097 アルカ山麓の戦い⑤ 英雄
突如として戦場に現れた二つ頭の黒竜、デュアルヘッド・ロード。
有象無象のモンスターを相手に死闘を繰り広げる冒険者たちは、その五十メートル強の巨体を目の当たりにして戦慄する。
「おいおいおい。なんだぁ、ありゃあ。あんなドラゴン、見たことも聞いたこともねえぞ」
ゴドムはゴブリンの脳天を無骨な大剣で叩き斬りながら、その威容を見上げて呆気に取られる。
へっぴり腰ながらもなんとか逃げ出さずに踏ん張っていたダグ・バイターが、ゴドムにすがり付いてガクガクと足を震わせつつ情けない悲鳴を上げた。
「ひ、ひぃぃぃい! なんだよ、あの化け物! あんなのがいるなんて聞いてないぃぃぃ!」
「抱き付くな、気持ちわりぃ。そんなにビビることねぇだろ。アイツの相手をするのはお前じゃねぇ、我らが英雄サマたちだぜ? 世界最強でこそなくなったが、冒険者という括りの中じゃあ、まだあの四人が最強だ。どんくらい強いか、お前だって見たんだろ」
「そ、それでももし、あの人たちが勝てなかったら……?」
「決まってんだろ、終わりだよ。俺たちも、アーカリア王国もな」
巨竜の四つの翼が羽ばたき、その巨体がゆっくりと空へ舞い上がる。
あまりの巨体ゆえか、高く飛ぶ必然性がなかったからか、四十メートルほどの低空で上昇は停止。
そこから繰り出す攻撃は、ローザたちを震撼させるに十分なものだった。
二つの口が大きく開き、それぞれの喉奥に巨大な火炎弾がチャージされる。
「これは……! 固まっているのはまずい、みんな、散れ!」
危機を察知したローザの言葉を合図に、四人は四方に散開。
二つの首では同時に二人までしか攻撃できない。
そういった判断の下、四人は散らばったのだが、次の瞬間には無意味だったと思い知らされる。
——ズドドドドドドドドド!!!
まるで下級魔法を乱射するかのように、二つの口から極大の火炎弾が大量に眼下へと撒き散らされる。
一つ一つが恐るべき威力を秘め、地面に着弾すると同時に爆発と共に巨大な火柱を巻き起こす特大火球。
そんなものが雨あられと絨毯爆撃され、周囲のモンスターにまで被害が及ぶ。
「こんなデタラメな攻撃、周りの被害もお構いなしか……!」
数少ない爆撃の隙間を縫うように潜り抜けながら、ローザは遥か上空を見上げる。
火炎弾の乱射は尽きることなく、無尽蔵に吐き出され続ける。
黒竜の体内に生成される、血液中の成分が凝り固まった着火剤。
それが尽きた時、ヴェルム・ド・ロードは火炎弾を吐き出せなくなるはず。
テンブは盾を構えながらも回避に徹しつつ、状況を分析する。
「火炎弾をここまで乱射するとは……。体内の火炎袋に溜まった着火剤の量が半端じゃないのか、精製速度が凄まじいのか、少量の着火剤で火炎を作り出せるのか……」
いずれにせよ、弾切れは期待できそうにない。
で、あるならば突破口はただ一つ。
力ずくで止めさせる、それだけだ。
「ルード、来てくれ!」
テンブの声を聞き付け、爆撃の合間から青い髪の剣士が駆け付ける。
「どうした、またなにか小賢しい作戦でも思い付いたのか?」
「ふっ、概ねその通りだ」
パーティの司令塔たる守護騎士は、ルードに対して指示を下す。
「……成程な。やってみる価値はあるか。しかし、この僕が引き立て役というのは少々癪だ」
「引き立て役ではない、サポート役だ。では頼んだぞ」
爆撃の雨の中、テンブはルードに自身の大槍を投げ渡す。
受け取った大槍の柄から、ルードは自身の魔力を大量に武器へと流し込んだ。
「エンチャント、アイスランス」
