006 一緒にいるための言い訳でしかなくても、やっぱり離れたくないんです
昨日の夕食の時もそうだったが、ソラのテーブルマナーは意外にもしっかりしている。
パンくずひとつこぼさず、スープを音を立ててすすったりもせず、食器と皿をぶつけてカチャカチャ音を出したりもしない。
大変失礼な話ではあるが、セリムの抱いていた勝手なイメージは、食べ散らかしは当たり前の豪快なものだった。
しかしイメージに反して、彼女の食事作法からは隠しきれない育ちの良さがにじみ出ていた。
「ぷぃーっ、ごっそーさま。セリム、中々料理上手いじゃん。ソラ様が褒めて使わす」
食事中は静かだったソラも、食べ終わると同時に騒がしくなる。
八重歯を覗かせて笑う姿は、いつも通りのアホの子平常運転。
見え隠れしていたお嬢様オーラは跡形もなく消し飛んだ。
「お粗末さまでした。お嬢様のおめがねに叶い光栄です」
「え、なに言ってんの」
軽くカマをかけてみたが、キョトンとした顔で返される。
全く動揺の色が見えない、急に何言ってんだといわんばかりのソラ。
やはり考え過ぎなのか、彼女が良い所のお嬢様だなどと。
「それにしてもさ、セリムってすっごい優良物件だよね。可愛いし強いし料理も上手いし。セリムを嫁にする奴は幸せ者だわ」
「嫁、ですか。……考えたことも無かったですね」
誰かと恋に落ちて、結ばれて、結婚する。
完全に他人事だと思って意識もしなかったが、自分にもいつか運命の相手が現れるのだろうか。
そんな相手がいるとしたら、今この瞬間、どこで何をしているのだろうか。
つい思いを巡らせて上の空になってしまっていた。
セリムはブンブンと首を振ると、目の前のソラとの会話に戻る。
「どしたの? 急に頭振って」
「コホン、なんでもありません。ところで、その剣の振り心地はどうでしたか。気に入ってくれました?」
「うんっ、この剣すっごいの! 長いのに振りやすくって、握り具合も抜群!」
満面の笑顔で答えてくれたソラ。
彼女の笑顔を見ると、何故だかセリムも嬉しくなってしまう。
「それは良かったです。創造術で作成した武器は細かい調整も出来ませんし、どうしても鍛冶師の方が鍛え上げた剣には劣るので」
「へぇ、なんか意外。万能ってわけじゃないんだね」
人懐っこい笑顔を向けてくれるソラ。
彼女とも今夜限りでお別れ、明日の朝にはこの町を出ていってしまう。
セリムが抱くのはどうしようもない寂しさ。
せめて彼女がいなくなってしまうまでは、出来る限り一緒にいたい。
「あの、ソラさん。もしよろしければ私と……、お、お風呂に入りませんかっ」
「いいわよ。髪の毛に砂が混じって気持ち悪いし、セリム洗ってよ」
上ずった声を出してしまったが、ソラは快諾してくれた。
「良かった。それでは私はお風呂を沸かしますので、ソラさんはお皿洗いをお願いします」
「任せといて! 大船に乗ったつもりでいるといいわ!」
自信満々に請け負ったソラは、食器を重ねてキッチンに持っていった。
セリムは少しだけ不安に思いつつも、裏庭に出て汲み上げた井戸水を浴室の湯船にせっせと運ぶ。
何往復かしてなみなみと水を張った浴槽の中に、防火網に包んだ炎の魔力石を放り込み、そのまま30秒ほど待ってから引き上げる。
指の先でお湯を触ってみると、40度くらいの丁度いい湯加減。
「良い感じに湧きましたね。さて、ソラさんに任せた食器洗いは……。まあ、さすがにだいじょ」
パリーン!
