祝福されて生まれてこなかった二人
完結済み、毎日十二時に投稿します。
俺という一人称が、まだ僕だったころの話に少し付き合ってほしい。二十七になっても、時折思い返す、小さな頃の話だ。
まず一に、赤ちゃんはみんな、祝福されて生まれてくるはずだ。西暦が二千年になってから五十年経っても、陣痛を和らげる薬など作られず、母親は産婦人科で激痛に身を悶えながら赤ちゃんを産もうと腹を痛めて、父親と沢山の親族は心痛のあまり言葉も出なくなる。
けれど、無事に生まれてくれば、涙と安堵に包まれ、両親の顔は喜悦の色を浮かべる。ずっと一緒に育てていくのだと、家族として誓って。
俺も――僕も、そうなるはずだったのだろうか。家族の一員になれたのだろうか。
いくら時間が経っても、疑問は晴れない。
この二十七年間の人生で答えの見えない難題は、どこかの誰かが、僕を産んだ時から始まる。
僕が新たな命として生まれ落ちたのは、真っ白い病的なまでに衛生へ気を使われた病院でも、親族身内に囲まれ、助産師を呼んだ家でもない。
スラムのトイレ。壁には雑然たる落書きがあって、汚損された便座には汚れを拭った跡すらない。どれだけ零れた尿と糞で汚れていても誰も掃除に来ない。
そんな場所で生まれたのだ。
父親がいたのか定かではないが、産み落とされたら置いていかれて、汚物と黴菌に満ちたトイレで泣きながら時間が過ぎていく。
普通なら、生きていけるはずもない。まず一に、体温調節のできない赤ちゃんに、布きれ一枚もかけられていないのだから。産湯なんて夢のまた夢だ。
けれど、二つ、運がいいことがあった。マイナスであるスラムのトイレに捨てられたことへ付け加えてもプラスにならないけれど、僕の隣には女の子がいた。
共に生まれた、僕の双子。これは二つある内の一つとするには些細なことだけれども、一人ぼっちで死ぬことだけはなかった。無慈悲な神様が、珍しく慈悲を与えたのだろうか。それにしては、いささか物足りないが
だけど二つ目は、とても良いことだった。どういうわけか生き延びて、小さな手のひらを握り合っていた小汚い僕たちを、スラムに住むおじいさんが拾ってくれたのだ。
夕焼けのオレンジが崩れた建物を照らして、腕に何本も注射跡のある朦朧とした薬物中毒の人々がよだれを垂らして、ホームレスたちが壊れかけの家屋に身を預けている。路地を曲がれば、まだ新しい血痕があり、傷つけたのだろう刃の欠けた包丁が転がっている。その先に人の死体が力なく倒れているような気がしたら、おじいさんは僕の目を両手のひらで優しく覆った。まだ見るには早いと。
何度もこの時のことを思い返しては、教えてあげたかった。短い人生で「もう十分に見てきた」のだと。
それを知らないおじいさんは、今は汚いものに目を向けなくていいと言う。おじいさんは約束だと指切りをして、ついてくるように手を引かれた。
そうして招かれた家は、一軒家というより屋敷だった。捨てられた雑誌や新聞で見たことがあるような、庭園のある、中世ヨーロッパにあるような屋敷。
僕たちは赤茶色に塗装された屋敷を見上げていると、思わず視線を感じて、周りのゴミ溜めを漁る人々へ目を向ける。
見なくていいと言うけれど、僕たちとあの人たちは違っていいのかと聞いてみた。同じスラムに住む僕たちが屋敷に招かれ、あの人たちはゴミ溜めを漁って、屋根もない道端で眠る。
おじいさんは、気にする必要はないと答えてくれた。無知は罪だと、幼い僕たちには合点がいかない言葉で。
難しい顔をしていたのか、おじいさんは、とにかく無視しておけばいいと、屋敷の玄関を開ける。中は、玄関からすぐ赤いカーペットが敷かれ、壁には名前は知らないけれど、味のある、というのだろうか、見たこともない絵画が飾られている。
手をつないだまま、二人でどこかの国の人の顔が描かれている絵画とにらめっこをしていたら、おじいさんは優しく声をかけた。
「見るのはいつでもできる。だけど、お腹がすいているだろう?」。そう、優しげに
それまで捨てられていたジャンクフードを糧に生きてきた僕たちに、おじいさんは炊き立てのご飯と牛肉のステーキ。野菜のサラダにコンソメスープまで用意してくれた。
なぜ、ここまでしてくれるのか。不思議に思ったけれど、お腹をすかした僕たちは、礼儀作法など欠片もない食べ方で、並んでいる料理を胃の中に納めていく。