大槍の穂先が冷気を帯び、みるみるうちにその全体を包んでいく。
飛来した火球が間近に着弾しても顔色一つ変えず、ルードは魔力を流し込み続けた。
時間にして三秒ほど、テンブの大槍はそびえ立つ氷の巨塔へと姿を変える。
長さ十五メートル、先端は鋭く尖り、終端の幅は五メートル以上。
テンブの体を火球から防御するには十分な大きさだ。
「僕の魔法を盾代わりに使うなど、守護騎士が聞いて呆れるな」
「ははは、中々手厳しいな、ルード。さて、ではやるか」
大槍を受け取ると、テンブは氷の穂先を上空に向け、火球を撒き散らす巨竜を見据える。
彼の体内に溜め込まれた、巨竜の螺旋火球の莫大なエネルギー。
それを大槍を握る左腕と両足に集中させ、テンブは深く身を沈めた。
「電光瞬迅昇槍撃」
そして繰り出される、真上への超高速突撃。
降り注ぐ火球は氷の大槍が防ぎ、彼の体は瞬時に上空四十メートルの高さまで舞い上がる。
地上から射出された一撃は、黒竜の四枚ある翼のうちの一つ、右下の翼を貫通し、翼膜に大穴を開けた。
「まだまだぁッ!」
黒竜の背中を見下ろしながら、テンブは大槍の穂先を眼下に向け、落下の速度を乗せて急降下。
あえて残した左腕のエネルギーを大槍に全て注ぎ込むと、氷の穂先がが砕け散り、巨大なエネルギーの光刃が生み出された。
「気結大刃閃!」
落下の速度を乗せ、すれ違いざまに振り下ろされた渾身の斬撃。
巨竜の翼が更に一つ、右上側の翼膜がズタズタに引き裂かれた。
「これでどうだ!」
溜めこんだエネルギーを使い果たしたテンブは、落下しながら上空を見上げる。
右側上下の翼を切り裂かれた巨竜は左右のバランスを崩し、飛行が困難となった。
怒りに燃える四つの瞳がテンブを睨み、二つの口から火炎弾を矢継ぎ早に浴びせかける。
「ぐっ……うおおおおぉぉぉぉっ!!!」
大盾で防ぎつつ、エネルギーを吸収するテンブ。
二発、三発と受け止め、彼の体内に溜め込むエネルギーはすぐに飽和する。
「だめだ、このままでは……!」
これ以上エネルギーを吸収すれば、そのエネルギー量に耐えきれず、過負荷によって彼の体は内部から破裂する。
かといって防御を止めれば、その瞬間に消し炭だ。
目の前に迫る四発目の火球に、テンブはとうとう覚悟を決める。
「万事休すか……」
「テンブさん、お忘れですか。あなたは一人で戦ってるわけじゃないってことを」
彼を救ったのは、空中に飛び上がったローザ。
彼女は参式と大剣斬の合わせ技で火球を斬り裂き、その間にテンブは無事着地した。
「助かった、ローザ。礼を言うよ」
「テンブさんこそナイスですよ。バランスを崩した竜が墜落していきます。これでもう、ヤツは空中に逃げることが出来ない」
二つ頭の巨竜は穴の空いた翼を広げて滑空し、だんだんと高度を落としていく。
「テンブだけの手柄ではないだろう。僕の氷魔法が無ければ、上空に辿り着く前にテンブは消し炭になっていた」
「ああ、ルードもよくやってくれた。これで戦局は、こちらに傾いたか……」
ルードにも声をかけると、ローザは上空の巨竜へと目を向ける。
滑空を続ける竜は、旋回してこちらを睨みつけ、その巨大な太い両足を彼女たちに向けて突っ込んできた。
「大胆な攻撃。いわゆるドロップキック」
「いや、違うだろ。さっさと避けるぞ!」
タイガの首根っこを掴むと、ローザはその場から退避する。
テンブとルードもそれぞれに散らばり、その一秒後に四人のいた場所をデュアルヘッド・ロードの巨大な両足が踏みしめた。
左右に分かれたルードとテンブ、ローザとタイガをそれぞれ一つずつの頭で睨みつけ、同時に咆哮を上げると、二股に分かれた尾を鞭のようにしならせ、自らの周囲を薙ぎ払う。
