067 私の弱点、痛感させられました
金色の獅子を消し飛ばした白い閃光。
その魔法を、クロエは知っている。
闘技場の魔力スクリーンに、彼女が放つ姿が何度も映し出されたから。
高らかに魔法を唱えた、凛とした声。
その声をクロエは知っている。
この三週間、毎日言葉を交わしたから。
そして、右手に両刃の剣を握り、左手をかざした勇ましい立ち姿。
その少女を、クロエは知っている。
「リース……」
視界が滲む。
映像が途切れてから、ずっとクロエは恐怖に囚われていた。
彼女に万一のことがあったら自分はどうなってしまうのか、どうしようもなく怖かった。
体を動かして目の前の敵に集中していれば、その間は何も考えずに済む。
クロエが武器を手に戦ったのは、正義感や義憤だけではなく、そういった理由も含まれていた。
既に彼女は、クロエの中に無くてはならない大事なピースの一つになっていたのだ。
「リースっ!」
クロエはリースに駆け寄り、飛びついて抱きしめる。
「ちょっと、あなた! いきなり何を……!」
「リース、良かった……。無事でいてくれて、生きててくれて……、本当に良かった……」
「……当然よ。夢を叶えるまで私は絶対に死んだりしない。だから泣くのはおよしなさい」
クロエの瞳から流れる涙を指でそっと拭い、背中を軽く叩く。
リースの温もりに触れ、不安だったクロエの心は安らぎに満ちていった。
大好きなお姫様の瞳を間近で見つめ、赤毛の少女はとびっきりの笑顔を見せる。
「うん、もう泣かない。リースの前であんまりかっこ悪いところ見せたくないし」
「ええ、あなたは笑っている方がずっとらしいわ。……それと、ここはあの庭園ではないのだけど。私に抱きついた上にそんな口の利き方をしたりして、果たして平気なのかしら」
とびっきりの笑顔は、リースの言葉によってすぐに凍りついた。
彼女が無事だった、その喜びで頭が一杯になり、この場所がどこか、彼女がどんな立場かすらも忘れてしまっていた。
恐るおそる後ろを振り向くと、案の定。
衛兵隊の面々は、信じられない物を目の当たりにしてただただ呆気に取られている。
ついさっきまで共に戦った鍛冶師の少女が王女に抱きつき、仲睦まじく言葉を交わしているのだ、当然と言えよう。
クロエの顔は見る見る青ざめ、急いでリースから距離を取ると直立不動の姿勢で敬礼した。
「お、王女殿下にあらせられましては、ご機嫌麗しゅう……」
「取り繕ってももう遅いわよ」
無駄なあがきをするクロエは一旦置いて、リースは衛兵隊に歩み寄る。
呆けていた部隊の面々は気を取り直し、一様に片膝を付いて頭を垂れた。
「私が不在の間、よく王都を守ってくれた。あなたたちの忠義、忠勤、このリース・プリシエラ・ディ・アーカリアの胸にしかと刻んだわ」
「……勿体なきお言葉。我らの剣、この命共々王家に捧げておりますれば」
リースのかけた言葉に、青い髪の部隊長は感激に声を震わせる。
満身創痍の部隊を見回すと、後方で横たわりうめき声を上げる兵らの姿があった。
「負傷者もいるようね。私が回復するわ」
「そんな、姫様のお手を煩わせるなど……」
「あなた達はこの国のために命を賭して戦った。この程度のことは当然よ」
ボルテックライオの突進を受けた負傷者に、回復魔法を順番にかけて回る。
リースのリバイブによって、負傷者たちは完全に回復。
王女としての器の大きさ、その強さ、気高さ。
部隊の面々は一様に感服し、改めてその忠誠を強く誓う。
最後の一人にリバイブをかけ終わったリースに、クロエは恐るおそる声をかけた。
「あ、あの、王女殿下……。一つ尋ねたきギがござりまして」
「もう遅いって言ってるでしょ、普通に喋っていいわよ。私達の間柄、思いっきり勘ぐられてるから。で、何?」
「えっと、ソラは……一緒じゃないの?」
「あのアホっ子ね。心配いらないわ。殺しても死なないタイプよ、アレは」
「ってことは、ソラも無事なんだね! ふぅ、良かったぁ……」
リースが無事でも、ソラに何かあったら素直に喜べない。
ようやく胸のつかえが取れると共に、三匹ものドラゴンをブチのめした親友が報われて良かったと心から安堵する。
一方、衛兵隊は完全に体勢を整え、総勢三十名が一糸乱れず整列する。
彼女らを前に、リースは高らかに号令をかけた。
「皆の者、まだ戦いは終わっていない! 王都に侵入した魔物は、各地に散らばった四人の英雄や騎士団の最精鋭が掃討に当たっている。彼らのみに戦いを任せて王城に戻るなら、止めはせぬ、咎めもせぬ。好きにするがよい!」
