076 王宮での暮らしを知ってしまったら、もう野宿なんて耐えられません
昼食を終え、平穏な午後の一時を過ごしていた魔王主従。
主君の未成熟な体を隅から隅までむしゃぶり尽くすべく、メイドがよからぬ企みをくわだて始めた時、彼女たちの部屋にその書簡は届けられた。
何重にも畳まれ、封で閉じられた羊皮紙。
機密を示す印が記された書簡は、アイワムズで情報をやり取りする際に使用されるものだ。
人間の社会では一般に知られていない方式であり、誤って開封されないようルーフリーが気にかけてくれたらしく、彼自らが足を運んで届けてくれた。
ルーフリーから書簡を受け取ったマリエールは、その内容に目を通すと驚愕に目を見開き、すぐさまセリム達に知らせるため部屋を飛び出そうとする。
しかしアウスがそれを押しとどめ、ついでに全身をまさぐりつつ、城内から二人の気配を感じると伝えた。
こうして彼女たちは、気配を頼りにこの部屋までやって来たのだ。
そして今、書簡に目を通したセリムは、マリエールとはまた違う驚きを感じていた。
「アモンさん、マリエールさんの部下だったんですか……」
「な、なんだセリム、あやつのことを知っておったのか!?」
「はい、リーヤ丘陵のアリの巣で……」
「突然出て来てさ、アリの巣の構造を魔法で見せてくれて、助けてもらったんだよね」
「そうであったか……。実はアモンとはイリヤーナの町で偶然遭遇してな、本国に帰還するように命じたのだが、まさか戻らずに諜報活動を続行しておったとは……」
臆病者のアモンが魔王の命令に逆らってまで活動を続けた理由が、マリエールには全く思い当たらない。
一方のアウスは、主とは異なりあまり驚いた様子を見せていなかった。
優秀な彼女のことだ、何か裏で動いていても不思議ではないが。
「お嬢様、アモンめの処遇や事情の詮索は後回しに。今重要なのは、この書簡に記された情報にございますわ」
「……で、あるな」
マリエールは改めて、書面に目を通す。
記された情報は、諜報活動の末に敵の本拠地を発見したとの報告。
詳しい位置はマリエールに口頭で直接伝えたいので、約束の日付にここへ足を運んで欲しい、とのことだ。
待ち合わせの日時は三日後。
場所は王都北東、霧深い山として有名な危険地帯、危険度レベル31・ブルズ山地。
「どう思いますか、お嬢様」
「アモンの諜報能力は確かだ。誤った情報ではあるまい。王にも事情を伝え、余自らが足を運ぶ」
「危険ですわ。わざわざこのような場所に足を運べなどと、罠かもしれません」
「しかし情報が真実なら、またと無い機会。たとえ罠でも、アウスとセリムがおれば打ち破れよう」
「はいはい、あたしもいるよ! マリちゃん、英雄の一人であるあたしも忘れないでね!」
「それに、今は敵の情報がなんとしても欲しい。多少の危険を冒してでも、出向く価値はあると思うが?」
彼女の決意は固く、その言にも筋が通っている。
そこまでの覚悟があるのなら、アウスからはもう何も言えない。
ただ全力で、敬愛する主君を守るのみだ。
「……仰せのままに。わたくしが常にお嬢様のお側に控えておりますゆえ」
「うむ、頼みにしておるぞ。セリムも、共に来てくれるな」
「勿論です。私もあのお馬さんには貸しがありますからね。しっかり取り立てないと」
「あたしもいるから! あたしも頼りにしてー!」
「ソ、ソラよ。お主のことも忘れたワケではないから安心せよ……。よろしく頼むぞ……」
「おっしゃ、オーガでもヴァイパーでもどんと来い!」
セリムも快諾。
ドラゴンを軽々と消し飛ばしたあの力を目の当たりにした今、彼女の同行は魔王としても非常に心強い。
自動的にソラも付いてきたが、なんだかんだで彼女も腕は上がっている。
足手まといにはならないだろう。
「ブルズ山地は徒歩で二日の距離ですわ。出発は明日に致しましょう」
「それが良いな。ではセリムよ、明日の早朝、宿に迎えに行くぞ」
「あ、それなんですけど。私たち、今日からお城に部屋を用意して貰ったんです」
「城に……? 何故そのような事を。金に困っているわけでもあるまいに」
不思議そうに首を捻る魔王様。
彼女にとって、城に押し込められるこの現状はどうしても避けたかった事態。
王都襲撃事件が起こって以来、身動きは取りやすくなったものの、やはり何をするにも不自由だし窮屈なのだ。
そんな状態に自分から飛び込んでくる理由が、王宮育ちの彼女にはいまいちピンと来なかった。
「実は、あの事件で私たちすっかり有名になってしまいまして、どこに行っても追っかけがいるんです……。今日もお昼ご飯すらロクに食べられてなくて……」
