ようこそ、ゲームの世界へ
解禁された視界には、真っ暗な光景が映っていた。
真っ暗な空間の中で、ぼうっと灯る光の内側で佇んでいる主人公。
後ろを振り向いてみた。何も無い。
辺りを見渡してみても、そこには無限の黒しか見えない。
ここはまるで、そこに地面も空も、歩くことができる空間さえも用意されていないかのような、途方の無い虚無のみが広がっていた。
音も、効果音も、何も聞こえてこない。ただ、頭上から、ぼうっ、ぼうっ、と言い知れない光に照らされているだけだった。
しばらく、この中を歩いてみた。
確かに、この足をしっかりと踏みしめている。
試しに、手を伸ばしてみた。が、何にも触れない。
今できそうなことは、全てやり尽くした。……じゃあ、ここから一体どうすれば……?
見渡してみた。何も無い。
ただ真っ暗なだけの空間を眺めてみた。が、何も起こらない。
詰み。途方の無い気持ちに、気が遠のく。
うーんっと悩んで、視点をぐるぐると回し続けてみた。ただ、ぼうっぼうっとした光の中を、ぐるぐると、回り続けてみた。
……ら、前触れも無く女と目が合った。浮き上がる三日月に腰を掛けた、モノクロ調の見知らぬ女がこちらを眺めていた。
灯る光の、その中心に。唐突と現れたそれに、ギャッと驚く。
思わずと退いたこちらの反応に、とても満足そうなケタケタな笑みを見せた女。その妖しい存在感を演出しながら、身を乗り出す姿勢となる。
ノイズ交じりに、
「やぁ、気分は如何なものかな?」
のセリフ。向けてきた螺旋の瞳をぐるぐると渦巻きながら、セリフを続けてくる。
「うっくくく、まぁ落ち着けよ。別にワタシはな、お前さんを手に取って食らってやろうだなんて考えてやいないさ」
次にも、「その逆さ。ワタシは、お前さんの来訪を心から待ち望んでいたものでな」と言う。
……この空間にポツリと存在する、自分と、女。
虚無の世界に二人だけ。ぼうっぼうっと灯る光に照らされる中で、女は唐突に両腕を広げるなり弾けた気迫でギャンッと喋り始めたのだ。
「ウェルカム、トゥーザ・ワールド!!!! ようこそ!!! よく来たな、この世界へ!!! この場所は、お前さんの心躍る期待を満たすに十分な新たなる体験の、その始まりに過ぎない!! そして、このワタシはそんなお前さんを全面的に支援する先導役として、これからにも徹底的にお前さんへのサポートを惜しまず尽くしてみせようじゃないか!!!」
背後から伸びた手に、肩を撫で掛けられる。それへと見遣ると、その先で、こちらを覗き込むモノクロ調の女と目が合った。
瞬間的に背後へ回ってきた女。
「なに、安心しろって。こう見えても、ワタシはれっきとしたお前さんのサポーターなんだ。な? そいつは、つまり、ワタシは、お前さんの、味方、ということなんだ。なぁ? だからさ……安心、しろよ。って」と、身体に手を掛けながら怪しく言ってくる。
不敵な笑みが、この視界を覆った。
この頬に当てられた、モノクロ調の手。それは、気色の悪いほどにスベスベだった。
――瞬時に、この立ち位置が移り変わっていた。
ぼうっぼうっとする光の中央。目の前には、横になって浮いている三日月と、それに腰を掛けている女。
「では、まずは簡単な説明を、導入として始めていこうか」
右手を軽く流した女。それを目で追う。
何も無い空間に、モニターが映し出された。
そこには、緑の広がる自然の大地。空は青く染まっていて、雲がとても平和にもくもくとしている。
背景として貼り付けられたような山脈が連なっている。その上には、大きな城も建っていた。
山や空にはドラゴンが。地上には、小さなモンスターや、多くの人々が蠢いてる。
――だが、次の瞬間にも、突如と襲来した闇の鉤爪が、モニターを引き裂いたのだ。
こちらにも衝撃が伝い、視界を揺るがす。
……揺らぐ視界が落ち着き、再びモニターを見遣る。――すると、そこには、ビリビリに引き裂かれたモニターの画面越しに、赤黒く染まった禍々しい世界が展開されていたのだ。
「こいつは、これからにもお前さんが降り立つゲームの世界にて引き起こされる、世界の破滅、そのもの、だ。こいつは、その破滅をもたらす元凶となる、〈魔王〉、の手によるもの」