リースの言葉を受けても、彼女たちは誰一人としてその場を動かない。
ピクリとも身じろぎもしない。
その顔を見回して、リースは深く頷く。
「その気概や良し! 勇敢なる王都の兵よ、そなたらはこれより私の指揮下となる。我らが都を蹂躙する獣共を、一匹残らず討ち果たそうぞ!」
『応ッ!!!』
「では、総員! 我に続けっ!!」
天高く掲げた剣を振り下ろし、リースは蠢く魔物の気配を頼りに駆け出す。
その背に続く、三十人の衛兵隊。
彼女らの更に後ろを追いかけるクロエは、リースの思い描く夢への確かな第一歩をその目に刻むのだった。
○○○
瓦礫を跳ねのけ立ち上がったナイトメア・ホース。
その口から出た潮時だという言葉を訝しむセリムだったが、南区画の各地に現れた気配を感じ取り、すぐに合点がいく。
「なるほど、ローザさんたちが戻って来たんですね」
「そ、つまりせっかく成功した陽動作戦も時間切れ。おめでとう、今回のゲームは君たちの勝ちだ」
「……逃がすと思ってるんですか?」
モンスターを操り、呼び出す力。
マーティナに迫るか、それを凌駕するほどの実力。
そして、尋常ではないその精神性。
どれを取っても、絶対にこの場で仕留めなければならない相手を、逃げると分かっていて逃がすほど、セリムは甘くない。
イリュージョニスト・ブロッケンの幻惑魔法も、警戒していれば見破る自信はある。
彼がどこかに潜んでいたとしても、絶対にやらせはしない。
「あぁ、ブロッケンを警戒してるみたいだけどね、彼はこの場にいないから安心していいよ」
「そうですか。それを私が素直に受け取るとでも?」
「信じる信じないは自由だけどね。予言するよ、僕は君の手によってこの窮地を脱するんだ」
白く細い指を突きつけ、ホースは口元を歪める。
こちらの動揺を誘うブラフか、それとも本当に何か策があるのか。
いずれにせよ、油断は禁物だ。
対峙する二人を前に、王らの緊張感も高まっていく。
「魔王殿よ、先ほどからの彼女らの戦い、儂には何が起きているのかさっぱり分からぬ。お主には見えておるのだろうか」
「……正直なところ、余にもはっきりとは見えぬ。ただ、色の付いた風が巻き起こっているようにしか」
彼女たちの神速の攻防は、アーカリア王はおろかマリエールやアウスにすら見えない。
向かい合う二人が動き出した時、次に姿が見えるのはおそらく決着の瞬間だろう。
「ホースさん、よく分からないことを言って私を動揺させようとしても、無駄ですよ」
「そんなセリフを口にする時点で、君は色々考えてしまっている。違うかい?」
「もういいです、今度こそ殺す気で行きますので!」
石畳を強く蹴り、セリムは突っ込む。
先の正拳突きは、間違いなく大きなダメージを与えたはず。
先手を取り、真っ直ぐに右の拳を突き出す。
ホースは両手を添えて軌道を逸らし、回し蹴りを放った。
わずかにバックステップして回避、セリムの鼻先数ミリをつま先が通過。
回転中に見せた背中を目がけて、今度はセリムが槍の如き蹴りを放った。
隙を見せた相手の背中に叩き込まれるはずだった一撃は、しかし空を切る。
ホースは深く身を沈めて更に一回転。
逆立ちしつつ、セリムの顔面を狙った上段回し蹴りを放つ。
「迂闊です!」
左手でブロッキングし、右手で足を捕らえる。
敵の足を取ったセリムは、両手で掴んでその体ごと振り上げ、地面に叩きつけた。
「ぐはぁッ!」
背中に走る衝撃に、血反吐を吐くホース。
倒れた敵に対しセリムはその直上へ飛び上がり、透明な足場を生成。
天井代わりに両足で蹴り、勢いを付けて真っ逆さまに突っ込む。
全体重を乗せた必殺の右拳は、地表に特大の穴を穿った。
しかし、敵の姿はそこには無い。
ギリギリで右にわずか転がり、直撃を避けたホースは、衝撃波に乗った石の欠片を全身に受け、満身創痍になりながらも何とか生き永らえた。
着地して体勢を整えるホースだが、ローブはあちこちが傷み、流血も激しい。
息も絶え絶え、立っているのがやっとといった有様だ。
あと一息で倒せる、だがセリムの表情は焦りに満ち、対するホースは余裕すら感じる。
「あぁ、痛い。まったく強すぎるね、セリム・ティッチマーシュ。君の強さは本来ならば誰一人、絶対に到達出来ないはずの領域。マーティナも思い切ったことをしたもんだ」
「……無駄口叩いてないで、少しは逃げる素振りでも見せたらどうなんですか?」
