072 旅のゴールが、ようやく見えました
翌日、アーカリア城本城。
セリムとソラは世話役のメイドに連れられ、謁見の間に続く大扉の前にいた。
騒動を収めた立役者たちが並ぶ中、セリムは握り拳に手汗ダラダラ、引きつった笑顔でその時を待っている。
「ソ、ソラさん。くれぐれも粗相のないようにお願いしますよ。あっ、相手は王様なんですから、たったっタメ口を利いたりしたらダメですからね?」
「うん、心配してくれてありがとね。でもさ、あたしとしてはセリムの方がよっぽど心配かな……」
ソラがインナーの上から身に纏う防具はあちこちが傷んでおり、今日でその役目を終える。
一方のセリムは、大会当日に身に着けていたケープにフリルブラウス、ミニスカートの服装。
本来は王の御前に着て行くような服ではないが、大会当日の格好をして来いとの王直々のお達しなのだから仕方ない。
この服装も、セリムの緊張感に拍車をかけていた。
ソラは鎧姿、ローザたち四人も当然装備に身を包んだ姿で待機している。
頼みの綱だったクロエは何故か見当たらず、セリムは六人の中でただ一人、普段着の姿。
明らかに浮いてしまっている。
「そんなに緊張するな、セリム。アーカリア王はお優しい方、ましてやキミは命の恩人だ。胸を張って堂々としていればいい」
「ですけどぉ……」
苦笑いしつつも優しい声音で宥めるローザ。
彼女とその仲間は、大冒険を終わらせるたびに王への謁見を許されてきた。
何度目かも分からない謁見となる今回、緊張感は欠片も無い。
「その通り。タイガは常に堂々としている。セリムも堂々としているがいい」
「お前は堂々としすぎだけどな。王様が話してらっしゃる時にあくびしやがった時は、さすがに肝が冷えたぞ」
「えっへん」
「褒めてないから」
その中でもリラックスしすぎなタイガ。
セリムとは対照的に緩みっぱなしな彼女も、ローザは逆に心配だった。
タイガに抱き付かれて困り眉で笑うローザ。
いつもの調子でじゃれあう二人をにこやかに見守るテンブと、彼の背後でいつにも増して苦々しい表情のルード。
ローザはルードの言いつけ通り、律儀にギガントオーガのキルスコアを数えていたのだが、その数字はルードをわずかに上回っていた。
日々鍛錬を積んでいるはずなのに、彼女との力の差はいつまでも縮まらない。
なぜ追いつけないのか、どれ程鍛錬を積んでもローザという壁を越えられないのか。
更には、そのローザを遥かに上回る力を持った少女まで現れてしまった。
「……チッ、忌々しい」
「ん? どうしたルード、腹でも痛いのか」
「…………」
ローザの言葉を無視し、腕を組んで黙りこむルード。
彼の中から感じる冷たい気配が一段と濃くなったように、セリムは感じた。
「皆さま、準備はよろしいでしょうか」
「ひゃ、ひゃいっ!」
とうとう時間が来てしまった。
ここまで案内してくれたメイドの言葉に、セリムの緊張はピークに達する。
大扉の向こう側からファンファーレが鳴り響く。
両開きの扉が重い音をたてて開き、謁見の間への道が開かれた。
王都の街並みや王城の城壁のような、白磁の壁に囲まれた広い広い部屋。
大きな窓が光を存分に取り込み、室内は非常に明るい。
扉から玉座までレッドカーペットが真っ直ぐに伸び、ファンファーレを吹き鳴らす六人の管楽隊が左右に三人ずつ並んでいる。
その向こうにはおそらく貴族だろう、身なりの良い老若男女が立ち並ぶ。
そして遥か正面、階段を数段上がった檀上に誂えた玉座には、アーカリア王がどっしりと構えている。
「王都を救いし英雄の皆さま方、御登場に御座います!」
「あわっ、あわわわ……」
いよいよ入場という場面で、セリムは頭の中が真っ白になってしまう。
大勢の王族や貴族が見てる、早く行かなければ変に思われる、気ばかり焦ってその場を一歩も動けない。
今にも泣き出してしまいそうな少女の右手を、ソラは両手でしっかりと握った。
その温もりを感じた瞬間、セリムの中から焦りや恐怖が消えていく。
「……ソラ、さん?」
「セリム、あたしが側についてるよ。だから大丈夫」
ソラが向けてくれる、大好きな笑顔。
ソラが与えてくれる、大好きな温もり。
そうだ、今は一人じゃない。
一人では心細くて泣きそうでも、彼女が隣にいれば何も怖くない。
「……そうですね。ありがとうございます、ソラさん。もう平気ですから」
「ホントに平気? このまま手、繋いでいく?」
「冗談じゃありません、そんな恥ずかしいこと。……隣にいてくれるだけで、十分ですから」
ソラのお陰で緊張は吹き飛んだ。
