062 私が行けば、全て終わりでした
ダグ・バイターは、迫り来るギガントオーガから命からがら逃げ回っていた。
女の子にモテたい、チヤホヤされたい。
ただそれだけの理由で冒険者になった彼だが、恵まれたルックスを活かしてそれなりのパーティに混ぜてもらい、強力なモンスターを倒してもらって魔素のおこぼれにあり付きつつ、実戦経験ほぼゼロのままレベルだけを高めていった。
充分なレベルまで昇りつめたところで狩猟大会に参加、レベル差の暴力で軽く優勝を掻っ攫おうをしたのだが、化け物のようなレベルの二人の少女を前に早々に諦め、自らのファンを増やすことに目的を変更。
華麗な剣技で会場の女の子の心を鷲掴みにしようとした矢先、目の前に巨大な怪物が現れた。
「ひ、ひいいいぃぃぃぃぃっ! な、なんで僕が、こんな目にぃぃぃぃぃ!」
レベルだけは高い彼は、腰を抜かしながらも捕まらずに済んでいた。
途中、叩き潰された参加者の死体を見て股の間を盛大に濡らしたが、そんなものは些細な事。
生きて帰りたい、その一心でダグは逃げ続けた。
「誰かぁぁっ! 誰か助けてぇぇぇぇぇっ!!」
「聞き苦しい、大の男が情けない声を出すな」
「え……」
涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、ダグは後ろを振り返る。
視界に映るのは恐ろしい一つ目の巨人。
そして、自分と巨人の中間に立つ、水色のマントをなびかせた青い長髪の男の背中。
「こんな奴、別に潰されても構わないと僕は思うが、これはローザとの勝負だ。スコアは稼がせて貰う」
突如自らの前に立ちはだかった男に、巨人はターゲットを変更。
巨大な拳を振り上げ、力任せに叩きつけにいく。
「ギガントオーガ、確かに防御力には目を見張るものがあるが——」
男は、ルードは微動だにせず、左手を無造作に敵へと向ける。
「——ブリザード」
迸る冷気の嵐が巨体を包み、迫り来る剛拳はルードの鼻先で停止した。
体表は勿論、体内の水分まで、ギガントオーガは全身余さず氷漬けとなる。
「こうなってしまえば脆いものだ。アイシクルフォール」
続けて放った氷の魔力が、二十メートルはあろうかという巨大な氷塊を巨人の頭上に創り出す。
無造作に何かを放るジェスチャーと共に、氷塊は重力に任せて落下、ギガントオーガを押し潰す。
細胞の一つ一つまで氷漬けになった巨人は、衝撃に圧壊し、粉々に砕け散った。
世界最強の魔法剣士、ルード・ランスゴート。
そのクラスは、氷魔法と剣技を自在に操るフロストナイト。
剣は鞘から抜かず、魔法のみ。
それも、たった二発での瞬殺だった。
「おい、そこのお前。さっさとこの危険地帯を出て、ズボンと下着を取りかえるんだな」
腰を抜かしたままのダグを一瞥すると、ルードは次の巨人の気配へ一直線に駆け出した。
生存者の救助など関係ない。
全てはあの日の雪辱を晴らすために、ローザとの再戦を制するために。
負傷した冒険者に肩を貸し、ゴドムは必死に巨人から距離を取る。
当然のことながら、一人で逃げた方が生存率も上がるだろう。
だが、目の前で相棒を叩き潰され、自らも軽くない怪我を負ったこの男を見捨てるなど、ゴドムには出来なかった。
勾配の高い丘と丘の谷間に入ると、幸運にも大きな岩を発見する。
巨人の視界に入る前に、ゴドムは男と共に岩陰に身を潜めた。
「す、済まねえ……! あんただって、逃げるのに精一杯だろうに……!」
「気にすんな、むしろ謝るのはこっちのほうだぜ。あんたの相棒を、目の前でみすみす死なせちまってよ」
「相棒……! くそっ、何だってこんなことに……っ!」
涙交じりに地面に拳を叩きつける冒険者に、ゴドムは何もかける言葉を見つけられない。
やがて、ズシン、ズシン、と大地を揺らしながら足音が迫る。
二人は固く口を噤み、通り過ぎるまでじっと待つ。
気配を殺し、息を殺し、見つからないように祈りながら。
ズシン……。 ズシン……! ズシン!