モノクロ調の手がモニターに触れる。
それが、トン、トン、とタップする度に、場面が切り替わっていく。
……どこも、紅く、黒く、染まっている。赤で満たされた地上に、落ちている黒いグチャグチャ。赤黒い雲が天を覆い、そこには不気味な顔が浮き上がっていた。
「ぶっちゃけてしまえばな、このゲーム世界は、既に、〈魔王〉の手によってこの破滅を迎える運命が確約されてしまっている。そいつは、NPC共がどれほどと尽力しようとも、この世界の運命は絶対に覆ることはない、ということだ。つまり! この世界は――滅ぶの一択しか残されていない、絶望が占める救い無き世界の儚き物語ということなのさ」
「……だが、"こいつ"を宿す主人公の手に掛かれば、話は別だ」
そのセリフと共に、水色の光がモニターから溢れ出してくる。
それに女が手を添えると、モニター越しから取り出された淡い輝きが目の前に現れた。
「〈魔王〉による破滅が確約された世界。その、既に定められた運命を変えるべくそのゲーム世界へと旅立つのが、今回のお前さんの存在意義、ということなのさ」
開いた手から溢れ出した、水色の輝き。
それに視界が覆われると、直にも、開けた視界に映った自分自身の変化に、真っ先と気が付いた。
この姿が変化していた。
髪型が変わっている。色は、水縹の明るい青色。ショートヘアーというには長くて、後頭部では、折り畳むように重ねられた髪の束が結われている。両耳の後ろに、その髪が余っていて、それは、三つ編みっぽい形状を成して結われていた。
瞳は、オレンジ色。顔立ちは男だが、髪型が合わさることで、角度によっては中性っぽいイメージを与える。
胴体は、スカートっぽい水縹色の服に、焦げ茶色のベルトが腹部に巻かれている。肩には、青に若干の黒味が掛かった紺色のマント。
脚部は、鼠色のズボンと、焦げ茶色のブーツ。腕にも、ズボンと同色のグローブが装着されていた。
身長は、百七十五ほど。声は確かに男だった。
……自身の変化に見入っていた。
直にも、女から、「その世界における、お前さんの名前は……〈アレウス・ブレイヴァリー〉だ。これからお前さんは、主人公アレウス・ブレイヴァリーとしてその世界を冒険することとなるのさ」と告げられた。
続けて、
「次には、"こいつ"を受け取ってもらわなければならない。そもそもの話として、"こいつ"が無いと、その世界の確定した破滅の運命を変えることすらできやしないのだからな」と言い、女の手から溢れ出す水縹の輝きを真っ向から受けた。
――この胸に、"それ"が集う。様々なモヤモヤが揺らめき、主人公アレウスの手前で漂う。
「そいつは、これからにも降り立つゲームの世界において、最も重要な役割を果たすシステムだ」正面から女に指を差され、それを言われると、ふっ、と背後から女に覗かれる。
「こいつの名は、〈勇敢なる魂〉と呼ばれる便利機能さ。この水縹の輝きには、主人公、となる特異の存在にのみもたらす特殊能力の数々が搭載されている。……そうだな、云わば……主人公のみが使用できる、EX、や、ブースト――のような認識でいいさ」
女はこの肩越しから、主人公アレウスの胸元へと手を伸ばした。
手前に宿る魂の光を包み込み、それを弄るように指をカタカタ動かす。
「勇敢なる魂には、特殊な能力がぎっしりと詰め込まれている。特に、その一つである、〈スイッチ〉、という機能こそが、今回のお前さんの冒険における、最も重要な役割を果たすシステムであるということを脳の片隅にでも留めておいてもらいたいんだ」
乗っていた三日月から身を乗り出し、両腕で主人公アレウスに絡み付いてきた。
不敵な、螺旋の瞳に見つめられる。
不気味な印象とは裏腹の、健気な姿。それに、甘えるような穏やかな声音で、
「〈スイッチ〉というのは、云わば――フラグ、のことさ。これからにも、お前さんには、破滅が確約された救い無きゲームの世界を渡り歩いてもらう。その世界の運命は既に確定されていて、これを覆すことは確実に不可能なのさ。今にも、その世界は、破滅する。……じゃァ、どうしてそんなところにわざわざと、お前さんという存在が駆り出されるのか? それは…………」
気色の悪いスベスベのモノクロで撫で掛け、突如、こちらの頬を鷲掴みにして、
