マギシュエルデ
気が付くと、そこは深い森の中だった。
周囲の様子を窺うと、空が見えないほど鬱蒼とした深い緑が生い茂り、時折吹く風がそれらを優しく撫でる音色がさわさわ、ざわざわと耳に届く。
足元を見ると太く大きな木々の僅かな隙間にできた窪みにはやや大きめの水たまりが出来ており、森の中もなんだかじめっとした湿気に覆われている。どうやら、先ほどまで雨が降っていたらしい。
そして、目の前には雑草に覆われた獣道と、ところどころにできた水たまりが散見される。ただ、それのみ。
辺りを見回しても人の気配は一切しない。
完全に無人の森の中に一人ぽつんと佇んでいる。それが今の俺だ。
「ここは……」
先ほどまでいた白い空間ではない。
どうやら、輪廻神の行った転生の儀式により、世界神が管理する世界『マギシュエルデ』に無事到着したらしい。先ほどから観察していたが、周りに生えている植物も、俺が知っている生前見掛けたものとは明らかに異なる。……いや、アマゾンとかには似たような植物があるのかもしれないが、少なくとも木陰で光を放つような草花を見たことはない。
いや、今はそんなことはどうでもいい。俺が知りたいのは何故こんな場所に転生させたのか、ということだ。
『無事に到着したようでよかったです! 転生おめでとうございます、朝比奈さん! いえ、ハルト様!』
「うぉっ!? なんだっ?」
突然、頭の中に世界神の声が響く。
『あはは、私です、世界神ですよ~。ハルト様の頭に直接語りかけているのですっ! どうです、クリアに聞こえているでしょう?』
「あぁ、なるほど。これが三つ目の特典ですか。確かにすごく聞き取りやすいですね。ところで何かありましたか?」
『あーっ! もう忘れてますね? 無事に到着したら連絡するって言ったじゃないですか! まぁ、それはさておき。どうですか、剣と魔法の世界『マギシュエルデ』は! 素敵な世界でしょう!』
「いやぁ、『マギシュエルデ』の大いなる自然を感じていたところですよ。ところで、どうしてこんな場所に転生することになったのでしょうか?」
『それは、当然私たちがハルト様を思ってのことです。突然街中にハルト様が転生してきたら、周りの人から不審に思われてしまいますよね? ですから、人目のつかない場所に転生するよう輪廻神が気を利かせたというわけです』
なるほど……。確かにそれはその通りかもしれない。
『それに、転生したとはいえ真っ裸だと何かと問題がありますし、簡単なものではありますが衣類についても私のほうで用意したのです』
そう言われて気が付いたが、確かに俺は簡素だが丈夫そうな民族衣装のようなものを着用していた。靴も何かの革で作られたブーツだ。世界神に言われないと気が付かないほど軽くて着心地が抜群の衣服は素晴らしい。一応御礼を言っておいたほうが良いだろうか。
「素敵な衣装をありがとうございます。着心地も非常にいいですね」
『それは古いエルフに伝わる伝統衣装、のようなものです。気兼ねなく使ってくださいね』
なるほど、伝統衣装か。まぁ、せっかくだからありがたく着させてもらうことにしよう。
『さて、早速ですが『マギシュエルデ』に転生されたハルト様に、来るべき試練を迎える準備として、私からミッションを与えます!』
おう、早速かよ。
機会神の話だともう少し余裕がありそうな雰囲気だったが、そうは問屋が卸さないらしい。
転生するにあたって世界神の眷族としてサポート役をするって話だったから、何かしらやらなければならない使命みたいなものがあるとは思っていたが、一体どんな内容を言い渡されるんだか。
「わかりました。それで、そのミッションとはどのような内容ですか?」
『はい。ざっくり言うとですね、試練神からの試練がどのような内容になるのか全く分からないので、ハルト様にはこの世界にいる四種族の人族たちと仲良くなっておいて欲しいのです。世界中の人族と仲が良くなれれば、皆で協力して試練に立ち向かえるでしょう?』
おいおい、世界神様は無茶を仰る……。
この世界に一体何人人族が居るのか分からないが、少なく見積もっても数千万人から数億人はいても不思議ではないだろう。片手で数えられる程度、なんてことは絶対にないはずだ。
そんな人数の全員と仲良くなるというのは流石に無理だろう。それに、どれだけ平和な世界でも相容れない存在ってのはいるはずだ。生前の世界だって人種だの宗教だので相容れない考えを持つ人たちがいたのだから。
