079 アウスさん、料理の仕込みもお上手なんですよ
双刃が振るわれ、炎を纏った真紅の剣閃が身体を掠める。
脇腹に浅い傷を負い、鋭い痛みと傷を焼く熱にアウスは呻いた。
すでに彼女は全身至るところを斬りつけられ、満身創痍の状態。
ギリギリのところで致命傷だけは避けている、マリエールからはそう見えていた。
トドメを刺せずに焦れたサイリンは一旦間合いを離し、仕切り直す。
「中々しぶといじゃないかい……! ここまで粘るとは思わなかったよ」
「はぁ……、はぁ……。ふふっ……、褒めても何も出ませんことよ……」
息も絶え絶え、全身を負傷しながらも、その目は笑みを湛えてサイリンを不敵に見据える。
「ホント、見上げた根性だよ。何があんたをそこまでさせるんだい」
「愚問ですわね……。お嬢様への忠義、それ以外に何があると? 逆にわたくしがお聞きしたいですわね。あなたをそこまで奮い立たせる、その理由を」
アウスの発した言葉に、サイリンの眉根がピクリと動いた。
「……質問の意味がわからないねぇ。体力を回復させるための時間稼ぎなら、見苦しいからやめときな」
「ヒートハート、自身の身体を発熱させ、限界以上の力を無理やりに引き出す奥の手。こうしている間にも、あなたの体はどんどんダメージを受けている。時間稼ぎは都合が悪いでしょうね」
「わかってんじゃないか……っ!」
一瞬で間合いを詰め、炎の刃をアウスの心臓目がけて突き出す。
しかし、この攻撃も脇腹に傷を負わせるにとどまった。
サイリンは先ほどから早期決着を狙い、全ての攻撃を狙い澄まして急所に叩き込んでいる。
理由は勿論、長引けば体が持たないためだ。
なぶり殺しなどもっての外、その事は彼女自身が一番よく理解している。
極限まで高めたスピードから繰り出しているにも関わらず、命中しない。
攻撃を見切られているとしか思えないが、アウスが反応出来る限界速度は確実に越えているはず。
「どういう事だ、この速度について来られているのか……!」
「さて、どうでしょうね……!」
防御に徹しているのか、アウスは反撃をせず、ただ余裕の笑みを見せつけて意味深に言葉を返す。
「あんまり調子に乗るんじゃ……っ」
顔面を狙った突きは、左頬をわずかに掠める。
続けざまに繰り出した薙ぎ払い。
アウスの身体の前面、薄皮一枚を撫でるだけに終わる。
「ないよッ!!」
サイリンは気合の声と共に体を大きく捻り、一回転しながら横薙ぎの斬撃を放った。
威力は高いが隙の大きな一撃、いくらスピードが上がっていても、アウスほどの実力者ならばその軌道は先読み出来る。
正面から受けてしまえば、力負けして弾き飛ばされるだけ。
刀身を連結させたままの蛇腹剣で受け止め、刃をわずかに寝かせて角度を逸らす。
攻撃を受け流され、サイリンは大きく体勢を崩した。
「今っ!」
「チィッ!」
初めて生じた隙に合わせ、真空の刃を纏った鋭い刺突。
サイリンは崩れた体勢のまま、さらに自ら体勢を崩し、逆立ちに近い形を取る。
そのままバック転で飛び離れ、アウスの反撃は虚空を貫くだけに終わった。
異常発熱により汗は汗腺を出た瞬間に蒸発し、サイリンの体から蒸気の煙が立ち上る。
傷だらけのアウスとほぼ無傷のサイリン、しかし消耗具合はどちらも変わらない。
「ハァ、ハァ、クソっ、どうして当たらない!」
「随分とお辛そうですわね。もう一度お聞きしますわ。なぜあなたはそこまでして、わが身を犠牲にしてまで戦うのか」
「またその質問かい。決まってんだろ、金のためだ。あたしは賞金稼ぎなんでね」
「そう、では聞き方を変えてみましょう。あなたはなぜそこまでして、お金を欲しがるのでしょうか」
アウスの問いに対し、サイリンは確信を持って問い返す。
「……あんた、どこまで知ってんだ」
「おおよその事情は把握しておりますわ」
「チッ、そういう事かい。確かに魔王城なら、そんな情報も転がっているか……」
合点がいったように舌打ちすると、双刃を右手に構え直す。
「いずれにせよ、あんたが今から死ぬことに変わりはないよ」
「ええ、お互いに限界のようですし、これが最後の勝負——」
炎のエンチャントにより、二つの刃に灯った紅い炎。
風のエンチャントにより、短い刀身に纏った風の刃。
それぞれの魔力を宿した武器をそれぞれに構え、二人はじりじりと距離を詰める。
互いに余力は残っていない。
正真正銘、次が最後の激突。
「アウス、勝ってくれ」
「ご安心を。わたくしは絶対に負けませんわ」
