008 あくまでも友達として、ですから!
風凪ぎの草原突入から二日。
夜空の下、風の循環しない淀んだ空気の中を二人は進む。
隠密行動のために最低限の会話しか交わさず、火照る体を冷ます風は吹かない。
昨夜の野宿はセリムにとってもソラにとっても堪えるものだった。
無風地帯ゆえの蒸し暑さ、流れる汗が服を体にべったりと張り付ける寝苦しい夜。
今夜もこの場所で野宿なのか、そう覚悟を決めた瞬間、爽やかな風が二人の全身を包み込んだ。
「っはぁーーーーーーっ!! 抜けたぁーーーーっ!」
「……ふぅ、境界を越えたようですね。風が気持ちいいです」
モンスターの生息する危険地帯は抜けた。
声を出すのを我慢していたソラは、両手を突き上げつつあらん限りの声で叫ぶ。
「なんか空気もおいしく感じる! セリム、風って素晴らしいね!」
「そうですね、ソラさん。さて、もう少し歩いてから野営といきますか」
「おーっ!」
大きく腕を振って元気いっぱいに隣を歩くソラ。
彼女のポニーテールが風になびいてゆらゆらと揺れる。
大きな赤いリボンが動物の耳のようでかわいいと、セリムは密かに思っている。
「この調子なら次の町まですぐだね!」
「はい、順調にいけばあと十日くらいです」
「……え、そんなに? そんなにかかるの? 風凪ぎの草原越えてすぐとかじゃないの?」
「徒歩ならそのくらいはかかるでしょうね。途中に宿場があればいいのですが。……最悪の場合、あと十日、お風呂に入れないんですね」
サバイバル生活を送っていた頃は、半年間風呂に入らないなんてこともあったが、今となっては考えられない。
無風地帯で汗だくになってしまった体を、セリムは早くも気にし出していた。
「あたしは別に、お風呂なくても平気だけど。セリムは気にしそうだもんね」
「ソラさんこそもっと気にしてください。せっかく可愛いんですから」
「可愛い……。にひひ、もっと褒めて褒めて」
「褒めてません、身だしなみに少しは気を使ってと言ってるんです」
彼女との付き合いはまだ短いが、自分のファッションにまるで無頓着なのはよく分かる。
いっそ無理やりにでも可愛い服を着せてやろうか。
密かにソレスティア嬢改造計画を立ちあげるセリムだった。
「もうすっかり夜も更けましたし、今日はここまでにしましょう。野営の準備をしますよ」
「はーい。セリムよ、今日はソラ様特製の豪快な料理をごちそうしてしんぜよう」
「料理なんて出来るんですか、あなた」
「失礼な、焼くだけなら出来るわよ!」
「はい、私に全部任せてください」
ポーチの中から炎の魔力石と薪を取り出す。
土の上に置いたオレンジ色の石を中心に、薪を円状に並べていく。
魔力石の熱が種火となり、薪が煙を吹きはじめる。
空気の通りを考慮して、隙間を作りつつさらに並べていくと、燃え盛る焚き火が出来上がった。
「これでよし、と。では早速フライパンを取り出して」
「ねえ、セリム」
「なんですか? 料理したいと言っても代わりませんよ」
グラスウルフの肉に岩塩をまぶしてフライパンの上へ。
火力を調節しつつ焼き上げていく。
「違うわよ、そうじゃなくて。セリムってどうして戦う時に爆弾使うの?」
「どうして、と言いますと?」
「だって、普通に殴ったり斬ったりしたほうが強いじゃん。わざわざ消耗品の爆弾を使う意味あるのかなって」
「そう、ですね…………」
手持無沙汰になったソラがぶつける、ずっと抱いていた疑問。
フライパンを上下させながら少し考えると、セリムは答えを返す。
「私、好きなんですよ。爆散したモンスターから色々飛び散るのが」
「……は!?」
「さっきまでそこにあった顔が粉々に弾けて、肉塊が辺りに飛び散る。その瞬間がたまらなくって、病みつきなんですよ。うふふふふっ」
「え、ちょ、待って。ウソでしょ、冗談で言ってんだよね?」
焚き火に照り返された、フライパンを見つめるセリムの表情が、どこか不気味に感じてしまう。
彼女はゆっくりとソラの方を向いてニッコリ笑った。
妙な迫力に、ソラの喉がごくりと鳴る。
「嘘です♪」
「……あ、はは、そうよね。いくらなんでもそれは無いわよね。あはは……」
「はい、本当は服に返り血が付くのが嫌なんです。武器が短剣ですからね、至近距離で斬りつけるので返り血を浴びるのは避けられません」
「そ、それで爆弾使ってるんだ、へ、へぇ〜」
そう、冗談に決まっている。
セリムが爆殺に快感を感じているなど、あり得ない。
必死に自分にそう言い聞かせる。
妙に真に迫った笑い方だったのも、口調が本気だったのも。
全部迫真の演技に決まっているのだ。
「どうしたんですか? 顔、ひきつってますよ?」
「きっ、気のせいじゃないかしら。それよりお腹空いたわー、あはははは……」
「もうすぐ出来ますので、ふふふふふ……」
考えるのはやめにする。
これ以上この件について考えてはいけない。
ソラは意識を焼き上がる肉の匂いに集中させる。
「ふふっ、真に受けるソラさん、可愛らしいです」
からかい甲斐のあるソラに聞こえないよう、セリムはこっそり微笑んだ。
○○○
それから十日後の夕暮れ時。
長い長い旅の果て、コロドの町が彼方に見えてきた。
「セリムセリムーっ、町だよ、とうとう見えたよーっ!」
