078 狙い通りですよ? 本当ですよ?
アウスがその身に纏った竜巻の鎧。
その風は火炎魔法を弾き、近寄れば真空の刃の餌食になる。
一瞬だけ怯んだ様子を見せるサイリンだったが、すぐに口元を歪め、余裕の笑みを浮かべた。
「はっ、知ってんだよ。ソイツは出した状態じゃあ身動きが取れないタイプの魔法。確かにそいつを出しながら攻めてこられちゃお手上げだが、そうそう便利なモンは無いってコトさね」
「……おやおや、ご存知でしたか。エンチャント」
風の鎧を消しつつ、アウスは蛇腹剣に風の魔力を込める。
「はっ、余裕ぶっても無駄だっての。エンチャントォ!」
対するサイリンも、両手のカットラス、その刀身に炎の魔力を纏わせた。
アウスは刀身を分離させ、蛇腹剣を鞭のように振るう。
風を纏った刃が敵を刺し貫くべく一直線に突き進む。
「そんな直線的な攻撃!」
サイリンの持ち味は、踊るような軽快なフットワークと身のこなし。
真っ直ぐな軌道で進む風の刃を、身軽な体捌きで軽々と回避する。
アウスは連続で剣を振り、次々に刃を浴びせる。
首を狙った斬撃を身を沈めてかわし、次に襲い来た地面すれすれの刃を飛び上がって避ける。
空中においても、体を捻った姿勢制御で斬り上げを回避。
着地と同時に走り込むサイリンに対し、アウスは刀身を連結させてから飛び下がり、距離を取る。
「どうしたメイドさん、あたしに接近戦を挑むのが怖いのかい!?」
「そちらの間合いで戦うほど、バカではありませんので。ウィンドカッター」
着地の隙を狙われないよう、風魔法で牽制。
サイリンが片手のカットラスで軽く弾いて見せる間に、アウスは次の手を講じていた。
「アトモスプレッシャー」
「ぐっ……! これは……っ」
アウスが手をかざした瞬間、圧縮空気がサイリンに圧し掛り、強烈な重圧によって立っていることすら困難になる。
地に片膝を突く彼女に対し、アウスはトドメの大技を繰り出すべく魔力のチャージを始める。
「随分と呆気なかったですわね。仕方ありませんか、一度わたくしに負けているのですもの」
「ハッ、勝ち誇るのはまだ早いよ。あの戦いで全てを見せていなかったのは、あんただけじゃない」
「強がり——ではなさそうですわね」
サイリンの周囲の空気が歪み、彼女の体から蒸気が立ち上る。
その原因は体の異常な発熱。
空気の重圧に抗って彼女は身を起こし、ついには両の足で地を踏みしめた。
アウスは魔力を上乗せして重圧を強めるが、サイリンはもはや微塵も圧力を感じてはいない。
その姿がわずかにぶれたかと思うと——、
ズバシュッ!
「づっ……!」
「アウスっ!!」
彼女は一瞬で自分の間合いに飛び込み、攻撃を仕掛けてきた。
首を狙って繰り出した神速の斬撃に、アウスはギリギリのタイミングで反応し、体を傾けて回避を試みる。
だが、サイリンの速度は圧倒的。
完全には避け切れず、二の腕に鋭い痛みが走る。
斬られると同時、刀身に纏った炎が傷口を焼き潰した。
出血は抑えられるが、代償に痛みは激しい。
歯を食いしばって耐えながら、アウスはバックステップで距離を取ろうとする。
「無駄だよッ!」
瞬きをする程の僅かな間に、またもやサイリンはアウスの眼前に踏み込んだ。
炎を纏ったカットラスを振りかざし、同時に振り下ろす。
先ほど見た太刀筋、しかし速さが全く違う。
なんとか刀身で受け止めるが、パワーも桁違いに上昇している。
勢いを殺しきれずに、アウスは大きく後ろに吹き飛ばされた。
そのまま地面を何度もバウンドし、大岩に激突してようやく停止。
「っううぅ……!」
痛みに呻きながらも闘志は折れず、アウスはその身を起こす。
「力も速度も、先刻までとは桁違いに上昇している……。一体何が——そう、あなたはフレイムナイト、でしたわね」
「そうさ。だがコイツはあたし自身もかなりキツイんでね、出来れば使いたくなかったが、そうはいかないらしい」
魔法剣士の一つ、ウインドナイトであるアウスは、他の魔法剣士クラスについての知識も持ち合わせている。
サイリンが用いたのは、炎を操るフレイムナイトの切り札。
自身の体温を大幅に上昇させ、筋肉と血流を活性化させることで身体能力を大幅に上げる固有技能。
その絶大な効果と引き換えに、自身の体に多大な負荷をかける諸刃の剣。
「ヒートハート、使わせて貰ったよ」
「——これは、少々厳しい戦いになりますでしょうか」
「厳しいどころか、あんたはもう終わりさね」
