幕間 張りぼての城の中で
危険度レベル57、パーガトル山脈。
王都より西北西に四十キロ離れたこの危険地帯に今、一人の魔族の姿があった。
黒いコートに黒いズボン、黒く長い髪。
全身黒ずくめの彼女がどれほど接近しようが、魔物や動物、虫に至るまでどんな生物も興味を示さない。
正確には興味が湧かないのではなく、存在に気付かないのだが。
彼女のクラス、地図師の固有技能・隠密化によって、大きな物音を立てない限り、その存在は路傍の石の如く気にも留められない。
彼女、アモン・ラーナーはリーヤ丘陵にてマリエールに密かに別れを告げたあと、敵の本拠地を突き留めるべく諜報活動を開始した。
主人には黙っていたのだが、これまでの諜報活動によって、敵のアジトは王都周辺のどこかだと目星は付いていた。
気配を消す隠密化と、遠隔視の鷹の目、立体地図を創り出す魔法、マッピングを駆使し、探し続けること一月近く。
とうとう彼女は、不審人物がこの山に頻繁に出入りしていることを突き留めたのだ。
「——鷹の目」
アモンの意識が上空に飛び、雲の高さから地上を俯瞰する。
周囲三十キロの上空映像を自由に拡大・縮小し、眺めることが出来る地図師の固有技能の一つ。
余談だが、映像を撮影・中継するアイテムであるホークアイはこの技能から名前を取っている。
拡大映像をしらみ潰しに調べる中で、現在地から東へ五キロほどの谷間、建造物らしきものが小さく見えた。
鷹の目を解除したアモンは、すぐにその場所へと向かう。
臆病な気質の彼女がこれほどまでの危険を冒す理由は、サイリンの存在にあった。
マリエールにはちょっとした知り合い程度に説明したが、あれは嘘だ。
彼女が悪事に手を染めるなど、アモンにはとても信じられなかった。
数日前に起きた王都襲撃事件の情報を掴んだ時も、彼女が関わっていて欲しくないと願ったほどだ。
やむを得ない事情があるなら力になりたい、引くに引けない状況になっているのなら救ってやりたい。
その一心で、アモンは歩みを進める。
やがて、山合いの窪地にその城は姿を見せた。
然り、城である。
隠れ家ならば目立たない迷彩を施した小さな小屋が一般的、スペースが欲しいのなら地下に拡張していくべきだろう。
それを、言うに事欠いて大きな城を建てているなどとは、敵の親玉は何を考えているのか。
もちろん魔王城やアーカリア城に比べれば小さいが、城塞としての機能は十分に果たせる規模。
石造りの外壁が四方を囲み、向こう側にそびえる城郭には左右に二本の塔が立ち、その奥には中庭を挟んで王宮らしき構造物が存在する。
二本の塔と王宮の二階を結ぶ連絡通路の上にも、城門にも、城を守る兵の姿は無い。
どうやら敵は、兵力と呼べるものは持ち合わせていないようだ。
「何のために……、こんな城を……。ひとまず侵入は楽そうですが……」
番兵の類がいないのなら、容易に忍び込める。
隠密化を維持したまま、アモンは城門をくぐる。
大きな正門が出迎えるが、さすがにこの大きさの扉を開ければ気付かれてしまうだろう。
やはり人の気配はゼロ、ひとまずは左側の塔へと向かう。
中の気配を探って誰もいない事を確認すると、鉄製の小さな扉を開ける。
薄暗い塔の中は、石造りの螺旋階段が上へと続いていた。
途中まで昇れば連絡通路、階段の終りには木製の扉が存在する。
この塔の最上階には部屋があるのだろう。
「一応……、探っておきますか……」
階段を音を立てずに素早く昇り、一気に最上階へ。
木製の扉をゆっくりと開けて中を覗くが、狭い部屋には誰もいない、何も無い。
唯一吹きさらしとなっている窓があり、アモンはそこから王宮を見やる。
不気味なほど人の気配を感じない城だが、王宮だけは別だ。
強大な力を持った何者かの気配を、いくつも感じ取れる。
アモンが様子を窺っていると、黒いフードの人物が姿を現し、正門を開け放った。
そのまま中庭を進み王宮へと歩いていく中で、突然にその足が止まる。
そして左後方を振り返ると、塔の最上階へ視線を送り、アモンと目を合わせて笑って見せた。
赤い瞳に射すくめられ、アモンは心臓が凍りついたような感覚と共に素早く身を隠す。
「み、見つかった……? いや、そんなはずは……。隠密化は持続中……、第一こんなに距離があるのに……」
再び窓を覗くと、黒フードは王宮の扉を開けてその中へと消えていくところだった。
今のは偶然か、それとも。
いずれにせよ、ここまで来たのだ。
何も情報を得ずに退くという選択肢は、臆病者のアモンの中にも存在しない。