次第に大きくなる足音。
間近に迫った轟音は、突然ピタリと止んだ。
極度の緊張の中、口で手を押さえながら、隣に座る冒険者は息を荒くする。
向こうに行ってくれ、そんな祈りも虚しく、二人の上に影が差した。
見上げると、岩陰を上から覗きこむ巨大な一つ目と視線がかち合う。
見つかった、いや、最初から見つかっていた?
考えても仕方ないことばかりがゴドムの頭を駆け巡る。
冒険者の男が恐怖に絶叫すると同時、巨大な拳の一撃が大岩を割り砕いた。
「うああああぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
「ぐあっ……! くそっ、バケモノが……!」
もたれかかった岩を砕かれ、衝撃と共に彼らは吹き飛んだ。
さらに砕かれた岩の破片が散弾のように飛び散り、二人の全身を傷つける。
全身から血を流し、ゴドムは身動き一つ取れない。
冒険者の男は半狂乱となり、ひたすら絶叫する。
「俺もここまでかよ……!」
止めの拳が振り上げられ、ゴドムは観念して目をつむった。
——ガギィィィッ!!
「………………——? 何だ、何が起こった……?」
凄まじい衝撃音。
巨人の拳が何かに叩きつけられた音だろう。
しかし、痛みも衝撃も襲ってこない。
恐るおそる目を開けると、ギガントオーガの恐るべき破壊力を秘めた拳は、一人の男の盾によって受け止められていた。
「良かった、二人とも無事のようだね。遅れて済まなかった、もう大丈夫だ」
「あ、あんたは……!」
その男の名を、ゴドムは知っている。
隣で尻もちをついた男も、救いの神が舞い降りたかのような表情で彼を見上げている。
首から下を黄色がかった鎧に包み、左手に大槍、右手に大盾を持った後ろ姿。
髪は黒の短髪、数多くの冒険者から尊敬を集めるこの男の守りは、いかなる攻撃も受け止める。
「世界最強の守護騎士、テンブ・ショーブラング……!」
盾を構えたテンブに、何度も叩きつけられる拳。
しかし彼は一歩も引かず、それどころか文字通りピクリとも揺るがない。
圧倒的な防御力、それだけでは説明のつかない異常な光景。
その答えは、ガーディアンの固有技能にある。
相手から受けたダメージを吸収し、その衝撃を自分の体内に蓄積して力に変える能力。
レベルによって吸収可能なエネルギー量に差があるが、彼のレベルは66。
貯蓄出来るエネルギーは相当な量に上る。
「……そろそろか」
充分に拳を打たせると、テンブは体内に溜まりに溜まったエネルギーを全て、大槍を握る左手へと送り込む。
鍛え抜かれた足腰は凄まじい瞬発力を生み出し、その一撃は電光の如く一撃で敵を穿つ。
「電光瞬迅槍」
冒険者の男にも、ゴドムにも、何が起きたのか理解出来なかった。
テンブの姿が一瞬でギガントオーガの背後まで移動したかと思うと、胸の中心に大穴を空けた巨人がゆっくりと崩れ落ちたのだ。
溜めこんだ力を一気に解放し、全てを貫く必殺の一撃。
その速度は、ローザですらようやく軌跡が見える程度にしか映らない。
テンブはゴドム達に駆け寄り、手を差し伸べて助け起こす。
「テンブさん、助かったぜ。まさかあんたが来てくれるとはな。正直なところ、今回ばかりは駄目かと思った」
「私だけではないよ。他の三人も一緒だ。それと、騎士団もな」
テンブが振り返ると、馬を駆った騎士が数人こちらに駆けてくる。
「彼らに境界の外まで送ってもらうといい。私はまだ、ギガントオーガを倒さねばならないからね」
「何から何まで礼を言うぜ」
最後にがっちりと握手を交わすと、テンブは走り去った。
冒険者の男は命の危機が去り、喪った実感が湧いたのだろう、その場にへたり込み、相棒の名前を泣き叫ぶ。
ゴドムはその背中を軽く叩き、肩を貸して助け起こした。
正直なところ、ティアナは驚きを隠せなかった。
世界最強の拳闘士、タイガ・ホワイテッドの勇名は、もちろん話には聞いていた。
だが、実際にその鬼神の如き強さをこの目で見ると、体中の毛が逆立つ。
生存者を馬の後部に乗せて離脱しながらも、その戦いから目が離せない。