何かが砕け散る音と、うわーまたやっちった、という声。
セリムは全速力でキッチンに駆け付けると、複数の皿の残骸を前にして、もう何もするなと言いつけた。
○○○
紺色のインナーを脱ぐと、脱衣所の床にパラパラと砂が落ちる。
一切気にせず洗濯かごに投げ込むソラには、やはりお嬢様らしさなど欠片もない。
やっぱり気のせいだったのだろうか、でもあの財布の重みは。
服を脱ぐ手を止めて考え込んでいたセリム。
その背後に回ると、ソラは彼女のミニスカートを剥ぎ取る。
「ひゃああああああっ!!」
「にひひ、なにぼさっとしてんのさ」
「なななななな、なにするんですかっ!」
「これから素っ裸になるのに、なに恥ずかしがってるの?」
「それとこれとは話が違うんです!」
セリムは頬を染めつつ、てきぱきと脱いで脱衣かごに畳んで入れる。
その隣のかごには、ぐちゃっとしたソラの脱ぎ散らかしが入っていた。
「これは絶対に違いますね、今確信しました」
「なにが? それより早く入ろうよー」
素っ裸で急かすソラ。
彼女がお嬢様という可能性はゼロ、そう結論付けたセリムはこの件に付いて考えるのを止め、浴室のドアを開ける。
「おぉ……、別に広くない」
「当たり前です。何を基準にしてるんですか」
人が二人入ると手狭なくらいの浴室。
師匠と二人で入っていた時も、少し狭く感じていた。
当時はセリムがこの家に帰ってくる事自体稀だったが。
「よーし、飛びこ」
「まないでください。先に体を洗いますよ。しっかり汚れを落とさないと」
浴槽にダイブしようとするソラの肩をがっしり掴むと、強制的に座らせる。
リボンを解いた彼女の髪は、肩よりも少し先まで伸びた長さだ。
湯船から風呂桶でお湯を汲むと、セリムは容赦なく頭からぶっかけた。
「うみゃあぁっ」
「なに動物みたいな声出してるんですか。頭洗ってあげますから、目つむっててくださいね」
石鹸を泡立てて、ソラの金髪をわしゃわしゃと洗う。
「せっかく綺麗な髪してるんですから、もっと気を使ってください」
「だってメンドクサイし。そんなに言うならこれからはセリムがやってよー」
「…………」
わかってて言ってるのだろうか。
明日にはお別れだというのに、これからもずっと一緒みたいな言い方をして。
訳も無く腹が立って、無言でお湯を頭からかぶせる。
「みみゃああぁぁっ」
「なんの生き物ですか、あなたは。ほら、頭洗い終わりましたよ」
ぷるぷると頭を激しく振って水を飛ばすと、ソラは元気よく立ち上がる。
「よっし! 今度はセリムの髪、あたしがやってあげる」
「遠慮しておきます。髪には気を使っているので」
「そっか、なら仕方ない。……ん? それどういう意味?」
腰掛けて髪を洗いはじめたセリムに、ソラは更に食い下がる。
「じゃあさ、体洗ってあげるよ。それならいいでしょ?」
「その前に自分の身体を洗ってください」
「よし、急いで洗ってセリムも洗う!」
猛烈な勢いで石鹸を泡立てて体を擦り始めるソラの隣で、長い髪を体の前に回して洗うセリム。
長いサバイバル生活の中でボサボサに伸びてしまった髪を、ここまで綺麗に整えるまでにどれ程苦労したか。
もう二度と野生児に戻るのはごめんだ。
半裸で野山を駆け、獣を狩り殺して肉を剥ぎ取り、丸焼きにして豪快に齧り付く日々。
今思い出してもぞっとする、絶対に戻りたくない過去だ。
「洗い終わったー!」
ソラはお湯で泡を洗い流すと、髪を洗っている途中のセリムの背後に回り込む。
「え、待ってください、何をするつもりなんですか」
「何って、洗い終わったら背中流していいんでしょ?」
「そんなことを言った覚えは……」
問答無用とばかりに手を泡立てたソラは、セリムの白い背中をすりすりする。
「なんで素手なんですか! くすぐったいです……っ」
「ザラザラしたタオルだと肌を傷つけちゃうんだよ。知らなかった?」
確かにこの浴室には固いタオルしか置いていない。
だからと言って、これは少しまずい。
何だかまったく分からないが、おかしな気分になってしまいそうだ。
「ほれほれ、気持ちいい? 気持ちいいでしょ」
「気持ち……いいって言うか……っ、なに、これっ……」
「もっと行くぞー、おりゃー!」
勢いを付けたソラの手がつるりと滑って、セリムの身体の前面へ。
「……あっ」
むにっ。
ソラの両手のひらに感じるそこそこな膨らみ。
将来性を十分に感じさせる柔らかさだった。
「——っ! いやあああああああああぁぁぁっ!!!」
「いやぁ、いい湯加減だね、セリム」
並んで湯船に浸かる二人。
にこやかなソラに対して、セリムは目尻に涙が浮かんでいる。
「知りません! ふんっ!」
「うぅ、謝ったじゃぁん。機嫌直してよ。そうだ、あたしのも触っていいわよ」
「け、結構ですっ。もう……」
恥じらいもなく胸を突き出す彼女に、逆にセリムが恥ずかしくなった。
口までお湯に沈んで、ブクブクと泡を吐き出す。
「ぶくぶく……ぷはぁ。ソラさん、明日にはこの町を出て行くんですよね……」
「そうだけど。次にどこ行くのかが問題なのよねぇ」
——なんでもないことのように言ってくれますね。
私はこんなにも別れが辛いのに。
