089 ソラさん、どうか無茶だけはしないでください
石造りの城壁に取り付けられた門を、セリムとソラは真っ正面から堂々とくぐる。
向こうにもこちらの気配は割れている。
逃げも隠れもせず、襲ってきた順番に叩きのめすだけだ。
外壁を抜けると、中庭へと続く鉄製の正門が出迎える。
左右には石造りの塔と、正門の上を通り左右の塔へと繋がる連絡通路。
ここからでは見えないが、情報によればあの通路は中央の王宮へ繋がっているという。
「どうする、セリム。アモンさんと同じルートで行くか、それとも……」
「そうですね……。コソコソするのは性に合いませんが、ここは安全策を——」
そんな相談をしていると、正面の鉄の城門が重い音を立てて一人でに開いた。
門の向こうは薄暗い広間、奥には中庭を望める窓と、そこへ続く扉が見える。
「……前言撤回です。飛び込みましょう」
「安全策、取らないの?」
「私たちの目的は潜入ではありません。一人残らず敵をぶん殴ることですから」
「セリムって、賢そうに見えて案外……」
「何か言いましたか?」
「さ、さー行こう! セリムさん、お先にどうぞ」
失言を誤魔化しつつ、セリムの背中をぐいぐい押すソラ。
二人は正門をくぐり、広間へと足を踏み入れる。
「……殺気に満ちてるね。気をつけよう」
「ええ。ですが、敵はどこに潜んでいるのでしょうか……」
気配を探れない以上、敵の確認は目視に頼るのみ。
腰の短剣を抜いて逆手に構え、セリムは周囲を警戒する。
同じくソラもツヴァイハンダーを抜き、二人は背中合わせになった。
「セリム、背中は任せてね」
「今のソラさんに、まだ背中は預けられません——ねっ!」
セリムはポーチから鉄鉱石を取り出し、自身の背後、ソラの右斜め上に投擲。
鉄鉱石は剣閃によって真っ二つに斬り払われ、石の床に落下した。
「おわっ、なんか来てた!」
「だから任せておけないって言ったでしょう。下がってください、すぐに片付けます」
奇襲は失敗し、男はその重装備に見合わぬ軽快な着地を見せる。
敵は赤色の長髪を後ろ髪に結び、口髭を生やした魔族の剣士。
紅いマントを背になびかせた全身を包む騎士鎧、刃渡り一メートルの両刃の剣を片手で軽々と振るう。
「あなたが、魔族最強の剣士さんですか」
「如何にも。我が名はハンス・グリフォール。我が主君、ルキウス様の命により、ここから先へは一歩も通さぬ。我が命に代えても、貴殿らは討たせてもらう」
「あいにく私は、あなたに用なんてありません。速攻で片付けさせてもらいます!」
一瞬で片をつけるべく、セリムが攻撃を仕掛けようとしたその時、彼女は左方向からの殺気を感じ取る。
咄嗟に右側へと側転をうち、鋭い攻撃はセリムのいた場所の空を薙いだ。
体勢を整えつつ更にバック転をして距離を離しながら、襲撃者の赤い瞳と視線が交錯する。
「ホースさん!? まさか、接近に気付けないはずがないのに……!」
ホースに接近されたのなら、気配で気取れるはず。
「気配……?」
違和感に気付いたと同時、着地地点の床に大穴が開いた。
否、開いたという表現は正確ではない。
正しくは、唐突に大穴が出現した。
「しまっ……!」
「セリムっ!」
この部屋に入った瞬間、二人はブロッケンの幻覚魔法にかけられた。
ブロッケンは生きていて、どこかに身を潜めていたのだ。
幻覚の内容は、部屋の隅にぽっかりと開いた大穴を認識できなくなる事と、そしてもう一つ。
落下していくセリムの視界から、ホースの姿が消失した。
あれも幻覚。