『マギシュエルデ』にはそういった問題がないというのなら別かもしれないが。
「なるほど、仰ることは分かりましたが、世界中の人族となるとなかなか難しいですね。例えば、この世界にいる四種族の何れかと協力体制を構築する、ということでも良いでしょうか。例えば、最も多くの割合を占める人間族との協力体制を構築する、とか……」
『四種族の何れか、では少し心配です。でも、確かにいきなり全ての人族たちと仲良くなるというのも難しいかもしれませんね。ベストは全人族による協力体制を構築することなんですけど……。それでは、ひとまず最初の目標ということで、『四種族の人族を仲間にする』ということではどうでしょうか?』
「『四種族の人族を仲間にする』、ですか。それは、つまり人数は関係ないということですよね?」
『はい、そうなります』
ふむ。そうであれば、随分とハードルは低くなったと言えるな。だが、同時に言えることは最大の目的である『全人族による協力体制の構築』からは遠のいているとも言えるということだ。
何故なら、人間族の村人A、獣人族の村人B、魔人族の村人C、妖精族の村人Dと仲良くなるだけで、世界神のミッション自体は達成できてしまうわけだが、それで試練神による試練を乗り越えられるかと言うと無理だろう。
……いや、待てよ? ふむ、なるほど。仲間になる相手の立場によっては何とかなるかもしれない。難度は高いだろうが……。
「わかりました。やってみます。ただ期間は多少掛かると思いますが」
『そうですよね……。この世界に試練が与えられるのがどのタイミングは分かりませんが、まだ数年は余裕があると思います。ですが、準備はしておいて損はないはずです! ハルト様、どうかよろしくお願いします!』
確かに、いつやってくるか分からない試練だ。早めに仲間を集めておいたほうが賢明だろう。
……ところで、仲間を集めるのはいいとして、本当に仲間になったかどうかなんて、どうやって確認すればいいんだろうか。
なんでこんなことを考えたかというと、仲間のように振る舞っていても実は裏切り者だった、ということもありえるのではないかと考えたからだ。ただ人を集めればいいというものではないと言いたいのだ。
『何も難しいことはありません。ハルト様を心から信頼する者であり、同様にハルト様がその人物を心から信頼した場合においてのみ真の仲間となります。真の仲間となった者には身体のどこかにその証が浮かび上がるのですが、多くの場合は手の甲など分かりやすいところに出ることが多いですね』
なるほど。お互いの信頼関係が重要ということか。それにしても、証が浮かび上がるってのはどういうものなのか聞いてみたが、俺か相手が念じるとコインサイズの紋章のようなものが出るのだとか。常に見えているものでないのなら、邪魔にもならないしまぁいいか。
『ところで、ハルト様に一つだけお伝えし忘れていたことがあります』
「はい、なんでしょう?」
『ハルト様、確か生前のご年齢は三十七歳でしたよね?」
「えぇ、その通りですが」
『しかし、この度十歳という年齢でこの世界に転生されました。つまり、見た目は幼い子供ですが、中身は大人という歪な状態となっているわけです』
「な、何か問題でもありましたか?」
『はい、そのような状態ではこの世界の住人たちに違和感を与えかねません。ですから、私の方で精神年齢をなるべく身体年齢に合わせるように調整させて頂きました』
「そ、それってどういうことですか!?」
『そうですね。これまでよりも判断力や思慮深さが低下し、興味や好奇心が上昇した程度です。簡単に説明しますと、精神的に子供らしさが増したと考えて頂いて問題ありません』
「……な、なるほど……?」
そう言われても、今のところ何の違和感もないのだが……。
ともかく、十歳の身体で転生した結果、今の俺はこれまでよりも判断力や思慮深さが低下しているらしい。子供らしさが増したと言われても不安しかない。なるべく慎重に物事を進めるよう心がけようと思う。
というか、そういう重要な情報は転生前に教えて欲しかったんだが、転生してしまった今となっては今更だ。
『それから、最後に……。あの、私の眷族になってくださって本当にありがとうございましたっ! 私も世界神として精一杯がんばるので、これからよろしくお願いしますっ!』
