059 ソラ様の辞書に、逃げの二文字は未収録なのだ
狩猟大会開始から約二時間。
制限時間の三分の二が経過し、残り時間は一時間を切った。
時間はまだある、勝負はこれから、参加者は誰一人として勝負を投げていない。
それは現状を知るすべが無いから。
現在の状況を知れば、一人残らず心が折れるだろう。
二つ目の袋をようやく一杯にしたダグは、自分に対する称賛で湧く闘技場の様子を夢想していた。
しかし闘技場の観衆はみな、二人の激しいデッドヒートに釘づけになっている。
『なんという激戦! 優勝争いは、完全にこの二人に絞られました! ソレスティア選手、リース殿下、共に12袋目! しかもこの二人、何故かスタート直後からずっと行動を共にしています!』
ソラは常にモンスターの気配を感じ取りながら移動距離と群れの規模を天秤にかけ、最も効率の良いルートを選んで行動している。
もちろん彼女に計算づくの行動は出来ないので、直感的な部分が多くを占めているが。
同じくリースも、モンスターの気配を読み、こちらは計算づくで最適なルートを選択している。
そのため二人は示し合わせたように同じ方角へ進路を取り、第三者からはまるで行動を共にしているように見えていた。
今この時も、リースがソラの後ろに張り付く形で二人は草原を疾駆している。
「お姫様、思ったよりやるなー……。スコアはあたしの方が勝ってると思うけど、僅差だよね。全然引き離せない」
「お気楽なあなたも、ようやく危機感を持ち始めたのかしら。この私を甘く見た事、後悔しても遅いわよ」
「うんにゃ、後悔なんてしてないよ。むしろすっごく楽しい!」
「……上等、それでこそ倒し甲斐がある」
不敵に笑うリースは、危険度レベル10・フレイムガルムの大規模な群れを前方に視認。
下級の炎魔法を操る狼の大群の存在に、前を行くソラも当然気付いている。
「おし、みっけ! 今度こそ大差付けてやる!」
背中に背負った鞘から剣を引き抜くと、速度を上げて一目散に突っ込む。
ソラの持つ攻撃手段は近接攻撃のみ。
威力は高いがリーチが短く、敵に近寄らなければ攻撃を当てる事は不可能。
しかしリースには、剣以外にも魔法という攻撃手段がある。
「ワンパターンね。そのやり方で今まで差を広げられた?」
腰の鞘に剣を納めたまま、右手のひらに光の魔力を集中。
手をかざし、前方の敵を目がけて狙いを付け、収束した魔力を引き絞って放つ。
「フォトンシューター」
「おっしゃー! ソラ様一番乗——」
群れに斬り込もうとするソラを、白い光線が後ろから追い抜いた。
そのまま魔狼の群れに着弾し、巻き起こる爆発。
先制の魔砲撃により、六体のフレイムガルムがなにも出来ずに絶命した。
「りじゃない! また先越された!!」
うっかり足を止めて悔しがるソラを、今度はリース本人が追い抜いた。
「呆けてる場合じゃなくってよ」
腰の剣を抜き放ち、迎撃の火球弾幕をかわしながらの躍るような体捌きで群れに斬り込む。
「うぅ、剣でも先越されるなんて……。今頃セリム、向こうでアホですかとか言ってそう……」
気を取り直したソラは、一足遅れて群れの中へと突っ込んだ。
二人によって魔狼の群れは瞬く間にその数を減らしていく。
その頃闘技場では——。
「何やってるんですか、アホですか……」
ソラの予想通り、セリムが頭を抱えていた。
「おっしゃ、これでまたリースがリードだよ! そのままいけーっ!」
セリムの隣で拳を振り上げ、声援を飛ばすクロエ。
本当にリード出来ているのか、詳しい数字は不明だが、彼女の計算ではそうなっている。
「あの二人、中々やる。タイガが参加した時は、こんな良い勝負にならなかった。何故ならタイガの圧勝だったから」
ローザに膝枕されながら、マールチップスを貪るタイガ。
マール芋をスライスして油で揚げ、岩塩を振りかけたこのお菓子は、やはりタイガのお気に入りだった。
「自慢か。運よく対抗馬がいなかっただけだろ。私が優勝した時は、ルードとこんな感じで火花を散らしたもんだ。なあ、ルード」
「……チッ、忌々しい。この期に及んであの屈辱を思い出させるか……!」
腕組みをして観戦していたルードは、舌打ちと共に露骨に機嫌を損ねる。
彼にとっては数あるローザとの戦いの中でも最も屈辱的な敗戦だった。
大観衆の前での敗北。
彼が最強の剣士になれず、最強の魔法剣士の肩書きを持たされたのも、全てはあの時の負けが原因だと、ルードは今でもそう思っている。
一方のローザは、大会史に残る名勝負を共に演じた事を誇りに感じていた。
その認識のズレが、仲間であるはずの二人の溝を広げているとも知らずに。