ホースの気配は幻覚魔法のジャミングすら貫通するようだが、その気配はずっと城の奥から動いていない。
まんまと罠にはめられ、セリムは成すすべなく落下していく。
「ソラさん! 逃げてください!」
底が見えないほど深い縦穴を落下しながら、セリムは声の限りでソラに呼びかけた。
果たして彼女に聞こえただろうか。
聞こえていたとしても、ソラの性格を考慮すると逃げをうつとは考えにくい。
しかし、あのハンスという男はソラの実力を遥かに越えている。
長い長い落下の末、セリムはようやく着地した。
落ちた先は、地下に作られた殺風景かつ広大な密閉空間。
「天翔の腕輪で上がる手もありますが……」
しかし、この場にはブロッケンがいる。
どのような手段でソラから気配を隠したかは分からないが、彼は生きていた。
このまま放置しておけば、肝心な場面でまた邪魔が入るかもしれない。
「今度はきっちりやっつけないと、また足下を掬われかねませんしね」
短剣を逆手に構え、腰を深く落とすセリム。
ブロッケンは大鎌を担いで暗がりから進み出ると、気味の悪いしゃがれ声で笑う。
「ヒーッヒッヒ。お嬢ちゃん、この間はよくもやってくれたねぇ、正直なところ死ぬかと思ったよぉ」
「あの件については本当に申し訳ないと思ってます。霧だけを吹き飛ばすつもりだったんですよ」
「そうかいそうかい。ま、故意だろうがそうでなかろうが関係は無いねぇ」
「……ですよね」
ブロッケンの姿が左右にぶれ、二人に分裂する。
さらに二人が四人に、四人が八人に、八人が十六人に、次々と増殖していく。
「また幻術ですか、一体何人に増える気なんです?」
「お嬢ちゃんの実力はよぉく知ってるからねぇ。正面から当たろうなんて考えるわけないだろぉ」
最終的に、五百人以上のブロッケンが地下空間を埋め尽くした。
「幻覚だからって甘くみるんじゃないよぉ。コイツで斬られりゃ、本当にお陀仏だからねぇ」
「脳が斬られたと錯覚して、実際にダメージを受けた状態と同じになるんですよね、便利なものです。しかしこれほどの規模の幻覚魔法、あなたもかなりキツイのでは?」
「こんくらいやらないと、勝ちの目は見えないからねぇ。さぁて、始めようかぁ」
ブロッケンの大群が、大鎌の餌食にすべくセリムに殺到する。
セリムは姿勢を低く取り、敵の群れに突っ込んだ。
○○○
ソラさん、逃げてください。
そう言い残して、彼女は奈落に落ちていった。
確かに目の前のこの男は強敵、明確に格上の相手だ。
しかも今回は、背後にセリムがいない。
セリムがいなくても、ソラは常にリースやヴェラといった他の誰かと一緒に戦ってきた。
これが正真正銘初めての、たった一人での戦いだ。
「逃げて……って言っても、簡単には逃がしてくれないでしょ」
「当然だ、主に仇なす者は一人たりとも生かしてはおけん。少女よ、当然ながら貴殿も例外に非ず」
「だよね、やっぱ逃げるのは無理だよね」
向こうの方が実力が上ならば、逃げ切ることは不可能に近いだろう。
穴の中に逃げようにも、セリムの気配は遥か下から感じる。
この高さから落ちた場合、セリムと違って無事では済まない。
だったら、正面から戦って活路を見出す。
「あんたを倒せば、セリムもあたしを認めてくれるかな」
群青の大剣を両手で構え、ソラは敵を見据える。
相手は魔族最強の剣士、恐怖が無いと言えば嘘になるが、退くわけにはいかない。
「全てはルキウス様のために。あの方の剣となって、如何なる障害も断ち斬ってみせる。それが私の信念だ」
