085 なんだか熱烈な視線を感じます
アモン救出から二週間ほど経ったその日、王都西門を百人もの物々しい集団が通り抜けた。
住民には事前の通告があったものの、やはり街には張り詰めた空気が漂う。
西大通りをまるで軍事パレードのように行進するのは、プレートメイルを身に纏い、剣を腰に下げた魔族たち。
彼らを率いるのは、白髪を長く伸ばし、左目に眼帯を着けた隻眼の老魔族、シャイトス・ユニテッド。
五百年前の大戦に従軍し、伝説の姫騎士メアリスと刃を交えた経験を持つ歴戦の老将だ。
彼らを迎えるにあたり、さすがに出てこない訳にはいかなかったのだろう。
王城騎士団の団長たるジャローマルクは自ら騎士団を率い、貴族街へと続く門にて援軍の到着を歓迎する。
「やあやあシャイトス殿、我らが王都へ遠路はるばるようこそ。私はジャローマルク、王城騎士団の騎士団長を務めておる者です」
「……む、出迎え御苦労。不肖シャイトス、魔王様の命により増援として参った。このような老いぼれ、さぞ頼りないことと思うが、どうかご勘弁のほどを」
「頼りないなどとご謙遜を! あなた様のご勇名はこの王都にも知れ渡っておりますぞ!」
ペコペコとへりくだった態度のジャローマルクに握手を求められ、シャイトスは応じる。
差し出された手を握った瞬間、彼がこの男に抱いた疑念は確信に変わる。
ジャローマルクなる男の手、分厚い皮も無ければタコも無い、剣を握る者の手にあらず。
あまりにも腰の低い態度には戦勝国の騎士団長たる自覚は見えず、覇気も闘気もその一切を感じない。
おそらくこの男はお飾り、騎士団長なる役職はいつから名誉職になったのか。
彼の背後に控える金髪碧眼の女性の方が、よほど騎士団長としての風格を漂わせている。
王都の弱体化を目の当たりにし、彼は五百年前の精強なるアーカリア軍に想いを馳せた。
「では、王城にご案内致します。魔王様もシャイトス殿のご到着を首を長くして待っておられますぞ」
「……かたじけない」
「それではぁ! ぜんいぃぃぃん、まええぇぇえ!」
ジャローマルクの裏返った声による素っ頓狂な指示を受け、騎士団員一同は困惑する。
「……総員、右向け、右! 騎士団長殿に続け!!」
見かねたティアナが指示を出すと、団員は一糸乱れぬ動きで90度反転する。
ジャローマルクは満足気な様子で馬首を巡らせ、王城に向かって彼らの先頭を進んでいく。
名ばかりの騎士団長に従い——正確には彼と副団長の後を行くティアナに従って、騎士団の面々も貴族街の坂を登り始めた。
騎士団に導かれて王城の門をくぐったシャイトスの部隊は、臨時の兵舎へと案内される。
彼らを率いてきたシャイトスには、賓客待遇として居室が与えられた。
だが、彼に部屋でくつろぐつもりはない。
王城に到着したシャイトスは直ちに、主君に目通りするためマリエールの部屋を訪れた。
老将は相も変わらず小さな主に跪き、まずは到着の挨拶を交わす。
「魔王様。シャイトス、ただ今到着いたしました」
「うむ、苦しゅうない。長旅御苦労であった」
「このような老骨に戦働きの機会を下さり、喜びに打ち震えておりまする」
「う、うむ、期待しておるぞ」
本当はアウスの人選なのだが。
「ところでシャイトスよ、事情はどこまで把握しておるか。敵の全容や——その首魁の名、などを」
「……はて、王都が襲撃を受けてから、何か進展がおありか?」
「お嬢様、書面でのやり取りは危険と判断いたしまして、あまり詳しくは伝えておりません」
「そうであったか。……まあ、妥当な判断だろう」
王家の血筋を引く者にして、現魔王の実の兄が黒幕だったなど、書面に記して送りつけるのもはばかられる。
「では、王都襲撃以来の状況を詳しく話そう。……だが、心して聴くことだ。お主にとってもショックは大きいだろうからな」
マリエールは、現在の状況を詳しく話す。
敵の一人を捕縛し、本拠地の情報を割りだした事。
杖を盗み出し、マントを狙う黒幕の正体が、行方不明だった兄・ルキウスであった事を。
「……そうでございましたか。やはりあの時、何としてでも仕留めておかねばならなかった……!」
「あの時とは……、兄上を追い詰めた時のことか。そうか、お主もその場におったのだな」
「左様、ならば今のこの状況の一端は、某にも責任がありまする」
先々代の魔王の時代から仕え続けているシャイトスにとって、先代の魔王は幼い頃から見守って来た息子も同然。
当然彼も先代の側近、お目付役として取り立てられ、変わらぬ忠義を尽くしてきた。