空気を切り裂く鋭い音よりも先に、尾の先端が音速を越える速さで四人を襲う。
ローザたちはそれぞれに飛び跳ねて回避。
忌々しげに唸り声を上げた竜は、二つの口から火炎弾を連続で浴びせかける。
「なんか、ヤケクソって感じだな」
「あのドラゴン、前から思っていたが気が短い。もっとタイガのような広い心を持つべき」
攻撃を掻い潜りながら、ローザはテンブに対して作戦を提案する。
「テンブさん、初めてヴェルム・ド・ロードを倒した時の、あの作戦でいきましょう!」
「……あれか。だが、あの技はローザの体に多大な負担が——」
「ダメッ!!!」
声を上げたのはタイガ。
彼女の瞳には、いつになく不安げな様子が色濃く出ている。
「アレはダメ……。ローザはすぐに無茶をする。あの時上手くいったのだって、ただ運がよかっただけ。奇跡に近い。もしもローザになにかあったら、タイガは……」
「お前、さっき怖いって言ってたのは……」
ローザの問いかけに、タイガは小さく頷いた。
「またローザがあの時みたいな無茶をするんじゃないか、そう思うとタイガは怖い」
軽快な足さばきで攻撃を避け続けながらも、彼女は沈んだ声で気持ちを打ち明ける。
本当に小さな時からずっと一緒にいて、二人で一緒に遊んで、冒険して、戦ってきた。
タイガの人生に、ローザがいなかった瞬間はひと時の間だって存在しない。
もはや彼女は、自分という人間を構成する大事な要素の一つなのだ。
それが欠けてしまう、そんな可能性のある賭けをローザにやらせるなど、タイガには到底出来なかった。
「きっと倒す方法は他にもある。ローザが命を賭けなくたって……」
「お前からこんなに大切に想われてたなんてな。少し意外だった」
「……鈍感」
着弾する瞬間にのみ参式を使用し、火球を斬り払いながら、ローザはタイガに笑みを向ける。
この調子だと、タイガの本当の気持ちは一ミリも伝わっていないようだ。
「でもな、ここでこいつを倒さなければアーカリア王国は滅びる。別の方法もあるかもしれないが、これが一番確実なんだ」
「だけど……」
「心配するな、一度やったことだ。コツも掴んでいる。私は絶対に失敗しない」
ローザの言葉は自信に満ちていた。
タイガは攻撃を避けながら、彼女の横顔を横目で見る。
危険な場所にも躊躇わずに飛びこみ、いつも生還してみせる冒険バカ。
彼女と一緒にいる内に、気付けば自分も世界最強の拳闘士なんてものになっていた。
ローザの冒険も、彼女に驚かされる日々も、きっとこれからも続くのだろう。
今目の前にいる化け物ごときに、その未来が閉ざせるわけがない。
ローザの笑みを湛えた顔は、タイガにそう強く思わせてくれた。
「……仕方ない。ローザは頑固で鈍感、こうなったら絶対考えを曲げない。だったらあれこれ言っても時間の無駄」
「納得してくれたか。ならお前は、ルードと一緒に敵の気を引いて、隙を作ってくれ。その間に私とテンブさんで準備を整える」
「任された。行くぞ青髪」
「僕に命令するな、ちびっ子が!」
タイガとルードは暴れ狂う黒竜の懐に飛び込む。
彼女が無茶をするのなら、その無茶が上手くいくように助ける、それが自分の役目。
そう強く心に刻み、タイガは黒竜の体を駆け上がる。
「今日のタイガは一味違う。壊星掌・乱」
敵の内部に気を送り込み、破裂させる内部破壊技、壊星掌をタイガは次々と敵の腹部に叩き込む。
だが、わずかに身じろぎする程度のダメージしか与えられず、巨竜の四つの瞳がタイガを忌々しげに睨みつけた。
