081 ソラさんが気の毒な事になってしまい、ちょっと後悔してます
クロエがこの屋敷に招かれた日、彼女の秘密を知ったと同時に、リースはそのもふもふの虜になった。
それからというもの、クロエは毎晩こうしてリースの部屋に招かれては彼女に獣耳をもふもふされている。
「ホント、素晴らしいわよ、あなたの耳。この手触り、毛並み、色艶、どれをとっても最高。この城にある最高級品の毛皮でも敵わないレベルだわ」
「あ、ありがと……」
まさか比較対象は、床に敷かれているキラータイガーの毛皮なのだろうか。
喜んでいいのか、複雑な気分のクロエであった。
「ねえ、どうしてこんな可愛らしい耳を隠しているの? もっと堂々としていればいいのに」
「だって、他に動物みたいな耳をしている人なんて見たことないんだもん。変に思う人も絶対いるし、もしかしたら人間扱いされなくなるかもしれない」
「そんなこと……」
無い、とは言い切れなかった。
どんな人間にだって汚い部分はある、悪意の塊のような人間だっている。
「だからさ、この秘密は心の底から信用出来る相手にしか明かさない。そう決めてるんだ」
「……それってつまり、私はあなたの中で信用に値する人間と位置づけられている。そう捉えていいのね」
「当たり前じゃないか。好きな娘——違う! し、親友、なんだからさ」
うっかり本音が飛び出しそうになってしまった。
顔を赤くしつつ、リースに対し伝えられる範囲での最大限の好意を伝える。
「それって、あの英雄さんやアホっ子よりも?」
「もちろん、ソラよりも、セリムよりも上だよ。リースよりも好きな相手なんていないよ」
「——そう。そう、なのね」
クロエの中で、自分はそこまで大きな存在になれた。
ライバルであるソラに勝てたという喜びとは少々質が違う気がするが、今まで生きて来た中でも最上級の喜び。
緩んでしまいそうになる顔を必死に抑え込み、リースは普段通りのすまし顔を保つ。
「とうとうあなたも認めたのね。そうよね、私があんなアホっ子よりも下だなんて有り得ないもの」
「ホント、ソラには辛辣だね……」
「この場であの娘の話題を出さないでちょうだい」
脳裏に浮かぶアホっ子の締まりのない顔を思い出し、リースはピシャリと言い捨てた。
割と似た所もあるのだが、似ているからこそ認めたくないのだろう。
「さ、今日のもふもふは終わりよ。ここからは横になってお話しましょう」
ようやく気が済んだリースは、クロエの耳から手を離す。
そこからはベッドに二人で寝転んで、眠くなるまでとりとめも無い会話を交わす。
庭園での密会とは違い、誰の目も気にせずなんの制限も無い、正真正銘二人だけの時間。
やがて眠気に襲われたリースは、手で口元を隠しながら小さなあくびをする。
「……はしたないところを見せてしまったわね」
「リースってさ、人前であくび、する?」
「するわけないでしょう。私を誰だと思っているの」
「この国の王女様。でも、そっか。ボクだけなんだ、あくびをするリースがこんなにかわいいって知ってるの」
「かわっ……! ……いくなんかないわよ、みっともないだけだわ」
少しだけ頬を染め、嬉しさと羞恥の狭間で複雑に揺れるお姫様。
そんな彼女に対する愛しさは、クロエの中で日に日に強くなっていく。
「かわいいよ、とってもかわいい。強くて凛々しくて、とっても素敵なお姫様。こんな娘とボクが友達だなんて、未だに信じられないもん」
「あ、あなただって素敵よ……。自覚は無いんでしょうけど」
「ボクの? どこが?」
「どこがって……、それを言わせる気!?」
からかい半分に尋ねるクロエに対し、リースは分かりやすく顔を赤らめる。
それだけで彼女に想われていると感じ、クロエの胸は暖かさに包まれた。
「……もう、眠いって言ってるじゃない。そろそろ寝ないと明日に響くわよ」
「そうだね……、ボクも眠いや」
このまま眠りに落ちれば、普段通りに一日が終わる。
しかし、今日のクロエは勇気を出して、一歩先に進む決意を固めていた。
一歩、といっても、恋人を最終目標とするのならひどく小さな一歩なのだが。
「ね、リース。今日は手を繋いで寝ない?」
「……手を?」
「うん、いつもちょっと離れて寝てるでしょ。だから、リースの温もりを少しでも感じて寝たいなぁって」
「別に良いけど……」
許可が下りると、クロエはリースと距離を詰め、彼女の手に指を絡める。
リースもそっと握り返し、二人は同じ枕に頭を乗せて見つめ合った。
「あったかい……」
「あなたの手も、暖かいわ……」