いきなりあまりにも健康的でまともな食べ物が入ってきたからか、胃もびっくりして、食べ終わったあと、ちょっと痛かった。
その後は汚い体をシャワーで洗ってくれて、穴の開いていない黒と白の服を貰って、二人分のベッドをくれた。
そこまでされて、ようやく聞いた。なぜ、ここまでしてくれるのか。見ず知らずの十歳前後の僕たちに、こうも手厚く接してくれるのかと。
おじいさんは哀歓を感じさせる表情を見せると、一人だからだと、深いため息をついた。おじいさんの妻――おばあさんは、もう何年も前に死んでしまって、運の悪いことに子供ができなかった。孫がいたら、もう僕たちと同じくらいになるだろう程のおじいさんは、孤独に苛まれていたのだろう。だから手を差し伸べてくれたのだ。
「ありがとう」。僕たちは、たぶん生まれて初めて、その言葉を使った。おじいさんも、居てくれるのなら、こちらこそありがとうと笑いかける。
それからは、使用人の一人もいない屋敷で、おじいさんと過ごしていた。手伝いをして、食事は一緒にして、寝る時はお休みと言ってベッドに入る。充実していた。この時間がずっと続けばいいのにと、二人して思っていた。
だけど、ある日おじいさんは倒れた。雪の様に白い顔を見て、僕たちは必死に病院に電話しようとしたけれど、おじいさんが止めた。「持病が体を蝕んでいる。長くても数年の命」。少しずつ顔色を元に戻したおじいさんは、すまなさそうに悲しい顔を見せた。
こんないい人が、病気で死ぬ? 僕たちは、この時初めて、善悪というものに疑問を持った。貧しくて生きる術のない僕たちを拾ってくれた、正しいことの善にいるおじいさんが死ぬということに。
その考えが覆されたのが、翌日から始まった、おじいさんとおばあさんが、かつて一緒に行っていた仕事のやり方の練習だ。
てっきり、サラリーマンとしての生き方を教わると思っていた僕たちに、おじいさんは自室から、黒く、ずっしりと重たい拳銃を二丁とノートパソコンを持ってきた。
まず僕が手に取り、コイントスで後に生まれたことになった妹も手にする。
これでなにをするのか。おじいさんは初めて悪い笑みを浮かべると、僕たちの将来――生きていくために、残せる唯一のことを教えると、意気込んでいた。
「泥棒になってもらう」
そう、高らかに宣言して。
善悪の区別が曖昧になった僕たちに、同じスラムに住むおじいさんと、ゴミを漁り、違法薬物に手を出した人と、決定的に違うのが、泥棒として生きてきたからだと教えてくれた。
人の物を盗み、己の物とし、お金に換えて生活する。かつてのおじいさんは、このスラムを拠点に、おばあさんと世界を股にかけていた泥棒だったのだ。こんなスラムなら、隠れるのにちょうどいいからと、アジトにしていたらしい。
当時のおじいさんは、現場で盗みを働く役割で、おばあさんはパソコンからハッキングやクラッキングという難しいことをしていた。
義務教育も受けていなく、難色を示した僕たちに、おじいさんは一つずつ丁寧に教えてくれる。
どこを狙って撃てば、撃たれた人はどうなるか。例えるなら、足のどの部分を撃ちぬけば動けなくなるかとかだろうか。
僕が練習用に初めて手にした拳銃は、ワルサ―PPK。三十二ACP弾が八発入る。千九百三十一年に作られた拳銃だ。妹には、千九百三十四年に、第二次世界大戦でイタリア陸軍が使ったベレッタM1934が渡されたが、白がいいとわがままを訴えたので、スプレーを使って白く染めた。
とはいえ、なんでこんなに古いものを使うのか。おじいさんは、この社会のせいだと愚痴を零す。西暦二千六十年には、二千年代以降に生産された拳銃にはID認証が必要になっている。撃つ前に指紋で認証して、登録者だけが撃てる仕組みなのだ。
だが、ワルサ―とベレッタの様な博物館に飾られているような拳銃なら別だ。誰の手でも、それこそ僕たちのような子供でも撃てる。人が人を殺すために作った拳銃を。
これで、いつか誰かの臓物をグチャグチャにするのかな、などと思っていた。
僕たちはおじいさんがいなくなった後のために、屋敷の中にある射撃場で、何度も練習する。反動の逃がし方や、リロードの速さまで。