レッドカーペットの上を、セリムはソラと並んで堂々と歩いていき、その後ろにローザ達四人が続く。
貴族たちの視線が彼女たちに集中するが、セリムはもう取り乱さない。
周囲の様子に気を配る余裕も出来た。
玉座のある檀上、王の他にも王妃と二人の王女が座っている。
恐らくは第一王女と第二王女だろう。
どういう訳か第三王女であるリースの姿は、ここには見えなかった。
当然中央の玉座にはアーカリア王、その傍らにルーフリーが控える。
「リースさん、いませんね……」
小声でソラに話しかけるが、返事は帰ってこない。
さすがのソラも、王の前では私語を慎むのだろうか、そう思いつつ隣を歩く彼女に目を向けると、ソラはある一点を見つめて顔を引きつらせていた。
視線を追った先には、金髪碧眼の細身な体格をした貴族の男性の姿。
恐らくは、あれがソラの父親なのだろう。
「ソラさん、凄い顔してますよ」
「にゃっ……!」
詳しい話は後だ。
今は肘で突っついて注意するに留める。
「王様の前です、しっかりしてくださいね」
「ごめんごめん、つい……」
小声で謝りつつ、視線を前に向ける。
ソラは玉座の前、段差の手前で足を止めると、馴れた様子で片膝を付き頭を垂れる。
セリムも慌てて右に倣い、パンツが見えないように足を閉じ、太ももの間にスカートを挟んだ。
ローザたちも同じように王の前に跪く。
ファンファーレが止み、謁見の間は厳粛な空気に包まれた。
「ふむ、そう固くならずともよい。面を上げて楽にせよ」
「はっ」
さすがは貴族、王の御前での礼儀作法は完璧だ。
いつになく凛々しく映るソラの姿に、セリムの乙女心はときめいた。
「お主らは儂の命の恩人、そして我が宝たる王都の救い主だ。この場を借りて礼を言わせて貰う」
「勿体なきお言葉に御座います」
完璧な礼儀作法と言葉遣い、歯切れの良い少し低めの声。
誰なのでしょう、私の隣にいる凛々しく素敵な貴族様は。
普段のアホ全開なソラとのギャップに、キュンキュンとときめくセリム。
恋する乙女のその耳に、王様の言葉はあまり届いていない。
「さて、まずはローザンド・フェニキシアス、タイガ・ホワイテッド、ルード・ランスゴート、テンブ・ショーブラング。お主ら四人には度々驚かされておるが、今回も良くやってくれた。我が騎士団と協力しての救助活動、魔物の掃討。異変を察し即座に王都に取って返しての市街地での活躍。どれを取っても申し分無しだ。望むがままの褒美を授ける、なんなりと申すがよい」
ローザたち四人は顔を見合わせる。
こんな時、王に返す言葉は決まっていた。
それぞれに頷き合うと、今回も答えは同じに決まる。
「さればギルドの討伐相場に見合った金銭をお願い致したく。討伐した魔物のリストは用意して御座います」
「うむぅ、またそれか。もちっと欲を出しても良いものと思うがな」
「我ら四人はみな、一介の冒険者。金や武具より重いものは望みませぬ故」
「あいわかった、その心構え、いつもながら誠に天晴れなり。ルーフリーよ、リストを受け取って来てくれ」
「かしこまりました」
ルーフリーにとっても、一連の流れは恒例となっている。
階段を降り、ローザから羊皮紙を受け取り、また段を昇って王の傍らへ。
「こちらに御座います」
それを恭しく王に差し出す。
王はそのリストを受け取り、内訳にざっと目を通すと感嘆の声を上げる。
「さすがは世界最強の冒険者たち。これほどの数の魔物を倒して見せるとは見事。よかろう、金はすぐにでも手配する」
「ははっ」
「ルーフリー、手配は一任する」
「お任せくだされ」
王からリストを受け取ると、懐に納める。
この後彼は、部下に命じて金銭を手配させ、ローザたちに届けさせるのだ。
ここまでは普段通りの謁見の光景。
だが今日は違った。
「次にソレスティア・ライノウズ。お主は我が娘リースと協力し、四体ものギガントオーガを討伐した。更にはローザらと共に王都でも多くのモンスターを倒したという。そなたの狩猟大会での戦いぶりも実に見事であった。大会が中止となってしまい残念であろうが、そなたの勇名は王都中に確かに轟いておるぞ」
「過分なるお褒めの御言葉、恐悦至極に存じます」
「うむ、その堂々たる態度も見事。なんなりと褒美を取らせる、好きに申すが良い」
すっかり惚れ直しているセリムの心は露知らず、ソラは褒美について考える。
貴族モードになってはいるが、結局中身はいつものソラ。
揚げまーる一年分なんてものが頭を過ぎる。
「……では、僭越ながら。我が身に纏ったこの防具、激戦に次ぐ激戦で損傷激しく、もはや防具の用を成しません」