目視すら困難な速度で、サイリンは突進をかける。
アウスはその速度を利用し、敵の自滅を誘った。
魔力を用いて前方に展開したのは、三本の竜巻が連なった防壁、トルネードウォール。
勢いのままに飛び込めば、風の刃が全身を切り刻む。
「そんなチャチな壁に突っ込むとでも思ったのかい!」
が、そう易々と自滅するはずもなく、敵は上空高くに飛び上がった。
「アテが外れたね!」
「いいえ、狙いはこれからに御座います」
ここまではアウスの計算通り。
サイリンがトルネードウォールを回避して飛び上がることも、予想の範疇だ。
アウスは今、大岩を背にして立っている。
前方三方向には竜巻の壁を展開、唯一の死角である頭上から攻撃を仕掛けてくるのは読めていた。
「わたくしの狙いは、素早いあなたを空中に釘付けにすること」
トドメの一撃を放つための魔力は、既に溜まっている。
いつでも繰り出せる状態にあって温存したのは、確実に当てられるチャンスを待っていたからだ。
「エンチャント、ストームフレイル」
刀身全体を覆っていた風の魔力が先端部に、鞭状になった切っ先に集まっていく。
透明な風の刃は球状に一塊となり、極限まで圧縮されて目視すら可能となった。
蛇腹剣の先端に荒れ狂う丸い嵐。
空中で無防備なサイリンに対し、繰り出すは必殺の一撃。
まるでモーニングスターのように蛇腹剣を振り回し、風の鉄球を敵に目がけて叩きつける。
「今度こそ、終わりですわ」
「だから、言ってんだろ! 甘く見過ぎだって!!」
目前に迫る超高密度の風の塊。
サイリンは炎を纏った刀身をクロスして、防御の姿勢に入る。
風塊が炎刃と衝突し、激しくしのぎを削る。
「ぐぅぅぅぅぅぅぅっ……、はぁッ!!!」
裂帛の気合と共に、サイリンは風の鉄球を押し返した。
更に彼女は両手の剣の柄を繋ぎ合わせ、カットラスは両刃の双刃へとその姿を変える。
そして空いた左手を風塊に向け、圧縮した炎の魔力を爆炎として解き放つ。
「エクスプロージョン!!」
蛇腹剣の先端で大爆発が巻き起こり、風の塊は爆風に掻き消される。
「こんなことが……!」
アウスはすぐさま剣を引き戻し、刀身を繋ぎ合わせた。
そのまま防御の体勢に移ろうとした時、すでに敵は目前で双刃を振り抜こうとしている。
「殺ったッ!」
「そう簡単には……っ!」
振り抜かれる横薙ぎの一閃。
重い一撃を刀身でガードしつつ、しかし衝撃には逆らわない。
敵のパワーを利用し、右方向へと高速で跳ね飛ばされたアウスは、空中で風魔法を用い姿勢を制御。
足裏に生み出した風を推進力にして更に距離を取り、体勢を整えつつ着地した。
「これで距離を——」
「稼げるとでも思ったかい?」
それでも、間合いは離せない。
すぐさま至近距離に詰め寄るサイリンの、炎を纏った双刃による嵐の如き連続斬撃。
致命傷こそ紙一重で避けているものの、アウスの全身に次々と傷が刻まれていく。
「アウス……!」
「お嬢様、ご心配には及びませぬ……! このアウス、絶対に負けませぬゆえ……」
「ハッ! いいねえ、ますます見たくなったよ! 強気なメイドさんの情けない死にざまをさぁ!!」
炎の刃が体を掠め、メイド服を刻み、白い肌に火傷が刻まれていく。
まるでなぶり殺しのような一方的な戦いに、マリエールは思わず目を逸らしそうになってしまう。
しかし、アウスは主君である自分のために命を賭けて戦ってくれているのだ。
見届けなければ、たとえどんな結末になろうとも。
○○○
ソラの負担にならず、山崩れも起こさない範囲の速度で、セリムは山道を数時間駆け回った。
しかし一向に幻覚魔法は解けず、いたずらに時を重ねるだけに終わる。
「全然撒けませんね。案外ガッツあるみたいです、あの敵さん」
「んー、あたしとしてはセリムの方に作戦変更を期待してるんだけど」
この三時間ほど、ソラはずっとセリムにお姫様だっこされていた。
さすがに恥ずかしいのか、先ほどから両手のグーを擦り合わせてもじもじしている。
「作戦変更ならとっくの昔にしてますよ。とりあえずソラさん、名残惜しいですが降りて下さい」
「……うん、やっと地に足がついた感じ」
ようやくお姫様だっこから解放され、比喩でもなんでもなく地に足がついたソラ。
ずっとセリムの顔を見上げていた彼女は、霧の向こう側に見える巨大な化け物のシルエットに気付き、悲鳴を上げる。
「うぴゃあああぁぁっ!! なんかとんでもないのがいるぅ!!」
