘルデンテノール号のブリッジへと寝ぼけ眼で行くと、アリアは化粧を終えて、白色のドレスに身を包んでいた。 黒髪のロングに白色とは、なんとも派手だ。
泥棒ならば目立たない方がいいのだが、そこら辺は自由ということにしてある。アリアとて女。着飾りたいのだろうから。
「昨日言った通り十一時に予約してあるから。準備はゆっくりでいいわよ。女を待たせるのは駄目な男の典型だけれども」
「それは、捉えようによっては自虐にもなるぞ。なにせ、お前は俺の妹、それも双子だからな。自分自身とたいして変わらないだろ」
アリアは面倒だとそっぽを向く。そのまま目の前に青い海が広がるブリッジのコックピットに座り、ヘルデンテノール号を操る。目的地は、予約したスターバックスだ。
「で、海に隣接したスターバックスはどこにあるんだ」
「世界で一番安全で健全で不自由な場所よ。アビリティポイントの高い人限定だけれどもね」
そう言われ、思わず天を仰いだ。アリアはあまり気にしていないようだが、その条件のあてはまる場所は一つしかない。
「エリアナイン――俺たちの育ったスラムか」
元スラムね、と訂正してくるアリアは、過去にこだわらないのだろうか。
「スラムだった頃が、俺には懐かしくてしょうがない。今のエリアナインは、いたるところに潔癖でヒステリーを起こした女がいるような場所だからな」
「なら、一日に一人は死ぬか薬物でおかしくなるかしていた頃の方がいいの?」
「良くも悪くも生まれ故郷だからな。それに、おじいさんとの思い出も詰まっている」
「私たちが十五の頃には、もう今とたいして変わらなかったけれどね」
「全部、あの天才のせいだ」
エリアナインには、世界トップの人材派遣会社ライアードの本社がある。ずいぶん昔に千葉県と呼ばれていた場所だ。ライアードの社長が変わってからスラムの住民たちは追い出され、二十年近くかけて、アリアの言ったような場所に様変わりした。
「ライアードのトップ、ギフテッドの斎賀アキムが変えてしまった。崩れかけた建物が懐かしい」
「私は、もう吹っ切ったから」
ツンと跳ね除けたアリアだが、吹っ切ったとは言うも、双子だからか、どこか表情が強張っているなと気付く。
それには触れないことにして、ブリッジのレーダーを目にする。
「近くに船なし。ここからエリアナインまでは……高速艇で五分くらいか」
「徒歩で二、三十分だから、かなり時間が余るわね」
「どうせだ。久しぶりに、あそこに行くか」
賛成。アリアは言葉を交わさずとも同意すると、コンソールをいじって、ヘルデンテノール号から、水陸空どころか宇宙空間さえ稼働可能な、二センチの直方体ドローンを十個ほど海中から空に飛ばすと、ここからエリアナインまでの航路にジャミングをかける。ドローンは中継地点となり、周囲の映像も回ってくる。
「安全なようだな。それじゃ、行くか」
ヘルデンテノール号はジャミングと噴出したガスの中浮上すると、ガスマスクをつけてからハッチを開けて身を乗り出す。取り付けてある高速艇に二人で乗ると、ドローンのジャミングのかかる水路を一気に駆け抜けた。見つかっても、ここはハイレベルたちの憩いの場だ。ボートで遊んでいるようにしか見られない。
波に乗って砂浜に着くと、流石に高速艇をこのままにしてはおけないので、タッチスクリーンから水中待機をタップすると、海の中へ沈んで行く。Iドロイドから呼び出せるので、便利なものだ。
その後は、堂々と砂浜に上がる。すぐ先には巨大なレジャー施設がいくつも並んでおり、スラムの頃とはえらい違いだ。ベルカントは辺りを見回してから、スターバックスのある方――ではなく、まずは酒を買いに行った。のっぺりとした電子公告の流れる自動運転の車が行きかう交差点を超えて、渋滞緩和のために四つ上まで道路の作られた立体的すぎる高速道路の下をくぐる。当然、日本は地震大国なので、耐震整備は万全だ。
だんだん道を行きかう人が増えてくると、Iウォッチが一人一人のアビリティポイントを表示する。誰を見ても、七十代はある。六十五から八十九まではハイレベルなのだ。
アビリティポイント――言うなれば、その人物がどれだけ社会に良い影響を与えるかを数値化したもの。ライアードを仕切る斎賀アキムが、どんな手品を使ったのか知らないが、各国首脳を黙らせて世界中に広げた制度だ。そういう意味で、アリアはここを世界で一番安全で健全で不自由な場所だとぼやいたのだ。
「俺たちみたいに名前も偽造できる奴らと有能な連中には、ここは間違いなくアンドロイドと警備員に守られているから安全で、ふしだらなホテルなんてないから健全で、そういうルールにがんじがらめにされているから不自由だ。これでも、昔の方が悪いのか?」
「悪いとは言っていないわ。ただ、女は男と違って色々と大変なの。おじいさんに拾ってもらうのが数年遅かったら大変なことになっていたわ」
「女のそういう事情には興味はないが、男だって困っている」
ん? と見上げてきたアリアに、性欲の処理を隠れてするのが大変だったと言ってやった。
「下品な男も女から見ると、アビリティポイントが三十代のローレベルみたいなものよ」
