057 身分違いの恋、とっても素敵です
白砂が敷き詰められたアリーナに、一歩足を踏み入れる。
殺気だった冒険者が一睨みするが、ソラは全く意に介さず。
全周囲を囲む大観衆を前にした彼女の感想は、
「これじゃあセリムがどこにいるかわかんないや」
と、至って呑気なものだった。
気持ちは落ち着いている。
昨夜はセリムに一緒のベッドで添い寝してもらい、睡眠もバッチリ。
朝食もしっかりとって、心も体も絶好調。
この場にいる他の誰にも、これっぽっちも負ける気がしない。
「お、嬢ちゃんじゃねえか。やっぱり出て来たな」
「ゴドムのおっちゃん! おっちゃんも出るんだ」
意気込むソラに声をかけたのは、筋骨隆々ちょび髭つるつる頭の冒険者。
こんな特徴の持ち主は、ソラの知る限り二人だけしか存在しない。
セリムは三人目の存在を知っているが。
「当然だろ、この時期に王都まで来たんだからな。この日のために三週間、死に物狂いで特訓してきたんだ。嬢ちゃんもうかうかしてると足下掬われるぜ」
「なんの、今のあたしは無敵だから。おっちゃんがどれだけレベルアップしてても、負ける気しないね」
「言ってくれるぜ」
実力に裏付けされた自信。
過信ではなく、慢心でもない。
不敵に笑う金髪の少女に、恐れ入ったと肩を竦めて笑うゴドム。
その時、彼の名前が大会運営の係員に呼ばれた。
「おっと、俺の番みてえだ。じゃあな嬢ちゃん」
闘技場の中心に設置されたレベル測定機。
つるつる頭にサークレットを通し、計測された数字は21。
三週間という短い期間で、2レベルのアップは驚異的な早さと言える。
拡声魔法を使った実況者の声が、場内に響き渡った。
『ゴドム選手、レベルは21! 全選手の中でも上位です! これは充分優勝が狙える位置にいるでしょう!』
大会への参加条件は、レベル13以上。
その数字を下回る者は、この場で門前払いとなる。
現在の合格者45名の中で、レベル21は上位十人に入る数字だ。
巻き起こる歓声に片手を振って応えながら、ゴドムは合格者が集まる一角に並べられた椅子にどっかと腰を下ろした。
次に呼ばれたのは、ソラが名前を聞いた事もない男の冒険者。
自分はいつ頃呼ばれるのか、手持無沙汰になってしまった彼女は、退屈そうにあくびをする。
「ふぁーぁ。あたしの番まだかな……」
「もし、あなたがソレスティア・ライノウズかしら」
名前を呼ばれて振り向くと、純白の鎧を纏ったピンク髪の少女が、こちらをじっと睨み付けている。
その時ソラが感じたのは、抜き身の刃のような明確な敵意。
悪意も殺気も込められてはいないが、絶対にソラに勝つ、そんな強い意志が見える。
「あたしのこと知ってるの? ……あれ、その顔なんだか見覚えが。どこかで会ったっけ」
間違いなく知っている。
この少女の顔は、以前にも見た覚えがある。
覚えはあるが、それが一体いつのどこだったか、記憶を辿っても思い出せない。
「私の顔を忘れるとは、どこまでも無礼ね。本当、貴族の風上にも置けない」
「き、貴族って……、どうしてその事を!?」
「もう優勝した気でいるようですけど、覚えておいて。あなたは今日これから、公衆の面前で無様に負けを晒し、この私の足下に跪いて泣きじゃくる運命なの」
「待って待って! あたし、そんなに恨まれる覚えはないよ!?」
困惑しきりのソラに対し、彼女の向ける目はますます鋭く、冷たくなる。
「恨み? 覚えが無い? 当然でしょうね。私はあなたを恨んでなどいない、軽蔑しているだけ。私の信念は、あなたの生き方を受容出来ない。ただそれだけの話だもの」
「うぅ、もう何言ってんのかもわかんない……。とりあえずさ、名前聞かせて。そしたら思い出すかもしんないから」
「いいでしょう。二度と忘れないよう、私の名前を脳裏に刻んで——」
——ワァァァァァァァァァァァァッ!!!!!