「緩慢、ハエが止まって見える」
突き出された拳をゆったりとした動きで回避したタイガは、敵の腕にそっと左手を添える。
更に右手を太い手首に巻き込み、敵の突き出す力も利用して背負い投げた。
子どもほどの身長の少女が、十メートル以上もある巨人を投げ飛ばす。
自身の力と相手の力の二つを用いた、剛と柔の合わせ技。
轟音と共に、ギガントオーガの巨体は背中から叩きつけられた。
「柔よく剛を制す。もっと強い剛も剛を制す。これでお終い」
短い足をバタつかせ、起き上がれないギガントオーガ。
タイガは空高く舞い上がり、右の足先にオーラを集中させる。
「タイガのおみ足で蹴って貰えるなんて、あなたはらっきー。あの世で自慢してもいい」
右足を前に突き出し、タイガは流星のように敵へ突っ込む。
ようやく上半身を起こした巨人の横っ面に、タイガの蹴りが突き刺さった。
絶大な威力の一撃に、巨人の頭部が1080度回転し、太い首が螺旋のように捻じれ曲がる。
倒れ伏す敵を背に、タイガは軽やかに着地した。
「——流星脚。お粗末さまでした」
手を合わせて一礼。
一息つくとタイガは凄まじい速度で走り出し、あっという間にティアナの白馬に追いついた。
彼女の駆る白馬は騎士団一の駿馬。
それに徒歩であっさり追いつくとは、ティアナは驚きを隠せない。
「騎士クリスティアナ、タイガは少々休みたい。そこで、その上に乗ってもいいか尋ねてみる」
「馬に乗りたいのか? 後ろは埋まってるぞ」
背後にはぐったりとした生存者。
二人乗りしようにも、スペースが無い。
「のーぶろぶれむ、タイガの体格はこのような時にこそ役立つ」
身軽な身のこなしで飛び上がると、タイガは手綱を握って前屈みになったティアナの腕の間にすっぽりと収まった。
「これで問題無し」
ティアナの前に跨り、馬の首に手を掛けてくつろぐタイガ。
まるで狭いスペースに強引に入り込んで来た猫のようだ。
「タイガの走るペースと殆ど変らない。この馬、とっても良い馬」
「騎士団一の脚を持つ白馬だからな。むしろ人間なのに追いつけるキミの方が私は驚きだ」
「もっと褒め称えよ。で、次の巨人は北東方面。生存者もいるぞ、急ぐがいい」
「わ、わかった」
気配を探って敵の場所を教えてくれるのは良いが、なんだかふてぶてしい。
子どもみたいなナリだし英雄の一人なので、怒るに怒れないが。
ゆったりと休んでいたタイガだが、思い出したように顔を上げる。
「騎士ティアナ、いくらタイガが可愛くて強いからって惚れないように。タイガにはもう、心に決めた相手がいるのだから……」
「……………………」
さすがに叩き落としたくなった。
ローザンド・フェニキシアスの剣は神速。
目にも留まらぬ速さで敵に迫り、急所を斬り裂き、穿ち抜き、一瞬で征する。
命からがら逃げ惑う大会参加者と、それを追うギガントオーガ。
一人と一匹が気付かぬ速度で駆け込み、巨人の顔面に躍り出て闘気の刃で眼球ごと頭部を刺し貫く。
敵は何が起きたかすら理解出来ぬままに絶命する。
巨体が倒れ込む音で生存者はようやく異変に気付き、銀髪の女剣士の姿を目にするのだ。
彼女の誘導で騎士団員の駆る馬が走り来ると、ローザは目にも留まらぬ速さで次の獲物の方角へと駆け出す。
「みんなの方も、順調なようだな……」
ローザの索敵可能範囲は、この山麓のほぼ全域。
各地に散った三人の仲間たちによって、敵が次々とその数を減らしていく様子が、彼女には手に取るようにわかる。
そして、あの二人も。
「フフッ、頑張っているようだ」
ソラとリース、二人の気配と重なっていた敵の気配が、遭遇から約二分ほどで消滅した。
「これで敵の企みも潰えたか……。いや、待てよ……」
敵の狙いは、本当にこれだけなのか。
狙い澄ましたタイミングで、参加者たちの前にピンポイントで出現した大量のギガントオーガ。
モンスターを操る何者かの存在は、今回の件で完全に証明された。
そう、この行動には敵の正体を晒す大きなリスクがある。
そのリスクを侵してまでする事が、大会の中止?