足早に部屋を出て階段を下り、途中の扉から城郭の上へと出て、連絡通路へ。
王宮へと続く橋のような通路から中庭を見下ろすと、枯れた噴水に伸び放題の生垣が目に入る。
こんな殺風景な庭園を何のために作ったのか、そもそもこんな城自体何のために。
敵が何を考えているのか分からないが、少しでも情報を持ち帰り、サイリンも救いだす。
「ここから先は……王宮ですね……。何が待ちかまえているのか……」
いずれにせよ、隠密化がある限りどんな実力者がいても問題無し。
姿こそ消えないが、自分の気配を完全に殺すこの技能は、そこに存在するにも関わらず相手の脳がそれを知覚しない。
見えているはずなのに、気にも留まらない。
たとえどんなにレベル差があっても、こちらから物音を立てたり敵意を向けない限り、絶対に見つからない。
「臆病な私に……、相応しい力です……」
自嘲も独り言もここまで。
物音一つ立てず、アモンは吹きさらしの窓を乗り越え、王宮の二階へと侵入した。
内部の通路は装飾一つなく、石が剥き出しの床と壁、それに天井。
小さなろうそくがところどころに掲げられただけで、非常に薄暗い。
廊下には扉も存在せず、ひたすら何もない通路が続く。
遠目に見た姿だけは立派で、中庭も内装も、中身がまるで伴っていない。
まるで、見てくれだけの張りぼてのような城。
アモンが抱いたのは、そんな感想だった。
一直線に伸びる廊下を進むと、やがて王宮の中心へと折れ曲がる別れ道が現れた。
強大な気配が漂うのは中心部、当然向かうのはそちら側。
すると、薄暗い通路の先に、ほのかな明かりが揺れる広い空間が見えた。
複数の人物の気配も、そこから感じる。
姿勢を低くして——特に意味は無いが念のため、明かりの方へと向かう。
そこは大きな広間だった。
アモンは部屋の入り口にしゃがみ込み、中の様子を観察する。
中央に長い卓が据えられ、そこに座る四人の男女。
その内の一人、手前側の左の席に座る女は間違いなく、アモンの友であるサイリン・マーレーン。
彼女の向かいには、顔をゴーグルとマスクで覆った白い長髪の男。
あれがアウスから聞いた、イリュージョニストのグロール・ブロッケンだろう。
そして——アモンは思わず生唾を飲む。
ブロッケンの奥、卓の上に両足を乗せて腕を後ろ頭に組んだ、黒いフードの人物。
もしもあの敵に隠密化を見破る力があるのだとしたら、この状況は非常にまずい。
先ほどの視線は偶然だと、そう願いたかった。
「ホース、貴様。我が主君の前で斯様な態度を取るとは、無礼にも程がある」
厳めしい声に、アモンはホースと呼ばれた黒フードの対面へと目線を移す。
そして、驚愕にその目を見開いた。
濃い赤色の長髪を後ろ髪に結んだ、整った口髭を生やした魔族の男。
彼の顔を、名前を、彼女は知っている。
ハンス・グリフォール。
マリエールの兄・ルキウスが突然に姿を消した時、後を追うように出奔した魔族最強の剣士。
彼がこの場にいるという事は、一連の事件の黒幕は——。
「ハンス、そう目くじらを立てるな。そいつは余の協力者であって、家臣ではない。立場上は同等なのだ」
「……はっ、出過ぎた真似を」
やはり、彼女の予想は的中した。
薄暗さに目が慣れた今なら、広間の奥に鎮座する玉座も見落とさない。
その上に腰を下ろす、黒いマントを羽織った黒髪の男の姿も。
ルキウス・シルフェード・マクドゥーガル。
十八年前、先代魔王が死んだ翌年に突然アイワムズを出奔し、行方不明となっていたマリエールの兄。
彼の手には、先端の台座に魔法石がはめられた白い杖が握られている。
間違いない、魔王城から盗み出された国宝・源徳の白き聖杖だ。
「そうそう、ハンス君。キミの御主人がこんな立派なお城を建てられたのも、全部僕のお陰なんだから。感謝こそすれ、文句を言われる筋合いなんか無いよねー」
「お前とて、大きな口を叩ける立場か。我らの最終目的を果たすべく、大量の戦力を投入した王都襲撃。自信満々で出向いて失敗した分際で」
「仕方ないじゃーん、あんなに強い女の子がいるなんて知らなかったんだもーん」
おちょくった態度のホースに、ハンスは青筋を立てて腰の剣に手をかけた。
「控えよ、ハンス」
「……ははっ」
どんなに怒りを抱いても、ハンスは彼の言葉に絶対に従う。
絶対的な忠誠心。
それがハンス・グリフォールという男を構成する全てだ。
先代の魔王に幼いルキウスの守り役を命じられて以来、彼は常に主の側に付き従う。
たとえそれが、地獄の果てだとしても。