「ソラさん、負けないでくださいよ……。アダマンタイトが懸かっているんですから……」
スクリーンに映る光景は、群れを殲滅した二人の尻尾回収作業。
果たしてどちらがリードしているのか、どちらに勝負が転ぶか、終わってみるまで誰にも分からないだろう。
馴れた様子で尻尾の袋詰め作業を終えた二人は、気配を頼りに早速駆け出す。
やはり向かう方角は同じ。
このまま最後まで二人旅は続きそうだ。
「お姫様、ずっと休んでないでしょ。ちょっと休憩しない?」
「何を軟弱な。休むならお一人でどうぞ」
「にしし、気を使ってあげたんだけど、おせっかいだったかな」
「ライバル相手に気を使ってる余裕なんてある?」
「んー、無いね。残念ながら」
さすがのソラも認めざるを得ない。
最大のライバルは間違いなく彼女だ。
このやたらと強いお姫様に競り勝った時、優勝の栄冠は自分の頭上に輝くのだ。
次の群れの気配はまだ遠く、これまでに温存した体力は十分。
ソラは今この瞬間を、勝負に出るタイミングと見た。
本気の走りで距離を大きく引き離し、彼女が到着する前に一人で群れを殲滅すれば、勝負はほぼ決する。
「おーし、ここで——っ!?」
強く大地を蹴り、全力疾走の体勢に入ろうとした瞬間——それは唐突に山麓の各地に出現した。
何も無い場所から、今まで何の気配も感じなかった場所から、まるでワープでもしたかのように。
「ちょっ……! もしかしてこれって……! お姫様も感じてる?」
「ええ、気配を探っているのは私も同じだもの。でもこれは……」
感じ取れる気配の強さは、明らかにこの場所の魔物とは一線を画している。
更にその出現位置も不自然極まりない。
半径900メートルが彼女たちの索敵範囲内だが、その範囲に限定しても、強大な魔物の気配は参加者のいる場所に狙い済ましたかのように出現していた。
当然彼女たちの側にも。
小山のような丘の向こう側から、ゆっくりと近づいてくる足音。
ズシン、ズシンと地響きが轟き、大地が揺れる。
「あなた、どうするつもり? 正直に言わせてもらうと、逃げた方がいいと思うのだけれど」
「実はあたしの辞書ね、逃げの二文字は未収録なの!」
「ちょっと、待ちなさい! あのアホっ子……!」
ミスリルの大剣を握り締め、ソラは丘を駆け上がる。
敵からもこちらの動きは見えていないはず。
奇襲を仕掛けて一気に勝負を決める!
「闘気大収束!」
闘気を束ね、生み出した闘気の大剣。
丘の頂点から跳躍したソラは、敵の姿を視認すると同時に大上段に振りかぶる。
「これでも食らえっ! 集気大剣斬ッ!!!」
振り下ろした渾身の一刀。
敵は無造作に腕で頭部を庇う。
腕ごと斬り飛ばす、そのつもりで放った一撃は、分厚い筋肉の鎧に阻まれた。
わずかに刃がめり込むだけで、攻撃は完全に止められる。
「うっそ、硬すぎでしょ……」
致命的な隙を晒したソラを、巨大な一つ目が睨む。
その口元から覗く鋭利な牙と、頭頂部に生えた一本の大角。
指先が地面に付くほどの長い腕とは対照的に、その足は極端に短い。
十メートル以上ある緑色の巨体は、全身が筋肉に包まれている。
丸太のような左腕が、動きの止まったソラに向けて振るわれた。
咄嗟に闘気の刃を消し、離脱を図るがもう遅い。
「まずっ——っあがあぁぁぁッ!!」
巨大な豪腕によるラリアットの直撃を受け、体がバラバラになりそうな程の衝撃が走る。
地面に叩きつけられ、何度もバウンドし、砂煙を上げて転がる。
「ぐっ、がはっ! おえっ、げほ、げほっ……」
幸い剣は握ったまま、倒れこんだソラは激しく咳き込む。
強烈な一撃をまともに受け、体が痺れて足に力が入らない彼女に、巨人はゆったりとした足取りで迫る。
『な、な、なんという事でしょう! あってはならない事態が起きてしまいました!!』
闘技場内は、突然の事態に騒然となる。
スクリーンに映し出された光景に、セリムは青ざめる。
あのモンスターは危険度レベル47、ギガントオーガ。
正面からぶつかったのでは、今のソラでも勝ち目は薄い。
「ソラさん……、このままじゃソラさんが……、ソラさんが……っ!」
セリムの目は虚ろ、うわ言のようにソラの名前を呼び続ける。
『他の参加者はどうなっていますか、他は無事ですか!』
実況の呼びかけにより、スクリーンに他の参加者の現状が映される。
やはり山麓の各地にギガントオーガが出現していた。
腰を抜かし、四つん這いで逃げ惑うダグ。
全力で逃走を図るゴドム。
そして、成す術なく逃げ惑う低レベルの参加者たち。