「おかしい。理屈が伴ってない。なんだ、この違和感は……」
王都は遥か地平の彼方、ここからでは様子を窺う事が出来ない。
足を止めたローザは、考えを巡らせる。
そして、ある恐るべき可能性に思い至った。
「まさか、敵の狙いは……!」
その時、ローザの耳に生存者の悲鳴が届く。
助けない訳にはいかない。
止めていた足を動かし、すぐに声の聞こえた方向へと向かう。
しかし、ローザの考えが正しければ、この状態はまさに敵の思うツボ。
「頼みの綱は彼女か。こっちに向かっていなければいいが……」
もしも彼女が、セリムがこちらに向かって来ていたら、全ては終わりだ。
この考え自体が杞憂であって欲しいと願いながら、ローザは視界に映った巨人に斬りかかる。
○○○
未だ騒然としたままの闘技場内。
幸い大きな混乱は起こらず、事の成り行きを見守りたい観客たちはほとんどが席を立っていない。
クロエの腕の中で泣き続けていたセリムも、ようやく落ち着きを取り戻す。
「クロエさん、もう平気です。取り乱したりしてごめんなさい」
「謝る事ないよ、セリムのおかげで気持ちも紛れたし。一人だったら不安に押し潰されてたと思う」
体を離すと、セリムは決然とした表情でクロエに向かい合う。
今なら頭は冷静だ。
向こうに行っても足手まといになったりしない。
「私、アルカ山麓に向かいます。ソラさんを迎えに行きます」
ソラは必ず生きている。
アーメイズクイーンをわずか2レベルしか上回っていない相手に、彼女が遅れを取るはずがない。
ローザたち四人も、とうに到着しているはず。
彼女たちの力なら、あの程度のモンスターは瞬殺できるだろう。
気配を探るに、騎士団の精鋭も救助に向かったようだ。
あとは自分が行けば、決定的なダメ押しに——。
「私が行けば……?」
「ん? セリム、どうかした? 突然固まったりして」
今、セリムが動けばどうなる?
そもそも何故、モンスターを操る力を持った敵は、大会中のこのタイミングを狙って襲撃をかけたのか。
国中から集まった腕利きの猛者たちが集まるアルカ山麓に、わざわざ大量の高レベルモンスターを嗾けた、その目的は。
現在、大会参加者の救助のために、ローザたち四人と騎士団の精鋭は王都を出払っている。
腕自慢の冒険者たち、世界最強と謳われる四人、そして王を守る精強な騎士団たち。
その全てが今、アルカ山麓に結集した。
否、おびき寄せられた。
「まさかこれは、陽動……?」
だとしたら、敵の狙いは——。
「敵の狙いは、戦力の手薄になった——」
その時、またもセリムは強烈なプレッシャーを感じ取る。
気配を辿るまでもなく、すぐに見つけた。
貴賓席の反対側、真正面の位置。
黒いローブとフード、その奥に光る赤い瞳。
ソラとのデートの日、闘技場そばですれ違ったあの人物が、貴賓席に向けて手をかざしている。
貴賓席とその人物の丁度中間、闘技場の中央にあたる何もない空間に、小さな黒い渦が発生した。
渦は周りの空間を歪めながら、急速に広がっていく。
「——っ!」
その渦の中から感じる、あまりにも強大なモンスターの気配。
もはや一刻の猶予も無い。
セリムは座席を立ち上がると、その場を飛び出した。