ゲームの始まり
上空に放り出され、今も電脳世界の空気をまといながら、今回の舞台である大陸へと真っ逆さまに落ちていく。
離れ往く、遥か天の先。つい先程にまで佇んでいたあの空間は、既に消滅してしまっていた。
次第と、実感が湧いてくる。背に帯びた緊張感が、今にも降り立つ電脳世界への介入を実感させるのだ。
主人公アレウス・ブレイヴァリーは身体を回転させて、地上へと見遣った。
視界に映し出された大陸。形成された巨大な島の、その豊かな緑の大地へと目掛けて落ちていく。
――この手を伸ばせば、今にも地面に手が着きそうだった。
迫る、着地の時。生じる衝突を予期して、身が凍る。
直にも、視界が丘の地帯で埋まった。
そこは、森林どころか、木が一本も生えていない野原。この身を受け止める要素などは、全く見当たらない。
これは……まずいのでは?
それを思い浮かべる間もなく、主人公アレウスは地上に叩き付けられた。
…………浮遊する身体。
目前にした直撃が、訪れない。
今も、ゆっくりと、ゆっくりと、この身体は落下していた。
周囲のバリアー。張り巡らされたそれに気付いて、後方の存在へと目を向けた。
ナビゲーターの〈ミント・ティー〉。人間の女の子の姿である少女が、両手を広げてバリアーを展開している。
理解に至ると、この身体は無事に降り立った。
地に着く足。暫しと佇む主人公。……吹く風で意識を取り戻す。
隣には、律儀に佇むミント・ティーの姿。少女を確認し、次にも、降り立ったこの丘からの光景へと、目移りさせていく……。
絵に描いたような、大自然が広がっていた。
現在地は、波打つような軌道を描く丘の、特に、てっぺんとも呼べる高い地点。ここはまっ平だが、周囲は凸凹とした足場で、踏み外して真っ逆さまに転落、という事故を考慮しなければならない。
光景を見渡す。
上には、青空の天井。含まれた魔力で、幻想的な空間を創り出している。
流れ往く雲の群。眩しい太陽。天高く飛ぶ、鳥、モンスター、竜、そして……メカニックな飛行船。
奥には、漠々たる山脈が貼り付けられている。所々に空洞があって、そこから内部へと侵入できそうに見える。上から落ちてくる滝。崖際の巨大な城。浮遊する岩石を周囲に漂わせる箇所もあれば、マグマがあるのだろう揺らめく熱風、雲を突き抜けた尖端に雷を宿したりもしている。
丘の下。そこには、平原や森林による一帯となっている。
平原はすっからかんで、道ができていた。きっと、その先には村や町があるのかもしれない。
又、倒れた大木や、地面に刺さる古びた剣。看板や、破壊された木箱。序盤のモンスターが徘徊をしており、このゲームにおける戦闘は、リアルタイムのそれであることを把握することができる。
森林は、深い緑で覆われた、あからさまな危険地帯。上から眺めても、内部を知ることができないほどに生い茂っていた。
ここから確認できるのは、竜が住んでいそうな、果てしない湖。森を突き抜けた、おんぼろの館。魂のようなものが徘徊しているのが見えるし、森の深緑を貫通するほどの顔を出してくる巨大な生物。飛び立つ鳥の群れは真っ黒で、言うまでもなく物騒だ。
――そんな、幻想に包まれた視界に驚嘆。主人公アレウスは、一歩も動くことなくその光景を眺め続けていた。
…………。
「や、もう……始まってるのか。ゲーム」
主人公アレウスとしての第一声は、まさかの出遅れスタートに気付かされた言葉だった。
ちょっとしたチュートリアルを挟んで、あとはご自由に。一気に突き放されたようなこの感覚に、動揺を隠せない。
取り敢えず、隣で律儀に佇むミント・ティーを注目した。それを受けて、ミントは、
「ご用件を、どうぞ」とセリフを口にする。
既に開始された、電脳世界ファンタジー冒険物語。分からないことだらけで、むしろ何を尋ね掛けたらいいのかも分からなくなってくる。
……なびく、耳の後ろの、三つ編みっぽい髪の束。それが風に吹かれて揺れているのだが、あまり見慣れないその髪型に違和感が生じる。
続いて、スカートのようなこの水縹の服。裾を摘まんで、
「……俺は、男なのか? それとも……女?」
と、尋ね掛けてみた。
それに対し、ミントは、
「主人公様の現在の性別は、男、でございます。又、主人公様は、どちらの性にも転換し適応することが可能でございます。それもまた、主人公様に宿りしシステム:勇敢なる魂に常設された特殊能力の、その一部でございます故。――現在の性別は、男、でございますが……性別を、女、へと変更なされますか?」
と返してくれた。……取り敢えず『いいえ』を選択する。
さて、どうするか。
主人公アレウスは、視界いっぱいのファンタジー世界へと見遣った。
呆然と、景色を眺めた。実に綺麗な世界だ。
……同時に、なんだかワクワクが昂ってきた。
一刻でも早く、この世界を冒険したい。〈魔王〉という最終的な目的がハッキリとしているその中で、だが、取り敢えずはまずこの世界のあちこちを見て回りたい、と。そんなことを考えてしまうと、余計に、この気持ちにキリが無くなってしまうものだ。
目にしたファンタジーに心を躍らせる。
その中で、こちらの意図を汲み取るように、ミントは、「この世界の、ありとあらゆるその全てが、アレウス・ブレイヴァリーという一人の主人公様に委ねられました。主人公様はこれからにも、自由、の名の下に、この電脳世界における冒険を繰り広げられるのです。これは、この今の今までから始まり、この先の先において、何一つと変わることの無い絶対的な真理。それらを踏まえ、主人公様は気の赴くままに冒険を展開なされれば、それで良いのです――」
と告げて、球形の妖精姿へと変化した。
ふわっ、と浮き上がり、
「もしも、今現在と目指す冒険の目的が分からなくなってしまった際には、このミント・ティーにいつでもお申し付けください。勇敢なる魂の水縹が織り成す輝きによって、進行可能であるメインクエストやサブクエストといったイベントを閲覧することが可能です」
と残して、ナビゲーターのミント・ティーはこの胸に宿る勇敢なる魂へと姿を消していった。
目の前の視界が開ける。
自然なフェードアウトを実感すると共に、次にも、左上に表示された、〈フィールド:ガトー・オ・フロマージュの豊かな地〉のテキストを目にする。
現在地がレーダーに表示された。
同時にして、勇敢なる魂のメニューが解禁されると。機能として搭載された様々な特殊能力も同時解禁された感覚を覚えて、一気に力が漲り出す。
……ゲームが、始まった。訪れた実感に背を押され、主人公アレウス・ブレイヴァリーは丘からの景色へと目を向けた――――