「しかしホース、ハンスの怒りも尤もだ。あれほどの戦力を投入しての不始末、そのセリムという少女の規格外の強さは予想外だったのだろうが、それだけで責任が帳消しになるわけではあるまい」
「そっかー、つまり何か手柄が必要なわけか。くくくっ、手柄……ね」
楽しげに含み笑いを漏らすホース。
すると、サイリンが退屈そうにため息をつく。
「手柄ってんならさ、あたしも喉から手が出るほど欲しいさね」
「ヒッヒッヒ、俺もさぁ。何せ俺たちは金で雇われた賞金稼ぎぃ。金が全ての原動力だぁ。仕事が無けりゃ報酬も払われねえんじゃぁ、やる気も出ないねぇ」
「ひひっ、金で雇った賞金稼ぎが二人に、対等の立場の協力者が一人、ね」
「……貴様、何が言いたい」
「べっつにー」
ハンスに睨まれ、ホースは軽く舌を出す。
アモンの感じた張りぼての城、という感想はあながち間違いではなかった。
広い城に王が一人、家臣もたった一人。
裸の王様だと嘲笑っているのだろう、あのホースという黒フードは。
「何にせよ我らの目的は、アーカリア王国を滅ぼし、源徳の杖と原罪のマントを手中に収め、我が主が天下をお取りになられる事。その目的はまだ半分も果たされていないのだ」
「あらら、この場でそんなペラペラ喋っちゃっていいのかなー」
「……どういう意味だ」
「——そうだね、僕の手柄と賞金稼ぎさんたちの手柄、同時にこなしちゃおうか」
そこまで口にすると、赤い瞳がアモンへと向けられる。
心臓の鼓動が早鐘を打つ。
まずい、やはり気付かれていた。
認識を阻害する隠密化は、こちらの存在を認識された途端に効果を失い、再びこちらを見失うまでは意味を成さない。
急いでどこかに隠れなければ。
「そこにさ、ネズミが一匹紛れ込んでるよ。気付かなかった?」
「……おぉ、本当だぁ。ありゃ隠密化だねぇ、よく見つけたもんだぁ」
「おし、手柄を上げるチャンス到来だね。未来の魔王さん、報酬は弾んどくれよ」
そんな会話を背に、アモンは全速力で駆け出す。
鳴り響く足音にも一切構わず、文字通り命からがら逃げ出す。
薄暗い廊下をまっすぐに駆け抜け、廊下を右へ。
しばらく走り、連絡通路の辺りに差しかかったところで窓から飛び出す。
中庭にかかる橋を渡り、あと少しで城外へ——というところで、周囲の景色が一変した。
霧が立ち込め、視界がまるで効かない。
白い霧の向こう側には、おぞましい怪物のシルエットが見え隠れする。
わかっている、イリュージョニストの幻術だ。
広間から逃げ出す時に掛けられたものが発動したのだ、頭では理解している。
理解しているが、どうすることも出来ない。
早く逃げ出さなければ、しかし現在地は中庭にかかる橋の上。
足を踏み外せば、真っ逆さまに転落してしまう。
「どうすれば……、早く逃げないと、追手が……」
「追手がどうしたって?」
背後から聞こえる懐かしい声。
同時に感じる、背中を走る冷たい感触。
一拍置いて噴き出す、生温かい己の血。
倒れながら振り向くと、共に育った最愛の友の顔があった。
「あぁ……サイリン……」
「……あ、あんた、アモン……か?」
幻術が晴れ、元の世界が戻ってくる。
カットラスを両手に握ったサイリンは、困惑の表情を浮かべていた。
冷たい石の橋の上、アモンは仰向けに倒れると、友の顔を見上げ、その手を伸ばす。
「サイリン……、どうしてあんな連中と……。今まで、何をして……」
「……金が欲しかった、それだけさ。あんたこそどうして——いや、関係ない。あたしは金に魂を売ったんだ」
「サイ……リン……」
サイリンは血だまりに倒れる友を見下ろし、
「あんたの知ってるあたしは死んだんだよ」
刀身に炎を纏わせた。
サイリンは広間にゆっくりとした足取りで戻る。
まず出迎えたのはブロッケン。
「思ったより遅かったねぇ、侵入者はどうしたんだいぃ?」
「……殺して埋めた。そんだけさ」
「そいつはよかったぁ。キッヒッヒ、俺の手柄は半分ってとこだねぇ」
逃げる敵の背中に咄嗟に幻術魔法を放ち、サイリンの気配が追いつきそうなタイミングで発動した。
実際、半分は彼の手柄だろう。
「報酬は山分けってことでぇ」
「サイリンよ、ネズミはどこの手の者であった」
「あんたの妹んとこ。アモン・ラーナー、諜報専門の地図師の女さ」
ルキウスも、彼女の名前は知っていた。
優秀な諜報要員として、十八年前には既に頭角を現していた女だ。
「あの女か。口を封じられたのは幸いだったな」
「でもさ、これって使えるんじゃないかな」
一計を案じたホースは、楽しげな口調で人さし指を立てる。
「使える、とは?」
「妹ちゃんをおびき出すのさ、アモン・ラーナーの名前を使ってね」