お風呂場での一幕、初日の終わり
さて、アポロニアとニーナへの使用人たちの紹介は、ヨハンとニーナの間で多少のすれ違いはあったものの、そんなことを吹き飛ばすニーナによる発言によって、使用人たちの注目の的はヨハンから俺へと移ったのだが、それを終わらせたのも、またニーナの発言であった。
『そもそもぉ、旦那様は既にヴェスティア獣王国の伯爵位にありますからぁ、何も問題ありませんよぉ?』
ニーナの言葉を受けて『あぁ、そういうことか』と、皆は納得したような表情をしていたのだが、それは俺も同様だった。まだまだ、自分が貴族であるという意識が低いのだろう。
そう、ヴェスティア獣王国の王女であるアポロニアの側に置いていても問題ないとされるだけの身分を俺は得ていたのだった。まぁ、よくよく考えてみれば、エアハルトやハインリヒがわざわざアポロニアをうち(アサヒナ子爵家)に預けるなどというのだから、そういった問題はクリアしているのだと理解しておくべきだった。
そのことに思い至ると、何だか、急に恥ずかしくなってきたので、とりあえずはその場を解散することに決めた。そして、それを皆に伝えようとしたのだが、その前にアポロニアからもう一つ報告があるということで、今暫くその場に留まることになった。
「ハルト様。ウォーレン様より、『明日の十三時頃に従者を連れて王城へ参るように』との伝言を預かっております」
「なるほど、承知致しました。ラルフさん、十二時には屋敷を出ます。うちの馬車の手配をお願いします」
「承知致しました」
ラルフが頭を下げて応える様子に満足すると、続いて俺はザシャにも指示を出す。
「ザシャさん、明日の昼食は少し早めに取ります。あぁ、私の分だけではなくて、アメリアさんとカミラさん、ヘルミーナさんにセラフィと、アポロニアさんとニーナさんの分も用意をお願いします」
「承知致しました、旦那様」
ザシャも腰を折りつつ頭を下げた。うむ、ひとまずは、これで使用人たちへの指示は一通り終わっただろう。こうして、ようやくこの場の解散を宣言するに至ったのだった。
「では、皆さん。この場は解散と致します。引き続き、各々持ち場の仕事に戻ってください」
「「「「「「「「「はいっ!」」」」」」」」」
『クゥッ……!』
皆が執務室から退出すると同時に、俺の腹の虫が騒がしく鳴き始める。そういえば、気がつけば既に時計の針は十九時半を指しており、普段であれば夕食を終えている時間だった。
「流石にお腹が空きましたね……。とはいえ、先ほどまでザシャさんを拘束していたので、夕食はもう暫くあとになるかもしれませんが」
執務室に残ったアメリアとカミラ、ヘルミーナにセラフィ、そしてアポロニアとニーナの六人に対してそのように告げると、皆そのことについては納得しているようだった。
因みに、ニーナはアポロニアの侍女であり、従者であり、そしてうちの屋敷の手伝いをしてくれる使用人(これについては本人からの希望ではあったが)という役割ではあるものの、ヴェスティア獣王国の国王陛下であるエアハルトから直接俺がその身柄を預かっているという意味では、その扱いはアポロニアと同様に俺の客人となる。
そんなわけで、彼女はアポロニアと同様に俺の従者としても活動してもらうことになるのだ。まぁ、対魔王勇者派遣機構という職場の仲間になるわけだ。
そうして、暫くしてから、俺たちにとっては久方ぶりの、アポロニアとニーナにとっては初めてのザシャによる夕食を頂くことになった。しかも、ザシャの得意料理である『野菜とオーク肉のシチュー』だ。アポロニアもニーナも、ザシャの手料理に満足してくれたようで、ニーナは二度もおかわりをするほどだった。
その後、アメリアの提案で俺たちは風呂に入ることになったのだが、流石に王女であるアポロニアと一緒に入るのは拙いだろうと伝えたところ、何故かニーナは積極的に一緒に入ろうとするし、アポロニアもどちらかというと一緒に入ることに前向きな姿勢を見せてきた。一体何故!?