焦りの正体、それは敵に逃げようとする雰囲気が全く見られないこと。
にも関わらず、余裕は崩れない。
絶対に逃げられる、そう確信した表情。
いっそ不気味さすら感じ、元々放たれている異様なプレッシャーと相まって、セリムの心は乱れていく。
「しかし、強いのは力だけのようだ。心の方はてんでダメみたいだね。どれだけ強くても、それでは僕を倒すことは出来ない」
「何を言って……。あなたが私の何を知っているというんですか!」
「知っているよ、君よりも沢山のことをね。ところでいいのかい? のんびり話し込んだりして。その間にも僕が何か仕込んでいるかも——」
これ以上敵のペースに乗せられてはいけない。
セリムは一気に間合いを詰め、正面からの突撃を仕掛けた。
敵の対応は、右の拳を腰に溜め、弓なりに引く構え。
カウンターで渾身の右ストレートを返すつもりだろう、ならば。
セリムは間合いに飛び込んだ瞬間、深く身を沈めて拳をかわす。
敵の晒した致命的な隙、ガラ空きのあごに、体を起こしながらの全力のアッパーを叩き込み——その瞬間、ホースは確かに笑った。
——しまった、これは罠だ。
先の攻防で、ホースが見せた動きをそっくり真似してしまった。
カウンターの構えは釣り、この状況、この攻撃は敵の思惑通り。
気付いたところで時既に遅し、もう攻撃は命中した後。
アッパーを食らい、体を上空高く打ち上げられながら、ホースは勝ち誇った狂笑を響かせる。
「ひゃははっははっはっは、ゴボッ……! かかったね、予言通りだ!」
尚も上昇しながら、ホースは自身の飛ばされる先の空間に黒い大穴を展開した。
「長々と喋っていたのはコイツを出す魔力を溜めるため。カウンターの構えはこの状況を作り出すため! 全ては僕の計算通り、君は手のひらの上で踊っていたんだよ、ゴバァッ!!」
口から血を吐き散らしながら、黒い穴へ向けて一直線に吹き飛ばされる。
「逃がすわけには……っ」
跳躍して後を追うも、全力の一撃が災いして敵の吹き飛ぶ速度は超高速。
全力で跳び、精一杯手を伸ばすが、僅かに届かず、指先がわずかにローブに触れるのみ。
ホースの全身は空間の歪みに吸い込まれ、その穴は瞬時に閉じる。
まんまと逃げられた。
着地したセリムは、自らの迂闊さを悔やむ。
「まさか、本当に逃げられるなんて……。倒せたのに、気付けたはずなのに……っ」
後悔で頭が一杯になりかけた時、脳裏に過ぎったのは敵の放った言葉。
いくら強くても、心が弱すぎる。
全くもってその通りだ。
後悔は後からいくらでも出来る。
今は自分に出来ることを、一つ一つ片付けていこう。
気持ちを切り替えて、セリムはマリエールたちのところへ駆け寄る。
「セリム、あの敵がおらぬようだがどうなった。余には何が起きたかすら分からなかったぞ」
「ごめんなさい、逃げられました。敵はワープの魔法を使えるみたいで……」
「ワープとな!? あの強さといい、ナイトメア・ホースとやら、一体何者ぞ」
瞬間移動の魔法を使えるクラスなど、存在しないはず——未知のクラスでもない限り。
「あれこれ推測するのは後です。アウスさん、マリエールさんや王様たちを王城へお連れしてください」
「それが先決ですわね。セリム様はどうなさるおつもりで?」
「アルカ山麓から戻ったローザさんたちが、街に溢れる魔物と戦ってくれています。その手伝いに向かうつもりです」
「わかりましたわ。さ、お嬢様、アーカリア王。ここはまだ危険です、お急ぎになってくださいませ」
アウスの先導で、騎士や衛兵が王と魔王を守って前後左右を固め、貴族街の坂を登っていく。
超常的な力のぶつかり合いに、アーカリア王はいまだ狐につままれた気分だった。
同じく護衛を受けながら歩みを進めるルーフリーは、背後を振り替えると、一団を見送るセリムの顔を無表情でじっと見つめる。
「どうした、ルーフリーよ」
「……いえ。あの少女、此度の功績は多大なもの。なんらかの恩賞を与えるべきかと」
「それは良い。儂の命もこの国も、あの少女に救われたも同然であるからな」
セリムに向けられた片眼鏡の奥の切れ長の瞳。
一切表情を変えぬまま、彼はやがて前を向き、歩を進める。
「しかし何たる有り様……。リースよ、どうか無事でいてくれ……」
王城はもう間近、自身の命が助かった今、王の何よりの気がかりはリースの安否。
側近と入れ替わりに振り向いた王は、南区画の惨状に胸を痛め、娘の無事を心から祈った。