「一番下のボトムズじゃないのか」
「ああいう人たちを、一番下に見ていないから」
同意だ。ベルカントはトレジャラーを胸ポケットから取り出して深く吸う。『ボトムズ』それは、アビリティポイントが二十以下の人々の総称だ。重犯罪歴がある人や違法薬物に手を出した中毒者がボトムズの焼印を押されるわけだが、ベルカントもアリアも一部だけ許せない。
障害者――IQが七十五を切った人々は、無条件でボトムズとなり、どこの誰も面倒を見てくれない。一昔前には、日本のありとあらゆるところに障害者福祉施設があったらしいが、斎賀アキムが社長になってから、それらはすべて潰され、より良い人材を育成するための施設になっている。
噂だが、斎賀アキムはこの世で一番嫌いなのが障害者だそうだ。同じように脳の作りが常人とは違うというのに、ギフテッドは英才教育を無理やり受けて、障害者は手厚く守られる。それが許せなかったのだろうと、煙を吐き出して思っていた。
そうこうしていると、酒を中心に扱った専門店にたどり着く。接客用のアンドロイドにアビリティカードを提示して、赤ワインのおすすめを尋ねる。
映画に出てくる人間と遜色のないようなアンドロイドではなく、ロボットと言った方が正しいかもしれない。ローラーで移動し、関節部がいくつにも分かれているアームを伸ばして商品を探し、顔の部分についているスキャナーで判別を行なう。
普段盗みに入るような場所には、もっと人間に近い個体が配置されているが、アンドロイドとAIの研究は二千三十年程で打ち切られた。
八十年代にスクリーンで流れた、未来からアンドロイドが殺しにくる映画。当時は夢の話だと囁かれていたが、二十年代も後半になると、それが現実味を帯びてきた。人間以上の学習能力と記憶領域のあるアンドロイドが増え続ければどうなるか。どんな馬鹿でも想像がつく。いずれ、人間を超えるだろうと。ということで、目の前で頭に詰まるチップに検索をかけているアンドロイドは、半世紀近く前の産物だ。
「これは、いかかでしょう」
バーの様に羅列されている棚から持ってこられたのは、シャトー・ル・パンだった。構わないと、アビリティカードをタッチして会計を済ませる。
アンドロイドがぎこちなく頭を下げると、手を振って店を出る。次は、花屋だ。
「なんだったかな……あの、赤くてきれいな花。花言葉は、あなたを愛するとかの」
「アネモネよ。ずっと見てきたでしょう?」
「小さなころのスラムと盗みの現場で血を見過ぎたからかな。どうしても、赤は血を連想させる」
「でも、好きでしょ?」
「勿論だ」
エリアナインにない物はない。あるとしたら、ハイレベルより下のノーマルたちだろうか。アビリティポイントが四十五から六十四の人々がそれだ。所謂、一般人だろうか。大抵の人はノーマルとして生まれ、生きていく。中にはハイレベルに上がってやるぞと努力を積む者もいる。ライアードはそういう意思を持った人を見つけ出しては、障害者施設を潰して作った学校もどきに、ほぼ無償で入学を進めている。どうやって知るのか。簡単だ。
SNS。どれだけ携帯端末が進化しようとなくならなかった、ネット上での社交場。ライアードはそういうところにも目を配っているのだろう。
「それで、揃ったわけだが、なにか忘れ物は?」
「感謝の気持ち、って答えたらどうする?」
「双子の妹でも、それだけは許さない」
「冗談よ。忘れられるわけないじゃない――おじいさんは、私にとって神様よ。たとえ人が泥棒と呼んでも、私にとっては天国に連れて行ってくれたかけがえのない人。あんたも、そうでしょ」
その通りだよ。そう言うと向かった。エリアナインの端にある、墓地に。
純潔、純粋、汚れ亡き心。そんな花言葉が並ぶスノーフレークの純白が、墓地に眠る人の魂を清めている。品種改良されて一年中花をつけている墓地には、あのおじいさんの墓標もある。二人がおじいさんから受け継いだあらゆる財産の中から必要な分だけを貰うと、このハイレベル以上、もしくは世界的な権威にのみ永遠の眠りが許される墓地に墓標を立てた。
ベルカントはシャトー・ル・パンを開けて、墓標にかける。その下に、真っ赤なアネモネをアリアが添えて。
赤が好きだったおじいさんの墓標には、ただ、埋葬された日の日付と時間が掘られている。
「結局、おじいさんは名前を教えてくれなかったな」
泥棒なら本名を捨てろ。ベルカントたちがおじいさんにもらった名前を捨てたように、聞きだす事はできなかった。せめて、泥棒時代の名前でも教えてくれたらいいものを、頑固に口を閉ざしていた。
「安らかに」
「ありがとうございました」
二人はしばらく墓前で佇んでいた。人でなしの親とは比べ物にならない、一番大切な人。天国に行ったのか、地獄に行ったのか、それとも煉獄で順番待ちか。そんなことは分からないが、無事おばあさんに出会えていると信じている。
どちらからでもなく、歩きだしていた。死んだ者は、死んだままなのだ。生きている人々がずっと立ち止まっていてはいけない。二人は、おじいさんの教えてくれた技術で、前に進むのだ。