「あ、ああ……。やっと、やっとお風呂に入れますぅ……」
ここまでの道中、宿場は一つたりとも存在しなかった。
暗がりで服を脱ぎ、濡れた布で体を拭く程度しか出来ていない。
一刻も早く暖かいお湯と石鹸で体を流したい、髪を洗いたい。
その一心でセリムは足を猛烈な勢いで動かす。
「歩くの速い、速いって。そんなに急いでどうしたのさ」
「お風呂が、お風呂が私を待っているんです。ソラさん、まずは宿屋に直行ですよ、いいですね」
「お風呂? セリム、体臭いの?」
「何てこと聞くんですかっ! デリカシー無さ過ぎです!」
十二日間着たきりの服に汗をかきながら歩き詰めの体。
自分の体臭がどうなっているかなど、怖くて確認すらしていない。
「どれどれ、すんすん」
「わひゃっ! ソラさん、何をして……」
突然セリムの首筋に顔を埋め、ソラは執拗に匂いを嗅ぐ。
彼女の息が当たるたび、なんとも言えないくすぐったさを感じてしまう。
「すんすんすん。うん、大丈夫だよ。セリム全然臭くないし、むしろいい匂いだから」
「うぅっ、それはどうも……」
至近距離で体臭を嗅がれた挙句、その感想まで頂いてしまった。
真っ赤になった顔が夕暮れの色でばれないことを祈りつつ、さらに足を早める。
「さっ、早く行きますよ。——もう、ソラさんのくせに、私をドキドキさせるなんて……」
後半は聞こえないように小さく小さく口にする。
セリムの早歩きはソラの全力疾走とほぼ同じ。
ポニーテールを揺らしつつ必死で後ろを付いていく。
「だ、だから速いってばぁ!」
程なくして、二人は遂にコロドの町の入り口ゲートをくぐった。
久しぶりの人里に、セリムはこの上ない安心感を覚える。
はしたなくも野原で裸になって体を拭くなど、危うく野生児に戻るところだった。
「さ、宿です。お風呂です。全てはその後、情報収集も二の次です。いいですね」
「わかったわよ……。どの道もう日も暮れるしね」
宿を探して二人は通りを歩きつつ、町並みを見渡していく。
道は石畳など敷き詰められてはおらず、自然の土をなめした砂利道。
緑豊かな山間部に存在するこの町は林業が盛んで、立ち並ぶ建造物も木製のものが多い。
だが決して田舎町という訳ではなく、必要な施設・店舗はまんべんなく揃っているようだ。
通りの一角に、二階建ての木造建築物が見えた。
そこにぶら下がる、ベッドマークの看板。
「ありました、宿です! あぁ、やっと人間らしい時間が過ごせます、町にいる間はオシャレだって出来ます……」
「よっぽどトラウマなんだね、原始人生活」
「やめてください、本当にやめてください。原始人とか言わないでくださいお願いですから」
「ご、ごめんごめん。もう言わないから……うにゃっ!」
突然ソラの体に走る衝撃、何かとぶつかってしまったようだ。
隣にいるセリムを見ながら歩いていた、彼女の前方不注意である。
ソラの前で尻もちをついているのは、小さな女の子。
髪色は黒、まだ十歳にも満たない歳だろう。
「ごめんね、大丈夫? ケガしてない?」
「…………っ」
助け起こそうとした途端、少女は自力で起き上がった。
そして、何も言わずに走り去ってしまう。
「あれ? 怖がらせちゃったのかな」
「ソラさんを怖がるなんて有り得ないですよ、愛嬌ある顔ですし。きっと急いでたんでしょう」
「……じーっ」
「ん? どうかしましたか?」
セリムの顔をじーっと、わざわざ声に出してまで、じろじろと見つめてくる。
「セリムってさ、結構あたしを褒めてくれるよね。……もしかしてあたしのこと、好きなの?」
「……は? なっ、ばっ、なっ」
「花々?」
訳のわからないことを突然言われ、訳のわからない言葉しか口から出てこない。
キョトンとするソラの前で、何故か顔がどんどん赤くなってしまう。
「あ、アホですかっ! 私がソラさんを好きだなんてっ、そんなっ! 天地がひっくり返ってもあり得ません!!」
「そ、そんなに否定しなくても……。あたしはセリムのこと好きなのに……」
「はい!? そんな、そんなの突然言われてもですね、まだお互いの事もよく知らないのに、そんな……」
「セリムはあたしを嫌いなんだ……。友達だと思ってたのにな……」
「あ、と、友達、ですか。そうですよね。……ふぅ」
パニック状態の頭がやっと落ち着いた。
そう、ソラが言ったのは友達としての好意。
なにを慌てているのか、何を勘違いしているのか。
「コホン、当然私もソラさんのことが、その、好き……ですよ? もちろん友達としてっ!!」
照れくさいけども誤解をさせたままではいけない。
泣きだしそうなソラに対し、好意を伝える。
最後のセリフは特に強調。
「ほ、ほんと? 良かったぁ、あたしセリムに嫌われちゃったかと」
ソラの顔に笑顔が戻る。
この笑顔を見るたびに、セリムの胸は暖かさに包まれる。
それは大好きな友達だから。
誰に言い訳するでもなく、セリムは心の中で強く繰り返す。
「嫌いな人のためにこんな思いをしてまで付いて来ませんよ、もう。余計に汗かいちゃいました。宿に行きましょう」
「おーっ! ところで宿代は——」
「もちろんソラさん持ちです。当然でしょう、あなたが依頼人なのですから」
「だよねー……」