ツヴィーベルのミソスープ
俺とセラフィが厨房の端で味噌汁を堪能していると、その様子を伺っていたこの宿の料理人のリーダーが声を掛けてきた。
「坊ちゃん、ちょっといいか?」
「はい、何でしょうか?」
「俺にも、そのスープをもらえないだろうか?」
「え?」
そう言うと、俺たちがすすっていた味噌汁を指さしてきた。
「いやぁ、昼から見ていたんだが、なかなか面白いことをやっていたから気になってな。俺も南部出身だから一角飛魚を料理に使うことは多いんだが、あんな風に茹でることはなくってな」
「普段はどのように一角飛魚を使われているんですか?」
「あぁ、普段は細かく砕いたものをさらに粉状にして、野菜料理にうま味を足すために使っているんだ。それを、薄くスライスしたチップにして、しかも茹でただろう? それだけでどれだけうま味が出るのか、興味があってな。それに、もう一つ見たこともない食材と調味料を使っていたのも気になっていたんだ」
ふむ、なるほど。一角飛魚の乾物は粉状にして使うのか。調味料として使っているところは本当にモルディブフィッシュっぽい。
それにしても、茹でて出汁を取るという文化はないのだろうか。そんな疑問をぶつけてみたところ、出汁を取るという文化はあるらしい。だが、それは一角飛魚等の魚類ではなく、オークやミノタウロス、ハーピーといった魔物の肉や骨から取ることが多いそうだ。その他、ヴェスティア獣王国ではあまり人気のない野菜も出汁を取るために使われるらしい。
そんな話を聞きながら、別に一杯くらい味噌汁を分け与えても問題なかったので、もう一つ厨房から器を借りて、鍋に残っていた味噌汁を注いで手渡した。
「どうぞ」
「おぉ、すまないな。どれどれ……」
料理人のリーダーはセラフィと同じく、お椀型の器にスプーンを使って器用に味噌汁を掬って口に運ぶ。
「ふむ、香りは……。なるほど。では、味は……。ん、むぅ……。美味い。何と表現すればいいのか分からないが、どことなく豆の類だろうか、大地の味がする。その中に、一角飛魚の風味と、これは何だろうか。何かの野菜だろうか? いや、野菜以上に一角飛魚の風味とマッチしている……。これは、もしかして海藻、なのか!?」
おぉ。流石は料理人たちのリーダーといったところか。スプーン一匙の味噌汁を口に含んだだけで、そこまで分かるとは思わなかった。味覚だけでなく、食材に関する知識もあるのだろう。
「流石ですね。これは味噌汁といって、私の故郷の料理です。こちらには具材が入っていませんが、野菜や肉など様々な具材を入れて食べます。先ほど仰った通り、豆を発酵させて作った調味料『ミソ』を使っています。ミソ自体はゴルドネスメーア魔帝国からの輸入品ですけど。そして、出汁ですが、同じく魔帝国から輸入した『トゥーフ草』という海藻で一度出汁を取ったあと、さらに一角飛魚を使って出汁を取りました」
「なるほどなぁ。トゥーフ草の出汁で一角飛魚の出汁を取るのか。これだけ奥深い味わいになるわけだ。それに、この豆を発酵した調味料、ミソと言ったか。これまで味わったことのない珍しい味だったが、実に味わい深い。本当に興味深い……」
味噌汁を一匙ずつ口に含んでは、そんなことをぶつぶつと呟いている。そうしているうちに、いつの間にか空になった器をテーブルの上に置くと、ふぅと一息ついた。
「いやぁ。世界には、まだまだ俺の知らない料理があるんだなぁ。久々に知的好奇心をくすぐられる料理に出会った。坊ちゃん、礼を言うよ。ありがとうな。あぁ、俺の名はロルフ・リーバー。この宿『新緑のとまり木』で厨房を任されている」
『名前:ロルフ・リーバー
種族:獣人族(男性) 年齢:37歳 職業:料理人
所属:ヴェスティア獣王国
称号:なし
能力:C(筋力:C、敏捷:C、知力:B、胆力:C、幸運:B)
体力:2,720/2,720
魔力:0/0
特技︰料理:Lv9、接客術:Lv4、絶対味覚、礼儀作法、生活魔法
状態:健康
備考:身長:176cm、体重:68kg』
ロルフを鑑定してみたが、うちの屋敷の料理人であるザシャよりも料理のスキルレベルが高い。それに、『絶対味覚』なる特技を持っているとは、まるでどこかの有名なシェフのようだ。
「いえいえ、お気に召して頂けたようで何よりです。私はハルト・フォン・アサヒナと申します。これから夕食の準備ですよね? リーバーさんのお料理を楽しみにしています!」
ガターンッ!