「へぇ、あっそ。知ったこっちゃないっての!」
闘気収束を発動し、闘気を剣に纏いながら敵に突っ込む。
相手に先手を取らせれば、攻撃への対応に振り回される。
そうなる前にこちらから攻め込み、勢いで押し切る、それがソラの考えだ。
対するハンスは静かに半身の姿勢で立ち、切っ先をソラに向けて構える。
「食らえっ、気鋭斬!」
まずは敵の構えを崩し、こちらのペースへ。
あいさつ代わりの一撃を、敵に振り下ろす。
上段からの鋭い斬撃。
しかしソラの目論見は外れ、ハンスの構えは崩れない。
彼はいとも容易く、片手に握った剣で無造作に攻撃を受け止めた。
「あ、あたしは両手持ちなのに……!」
「軽い一撃だ」
「くっ、これならどうだっ!」
すぐさま右横薙ぎを仕掛け、これを受け流される。
勢いのまま、一回転しての右斬り上げ。
軽く姿勢を逸らすだけで回避された。
間合いを詰めて踏み込み、左の袈裟斬り。
ハンスは一歩後ろに飛び、それだけで斬撃は空を斬る。
「このっ……!」
更に間合いを詰めつつ、刺突を繰り出す。
ハンスは半身になって攻撃をかわし、前のめりになったソラは多大な隙を晒した。
ガラ空きの胴に、鋭い横薙ぎが入る。
「あぐっ……!」
刃は黒竜の甲殻が防ぎ、ソラの体は真っ二つにはならなかった。
代わりに多大な衝撃が全身を襲い、彼女は身体をくの字に曲げて吹き飛ばされる。
二回石床の上をバウンドしたところで体勢を立て直し、床の上をグリーブで削りながら後退。
停止したところで、両手で剣を構え直す。
「ほう、腕はまだまだだがその防具。成程、ホースめが手駒に使った竜の物か。私の剣でも斬れぬとは、少々驚いた」
「た、助かったぁ……。でも、わかってたけどコイツむっちゃ強い……っ!」
「では、今度はこちらから行くぞ」
乱れた呼吸を整える暇もなく、ハンスは一気に間合いを詰める。
鋭い刺突が繰り出され、ソラは何とか反応。
わずかに体をずらしたが、完全には避けきれず剣先が肩をかすめた。
インナーが破れ、血が流れ出す。
「つっ……」
「防具に守られていない箇所ならば、関係はない。たとえば、その顔面だ」
顔を狙っての突きを、顔を逸らして回避。
またもかわしきれず、頬に赤い傷が走る。
「冗談じゃ……」
続けざまの眉間狙いの刺突。
ソラは深く身を沈めて、回避と同時にハンスの足下を薙ぎ払った。
「ないっての!」
だが、この一撃もハンスの足首をまとめて両断するには至らない。
高く飛び上がったハンスは、空中で体を捻って上下を逆転、天井を蹴って勢いをつけ、ソラに襲いかかる。
ソラは素早く転がり、寸でのところで回避。
彼の刺突は石床を穿ち、粉々に砕いて小さなクレーターを作って見せた。
「……どうした、威勢が良かった割に大したことないな。これで終わりか?」
「コイツ、まだ固有技能すら使ってないのに……!」
「その程度の腕前で、よくもルキウス様の邪魔立てをしようと思ったものだな。あのお方の居城に土足で踏み入った罪、万死に値するぞ」
「知ったこっちゃないって言ってんでしょ! こんなチャチな城建てて偉そうにして、ルキウスがどうとかくっだらない、そんなの知るかってんだ!」
「……なに?」
ソラが啖呵を切った瞬間、ハンスの纏う気配が大きく変わる。
強者ゆえの余裕が消え失せ、剥き出しの殺気がソラに降りかかった。
「我が主を、下らないだと……? 今、そう言ったのか……?」
崩れた石床からゆらり、と立ちあがり、殺意に満ちた眼光がソラを捉える。