僕は、どうやら拳銃の扱いに才能があると、おじいさんは意外そうにしていた。どこがどうとは言わないが、二、三度練習をするだけで、二十五メートル先の的の真ん中に全弾あたるのだから、その目に間違いはない。
一方、妹は拳銃よりもノートパソコン越しにカタカタと入力しているのが似合っていた。これまでの気苦労からか、真っ白に染まった長く細い髪から覗かせる混じりけのない黒い瞳は、画面を追って、かつておばあさんの役割だったインターネットで腕を磨いていた。 おじいさん曰く、天賦の才があるそうだ。世界一のハッカーになれる。そう太鼓判を押された妹に負けないよう、僕も頑張った。
そしてある日、おじいさんは秘密道具だと、小さなポーチをくれた。中には化粧品が詰まっており、それで顔を変える練習をするように言われた。アンドロイドでも見抜けない顔を作るためにだ。
妹に負けないよう、何年も必死に頑張った。もはや泥棒が悪だとかなんて忘れて、ひたすらに変装と射撃の練習を続けた。
体が成熟していくにつれて、いつしか格闘技も覚えた。習ったわけではないが、ここはスラムだ。泥棒と違って、無理やり所持品をひったくる暴漢はそこらかしこにいる。いい練習台として、だれにも真似できない戦い方を、体に染み込ませた。
そうして結果的に、僕は変装と肉弾戦、それと射撃の達人になった。いざとなったら、警察が相手でも勝てるほどに体を鍛えて。妹は、どんな相手でもハッキングできるハッカーとして、色々なサイトを乗っ取っては、跡を残さずに消えている。
七年の歳月がかかった泥棒への道の中、ようやくおじいさんの言っていた、無知は罪の意味が分かった。
こうしてお金を得る術を知っていれば、どんな貧乏な人でも金持ちになれる。それを知らないから、ゴミ溜めを漁る。
そういうことだったのだと気付いて、すっかり老けて痩せ細ってしまったおじいさんに報告しようとしたら、A4容姿ほどの端末を見ながら、しわだらけの瞼を閉じていた。どうしたのか。気になって覗けば、病院から送られてきた診断書がメールに付属されていた。並んでいる数ある病気から計算された、おじいさんの寿命が表示されている。導きだされたおじいさんの寿命は、あと、一か月ほどだ。
泣きたかった。涙と鼻水で顔をグシャグシャにして、返しきれない恩のあるおじいさんの死を嘆きたかった。
でも、おじいさんは目を開けると、笑っていた。泥棒を辞めるには、死ぬしかないのだよと教えてくれて。遠くを眺めるようなおじいさんは、ようやく泥棒を辞められて、かつての相棒兼おばあさんに会えるから悪くないと、しんみり、笑っていた。
最後のプレゼントだ。おじいさんは一人称が僕から俺になった俺たちに、都会のオペラを見せてくれると、スラムを出ていった。
自動運転での道中、おじいさんはオペラ会場でおばあさんと出会ったと、昔を懐かしんでいた。だからとは言わないが、俺たち二人にも、何か運命的な出会いがあってほしい。そう、静かに願っていた。
駐車場に車を停め、オペラ会場へ入る。俺は黒いスーツを。妹は白いスーツを。双子なのに、色の趣味は違うのだ。
そうして聴いたオペラに、俺たちは魅入られた。こんな世界があったのだと、感動で、いつしか二人して涙を流していた。
満足だった? とおじいさんが聞くので、最高だったと答える。きっと生涯忘れないと興奮を抑えきれずにいれば、おじいさんはいつもの笑顔を浮かべていた。
それから数日後だった。ベッドに横になったおじいさんが俺たちを見ると、いつも見せてくれた優しい微笑で、ありがとうと、途切れ途切れに口を動かせば、やがて息を引き取った。
この屋敷にあるすべての物を、二人に譲渡する手続きを済ませたうえで。
たぶん十七歳の二人の物語は、ここから始まるのだ。泥棒として、生きていく物語が。
その前に、一つだけ――厳密には二つだろうか。決めなければならないことがあった。俺たちがこれから泥棒として生きていくための、偽名だ。おじいさんは言っていた。泥棒は本物の名前を捨てなければならないと。
ならば、どうするか。俺たちはおじいさんの墓標の前で立ち尽くしていると、妹の携帯端末がニュースを知らせた。着信音はオペラを切り取ったもので、それがあったと、名前の案を出す。オペラに因んだ名前だ。
「じゃあ、俺は――」