それまで休憩を終えてそろそろ夕食の準備に取り掛かろうとする料理人たちによって俄かに活気づき始めた厨房に、突如として異音が鳴り響いた。ロルフが立ち上がったかと思うと、その勢いに負けてそれまで座っていた椅子が後ろに大きく倒れたのだ。
「お、御貴族様……。だったのですか!?」
あれ? 俺の素性を分かっていて厨房を貸してくれたものと思っていたのだが、どうやらその認識は間違っていたらしい。どうやら、リーバーは俺が貴族だとは思っていなかったようだ。
「はい、確かにアルターヴァルト王国より子爵位を拝命しておりますが……。そんなに畏まらないでください、リーバーさん。この通り、まだ成人もしていない子供ですので」
「は? いや、それは流石に拙いのでは……? 例え、成人されていなくても御貴族様は御貴族様ですし……」
「私自身はそれほど気にしていないんですけれど……。まぁ、それはともかく。リーバーさんの腕を見込んでご相談があるのですが……」
「は、はぁ。私にご協力できることでしたら、何なりと……」
「ありがとうございます! 実はですね……」
「……ふむ。何と、本当ですか!? それは面白そうですなぁ! ぜひ、私にお任せください!」
こうして、ロルフに一つお願いをして厨房を去ることにした。そうそう、味噌汁の残りはロルフからの要望もあって、厨房にいる料理人たちに分けることとなった。俺のお願いにも関係しているので、快く要望を受け入れたのだ。
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さて、厨房を後にした俺はそのまま自分の部屋へ戻ると、今日試したトゥーフ草と一角飛魚の一番出汁の取り方、つまりレシピについてメモにしたためることにした。特にトゥーフ草については注意しなければドロドロに溶けてしまうので、注意が必要な食材だ。それに、使用した一角飛魚の分量やミソの分量についてもまとめておかなければ。このレシピは持ち帰ってザシャに渡すことを決めている。当然、屋敷でも味噌汁を飲みたいからに他ならない。
そうこうしているうちに、夕食の準備ができたらしく、アメリアたちが俺の部屋に声を掛けてくれた。アサヒナ子爵家家臣団揃って食堂へと向かうと、すでにリーンハルトとパトリック、それにユリアンとランベルトたちが席について待っていた。どうやら、俺が一番最後だったらしい。
「皆さん、遅くなりました」
「いや、我らも先ほど席に着いたばかりだ」
「さぁ、ハルト殿。こちらの席にどうぞ!」
パトリックに促されて席に着いたのだが、何故かそこはリーンハルトとパトリックに挟まれた席、というか主賓が座るような、中央の席だった……。
「あの、この席は流石に拙くないですか?」
思わず、どこかで聞いたような台詞を口にする。
「うむ。だが、我らが許可しているのだ、問題ない」
「その通りです、ハルト殿。兄上と私の希望でハルト殿にはこの席となりました」
「御二人の希望、ですか?」
「うむ、私とパトリックのどちらもハルトの隣の席を希望したのだ!」
「はい、我らの希望を叶えるには、この席しかなかったのです!」
「なるほど……」
とりあえず、二人の間の席に着くことにした。俺たちの正面にはユリアンとランベルトが席に着いているのだが、当然ながら彼等の席は、席次的には下座であり、リーンハルトとパトリック、そして俺が座っている席が上座であった。上司二人の希望とはいえ、先輩で且つ上位貴族であるユリアンとランベルトを差し置いてこのような席に座らせられるというのは、何とも居心地が悪い。
俺たちが席に着くと食前酒が差し出される。因みに、リーンハルトとパトリック、そして俺の三人は未成年のため酒ではなく果実水ではあるが。
リーンハルトから宴の開始を告げると、次々と使用人たちが皆のテーブルに料理を並び始める。すると、昨晩は現れなかったロルフがわざわざ厨房から出てきて、俺たちのテーブルに料理を並べ始めたのだ。その様子を見ていると、ロルフと視線が合い、一つ頷く。どうやら、お願いしていたものも準備できているらしい。ロルフにアイコンタクトして、いつでも対応できるように準備してもらう。
リーンハルトとパトリックが料理に手を付け始めたのを見て、周りの者も並べられた料理に手を付け始めた。俺も料理を一口大に切り分けて口に入れたが、どの料理も素晴らしく美味い。流石は絶対味覚を持っているだけのことはある。皆がロルフの料理に舌鼓を打っている中、頃合いを見計らって皆に話し掛けた。