「某がルキウスめに刃を向けるを躊躇ってしまったが故に、このような事態になってしまったのです……!」
「シャイトス様、ご自分を責めるのはおよしになってくださいませ。わたくしもあの場にいたのです。貴公に責任があるというのなら、わたくしも同罪にございますわ」
「アウスの言う通りだ、シャイトス。大切なのは過去を悔いる事ではなく、これからの危難にどう立ち向かうか、だろう」
「……ふふふ、いけませんな。歳を取ると過去の事ばかり考えてしまう。若い魔王様が、某には眩しゅうございます」
歴戦の老将は、自嘲混じりに右目を細めて主君の顔を見やる。
過去の事ばかり——彼の言葉に、マリエールは一つ気がかりなことを尋ねた。
「過去、か。シャイトスよ、お主はアーカリア王国について、色々と思うところがあるだろう。此度の余の決断について、どう思う」
彼の左目は約五百年前、戦場で相まみえたメアリスによって奪われた。
今年で六百七十三歳になるシャイトスにとって、あの大戦は過去の物になっているだろうか。
「そう、ですな。忌憚なく言わせてもらうならば、アーカリア王国を憎む気持ちは——ありまする」
「……で、あろうな」
「あの大戦で多くの友が、仲間が若い命を散らしました。誰もが心にせよ体にせよ、何かしらの大きな傷を負った。某も、その例外ではございません。ですが——」
そこで一旦言葉を切り、気持ちを落ち着ける。
「ですが、魔族とは違い、人間の五百年前は遥か昔の歴史上の出来事。私情を押し通して、今を生きる者たちに刃を向けようなどとは考えておりません。そして、魔王様を始めとする若い世代が過去の歴史を乗り越えようとするのならば、この老骨がすべきことはその妨げにあらず、口出しにもあらず。黙して支え、見守るのみにございます」
「……うむ、よう言うた。余のわがままに付き合ってくれた事、感謝する」
「ははっ、勿体なきお言葉に」
三代に仕えた老将に、マリエールは深い尊敬の念を抱いた。
「お主の力、頼みにしておるぞ。長旅で疲れただろう。今日はもう、部屋に戻って休むがいい」
「それでは、お言葉に甘えて。これにて失礼仕る」
彼は深く頭を下げると、立ち上がって二、三度腰を叩いた。
案内役の使用人に連れられ、シャイトスは自室へと戻っていく。
マリエールは退室する彼を見送ると、にこやかな笑みを浮かべているアウスに対しジト目を向けた。
「……アウスよ、何ゆえにシャイトスなのだ」
「あら、彼ではご不満でしょうか。腕も立ちますし、人格的にも申し分ないと思われますが」
「そういう話ではなくだな、あやつの個人的感情を考えてのことか、と聞いておるのだ」
「全てはアーカリア王に、お嬢様が本気であると知らしめるためにございます。アーカリアとアイワムズが手を取り合い、我が国が誇る前大戦の英雄が援軍にやってくる。大戦のわだかまりを乗り越えた証として、これ以上の適任者はおりませんかと」
「……お主は少々優秀すぎる。合理的ではあるが、あやつの気持ちも汲んでやれ」
「お嬢様は優しすぎるのです。綺麗事ばかりでは国は治まりませぬわ。お嬢様が非情になれぬのならば、このアウスが汚い役所を引き受けましょう」
ここまで言われては、もはや何も返せない。
足りない部分を補ってくれるからこその側近、バランス取りは大事なのだ。
側近がイエスマンでは、国が極端に傾いてしまう。
その事はマリエールもよく把握している。
「……お主にも苦労をかけておるな」
「ええ、ですからどんどん苦労をおかけになってくださいませ。アウスはそのためにお嬢様のお側にいるのですから」
「では早速だが、余は少し疲れた。膝を貸せ」
「ふふっ、喜んで」
最も信頼を置く側近、アウス。
彼女の膝枕にマリエールは身を任せる。
これからも沢山苦労をかけるだろう、負担を強いるだろう。
彼女の優しさに甘えず、優秀さに頼りっきりにもならない立派な王になりたい、なってみせる。
アウスの手に頭を撫でられながら、彼女は誓いを新たにした。
○○○
王城での生活は、セリムにとって夢のような日々であった。
毎朝天蓋付きのふかふかベッドで目を覚まし、朝、昼、晩と決まった時間に運ばれてくる豪華な食事、公衆浴場よりも広くて清潔感あふれる浴室。
ソラはこの優雅な暮らしには今一つ退屈そうな様子で、日が出ている間は衛兵隊の練兵場に赴いて兵士に混じって修練に励んでいる。
彼女にとっては、セレブな生活を送るよりも体を動かしている方が性に合っているようだ。