「新しい防具を欲しいと申すか? さすればかの巨竜、その素材の優先使用権はお主らにある。儂に頼まずとも叶うであろう」
貴族モードになってはいるが、結局中身はいつものソラ。
巨竜の素材を自由に使える事が頭からすっぽりと抜けていた。
ポーカーフェイスの裏で冷や汗をかきながら、彼女はこの旅最大の目的を思い出す。
それを果たすには、セリム一人分のお願い権では不十分かもしれない。
方針を決定したソラは、とある願いを申し出る。
「さすれば、我が願いの権利をセリムの権利に上乗せしたく思います」
「ほう、上乗せとな」
「私の望むものは、彼女の望むものと同一のもの。更に言えば、その望みの品は法外なものとなるでしょう。私の権利も上乗せせねば、不十分かと存じます」
「ふむぅ……、彼女は儂の命を救った最大の功労者。どのような願いでも法外などとはならぬと思うが……。良かろう、聞くだけ聞いてみるとする」
何とかアダマンタイトへ望みを繋いだ。
ウィンクでセリムに合図するソラ。
セリムは別の意味に受け取ってしまい、愛する王子様にメロメロになっていた。
「さて、正直儂は驚いておる。音に聞こえた世界最強の竜が目の前に現れ、その吐き出す大火球が迫り来る。万事休すかと思われた時、可憐な少女が飛び出し、腕の一振りで消し飛ばしたのだ。まるでおとぎ話や詩の一節、儂は生涯あの光景を忘れはせぬだろう」
いけないいけない、今は王の御前、色ボケしている場合じゃない。
とうとう自分の番がやって来たのだ、セリムは意識を王の話に集中させる。
「世界最強のモンスターと謳われ、そこに控えるローザたちが四人掛かりで死闘の末に下したというヴェルム・ド・ロード。噂に名高い巨竜をたった一人で、三体まとめて葬り去り、更には魔物を操る謎の敵とも戦って儂の命を二度も救った。マーティナ・シンブロンの弟子、セリム・ティッチマーシュよ。お主こそ、正真正銘の世界最強であろうな」
「も、勿体なきおととばっ」
噛んだ。
「余の命を二度も救い、更にソレスティアの願いをも上乗せしたのだ。そなたの願い、どのような望みでも叶えようぞ。言うてみい」
ソラが願いを上乗せしてくれた。
冷静になった今、セリムは彼女の意図にようやく気付く。
これは千載一遇、絶好のチャンス。
今こそアイテム調達屋として、彼女の依頼を果たす時だ。
「で、では申し上げますっ」
「うむ、申すが良い」
さすがに緊張で声が上擦る。
国家機密かもしれない事柄をこの場所で口にするのだ、可能な限りぼかし、尚且つ正確に伝わるようにしなくては。
「……土色の鉱石を、頂きたくっ」
「——なんと」
にこやかだった王の顔が、一気に凍りつく。
王妃や姫には、王の驚愕の理由がわからないようだ。
貴族たちも同じく。
土色の鉱石などありふれた物のはずだ、当然の反応だろう。
ただ一人、ルーフリーだけが切れ長の瞳を細めた。
「そなた、その事をどこで……」
「私は、マーティナ・シンブロンの弟子にごじゃりますればっ」
王と丁々発止で腹芸をやり合う、そんな度胸などセリムは持ち合わせていない。
スミスを庇うために、マーティナの名前を咄嗟に持ち出しただけである。
ただ、師匠をダシに使う罪悪感については欠片も湧かなかった。
「なるほど、あの自由人なら口外してもおかしくない……」
納得いったようにため息をつくと、王は頭を悩ませる。
「……あいわかった、お主の功績はそれほどに多大。ただ、この場ではこれ以上の話は出来ぬ。詳しい話はまた後日、良いな」
「はいっ、勿論でございますっ」
何とかなった。
ソラと目配せし、今度はセリムの方からウィンクを飛ばす。
旅の大目的、そのゴールがようやく見えた。
「では、謁見はこれにて——」
「ちょっと待ちなさい! 誰か忘れているんじゃなくて?」
アーカリア王の言葉で謁見が閉められようとした瞬間、凛とした声が謁見の間に響く。
声の主は、謁見の間の入り口にて仁王立ちするピンク髪の少女。
今日の彼女は鎧ではなく、お姫様然としたドレスを身につけている。
「リース、姿が見えぬと思えば、今までどこで何をしていたのだ」
「お父様、私も功労者の一人のはず。私の願いも聞き届けて貰わねば、不公平というもの。王たる者、常に公平でいなくては下々に示しが付きませんことよ」
ツカツカと赤い絨毯を歩き、玉座まで上がって来るリース。
お転婆な娘の突然の闖入に、王は頭に手を当てる。
「私の願いも、この場で聞いて下さいますわよね」
「王女の身であるお前がこのような場で儂に望むもの、一体なんだというのだ」
「——私専属の騎士団の結成、ですわ」