「ルキウス様は私の人生の全て、私の全てはルキウス様のために存在する。それを下らないだと……? 取り消せ、今すぐに取り消せ」
「はぁ!? 取り消すわけないじゃん。あたしはそのルキウスのくっだらない野望を打ち砕きに来たんだってのに」
「取り消せ、取り消せェェェェェェェッ!!!」
大きく目を見開き、ハンスは両手で剣を構えて猛突進を仕掛ける。
全体重の乗った刺突を群青の刀身で受け止めるが、突進の衝撃は到底殺せず、背後に猛スピードで吹き飛ばされる。
中庭へと続く石壁に背中からぶつかり、それでも止まらずに壁を砕いて中庭まで突きぬけた。
荒れた中庭に放り出されたソラは、げほげほとむせながら敵の姿を探す。
ハンスは崩壊した壁の瓦礫を乗り越え、狂気の形相で膝をついたままのソラに躍りかかった。
「殺す! ルキウス様を中傷するなど万死に値する! 生かしてはおけぬゥゥゥゥゥゥッ!!」
力任せの刺突が繰り出され、ソラは起き上がりつつ背後に飛び退いて直撃を避ける。
しかし、またも刺突の衝撃で地面が爆ぜ、ソラは全身に石の散弾を浴びた。
「ぐうううぅぅぅっ……!」
防具に守られていない太ももに尖った石が突き刺さり、ソラは倒れ込み、痛みに呻く。
そんな彼女に対し、ハンスはゆっくりと近づき、剣を振り上げた。
「取り消せ、今すぐ取り消せ! 私の敬愛するルキウス様が下らないなど、今すぐに、とりけすェェェェッ!!!」
竜の鎧に守られたソラの胴体に、何度も剣を振り下ろす。
刃は防具に弾かれるが、一切構わない。
まるで鈍器のように、何度も叩きつける。
目を見開き、唾を吐き散らして怒鳴りつけながら。
何度も、何度も、何度も何度も何度も。
「取り消せっ、このっ、小娘がっ」
「あぅっ! がっ! げほっ!」
「取り消さぬか、貴様ッ、貴様ごときがっ、ルキウス様の何をッ!」
「あがぁっ、ぐぅう、えうっ!」
「はあ、はあ、はあ……。どうだ、取り消す気になったかッ!」
「げほっ、ごほ……。だからさぁ……」
痛みで目の前がチカチカする。
体に力が入らない。
敵との力の差は圧倒的。
おまけに相手は頭のイカれたルキウス教の狂信者。
「何度も言ってんじゃん……、耳悪いの……?」
それでも、心は折れない。
両の足で立ち上がり、愛剣の柄を強く握って、敵の目を真っ直ぐに見据える。
「下らないって言ってんの。あんたの主人も、あんた自身も!」
「きっっっ……さまああぁぁぁぁぁッ!!!!」
青筋を立て、殺意を剥き出しにし、今度こそハンスはソラを殺しにかかる。
全力の速度で放った刺突がソラの顔面を貫き——。
「どうだ、ルキウス様に楯ついた末路がこれだ!」
「どこ見てんのさ」
その残像がぶれて消えた。
「な、なんだと……」
背後を振り返ると、既にソラは大剣を振り抜こうとしている。
渾身の薙ぎ払いを片手で受け止めるが、先ほどよりも一撃が重い。
ハンスは押し切られそうになり、ついに柄に両手を添えた。
「バカな、なんなのだ、この力は……!」
「あたしのセリムへの愛の力……って言いたいとこだけど、ずっと練習してた固有技能。出来るレベルになってたみたい」
その固有技能は、本来武器に込める闘気を自分自身の体に込め、身体能力を増加させる技能。
「闘気収束・参式!」
鍔迫り合いはソラの優勢、ハンスの頬に汗が流れ、腕の骨が軋みを上げる。
「まさか、自己強化技能は最高難度のはず……。私ですら習得していないそれを、やってのけたのか……!」
「散々いたぶってくれたよね、こっからはあたしの番だから!!」