「落ち着いて下さい、今の私たちは敵の幻覚魔法の真っただ中だって忘れたんですか」
「あ、そっか。あれも幻覚なんだね」
「っていうかずっと出てましたよ? 一体どこを見てたんですか」
「どこって……、それはその……」
まさかずっとセリムに見惚れてましたとは言えず、ソラは口ごもる。
「そ、それよりもさ、幻覚魔法ってこんなもんなの? 影が遠くでウロウロしてるだけとか、なんかショボくない?」
「私たちのレベルが高いせいでしょうね。幻覚魔法は術者よりレベルが低いほど、大きな効果を発揮します。それこそ周りの地形すら判別不能になり、身動き一つ取れなくなるほどに。大きな影が見えるだけということは、ソラさんはもうブロッケンと大して変わらないレベルなのでしょう」
「おぉ、つまりあたしたちに幻覚は通用しないのか」
「そんなこと、相手の方も百も承知です。目的はあくまで気配のジャミング、幻覚なんておまけ程度ですよ」
こうしてマリエールたちとはぐれ、山中を彷徨っている時点で敵の思うツボ。
一刻も早く幻覚を排除しなければならない状況には変わりないのだ。
「さて、作戦変更についてですが、私はこの場所を目指して走っていました。周りの風景を見て下さい、何かに気付きませんか?」
「周りって、えーっと……」
霧に囲まれて周囲の状況はよく分からないが、少なくとも目の届く範囲には岩場と砂利だけ、高い木々は全く見当たらない。
「何にもないね」
「その通り、何にもないんです。ここは山頂付近の切り立った峰の上、森林限界はとうに過ぎてます。周囲五百メートルに遮蔽物はありません。……多分」
「多分なんだ」
「ちゃんとは見えませんからね。ですが、あっても大きな岩ぐらいでしょう。補足すると、幻覚魔法の射程も五百メートルほどです。つまり今、ブロッケンの姿を隠すものは霧だけなんですよ。……大きな岩が無ければ」
「ふんふん、つまりあとは霧を無くせばいいわけだ」
「珍しく冴えてますね」
「なでなでは?」
「お預けです」
ずっと身を隠して尾けている敵の姿も、この場所ならば丸見えになる。
ただし、霧さえ取っ払えばだが。
「で、どうやって霧を無くすの? なんかいい感じのアイテムがあるとか?」
「それは勿論——」
セリムは右手をゆっくりと振りかぶり、万力の如き力を込める。
何となく嫌な予感がしたソラは、彼女からゆっくりと距離を取って姿勢を低くする。
「吹き飛ばします」
ブオオオォォォォォォン!!!!!
か細い腕が振るわれると当時、凄まじい轟音と共に暴風が吹き荒ぶ。
まるで嵐の只中に放り出されたかのような風圧を顔に受けながら、ソラは離れておいてよかったと心底思った。
セリムの腕が起こした暴風によって、周囲五百メートルの霧はまとめて吹き飛ばされる。
「ヒィ……、ヒィ……。元気なお嬢ちゃんだねぇ……。ついていくので精一杯だよぉ……」
長時間セリムを追いかけ続けて、足下もおぼ付かぬほど疲労困憊のブロッケン。
霧に隠れながらセリムの後方四百メートル地点を進んでいた彼は、この後己の身に降りかかる不幸を知る由もない。
「ん、なんだか急に風が強く……」
異変を感じた瞬間、突如として前方から吹き付ける、風速六十メートルは下らない暴風。
この時、彼は死を覚悟したという。
腕一本で霧を吹き飛ばして見せたセリムは、得意げにソラへと振り返る。
「どうですか、これなら敵の位置も簡単に分かります」
「そ、そうだね、さすがだね……。さ、さーて、敵はどこかなー……」
思わぬ力技での解決に慄きつつ、ソラは目視による索敵を開始——するまでもなく、
「あ、いた」
あっさりと発見。
しかしブロッケンは今この時、暴風に煽られてバランスを崩し、
「ヒ、ヒィィィィィィィィッ!!」
絶叫しながら斜面を滑落していく所だった。
「いたけど、あれ大丈夫なの?」
「え、えっと……」
何度も岩場に叩きつけられながら、やがて彼の姿は遥か霧の彼方へと消えて行った。
同時に、三時間もの間常に視界に見え続けていた巨大な怪物の影は跡形もなく消え去る。
「ま、まあいいじゃないですか。結果的にジャミングは解除、これでマリエールさんたちを助けに行けます」
「敵を捕まえて情報を聞きだすってのは……。そもそも今の敵、生きてるのかな」
「細かいことを気にしてる時間はありませんよ。ほら! 今すぐ駆け付けましょう」
必死に現実から目を逸らしつつ、ソラをお姫様だっこ。
セリムはそのまま、マリエールの気配を目標に地形を無視して突き進み始めた。