「それはな――主人公のみが宿す、〈スイッチ〉という特殊能力こそが、その運命を半ば強制的に変えることができてしまえるから、なのさ!!!」と言い放つ。
瞬間、目の前に瞬間移動した女が、漂うモヤモヤをこちらに突き付けてきた。
ドカッ、と仰け反る主人公アレウス。懐に押し当てられたそれが、この胸を透き通って体内へと埋め込まれる。
「確定した運命?? だったら、その流れを組み立てるストーリーそのものを、改編、してしまえばいいだけなのさ!!! その、物語そのものの、改編、を可能としてしまえるのが、〈スイッチ〉という特殊能力の効果!! なにせ、こいつは、ゲームの世界にて引き起こされる様々なギミックやキッカケを生成する、フラグ、を生み出すシステムそのものなのだからな!!」
してやったり、な歪んだ笑みで詰め寄り、
「これからにもお前さんがその世界で遂行するべき、主人公としての使命! それは、世界に散りばめられたメインクエストを一から進めていくその過程において、各地に点在するゲーム世界の生存フラグを一つも残さず〈スイッチ〉で立てていく、というもの!! それら生存フラグその全てを見つけ出し、〈スイッチ〉で起動すること。それによる、メタなシステムを宿した特殊な力を利用することで、既に確約された、破滅、という運命を上書きする!!! ――それが、主人公アレウス・ブレイヴァリーが背負う使命、というわけさ」
――と、至近距離で気迫交じりに告げられた。
……つまり、覆し様のない絶対的な破滅の運命を、この〈勇敢なる魂〉に宿る特殊能力〈スイッチ〉で上書きをするべく世界を冒険する。というのが、このゲームの内容。
次にも、懐の勇敢なる魂から輝きが溢れ出す。
「なにも、勇敢なる魂に宿る特殊な能力は〈スイッチ〉だけじゃない。お前さんにはこれから、〈ナビゲーターの呼び出し〉、〈自動セーブ〉、〈セーブデータのロード〉、〈ゲームオーバーからのリトライ〉、〈ワールドマップの使用〉、〈ファストトラベル〉、〈味方NPCへの憑依〉、〈特定の物体の創造〉、〈敵味方の能力の複製〉、〈性別転換〉、〈ブーストの使用〉、〈必殺技の使用〉などなど、ありとあらゆる様々な特殊能力を活用してもらいながら、この世界を旅してもらう」
こちらの胸に人差し指を当ててくる女。
続けて、「それら全てを器用に使いこなすのもお前さんの自由だし、それらの使用を制限した縛りプレイで冒険をするのもお前さんの自由。それらがどんなものであれ、お前さんはこれから、滅亡世界の生存フラグを立てに旅立つことに何ら変わりないのだからな」と付け加えた。
次第にも、足元の光が消え始めた。
――同時にして、真っ暗だった周囲の空間が徐々にも、途方の無い青空へと変化を果たす。
何事だと見回すと、そこには、通過する雲の群を真上から見下ろす光景が広がっていた。
そのまま、下を見遣った。
確かにこの足元には、広大な大陸が、小さくなって大海原に浮かんでいた。
それは、これからにも降り立つ、冒険の舞台。
草木の緑と、山の灰と茶が大半を占める中。所々と点在する、砂地やマグマ、白色の凍土や、黒く染まる禍々しい地帯。ファンタジーの名に相応しい、ありとあらゆる地形や現象が、今も展開されている。
それに見入っていた。すると、女は、
「冒険の始まりは、もう、すぐそこさ。――だが、そんな新たなる冒険へと飛び出すにも、やはり独りというのは少々と味気無いものだろう? っくくく。そんな、たった一人だけのお前さんに、このワタシから最後のプレゼントだ」
のセリフと共に、両手を強く打ち付けたのだ。
パンッと響く手の音。それを合図に、一つの球体が降ってくる。
それには、羽が生えていた。
ふわふわと降りてきた球体。それは瞬間にも、人間の形を成して降り立った。
それは、律儀な様子で佇む、人間の女の子だった。
身長は百六十くらいに見える。銀色のショートヘアーに、胸元辺りにまで伸びたもみあげと、それに巻き付けられた黒色の紐状リボン。瞳は水色。
白のパーカーに、黒のホットパンツ。黒のニーハイソックスに、白の靴。雰囲気こそは健気なものだったが、若干とぶかぶかなパーカーの下から見え隠れする黒のインナーを含めて、結構と大胆な存在感を放っていた。