親愛なる主君に返事を返すと、アウスは蛇腹剣を軽く振るい、連結を解除する。
サイリンは頭上で双刃を振り回すと、体の後方に構え、強く地を蹴って飛び出した。
やはり最後も直線的な突撃。
既にアウスは、仕込みを終えている。
後は攻撃の後隙を狙い、致命の一撃を叩き込むだけ。
「カウンターか何か、狙ってるんだろうけどねぇ!」
間合いギリギリまで突き進んだ時、サイリンは突如として左手を相手に向ける。
「エクスプロージョン!」
「なっ!?」
アウスの眼前で巻き起こる爆発。
不意を突かれ、彼女は後ろに飛び退きつつも無意識の内に目を閉じ、身を竦めてしまう。
「貰った!」
どんな手を使っていたのか知らないが、ここまでの隙を晒してしまえば攻撃を見切ることは出来ない。
怯んだアウスの背後に回り込み、サイリンは心臓目がけて突きを放った。
「これで終わり——ば、バカな……!」
アウスの心臓を背中から突き破り、胸の間から飛び出すはずの紅い刃は、またも彼女の脇腹を掠める結果に終わる。
「あり得ない、見切られる状況ではなかったはず……!」
「ヒートハート。どうやら体への負担以外にも、頭に血が上るという欠点もあるようですわね。冷静になれば、気付けたかもしれませんのに」
「冷静に……? ……こ、こいつは、まさか!」
「そのまさか、ですわ!」
振り返ると同時、アウスは得物を振るう。
動揺のあまり動きを止めたサイリンの胴体と腕に蛇腹剣が巻き付き、その体をきつく締め上げる。
「ぐっ……! あんた、いつの間にそんなマジックを仕込んだんだい……!」
サイリンが目を凝らすとようやく、アウスの周囲を幾重にも包む空気の層が見て取れた。
「最初の間に、ですわ。わたくしのフロウズエアー、まさか霧を吹き飛ばすだけのチャチな魔法だと思いました?」
フロウズエアーは、周囲の大気の動きを自在に操る魔法。
アウスはこの魔法を用いて上空から冷えた空気を呼び込み、自分の体を包みこんだ。
同時に、サイリンのカットラスと異常発熱によって暖められた空気を操作し、周囲に呼び込む。
熱せられた空気と冷えた空気が混じり合い、光を複雑に屈折させた。
それこそが、サイリンが何度も攻撃を外した理由。
彼女の目には、アウスの姿は実際とは異なる立ち位置に映っていた。
その攻撃が正確だったがゆえに、見えている像を正確に攻撃したがゆえに、サイリンは見当違いの場所へと攻撃を繰り返していたのだ。
「最初から、この展開を読んでたってのかい……!」
「仕込みはじっくり、用意周到に、ですわ。さて、そろそろ終わりにしましょうか」
蛇腹剣を振り上げ、アウスはサイリンの身体を上空高くに打ち上げつつ、その拘束を解除。
刀身に注ぎ込む魔力を更に上乗せし、暴風を纏った蛇腹剣を頭上で乱回転させる。
「タービュレント・テンペスト」
回転により巻き起こった巨大な竜巻がサイリンを飲み込み、真空の刃と蛇腹剣の乱撃がその全身を斬り刻んだ。
「ぐああぁぁぁぁぁああぁぁッ!!」
刀身を引き戻して連結させ、主君に向けて優雅にお辞儀をするアウス。
その背後に、サイリンがドサリと音を立てて落下した。
「お嬢様、曲者は排除致しましたわ」
「……うむ! 大義である!!」
目尻に涙を浮かべながらも、マリエールは家臣の勝利をしかと目に焼き付けた。
サイリンは全身に大小様々な傷を負い、もはや戦闘不能。
遅れて落下した双刃は、地面に激突した衝撃で連結が外れ、その刀身を包んでいた炎も消失する。
「ぐぅぅ……っ、全力で挑んだってのに……、更に上を行かれちまうとはね……」
「む、こやつまだ息があるか……! 待っておれ、情報を絞り出したら即刻処刑台に——」
「お待ちください、お嬢様」
いきり立つ主君を、従者は押しとどめた。
「なぜ止める! こやつはアモンを殺したのだぞ!」
「いいえ、アモンは殺されてはおりませんわ。そうでしょう、サイリン・マーレーン」
「……もう全部知ってる、そんな顔だぁね」
アウスの言葉に、サイリンは観念したかのように目を閉じる。
実際、彼女はもはや指一本動かせない。
アウスが何を口にしようと、止める事は出来ないのだ。
「な、なんなのだ、お主らだけで分かったような顔をして。余にも分かるよう、ちゃんと説明せよ!」
主の不満に応え、アウスは語り始める。
「お嬢様、王都にいる間、わたくしがアイワムズと情報のやり取りをしていたのはご存じですわね」
「う、うむ。伝書隼をバルコニーから飛ばしまくっておったな」