「リーンハルト様、パトリック様、そして皆様。昨日市場を視察した際に、私の故郷の料理の材料となる食材を見つけました。本日試しに作ってみたところ、思いのほか上手くできましたので、皆様にもぜひとも味わって頂ければと思い、この宿の料理人に作ってもらいました。ロルフ殿、お願いします!」
「畏まりました!」
ロルフはそういうと、そそくさと厨房へと下がっていった。
「ほう、ハルトの故郷の料理か。それは楽しみだな!」
「そうですね、エルフの里の料理でしょうか? 楽しみです!」
申し訳ないが、エルフの里の料理ではない。というか、俺の故郷はエルフの里ではなく、日本である。そう、今回皆に振る舞うのは『味噌汁』である。せっかくこの世界でも日本の料理である『味噌汁』を作れることが分かったので、皆にも食べてもらいたいと思ったのだ。そこで、レシピをロルフに教えることを対価として、夕食の一品として出してもらえないかと交渉したところ、無事交渉成立となったのだった。因みに、味噌汁に入れる具材についてはロルフに任せている。
それほど待たずに、ロルフが大鍋を乗せたサービスワゴンを押しながら食堂へと戻ってきた。使用人たちに指示を出してスープ皿を皆の席に配膳させると、どうやらロルフ自身がサービスワゴンを押して各自の席を回るらしく、俺たちの席へとやってきた。
「こちらが本日アサヒナ子爵様の命によりご用意致しました『ツヴィーベルのミソスープ』でございます」
リーンハルトの前に配膳されたスープ皿を手に取り味噌汁を注ぐと、ロルフがそのように説明した。味噌汁の具材はどうやら玉ねぎのようだ。昔ら実家の朝食でよく食べたものだ。
「ほう、ツヴィーベルのスープか」
「エルフは生臭物よりも野菜やキノコを好むと言いますからね」
玉ねぎの味噌汁を前に、リーンハルトとパトリックの二人がそんなことを呟く。レシピ通りだと、生臭物というか、出汁に一角飛魚を使っているはずなので、残念ながらパトリックの言うようなエルフらしい食べ物にはなっていないと思う。因みに、俺は肉が大好きなエルフです。
ロルフが手際良くやってくれたようで、それほど待たずに皆に行き渡ったらしい。
「どうぞ、ご賞味ください。」
俺は立ち上がって皆に玉ねぎの味噌汁、いやツヴィーベルのミソスープを勧める。俺もロルフがどのような味付けにしたのかが気になって、すぐに席につくと、スープ用の匙をスープ皿に入れてツヴィーベルのミソスープを掬う。うん、どう見ても玉ねぎの味噌汁だ。そのまま口の中に匙を入れる。すると、どうだろう。それは、味噌汁という枠を超えた、洗練された『何か』というべきものが、舌の上に降りてきたのだ。
もはや、これは味噌汁ではないな……。
「でも、美味しい……」
俺がそう呟くまで気づかなかったのだが、どうやら、他の皆もこの洗練されたスープを一口口に含んだ瞬間から、言葉を失ってしまったらしい。だが、俺の言葉で言葉を取り戻したリーンハルトとパトリックが互いに感想を述べる。
「……これは何と表現すれば良いのだろうか? このような不思議な味わいで、それでいて素晴らしい味わいのスープは初めてだ。……たかがスープと侮っていた自分が恥ずかしい……。ハルトよ、すまなかったっ!」
「こ、これがハルト殿の故郷の料理……。素晴らしい! 素晴らし過ぎますよ、これはっ! ぜひとも父上と母上、それに姉上にも飲ませてあげたいです! ハルト殿、王国へ戻り次第、王城で振る舞って頂けないでしょうかっ!?」
「おおっ! それは素晴らしいアイディアだな、パトリック! ハルト、頼んだぞっ!」
「えっ!?」
リーンハルトとパトリックが感想を述べると、ユリアンやランベルト、それに従者の皆からも次々と賞賛の言葉が出てくるのだが……。ちょっと待って欲しい……。これは、俺の故郷の懐かしい味でも何でもなく、ロルフが味噌汁のレシピを元に、新たに再定義した『ツヴィーベルのミソスープ』だ。
「いや、ちょっと、あのっ!?」
「「期待しているぞ(います)、ハルト(殿)!」」
「えぇっ!?」
いつの間にか生じてしまった誤解を解くために弁明しようとしたのだが、リーンハルトとパトリックは意図的がどうか分からないが(恐らくは意図的だろうが)押し切られる格好となり、結局王城でゴットフリートたちに、ロルフ考案の『ツヴィーベルのミソスープ』を振る舞うこととなってしまったのだった。
その後、ロルフと交渉してレシピを教えてもらうことになったのは言うまでもない。
いつもお読み頂き、ありがとうございます!