突如として響き渡る大歓声。
細身の青年が観衆に対し、片手でガッツポーズを取って応える。
実況の声もノリに乗っていた。
『来ましたァ!! 本日のレベル最高記録! なんとなんと、レベル28を記録したのは——ダグ・バイダーッ! 優勝候補間違いなし、ルックスもイケメンだぁぁぁ!!』
観客席から飛び出す黄色い声援に、彼は白い歯を輝かせて笑みを返す。
『盛り上がって来ました、この測定会! 残す選手はあと四人、お次は…………え、これ、本当ですか?』
手元の書類を見て固まり、係員に確認を取り、最後に自分の目で確かめ、実況者はようやく気を取り直す。
『し、失礼しました。さて、お次は何と大会史上初、王族からの参戦だ!!』
その言葉に、今度は場内がざわめきに包まれた。
名前を呼ばれる前に、ピンク髪の少女は静かに測定機の前へと進み出る。
「これを付ければいいのでしょう?」
「は、は、はい……。左様でございます……」
明らかに緊張した様子の係員をよそに、彼女は——リースはサークレットを頭に装着。
秤の輪が、そのレベルを弾き出す。
巨大な魔力ビジョンに映し出された数字は、33。
ざわめきから一転、場内は水を打ったように静まり返る。
得意げな笑みを浮かべていたダグは、あごが外れんばかりに大口を開けていた。
殆どの人間があっけに取られる中、クロエは小さくガッツポーズ。
「よしっ! 凄いよリース! このレベルなら、ソラにだって引けを取らない!」
「お、驚きました。あの子がリースさん……。あれ、でもさっき、王族って……」
首を捻るセリム。
彼女の疑問は、実況によってすぐに解消される。
『……な、な、なんという事でしょう。皆さま、測定機は正常に稼働しています。全参加者中最高記録がまたも更新、レベル33を叩き出したのはアーカリア王国第三王女、リース・プリシエラ・ディ・アーカリア様だァァァッ!!!』
——ウオオォォォォォォォォォォォッ!!!!!
割れんばかりの大声援。
お転婆で知られるお姫様が叩き出した前代未聞の数字に、会場のボルテージは更に高まる。
「お姫様、ですか!? クロエさん、この三週間で一体何が……」
「秘密だよ。あの子とボクだけの、ね」
「むぅ、気になります……」
ぺロリと舌を出すクロエ。
彼女とは庶民仲間だと勝手に思っているセリムは、どうやって庶民代表がお姫様とお近づきになったのか気になって仕方ない。
一方、アリーナに立つソラは、ようやく彼女の顔をどこで見たのか思い出す。
「あー……、年に一度の謁見の時だ……。三人のお姫様の中に、確かにいたよ」
新しく年が明けた日、貴族は王城に出向き、王族に挨拶をしなければならない。
その時に彼女の顔を見たのだ。
しかし、リースの正体がわかったところで、新たな疑問が顔を出す。
接点はその程度のはずなのに、何故あそこまで敵視されるのか。
リースの譲れない信念を、ソラは知る由もなかった。
ソラが考え事をしている間にも、二人の参加者がレベル不足で闘技場を後にした。
高レベル二連発で盛り上がった会場も、若干冷めてきている。
ところが、最後に残った彼女の名を知る冒険者は数多い。
一般市民はともかく、冒険者や事情通はその少女に熱い視線を向けていた。
『さあ、長かったこの測定会も、残すところあと一名!』
「なんであたし、最後に残ってるんだろ」
実のところ、大会受付は前日の昼過ぎからとうに始まっていた。
既に測定会が始まっていたタイミングで参加登録したソラ。
名前はエントリー順に呼ばれるため、当然と言えば当然だった。
『お待たせしました、知る人ぞ知る超新星!! 聖地カルーザスで神子の護衛を務め、あのローザンド・フェニキシアスも一目置いているこの少女、おそらく優勝候補ナンバー1でしょう!』
「いやはや、照れるね……」
これでもかと持ち上げる実況に、ソラは照れくさそうに笑う。
観客席のセリムは、我が事のように鼻が高い。
『それでは最後に決めてもらいましょう、さあソレスティア・ライノウズ!! いざ測定機の前へ!!!』
「あーいよっ」
照れはしても緊張とは無縁。
軽い足取りで秤の輪に頭を通す。
出てくる数字も、既に知っている。
大魔力ビジョンに映し出された38の数字。
『出たァァァ、ダントツトップ! 優勝候補筆頭は、間違いなく彼女だァァァッ!!!』
——ウオオォォォォォォォォォォッ!!!!!