無謀にも戦いを挑んだ冒険者が、巨大な拳によって叩き潰される映像が映し出された瞬間、
『これは——! 中継をストップして下さい! 一旦止めて!』
通信は遮断され、大スクリーンは砂嵐を映し出す。
『皆さん、落ち着いてください! 慌てず、その場から動かないで!』
ざわめきが収まらない闘技場内。
貴賓席ではアーカリア王が顔色を変え、席を立ち上がっていた。
「アーカリア王、最悪の事態だ。これは明らかに参加者を狙った何者かの襲撃」
「ギガントオーガは危険度レベル47に御座いますわ。対抗できる冒険者となると、限られてくるかと」
「何という事だ……。おぉ、リースよ。どうか無事でいてくれ……」
娘の無事を祈る王を見かね、マリエールは側近に指示を出す。
「アウスよ、あそこに向かってくれぬか」
「——正直なところ、この襲撃、何か引っかかります。いくら命令でも、今お嬢様のお側を離れるわけにはいきませんわ」
「……是非もないか」
確かに危険度レベル47のモンスターならアウスの敵ではない。
だがしかし、確証は無いが、アウスの第六感が告げていた。
今この場を——マリエールの側を離れるのは、絶対にダメだ。
「王よ、騎士団に出撃の命を! 御下知とあらば、我ら身命を賭して——」
「ぬぅ、しかしあのレベルのモンスターを相手にしては……」
いても立ってもいられず、声を上げたティアナ。
だが騎士団にレベル47のモンスターに太刀打ち出来る人員は居らず、王は出撃を渋る。
そこにルーフリーが口を挟んだ。
「ご心配には及びませぬ。あのモンスターは敏捷性が極端に低い。参加者の救助に専念し逃げに徹すれば、犠牲は出ぬでしょうな」
「……お主がそう申すのであれば。あいわかった! クリスティアナよ、出撃を許可する。精鋭をまとめ、直ちに参加者の救助に向かえ。ただし、可能な限り戦闘は避けよ」
「はっ!」
跪き、王の命を受けたティアナは、すぐに貴賓席を飛び出す。
「頼んだぞ、我が騎士団の精鋭よ……」
祈るような想いで彼女の背中を見送ると、王はようやく腰を下ろした。
もはや彼に出来る事は、娘の無事をただ祈るのみ。
一方、貴賓席から遠く離れたスタンド中段の座席。
大切な人の命の危機にセリムはパニックに陥りかけていた。
顔面蒼白な彼女の肩を、ローザはポンと軽く叩く。
「セリム、落ち着くんだ」
「はっ、はっ、ロー、ザ……さん?」
「ソラならきっと大丈夫だ。レベル差は9、そう差は開いていない。やたらと強い姫も側にいる。簡単にやられはしないさ」
「で、でも……」
「それに、あの場所には今すぐ私が駆け付ける。二人を——もちろん他の参加者も、必ず助けて見せる。みんなも、手を貸してくれないか?」
仲間たちの方へ振り向くローザ。
三人とも既に席を立ち、準備万端の構えだ。
「愚問。丘陵での汚名、今こそ晴らす時が来た。タイガの拳で全部消し飛ばす」
「このような状況で手を拱いては、皆の規範にはなれまい。当然、私も同行する」
「ローザ、あの時のリベンジマッチといこう。どちらが多く一つ目を狩れるか、勝負だ」
「……みんな、礼を言う」
静かに頷いた三人は、常人には消えたと錯覚する速度でその場を後にする。
「よし、では行ってくる」
「待って下さい、私も……っ、私も連れて行って下さい……っ」
真っ青な顔のまま、セリムはローザに縋りついた。
「お願いです……っ、私も……」
「——ダメだ。今のキミを連れていくことは出来ない」
「どうしてですか……!!」
「今、キミは著しく冷静さを欠いている。いくら強くても、そんな状態で来られては——こんな言い方は酷かもしれないが、迷惑だ」
「それは……」
セリムの顔は青ざめ、指先が痺れ、呼吸は荒い。
今にも泣き出してしまいそうなセリムを、クロエは後ろから抱きしめる。
「く、クロエさん……?」
「セリム、ここはローザさん達に任せよう。ね?」
その時セリムは初めて気付いた。
クロエの体も、小さく震えている事に。
そうだ、大切な人が命の危機に瀕しているのはクロエも同じ。
なのに自分の事ばかり考えてしまっていた。
セリムの目から、とうとう大粒の涙がこぼれ出す。
「クロエさん、ごめんなさい、私、自分のことばかり……!」
「よしよし、大丈夫だから。二人とも……っ、絶対大丈夫だから……っ!」
セリムを正面から抱きしめ、ゆっくりと頭を撫でるクロエ。
その声にも、次第に嗚咽が混じり始める。
「ぐすっ、ローザさん、ソラさんを、リースさんも……ひぐっ、お願いします……」
「ああ、絶対に助け出す。安心して任せとけ」
ニコリと微笑むと、ローザもその場から走り去った。