「イリヤーナにてアモンと再会した時、そちらで無様に転がっているサイリンの名前を出した途端に顔色が変わったのがずっと気になっておりまして。アモンの来歴を詳しく調べるよう、フェーブル姉妹に要請しておりましたの」
「なるほど、あの姉妹は情報収集においては真に優秀であるからな」
「すると、驚くべき事実が判明しましたわ」
調査結果として受け取った羊皮紙を、アウスは懐から取り出し、主に手渡す。
「それをご覧になれば、大方の合点はいくかと」
「む、これは……」
そこに記されていたのは、これまでのアモンの半生だった。
彼女は天涯孤独の身、物心ついた時には既に親はおらず、孤児院で育った。
その孤児院で共に過ごしたのが、同じく親の顔すら知らない孤児の少女、サイリン。
全く同じ境遇、同じ年齢の二人はたちまち親友となった。
仲間と友に囲まれ、孤児院のママ先生に守られた暖かな時は、やがて終わりを告げる。
魔族の成人年齢となる百六十歳となった二人は、孤児院から送りだされ、身を寄せ合って共に暮らし始めた。
しかし生活は貧しく、金の工面に困る日々が続く。
臆病で人見知りな性格のアモンには中々合う仕事が見つからず、短気で気性の荒いサイリンは何をやっても長続きしない。
二人が転々と職を変える中、サイリンはついに天職を見つけた。
腕っ節が全て、力こそが物を言う冒険者。
生活は一旦安定したものの、サイリンは家に戻るたびに傷を作ってくる。
自分のために生傷の絶えない彼女に胸を痛めたのだろうか、少しでもサイリンの負担を減らすためだろうか、アモンはこの頃から何度も魔王城の登用試験を受けている。
それから数年後、ついに魔王城への士官が決まった時、しかしサイリンの姿はどこにもいなかったという。
「うむぅ……、ここまで深い繋がりがあったとは。しかし、当然ではあるが推測やあやふやな所が多いな。当事者でなければ分からぬ事柄であるから仕方のないことだが」
「当事者ならば、そこで無様に敗北を晒して転がっておりますわ」
「……人の過去をペラペラと。プライバシーもあったもんじゃないね」
「そんな物はどうでもよい! 余が気になると言っておるのだ!」
「暴君みたいなこと言うねぇ。あたしゃあんたのメイドに大怪我負わされてんだよ。……ま、いいさ」
魔王の子供らしい我がままに苦笑しつつ、サイリンは過去を思い返す。
「あたしが冒険者として頭角を現して来た、五十年前。高額な報酬に釣られてヤバいブツの輸送を頼まれてね」
「や、ヤバいブツ……!?」
「秘密さ、お嬢ちゃんには刺激が強すぎるかもね。で、見事にドジっちまってさ、魔都にいられなくなっちまった。それからは根無し草、賞金稼ぎとして西へ東へさ。あたしはどうなろうがいいんだ、でも一人残して来たアイツが心配でね。せめて金には困らないよう、定期的に仕送りしてたんだが——まさか天下の魔王様の家臣に上り詰めてるとは思わなかったよ。あの泣き虫アモンがさ」
「そうだ、そのアモン! お主、本当にアモンは無事なのだろうな!」
感慨深げに呟くサイリンに対し、知ったことかとばかりに部下の安否を問いただす魔王様。
「慌てなさんな、アイツは生きてるよ。安全な場所に匿ってある。……無事とは言えないかもしれないがね」
「そ、そうか。生きていてくれたか、アモン」
部下の生存を聞き、ホッと胸を撫で下ろす。
安心したところで、次の疑問が鎌首をもたげた。
「む? アモンへの仕送りが金を求める理由ならば、何故今の戦いであそこまで身を削ったのだ。あやつが我が家臣だと、とうに知っておっただろうに」
「言ったろ、無事とは言えないって。……アイツの背中、斬っちまったんだよ。アモンだとは知らずに、さ」
「き、斬っただと!?」
「あたしゃ回復魔法なんざ使えない。明らかに致死量の出血を止めるには、炎で焼き塞ぐしか手は無かった。あたしのせいで、アイツの背中には大きな火傷が残っちまったんだ……。アレを消すには、莫大な治療費が必要だからさ、アンタのマントを奪って金貰って……、全部アイツに渡してさ……。アイツの前から姿を消そうって、思ってたんだが……」
「なるほどな。よーく分かった」
「……それじゃあ、そろそろ気を失ってもいいかい? 正直なところ、もう限界でね……」
致命傷ではないが、かなりの出血量。
気力だけで意識を保ってきたが、そろそろ限界だ。
「うむ、ゆっくり休むが良い。お主にはまだまだ、聞かねばならぬ事が山とあるでな」
「お優しい魔王様だねぇ……。それじゃ、ちょっくら休ませてもらうよ……」