リースに送られたものに引けを取らない大歓声。
くるくる回りながら両手を振って応えるソラは、満面の笑み。
ダグはあごが外れそうなほどに大口を広げ、目は飛び出さんばかりだ。
「いやー、どうもどうも」
声援を受けながら、参加者の集まるゾーンへと向かう。
リースの隣に腰を下ろすと、やはりジロリと睨まれてしまった。
「あ、あの……お姫様はなんであたしをそんなに睨むの? ……んですか?」
「私は絶対に、あなたを認めない。貴族の立場を捨てて逃げ出したあなたを、絶対に認める訳にはいかない。私は逃げないわ、王族という立場からも、生まれ持った責務からも」
「うぅ、またよくわかんないけど、逃げ出した、かぁ……。それを言われると辛いなぁ、ホントのことだけどさ」
「やはりあなたは貴族に相応しくないわ。まったく、なんでクロエはこんな人を……」
「へ? クロエ……?」
お姫様の口から突然飛び出した、親友の名前。
どうして彼女がクロエを知っているのか、当然ソラは疑問を抱き、食いついた。
「なんでクロエを知ってるの? お姫様とどんな関係? ねえねえ、教えてよ」
「ぶ、無礼者! これはあの子との秘密なの。あなたなんかに教えません」
「いいじゃん、減るもんじゃないしぃ」
リースにグイグイ迫るソラ。
このアホっ子に顔を寄せられても、クロエの時のような胸の高鳴りは感じない。
ただひたすらに鬱陶しいだけだ。
一方ダグは、外れたあごを戻そうと必死になっている。
『無事に終了しました、予選・レベル測定会! 合格者は48名、いずれ劣らぬ強者揃いだ!!』
ようやくあごが元通りになり、ダグは一安心。
手鏡を取り出して、自分の顔をチェックしている。
『これから選手の皆さんには、会場となるアルカ山麓まで移動して貰います。観客の皆さん、それまでにおトイレ済ませてくださいねー』
実況のアナウンスが終わると、選手たちは係員の指示に従って、先頭から順番に闘技場を後にする。
ソラは当然最後尾、その前をリースが歩く。
危険地帯に到着するまでの退屈しのぎの話相手には、このお姫様は残念ながら向いてなさそうだ。
出場選手が闘技場を後にして、会場は一旦休憩ムード。
セリムはここぞとばかりに、気になっていた質問をクロエにぶつける。
「クロエさん、聞かせてください。この三週間で何があったのか」
「お姫様と友達になった、そんだけ」
「それだけのはずないでしょう! 親方さんはどこですか、あの人なら何か知っているはず……」
「親方なら、仕事納めの飲み会で羽目を外し過ぎた二日酔いのおじさん四人を幌馬車に乗せて来るから遅れるってさ。到着する頃にはチケット売り切れてそうだけどね」
一緒にいたスミスなら、と思ったが、当てが外れてしまった。
クロエは終始この調子、問い詰めても望み薄だ。
「親友である私にも話せないなんて……」
隠し事をされてしまい、ぷくぅーっと頬を膨らませるセリム。
「あはは、ごめんよ。でもさ、セリムもソラとのデートで何があったかとか、喋りたくないだろ?」
「そ、それは……! 無理です、いくら親友でも絶対に無理ですぅ……!」
「わかってくれた?」
「よく理解出来ました……。つまり、そういう事なんですね」
ようやく納得のいったセリムは、うんうんと頷くとクロエの顔をじっと見つめる。