「どこに行けばアダマンタイトの情報が掴めるのかしら。セリムはどう思う?」
「…………人の多い場所にでも行けばいいんじゃないですか」
——一人で寂しがってて、バカみたいじゃないですか。
そもそもソラさんは旅の途中、私にはこの店がある。
少しの間だけの付き合いだってことは、分かっていたつもりなのに。
「人の多い場所かぁ。よし、次の目的地は人の多い場所に決定!」
——それなのに、どうしてこんなにも別れが辛いのでしょうか。
○○○
姿鏡の前で、濡れた髪を乾かして櫛を通すセリム。
寝巻に身を包んだ二人は、あとはもう眠るだけ。
それで明日が来て、別れがやってくる。
この広い世界、ソラの無謀さも相まって、おそらく二度と会えないだろう。
今まで生きてこれたのが不思議なくらいの彼女。
一人で行かせたら、きっといつか死んでしまう。
心配でたまらない、彼女についていきたい。
でも、昨日出会った少女のために、今の暮らしや仕事、全てを放りだせるのか。
「どうしますか、私。私はどうしたら……」
鏡の中の自分に問いかけても、それはただの独り言。
ミスリルの剣を鞘から抜いて嬉しそうに眺めているソラの姿が、鏡にチラチラと映る。
まるで寂しさの欠片も無い脳天気な顔。
自分はこんな気持ちになっているというのに。
「……ソラさん、こっち来てください。髪、整えてあげます」
「おお、早速やってくれるのか。いいよ、どんと来い」
剣を鞘に納めて立て掛けると、ソラはこちらに駆け寄って鏡の前にちょこんと座る。
彼女が着ているのはセリムの寝巻。
ピンクと白の縞模様で、えりの辺りにもこもこした毛玉が付いている。
セリムの寝巻はその青い色違い。
「にひひっ、おそろいだねぇ」
「頭動かさないでください。櫛、刺さりますよ」
こちらを振り向いた彼女に前を向かせ、サラサラの金髪に櫛を通していく。
細やかな髪がするすると流れ、全く引っかからない。
「ソラさんももっと可愛らしい格好をすればいいのに。こんなに可愛らしいんですし」
「ホント? あたしかわいい? そんなの言われたの初めてかも」
嬉しそうに頭を揺らしながら、ソラは笑う。
頭を掴んで強引に動きを止めると、髪梳きを再開。
「そうなんですか? 相当見る目がないですよ。私の次に美少女です」
「セリムの次なんだ。まあそれでもいいか、セリムってすっごくかわいいし」
「……っ!」
心の底からそう思ってる、そんな顔で言われると、さすがに照れてしまう。
間違いなく自分は美少女だと自負しているが、他人に言われたのはこれが初めてだった。
「お、おだてても何もでませんからっ」
「強いしかわいいし頼りになるし、これからの旅は心強いね。世界最強へ一直線だよ」
「……………………へ?」
何を言っているのか、この子は。
ソラの突然の発言に、セリムの頭に浮かぶのは疑問符ばかり。
「あの、私達は明日でお別れなんじゃ……」
「セリムこそ何言ってんの? 私の旅についてきてくれるんでしょ?」
「……ついていけませんよ?」
なんということだろう。
ソラが寂しそうな素振りをまったく見せなかったのは、セリムが旅に同行してくれると思っていたからだったのだ。
お互いの認識の違いに、思わず呆気に取られる二人。
「は? え、なんでついてこれないのさ!」
「なんでって、私にはこのお店がありますし、仕事もありますし。この町での暮らしだって……」
「待って待って待って! じゃあセリムとは明日でお別れってこと!? そんなのやだよ!」
「ソラさん……」
——そんな泣きそうな顔をしないでください。
別れが余計に辛くなっちゃいます。
「仕方ないことなんです。寂しいですが……」
「うぅ、セリムには仕事が……。ん、仕事……」
ふと何かに思い至ったソラは、セリムに確認を取る。
「セリムの仕事って、確か……」
「はい、アイテム調達業ですよ。依頼を受けて、アイテムを探しだして持ってくるお仕事です」
「それってさ、範囲とか時間に制限はあるの?」
「特に設けてはいませんが……」
「そっか、それだ! あたしってやっぱり天才ね!」
ソラが何を言わんとしているのか、セリムにはまだピンと来ていない。
悲しみに沈んでいたソラの顔がどんどん明るさを取り戻し、彼女は高らかに告げる。
「セリム、今から依頼を出すよ! 世界最強の金属、アダマンタイトを調達するの! このあたしと一緒に!」
得意げに言ってのけ、渾身のドヤ顔を見せるソラ。
「どう、ナイスなアイデアでしょ! これなら堂々とついてこれるわよね、仕事だもん」
普段のセリムならば、こんなとんでもない依頼を受けるわけがなかった。
どこにあるのか、実在するのかも分からない物の調達、しかも期間未定。
旅費もアイテム費も莫大にかさむだろう、何日かかるかすらわからない。
それでも。
「……ふふっ。ソラさんったら」
それでも、一緒にいられる口実は出来た。
そう、これは口実。
他ならぬ、セリムが自分自身に言い訳をするための口実だ。
一緒にいたいのだからと開き直ることは出来ないが、一緒にいるための理由は出来た。
ソラに抱きつくと、セリムは今日一番の笑顔で返事を返す。
「しょうがないですね、ついて行ってあげますよっ」