「そ、それは……、難儀なことである」
セリムから苦労話を聞いて、マリエールもようやく納得。
彼女の話でソラは空腹を思い出し、お腹の虫が雄たけびを上げるのだった。
○○○
翌日の早朝、未だ夢うつつなマリエールを抱えたアウスが、セクハラの限りを尽くしながら二人の宿泊する部屋を訪れる。
とうに着替え終わり、必要な物もポーチに詰め込んでいた二人は準備万端。
魔王主従と共に、セリムとソラは城門をくぐって短い旅路に出た。
前日の間にマリエールは王とかけ合い、数日間の外出許可を取っていた。
すでにこちらの事情を知らされている上に、セリムも同行するとあって、想像以上に話はスムーズに進んだ。
王のセリムに対する信頼は、もはや揺るぎないものとなっているようだ。
旅装を身にまとい、腰の後ろ、お尻の上に短剣を差したセリムと、真新しいドラゴン装備で全身を固め、愛剣を背中に背負ったソラ。
そしてマント姿のマリエールと、彼女に付き従うメイド服のアウス。
「なんだか懐かしいですね。この四人での王都への旅路、もうずっと前のことのようです」
「ようやく気楽な旅が出来るのだな。王宮は肩が凝って仕方ないぞ」
東区画の大通りへと向かう貴族街の坂を下りながら、一行は会話に花を咲かせる。
短い間ながらもまた旅が出来るとあって、マリエールのテンションは殊更に高い。
「そんなに嫌ですか、王宮。とっても快適でいい暮らしだと思いますけど」
「セリムよ、それはお主が王族ではないからだ。一々やることに制限がかかり、どこに行っても誰かの目が光り、何をしていてもセクハラの手が休まる事はない」
「最後のは違うんじゃないかな」
「そう、今の余は籠から解き放たれ、自由に空を舞う鳥。この解放感はお主らには分からぬであろうな……」
マリエールの不満の理由、三分の一はメイドと妹にあるのではないだろうか。
セリムが元凶の片割れに視線を送ると、彼女は主の一歩後ろを静々と歩いている。
心なしか視線がお尻に向いているような気がした。
その様子をじっと見つめていると、メイドと目が合ってしまう。
優雅に微笑むアウスに、セリムは曖昧な笑顔で返した。
「ところでセリム、最後のお風呂は楽しんだ?」
「最後? 何を言い出すんですか、ソラさん」
本城ではなく支城ではあったが確かに浴室は豪華絢爛、置いてある石鹸もとてもいい香りがした。
存分に楽しんだつもりではある。
しかし最後とはいかなる意味だろうか。
追い出されるような事は何もしていないし、少なくとも事件が解決するまでは置いてもらえるのでは——。
「これから三日くらい、野宿だよ」
「………………あの、私、お城に帰らせていただきます」
おもむろに回れ右して、坂を登りはじめたセリム。
ソラは慌てて背後から彼女を抱きしめ、止めようとする。
「待って待って待って、帰っちゃダメだよ! セリムはいなきゃいけないんだってば!」
「放して下さい! もう野宿は嫌です! あんな暮らしを知ってしまったら、お風呂にも入れないなんて耐えられません!」
「お風呂入らなくても平気だよ! セリムはとってもいい匂いするもん!」
「嘘です! 汗をたっぷりかいた私の脇とか首筋とか、絶対臭いですもん!」
「臭くないって! 嗅ぎたいしむしろ舐めたいから!」
「……え? 突然何を言い出すんですか……、ソラさん……」
唐突に飛び出した変態発言。
若干引き気味のセリムの顔を見て、ソラの顔が青ざめる。
ついうっかり、思ったことをそのまま口に出してしまった。
「いや、違くて……。違わないんだけど、そうじゃないの。えっと……、とにかくそのぐらいセリムは綺麗だから! たとえお風呂に入らなくても、舐めて大丈夫なくらい綺麗だから!」
「そ、そんなに綺麗だとか連呼しないで下さい……。恥ずかしいです……」
「いいや、何度でも言うよ! セリムは綺麗! 可愛くって綺麗で良い匂いがして、ホント大好き!」
「や、やめて下さい……、恥ずかしくて死んじゃいますぅ……」
勢いで誤魔化せそうな雰囲気に勝機を見たソラは、更に畳みかける。
「セリムの匂いならいくらでも嗅げるから! 今だって首筋の匂い嗅いじゃうから! すんすん……」
「ひゃわっ、何するんですか……! すんすんするのだめぇ……っ」
背後からセリムを抱きしめ、首筋に顔を埋めるソラと、首に当たる鼻息に身を竦めて艶めかしい声を出すセリム。
早朝の爽やかな空気の中、貴族街のど真ん中で繰り広げられる痴態をマリエールはじっと眺める。
「……なぁ、アウスよ。朝も早くから、余は一体何を見せられておるのだ」
「あらあら、素晴らしい光景ではありませんか」