王城騎士団の修練場に出向かない理由は、姉と顔を合わせるのが気まずいため。
ティアナ以外の家族とも、未だに連絡すら取っていない始末だった。
この日も、セリムの一日はふかふかのベッドの中から始まる。
窓から差し込む朝の日差し、小鳥のさえずる声、セリムの隣であどけない寝顔を浮かべるソラ。
この客間は本来一人部屋であるため、ベッドは部屋に一つだけしか用意されていない。
それでも天蓋付きのキングサイズのベッド。
二人で眠る分に、なんの不都合もなかった。
「……ん。ソラさん、まだ寝てる」
広いベッドの上ではあるが、二人の距離はかなり近い——というか、ほぼ密着している。
手を伸ばせばすぐに届く距離。
気持ちよさそうに眠るソラのほっぺを、人差し指で突っついてみる。
ぷにぷにと柔らかな弾力が押し返してきた。
「柔らかい……。もっとつんつんしちゃいます」
ぷにぷに、むにむに。
ひたすら突っついていると、さすがのソラも不満げに唸りつつ目を開いた。
「んんぅ、セリムぅ? なにしてんのさぁ……」
「朝ですよ、ソラさん。今日はちょっと激しめに起こしてみました」
「激しめって……。にゃぁ、もうちょっと寝る……」
せっかく開いた目を、ソラはまた閉じてしまった。
「ダメです、起きて下さい」
「んん、やぁ……。ちゅーしてくれたら考える……」
「アホですか、私のちゅーはそんなに安くありません。もう、先に着替えてますね」
ベッドから抜け出したセリムは、ポーチから着替えを取り出して姿鏡の前へ。
やがて、夢の中に落ちようとしていたソラの耳に布擦れの音が聞こえてきた。
「…………」
閉じていた目をうっすらと開く。
セリムはこちらに背を向けて寝間着を脱ぎ、下着を替えている最中だった。
「……ごくり」
見ている事を悟られないように限界まで目を細くして、セリムの着替えをじっと観察。
違うし、変態じゃないし、好きな娘が目の前で着替えてたら変な気分になるのは当然だし、と自分に言い訳しながら、ソラは絶景を眺め続ける。
替えの下着を着け、ブラウスを着て、ミニスカートを履こうとしたところで、セリムは突き刺すような視線を感じる。
バッと振り返ると、目を閉じているソラの顔がこちらに向いていた。
「……ん? おかしいですね。それにしてもソラさん、まだ寝てるんですか」
首を捻ると、セリムは着替えに戻る。
水色の縞パンを目に焼き付けると、朝一番でスリルを味わったソラは、満足気に寝がえりを打った。
「……違うし、あたしは変態じゃないし、正常だし。とっても健康な証拠だし」
本日の朝食は、サラダとフルーツが乗せられた薄い生地のパンケーキ。
オシャレ感に浸りながらナイフとフォークで切り分けるセリムの向かい側、もっとボリュームが欲しいと言わんばかりの顔のソラがいた。
「ソラさん、美味しいですね」
「もっとバターとかベーコンとかでギトギトのヤツがいい。サッパリしすぎじゃん」
「不満を言いつつも食べてるじゃないですか」
「なんだかんだで美味しいのはホントだしね」
クレープのような生地を切り分け、野菜を取り分けて包み込み、フォークで口の中へ。
酸味の利いたドレッシングが野菜に絡み、もちもちとした食感のほんのり甘い生地と合わさってさっぱりとした食感を作り出す。
ほんのりとまぶされたスパイスの刺激、噛むたびにシャクシャクと音を立て、口の中で水分を弾けさせる瑞々しいコウゲンレタス。
「はふぅ、たまりません。これです、こういうのが食べたかったんですぅ……」
続けて生地を取り分け、今度はフルーツを包み、またセリムは幸せの真っ只中へ。
セリム的には大満足の朝食が終わり、メイドが食器を下げながら今日の予定を伝える。
「セリム様、ソレスティア様、昨日アイワムズより増援が到着いたしました。よって本日午前九時より本城にて、緊急の作戦会議を開きます」
「……ってことは、いよいよ敵の本拠地に殴り込みですか」
「おぉ、いよいよか! 燃えて来たね、セリム!」
「しかし増援、ですか……」
増援の要請が行なわれたのは、王都襲撃事件の直後。
あの時と今とでは、状況はある一点において大きく異なっている。
「ん、どうかした? 難しい顔しちゃって」
「……いえ。わかりました、九時からですね」
了承した旨の返事を返すと、メイドは退室。
私服を着ていたセリムは、直ちに礼服代わりの旅装に着替える。
ソラもセリムの着替えを横目でチラチラ見ながらインナーを着て、防具を身につけた。