少女は、こちらに一礼をしてきた。
次にも、「初めまして。この度、主人公様に永続的と仕えるナビゲーターとして、今後、常にお傍でサポートを行わせていただく、〈ミント・ティー〉、と申します。主人公アレウス・ブレイヴァリー様。今後とも、よろしくお願いいたします」と自己紹介を行ってきた。
その後、再びと球形の妖精姿となった、ナビゲーターのミント・ティー。羽を生やして真ん丸になった少女が懐へと接近すると、勇敢なる魂を宿すこの胸の中へと、姿を消す。
少女を見送った女。次にも、「そいつも、勇敢なる魂に宿る特殊能力の、その一つさ」
と言うなり、腰掛ける三日月に、腹這いの姿勢となって寝転がる。
……女と視線が合った。
その途端に、不敵な笑みを見せたモノクロ調の女。
直後、からころと悪戯にノイズを鳴らしながら。適当そうに、そのセリフを口にした。
「長かったチュートリアルも、これでお終いさ。お疲れさん、アレウス・ブレイヴァリー。――だが、こいつは飽くまでも、冒険を開始する際の、事前の準備に過ぎなかった。と、いうこと、さ」
パチンッ
鳴らされた、指の音。
――――瞬間。この身体が、ふわりと宙に投げ出され。気付いたその時にも、途端に落下を始めたのだ…………。
驚きのままに、目を見開いた。
落下に焦り、目の前の女へと手を伸ばす。しかし、それを見下す螺旋の瞳で、女は次にも、
「改めて、お前さんの来訪を心から祝福するとしよう。――ウェルカム、トゥーザ・ワールド。いや……ウェルカム、トゥー、ザ・ゲームワールド!!! お前さんという勇敢なる冒険者の訪れを。いぃや、お前さんという、"一人のプレイヤー"、の訪れを、このワタシは心底から待ちわびていた!!! ワタシは、お前さんという一人の人間を快く迎え入れよう!! それでいて! 今にも介入する電脳世界もまた、主人公アレウス・ブレイヴァリーという一つの特異を歓迎することだろう!!」
と、言い放った。
今も落下する身体。伸ばした手に、電脳世界の空気がまとわりつく。
共にして、幻想の天地の狭間を彷徨う浮遊感が、新たなる電脳への介入を実感させるのだ。
「お前さんはこれからにも、"現実"では絶対に体験することも叶わない、ありふれた幻想が織り成す最高の冒険を繰り広げる!!! ――さぁ、主人公アレウス・ブレイヴァリー!! その、自らの手で、ありとあらゆるゲームの場面を演出してみせろ!!! ……っうっくくく!!! あぁ、そうさ!!! 今も脳裏に思い浮かべたその期待感と胸に抱いた心躍る感情のままに、お前さんの、活き活きとした輝きが魅せる電脳世界ファンタジー冒険物語の様子を、このワタシに存分と見せ付けてくれッ!!!」
急降下する身体。
神経が引き剥がされる感覚を伴う中、視界のモノクロ調の女が遠ざかっていく。
たった今まで、あの遥か上空の彼方に佇んでいたということなのか……??
疑念が過ぎった頃には、先まで存在していた空間は跡形も無く消滅していた。
……直にも、落ち往く身体に全てを委ねた。
伸ばしていた手を引っ込める。そして次にも、主人公アレウス・ブレイヴァリーは、ファンタジーに溢れたそのゲーム世界へと降り立つその時を待ち望んだ――――
名状し難い暗闇に浮き上がっている、一つの三日月。
それに跨る姿勢だったモノクロ調の女は、次第にも色っぽく寝転がった。
指で、空間をチョンッとつつくと、暗闇が僅かに開ける。
そして、その先にも展開された、青空のその向こうを眺め出し。一つの広大な大陸の、その上空を落下し続ける水縹の輝きを目にして、一つ、不敵な笑みを見せた。
「…………あぁ、そうさ。ワタシは信じているぜ。お前さんの、その、ゲームに対して膨大に募らせた心躍る感覚を、さ。そして、活き活きとしたままゲームの物語を進めていく、電脳世界ファンタジー冒険物語での生活の様子を、このワタシに存分と見せ付けてほしい。……なにせ、主人公アレウス・ブレイヴァリー。これからにも、お前さんが引き起こしていく、それら、ありとあらゆる事象や現象それらの演出そしてゲームのクリアその全てが、ワタシのこの先の未来へと繋がっていくのだからな。――うっくくく」