「むぅ、確かにこれも懐かしくはあるが……」
早朝からバカップルの絡みを見せつけられ、上がりきったマリエールのテンションはガタ落ち。
その一方で、アウスはホクホク顔を浮かべながら二人を見つめていた。
こうして始まった、ブルズ山地への短い旅。
東門を出て北東へ進路を取り、未舗装の狭い道をひたすら進む。
王都の東側には大きな町が存在せず、自然の中に小さな村が点在する地域。
たとえ王都の側といえども宿場など無い、セリムにとっては過酷な環境だ。
「道、狭いですね。人、いないですね。見渡す限り、山と草原ですね」
「清々しいな。肺の中の空気が浄化されていくぞ」
「宿場……、お風呂……、ベッド……、ぶつぶつ」
負のオーラをばら撒きながら、道端に自生した素材用の草をむしるセリム。
爽やかな空気を胸いっぱいに吸い込み、ご満悦のマリエール。
対照的な二人を含む一行は、それでも順調に歩みを進め、日が暮れる頃、行程の四分の三ほどの地点でキャンプを張った。
セリムお手製の野営料理で満腹になったマリエールは、そのままアウスの膝の上で眠りにつく。
寝息を立てる主を抱えてほくそ笑みながらテントへと入っていったメイドを無言で見送ると、セリムはすっと立ち上がる。
「さて、と」
「どこ行くの、セリム。まさか王都に戻る気じゃ、ないよね……?」
「アホですか、茂みの中で体を拭くんです。どうです、ソラさんも一緒に」
「い、いいや。遠慮しとく……」
「そうですか? 女の子として身だしなみは大切ですよ?」
お風呂でもいっぱいいっぱいなのに、薄暗い茂みの中で裸のセリムと二人っきりになるなんて、とてもじゃないが理性が持たない。
誘いを断られたセリムが森の奥に消えていくと、
「ソラさん、こっちに来てください! いい場所がありますよ!」
ソラの耳に、セリムの嬉しそうな声が届いた。
「いい場所ってなんだろ。すぐ行くー!」
返事を返し、ソラはセリムの声がした方向へ。
腰の高さほどの茂みをかき分けて木々の中を進むと、唐突に視界が開ける。
森の中に現れた、煌めく夜空の星々を水面に写す澄みきった泉。
その岸辺に立ったセリムは、ソラにこの日初めて見せる笑顔で振り向いた。
「見て下さい、綺麗な泉です」
「おぉ、底が澄んで見えるね」
「はい、とっても気持ちよさそうですね」
「だね……、ん? 気持ちよさそう?」
セリムの言葉に疑問符を浮かべるソラだったが、次の瞬間その疑問は解消される。
彼女はおもむろにベルトを外し、服を脱ぎ始め、下着まで脱いで丁寧に畳む。
あっと言う間に一糸まとわぬ姿になったセリム。
不意打ち気味に大好きな少女の裸を見せられて、ソラの頭は沸騰しそうになる。
「ちょっちょちょちょっ、何いきなりこんな所で脱いじゃってんのさ!」
「何って、水浴びに決まってるじゃないですか。ソラさんもほら、一緒に入りましょう」
セリムは全裸のまま、ソラの目の前でインナーを脱ぐように急かす。
「待って、すぐに脱ぐから!」
「そうですか? じゃあ先に泳いでますね」
上機嫌で泉に入っていったセリム。
この状況ではさすがに断れず、ソラもインナーを脱ぎ始める。
貴族のお嬢様として育ったソラは、野外で裸になることにかなりの抵抗を感じていた。
そんなソラとは対照的に、野生児同然に自然の中で育ったセリム。
普段は垢抜けた装いと清楚な物腰で忘れそうになるが、彼女は決して都会育ちのお嬢様ではない。
自然の中で裸になることに、あまり抵抗は感じないらしい。
「うぅ、なんかスースーする……」
適当にインナーと下着を脱ぎ散らかしたソラ。
体に直接当たる風に落ち着かないながらも、ざぶざぶと音を立てて泉に入っていく。
「お? おぉ……、これはお風呂とはまた違った気持ちよさ……」
肩まで浸かったところで、ソラはまったりとした様子でほっと一息——したのも束の間、水面下から足を引っ張られて水中に引き摺りこまれる。
「にょわごぼぼぼぼぼぼ!!」
澄みきった水の中には、いたずらっぽく笑うセリムの姿。
犯人を特定したソラは、彼女の体を抱き寄せて、一緒に水面へと顔を出す。
「ぷはっ! もう、セリム! 危ないじゃんか」
「ふふっ、あんなに慌てちゃって、ソラさん可愛いです」
「むぅ……。お返しだ!!」
今度はソラが水中に潜り、セリムの足を引っ張ろうとする。
しかしセリムの素早さには敵わず、するりと逃げられてしまった。
「ソラさんに捕まるほど、私は甘くありませんよーだ」
「うぬぬぬぬ、絶対捕まえてやるー!!」
逃げるセリムと追いかけるソラ。
二人の少女の戯れを、月の光は静かに照らしていた。