とはいえ、やはり、婚約もしていない一国の王女が男に裸体を晒すのはよくないだろうとアポロニアに伝えると、『ハルト様はまだ成人されておられませんし、問題ないと思いますが?』などと言っていたのだが、見た目は確かに十歳の子供ではあるものの、中身はアラフォーな俺としてはちょっと気が引けた。
すると、そのやり取りを見ていたヘルミーナから『だったら、大きめの布を巻いて入るのはどう?』と提案があった。その提案をアポロニアとニーナの二人が受け入れたことで、結局皆で風呂に入ることになったのだった。ふむ、クルトに依頼している水着の完成を急いだほうがいいのかもしれない。
チャポンッ……。
「ふぅ……」
風呂にその身を沈めると、声ともならないため息が思わず漏れ出てしまう。ヴェスティア獣王国への同行から、ようやく我が家に帰ってきたのだと実感する。何だか長期の出張から自宅に帰ってきたときと同じような感覚に近いな、などと前世の記憶を思い起こす。
だが、この世界に転生してきた俺にとってみれば、ヴェスティア獣王国もアルターヴァルト王国も、どちらも大差ない異国のようにずっと感じていた。まぁ、そもそも異世界なのだから、そう感じるのも仕方のないことだと、そう思っていたのだ。
それが、今のように感じたのだから、きっとここが帰るべきところになったんだろう。そして、ようやく俺もこの世界に生きる人々への仲間入りができたのだと感じたのだった。
そんな風に感慨深く思い浸っていると、風呂の入口付近、脱衣所が俄かに賑やかになる。
そう、アメリアたちがやってきたのだ。
俺は皆よりも一歩早く風呂を頂いていた。そうしないと、身体を洗う際に股間のエクスカリバーをアポロニアとニーナに見られてしまう危険性があったのだ。俺は既に身体を洗い終え、腰に布を巻いた状態で湯船に浸かっている。準備は万端だった。
「ハルト、待たせたね!」
ガララと風呂場の戸が開けられると、アメリアが入ってきた。入ってきたのだが……。彼女は布を巻いて、いなかった。いつも皆で風呂に入る時のスタイル、つまりは裸体だった。
「ちょっ!? 何でっ!? ぬ、布はどうされたんですかっ!?」
「何を言ってるのさ、布を巻くのはアポロニアとニーナだけに決まってるじゃないか?」
「えぇっ!?」
アメリアの言葉に驚いていると、続いてカミラとヘルミーナ、セラフィが入ってくる。
カミラとセラフィもアメリアと同様に裸のままだったのだ。もちろん、ヘルミーナもそうなのだが、アメリアとカミラ、セラフィが堂々とその肢体を晒しているのとは対象的に、左腕で胸の膨らみを隠しながら、右手にはタオルを持って腰から下を隠している。これも彼女のいつものスタイルであった。あんまり見つめていると怒られるので、再び鼻先まで湯船に浸かって眼を瞑ることにした。
「何だ、ハルトは布を巻いてるのか?」
「あ、当たり前です! だって、アポロニアさんが入ってこられるんですよ!?」
ふいにアメリアから投げ掛けられた言葉に対して、脊髄反射するように言葉を返すと、つまらなそうな表情を見せるアメリアとカミラが、すぐに肩を震わせて笑い始めた。……どうやら、からかわれたようだ。
そんなアメリアとカミラとのやり取りの間に、ヘルミーナとセラフィはさっさと身体を洗い終えて、湯船に浸かる。風呂に満たされたお湯が溢れると、風呂場の床を伝って入口にまで達した。
その時、再びガララと風呂場の戸を開ける音が響き渡った。
「し、失礼します……」
「失礼します~!」
バスタオルのような大きめの布で胸元から腰に掛けてくるりと身を包んだアポロニアとニーナが、恐る恐るといった感じで姿を現した。アポロニアは頬を林檎のように赤く染め上げている。恐らく恥ずかしさがあるのだろう。逆にニーナのほうは堂々としたものだが。
アポロニアとニーナはアメリアとカミラに手伝ってもらって身体を洗うらしい。
というのも、二人とも布を取らなければ身体を洗えないのだが、布を取ってしまうと湯船から二人の肢体が丸見えになってしまう。そのため、アメリアとカミラがその布を使って湯船側から見えないように隠す作戦なのだそうだ。さらに、ヘルミーナによって俺は目隠しもされている。
完璧に思われた作戦だったが、思わぬ穴が見つかった。
そう、目隠しはされていても声は聞こえてくる。アメリアがアポロニアに対して『意外と大きいんだな』などと言えば、『恥ずかしいです』とアポロニアが艶のある声を出すし、ニーナが『私のもぉ立派ですよ~』というと、『凄い、大きい!』とカミラが声を上げる。
気になって仕方がないんですけど……。
そんなことを思っていると、アメリアから声が掛かった。
「ほら、ハルト! アメリアとニーナのは意外と大きいぞ?」
「ふぇっ!?」
突然ヘルミーナによる目隠しが取れて視界がぼやりとしながら戻ってきた。そこには。大きくて立派な、尻尾が見えた。
「えぇっと、尻尾……?」
「どう、立派だろう?」
そう、二人が身体を包んでいた布からすらりと伸びる太ももの間から、大きく伸びた尻尾が見えた。なるほど、確かに立派な尻尾である。獣人族は特徴として、頭上に伸びる耳や角、肌を覆う鱗の他、腰から伸びる尻尾があった。その尻尾の大きさをアメリアたちは話していたらしい。
確かに、アポロニアの尻尾は髪の色と同じく白色のふさふさモフモフではあったが、そのボリューム感がお湯に濡れても、なお主張するほどのものであった。
そして、ニーナの尻尾はアポロニアのそれよりもさらに太く長く、立派な鈍色の鱗で覆われていた。
「確かに、立派ですね。素敵だと思います」
「くくっ、ハルトの『尻尾』とどっちが大きいかな?」
「ちょっと!?」
アメリアからあまりにもな発言が飛び出すと、カミラが俺の腰に巻いた布を取ろうとし始めるし、湯船の中でもみ合いになる。そんな様子をヘルミーナは頭を抱えつつ我関せずといつの間にやら隅に移動するし、セラフィは俺を守ろうとアメリアとカミラを止めに入る。そして、アポロニアとニーナの二人は両の手で顔を隠しながらも、指と指の隙間から、俺たちのやり取りの一部始終を見つめていた。
突如風呂場で始まったどたばた劇は暫くの間続き、皆がのぼせ始めた頃にようやく終わることとなった。
こうして、ようやく俺たちはヴェスティア獣王国からの帰国初日を終えた。明日からは、使用人にグスタフとアロイス、それに仲間としてアポロニアとニーナを加えた新たな日常が始まる。そして、明日は王城へと向かわねばならない。伯爵に陞爵することになる。あぁ、またパーティーを開かないといけないのか……。
そんなことを考えているうちに、俺はいつしか意識を手放して眠りについたのだった。
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