吐息がかかるほどの距離ではないが、互いの手の温もりはしっかりと感じ合える。
一人で眠るよりもずっと大きな安心感に包まれ、リースはすぐに眠りに落ちた。
小さな寝息を立てるお姫様の寝顔。
彼女のこんなあどけない顔を見られるのも、自分だけの特権なのだ。
こんなに恵まれていていいのかな、と少しだけ怖くなる。
が、そんな小さな恐怖はすぐにリースの温もりが塗りつぶし、クロエもやがて寝息を立てはじめるのだった。
○○○
朝の日差しが部屋に差しこみ、クロエは眩しさに目を開ける。
一日の始まりに目にするものは、一緒のベッドで眠る、想いを寄せるリースの寝顔。
こんな幸せな寝覚めが、もう九日も続いている。
繋がれた手は昨夜のまま。
絡んだ指を少しだけ動かし、柔らかな感触をこっそりと堪能する。
その内にリースも目を覚まし、ゆっくりとその目を開いた。
「ん……、クロエ……。先に起きてたのね……」
「リース、おはよう。寝顔、堪能させてもらったよ」
「……今すぐ忘れなさい」
照れくさそうに頬を膨らませるリース。
「あんなかわいい顔、忘れられないよ」
「何それ、口説いてるつもり?」
「ふふっ、かもね」
柔らかい手をにぎにぎしつつ、クロエは微笑んだ。
途端に心臓がドキリと跳ね、急に照れくさくなったお姫様は、繋いだ手を振りほどいて身を起こす。
「も、もう、生意気よ。あなたなんかが私を口説こうだなんて……」
「そっか、じゃあ生意気って言われないように頑張るよ」
リースの背中に後ろから抱き付き、体重を預けるクロエ。
大きな胸が背中に押し付けられ、耳元で口説き文句を囁かれて、ますます心臓の鼓動が早まった。
「あ、あなた、さっきから自分が何を言ってるかわかってるの!? まだ寝ぼけてるんじゃなくて!?」
「うん、寝ぼけちゃってるかも」
嘘だ、本当はしっかり目覚めている。
寝ぼけていると言い訳して、クロエはグイグイと攻め込んでいく。
「と、とにかく離れて。ラナ以外の使用人にこんな所を見られたら、たちまち屋敷中——下手したら城中の噂になってしまうわよ!? そうなったらもう、一緒にいられなくなるかも……」
「……そうだね。そろそろ部屋に戻るよ」
少しだけ寂しそうに言うと、クロエは体を離す。
彼女の温もりと柔らかさが離れてしまい、リースは自分の言葉を少しだけ後悔した。
しかし、それは仕方のないこと。
一国の王女が鍛冶師見習いを毎晩部屋に連れ込んで、一夜を共にしている。
やましいことはしていないが、誰もがしている、と解釈するだろう。
そう思われてしまった時点で、この関係は終わりを告げる。
身分の違う二人の関係は、あまりにも危うい綱渡りのような物なのだ。
クロエは枕元のナイトキャップを目深にかぶる。
この後クロエはリースの部屋に隠された抜け穴から飛び下り、真下に位置する自室まで移動する。
そういった理由のため、あの部屋は空き部屋となっており、そういった理由のためにクロエの滞在する部屋に選ばれたのだ。
緊急時のための隠し通路として作らせた物がこんな形で役に立つとは、リース自身も思いもしなかった。
「じゃあボク、もう行くね」
「……ええ」
憂いを帯びた表情で二の腕をぎゅっと掴む。
そんなリースのいつになく儚げな姿に、クロエは思わず彼女を抱きしめた。
「ちょ、ちょっと、やめなさい! 誰かに見られたらまずいって、さっきから言ってるじゃない!」
「ごめん、でももう少しだけ。リースがこんな顔してるのに、残して行けないよ」
「もう、仕方ないわね。勝手にしなさい」
リースも遠慮がちに、クロエの背中に手を回す。
ピンク色のふわふわの髪が揺れ、甘い香りがクロエの鼻腔をくすぐる。
そのまま二人は、しばらくの間抱きしめ合った。
「……もういいわ、十分よ。私はこの国の第三王女。いつまでもあなたにみっともない顔、見せていられないしね」
「うん! いつものリースだ」
普段通りの勝気な表情が彼女に戻る。
二人は体を離し、しばしの間見つめ合った。
「それじゃあ、ボクは部屋に戻るから」
「方向オンチのあなたが一人で戻れるかしら。心配だから送っていきましょうか」
「あはは、さすがに迷いようがないよ」
部屋の隅にある戸棚を、床に仕込まれたレールに沿ってスライドさせる。
戸棚の下から現れた隠し扉を開くと、階下の部屋の天井裏へ。
「バイバイ、リース。また今夜ね」
「ええ。時間が合えば湯浴みをお願いしたいのだけど」
「魅力的なお誘いだけど、鍛冶があるから無理かな」
苦笑いしつつ、天井裏についた取っ手を引き上げる。