「王族と庶民、障害はあまりにも多いでしょう。ですが、クロエさんならそんな障害ドリルで全部ブチ抜いて、きっとお姫様をモノに出来ます。身分違いの恋……、素敵です。私、応援しますね」
「うん。……うん? ねえ、なんか話がすっごく飛躍してないかい?」
恋する乙女は他人の恋路にも敏感になっていた。
目を輝かせ、胸を躍らせ、彼女は身分違いのロマンスを応援すると心に誓う。
クロエの思惑とは異なり、セリムはおかしな方向へ暴走を始めた。
そんな二人とは随分離れた場所、王族用に設けられた貴賓席。
立派な椅子に静かに腰を下ろしているアーカリア王。
側近のルーフリーはその背後に付き従う。
アーカリア王が座る椅子の隣。
一回り小さな椅子に腰かけているのはマリエール。
側近たるアウスは当然、影のように常に傍らで控えている。
そして要人が一堂に会するこの場所の警備を担当するのは、クリスティアナ。
その実力を高く評価されての抜擢だ。
大いに目立っている妹を、彼女は顔にこそ出さないものの、内心誇らしく思う。
「どうかな、魔王殿。我が国自慢の闘技場は」
「見事である、アイワムズにこのような立派な闘技場は存在せぬからな」
「それは結構。だが、この場所もかつて奴隷制度があった頃は、凄惨な行為が繰り返されてきた血塗られた場所。今日の平和を先祖に深く感謝しなければな」
「真に、その通り。過去の過ちを繰り返さぬために、我らは存在する。余は常にそう心掛けている」
「儂も同じくだ。奴隷制しかり、過去の大戦しかり、だな」
かつて奴隷たちがその意志に反して命を賭けた戦いを強いられ、多くの命を散らした歴史を持つ闘技場。
その過ちから目を逸らさず、胸に刻み、彼は善政を布いている。
「ところで国王よ、お主の娘はとんだ跳ねっ返りであるな。まさか大会に出場するなどとは思わなんだぞ」
「まったく、あれは誰に似たのやら。万一にも不覚は取るまいが、親としてはやはり心配。それが本音だ」
軽いため息。
リースには自由にやらせて来たが、それもいつまで続けられるか。
今回の件で国民の人気は大きく上がるだろうが、王の心は休まらない。
セリムは上機嫌でジュースを啜りながら、クロエとリースの恋愛を脳内でシミュレートする。
どうすれば二人は結ばれるか、自分はどう立ちまわるべきか。
致命的にリースの情報が足りないことにも気付かず、頭を働かせる。
「クロエさんはどう思います? 具体的に子どもは何人欲しいとか」
「ずいぶん気が早いね。そもそもボク、あの子が好きって言った覚え無いんだけど」
「またまた、照れなくてもいいんですよ? 自分に正直になりましょう」
「うん、セリムにだけは言われたくないかなー……」
もはや暴走は止まらないのか。
クロエが諦めかけたその時、唐突にセリムの動きが止まる。
全身を突き抜けるプレッシャー。
喉元に刃物を突き付けられたかのような感覚。
以前に闘技場近くの道端で感じたものと、まったく同じだ。
今度は逃さないよう周囲の気配を探るが、不思議な事にもうどこにも感じない。
あの時と同じく、唐突に現れて唐突に消えた。
「なん……っ、なんですか、これ……」
「セリム、大丈夫? 突然黙ったりして」
「な、何でもありません……」
奇妙な胸騒ぎ。
何かが起こりそうな、そんな予感。
言葉に出来ない不安を抱えたセリムをよそに、本戦の時間は刻一刻と迫っていた。