「どこを見ている。僕はここだ」
視線を外されたルードは脇腹に潜りこみ、エンチャントで強化した氷の剣で斬り付ける。
しかし甲殻に小さな傷が残るのみで、ダメージすら与えられない。
「……チッ、忌々しい」
二人が懐に飛び込んで敵の注意を引く中、ローザはテンブの前で直立し、じっと目を閉じる。
「本当にいいんだな、ローザ」
「はい、やってください」
最後に確認を取ると、テンブは両手をローザの両肩に起き、体内に蓄積した膨大なエネルギーを、掌を通して彼女の体内に送り込んでいく。
守護騎士の間では禁じ手とされている、溜めこんだエネルギーを味方に与えて強化する技術。
名前さえ与えられていないこの技は、ほとんどの場合力を送り込まれた側がそのエネルギー量に耐えきれずに命を落とす。
この技能を知っていたローザは、ヴェルム・ド・ロードに追い詰められた時に、自分にこの力を使うように提案した。
結果的に命を落とさず、後遺症も無かったものの、戦いのあとローザはしばらく行動不能に陥った。
「二度と使うまいと思っていたが……」
「いいんです、私は絶対に大丈夫ですから」
絶大なエネルギーがローザの体内に送り込まれ、彼女の体が淡く発光する。
漲る力は、ともすれば自らの体を破壊してしまいかねない。
暴走を食い止め、手綱を握る。
このギリギリの感覚を、ローザは過去のたった一回で自分の物にしてしまっていた。
「……終わったが、どうだい、ローザ」
「ええ、絶好調です」
準備は整った。
爪の一撃をかわしながらローザの状態を確認したタイガは、黒竜の体を駆け昇り、その胸部の前に到達する。
ヴェルム・ド・ロードと極端に身体構造が変化していなければ、ここがこの魔物の心臓。
体中のオーラを両掌に集め、タイガの手が淡く緑の燐光を放つ。
「双掌・壊星玻!」
全身のオーラを傾けて放つ、最高の内部破壊技。
わずかにダメージが通ったのか、巨竜は苦悶の表情を浮かべて足をよろめかせる。
「この程度か、少し傷つく。でも……、ローザ!」
彼女が斬り込むだけの隙は十分に作れた。
「ああ。ナイスアシストだ、タイガ」
ローザンド・フェニキシアスの剣は神速。
敵は己が斬られたことに、絶命する間際まで気がつかないという。
テンブの突進よりもなお速い、セリムの全力にすら届きかねない速さで、ローザは黒竜の二つの首の目前まで跳躍。
剣に纏った膨大な闘気を圧縮し、刀身を薄く包む、極限まで研ぎ澄まされた鋭利な刃に変える。
普段の彼女ならば、この闘気収束・鋭までが限界。
しかし、莫大なエネルギーを宿した今の彼女ならば、もう一段階上に到達できる。
圧縮した闘気の鋭刃を、彼女は切れ味をそのままに三十メートル級の大きさにまで増大させる。
最高の切れ味と長大なリーチを併せ持つ最強の刃を、彼女は黒竜の二本の首目がけて振り抜いた。
「集気鋭刃大剣斬ッ!!!」
薙ぎ払われた一閃は、二つの首をまとめて宙に舞わせた。
五十メートルの巨体が崩れ落ち、冒険者たちは未曽有の怪物を打倒した英雄に歓声を上げる。
「ローザ、やった……」
落下しながら笑みを浮かべ、猫のようにしなやかに体勢を整えて着地するタイガ。
ローザも闘気を消しながら着地し、その身体から光が消えていく。
「ローザ、大丈夫か。どこか痛いとかないか」
「あぁ、全然平気さ。心配かけたな、タイガ」
倦怠感はあるものの、行動不能になる程ではない。
ローザは白い歯を覗かせて笑い、タイガの頭をポンポンと軽く撫でる。
以前にしてもらえなかったなでなでをしてもらい、タイガは目を細めて笑みを浮かべた。