自室の天井が開き、クロエは軽やかに飛び下りた。
隠し扉は自動的に閉まり、三メートル以上の高さから音も無く着地。
秘密の逢瀬は終わり、一鍛冶師としての一日が始まった。
部屋に戻ったクロエは、なんだかいい匂いの染み付いた寝巻を脱ぎ、それを抱きしめてしばらく余韻に浸る。
やがてスイッチを切り替えて、鉄と炎の染み付いたつなぎに着替える。
ゴーグル付きのキャップに長い髪を巻き込んで獣耳を諸共隠すと、いつも通りのクロエ・スタンフィードに。
「よし、今日もやりますか」
ぺちぺちと頬を叩いて気合を込め、愛用のハンマーを腰のベルトに差したところで、部屋の扉がノックされた。
戻って来てて良かったと胸を撫で下ろしつつ、
「は、はい! ちゃんといますよー!」
ついおかしな返事を返してしまう。
扉が開き、姿を現したのはメイドのラナと、さっきまで一緒だったリース。
「あれ、リース? どうしたの、何かあった?」
二人の関係をそれとなく把握しているラナの前では、クロエはリースと遠慮なくタメ口を利ける——さすがに彼女以外がいる場所では、敬語で接しているが。
「王城から連絡があったわ。セリムって娘と魔王さん、ついでにソレスティアが城に戻ったのですって」
「そうなんだ、良かった。みんな無事なんだね」
三日前に王都を出たと聞いていたが、クロエは詳しい事情を知らないまま。
親友たちの安否は、ずっと心に引っかかったままだった。
「英雄サマの凱旋で城は大騒ぎよ。私は別に興味ないのだけれど、あなたは会いに行きたいのではなくて?」
「会いにって……、いいの? ボクには鍛冶師の仕事があるのに……」
「午前中だけの特別休暇よ。ありがたく受け取りなさい」
「ありがとう、リース!」
セリムたちの帰還を伝えるためだけに、わざわざ部屋まで足を運んでくれた。
彼女の優しさに感極まり、思わず抱きついてしまう。
「ちょ、ちょっと……!」
「お昼までには戻るから! 行ってくるね! ちゅっ」
更にはほっぺに唇を落とし、元気よく走り去っていった。
「あ、あの娘……っ」
クロエの唇の感触が残る頬。
走り去る背中を見送りつつ、リースは頭から湯気を出しそうな状態に。
「……ラナッ!」
「ひ、ひゃいっ!」
「あの娘一人じゃまた迷子になるかもしれないから、付いていってあげなさい」
「か、かしこまりました……っ!」
見てはいけない物を見てしまった感を醸し出すラナに指示を出し、クロエの後を追わせる。
大慌てでクロエを追いかけるラナ。
残されたリースは、未だかつて感じたことの無い感情に戸惑いを覚えていた。
○○○
時間は少しだけ遡る。
朝日が昇る頃、王都東口に彼女たちは戻って来た。
一刻も早く王都に戻るため、夜を押しての強行軍。
その甲斐あって予定よりも一日早く、彼女たちは王都へと帰還した。
まだ人通りの少ない東大通りを、サイリンを肩に担いだセリムを先頭に三人は早足で歩く。
後に続くのは眠気に勝てなかったマリエールを抱えるソラと、その様子を歯ぎしりしながら目を限界まで見開いて覗き込むアウス。
本来魔王様を運搬するのはアウスの仕事なのだが、全身に傷を負っている彼女に無理はさせられないとのセリムの判断だ。
その判断のおかげで、ソラは今かつてない恐怖に晒されていた。
「あ、あの……、アウスさん。あたしもね、代わってあげたいのは山々なんだよ? 傷が治ったらさ、いくらでも全身まさぐってあげて?」
「お気遣い感謝致しますわ。ですが、まっっっったく気にしておりませんので」
嘘だ、すっごい覗き込んできてるもん。
そんな反論をする勇気も無く、ソラはひたすらアウスの顔を見ないように努める。
早朝ということもあり、彼女たちは群衆には捕まらず無事に大通りを抜け、貴族街へと続く門に辿り着く。
彼女たちの姿を視止めた二人の番兵は、途端に色めきたった。
その内の一人が、セリムに尊敬の眼差しを向けつつ話しかける。
「おぉ、英雄様! 無事にご帰還なされましたか。しかも見た所、敵の一人を捕縛したご様子!」
「え、英雄様はやめていただけると……。ひとまずこの人をお城まで連行して下さい」
セリムは肩に担いでいたサイリンを衛兵に引き渡す。
彼女は一見して意識が無いように見えるが、実際のところ揺れ具合が心地よくて寝入っているだけである。
「ははっ! 仰せのままに! 英雄の皆様方はどうなされますか!」
「……一刻も早くアウスさんの治療をしたいですし、このまま王城まで行きます」
アウスにもの凄い目で覗き込まれて恐怖するソラを見かね、セリムはそう答えた。