「あ、はい! よろしくお願いします」
そう応えると、世界神の気配が消えていった。
雨上がりの深い森の中に俺一人取り残された状況だ。
さて、これからのことを考える前に、自分自身が今置かれている状況を把握する必要がある。
大体今自分がどんな容姿で何者なのかも分かっていない。本当に転生前に希望した通り、エルフに転生できたのだろうか。今の俺に一体何ができるのだろうか、とか。調べなければならないことは山積みだ。
それに、だ。
「ここ、どこよ?」
こんな深い森の中にひとりで放り出されるとは思ってもいなかった。今はまだ日が出ているのだろう、木々に生い茂った木の葉に隠れて見えないが、明るさを感じることができる。だが、このまま時間が経ち、やがて夜になると野生の獣でも出てきそうだ。
前世では都会のマンション暮らしでインドア派だった俺には、こんなアウトドア全開な大自然とは縁もゆかりもなかったのだ。
「とりあえず、飲み水と食糧、寝床の確保が先決か……」
この場所に居続けても意味がない。
とっとと森の探索に乗り出そうと一歩踏み出たとき、懐に何か入っていることに気がついた。
「何だこれ……? 『初めての転生&眷族ガイドブック』だと?」
出てきたのは、タイトルにそう書かれた小冊子と、それに挟まってたメモだ。
メモはどうやら輪廻神が書いたものらしく、世界神が説明を忘れる可能性があるので、そのときにはよく目を通すように、と書かれていた。
ざっくりガイドブックに目を通すと、転生者向けに最初に行うべきことや注意点、そして眷族としての能力や、眷族の仕組み、世界神との連絡の取り方などが書かれていた。
転生者向けに最初に行うべきこととしては、やはり人族のいる街を目指すべきと書かれていた。そりゃそうか。そして当然のように魔物や毒草など気をつけるべき点が分かりやすく解説されていた。
眷族としての能力のページを読むと、世界神の眷族となったことで、種族が持つ特技以外にも魔法や能力が使えるようになるらしい。
そのひとつが、眷族なら誰でも持つ能力『アイテムボックス』。
生物以外なら何でもどれだけでも異空間に収納できるとのこと。
「アイテムボックス!」
早速とばかりに近くに転がっていた石ころを掴み、アイテムボックスに収納を試みる。
すると、石ころはスッと何処かに消えた。
今度はアイテムボックスの中から石ころを取り出すようにイメージする。
すると、手のひらに先ほどの石ころが現れ、手のひらに重みが伝わる。
「おおおっ! すごい。本当に魔法だ。いや、正確には魔法じゃないのかもしれないけれど、本当にすごい。マジ、異世界すごい!」
ようやく、自分が異世界に転生したんだという実感がわいてきた。
他にも何か使えるか確認したが今はこれしか使えない。
空間転移や時間操作といった、まさに神の御業といえるものも使えるようだが、どうもすぐには無理らしい。
能力はすべてを最初から使えるのではなく、眷族の仕組みのページには、眷族として世界神への貢献を積み重ねることで、ひとつずつ能力が追加されると記載があった。恐らく、世界神から課せられたミッションをクリアしたり、試練を無事に乗り越えるなどしなければ新たな力は手に入らないのだろう。
それから、気になっていた世界神とこちらから連絡を取る手段だが、この世界には世界神を信仰する宗教があり、そこの神殿で祈りを捧げることで世界神と連絡がつくそうだ。
さらに、高位の眷族の能力に神話通信というものがあり、世界神といつでも連絡がとれるようになるらしい。
「あれ、これって世界神様からの特典にあったような……?」
そう、俺は世界神の眷族になった際に特典その三として神話通信の能力を得ているはずだ。とはいえ、使い方を教わるのを失念していたせいで、こちらから神話通信を行うことはなさそうだな。
だが、そのせいで神話通信については次第に頭から抜け落ちていくことになる……。
ざっと読み終えた冊子は、早速覚えたアイテムボックスに収納し、今度は森の出口を求めて歩き出す。飲み水や食糧、それに寝床も街に辿り着くことができれば全て解決する。
「それにしても、こんな大切なことを説明し忘れるとか。輪廻神様のフォローがあって本当に助かったわ。流石は世界神様の指導係だったことだけあるなぁ」
そんなことを呟きながら、俺は森の出口を探してあてどなく獣道を進むことにした。
ここまでお読み頂き、ありがとうございます。