056 ソラさんの優勝、信じて待ってますね
狩猟大会当日の朝。
新たなインナーに身を包んだソラは、姿鏡の前でセリムに髪を梳いて貰っていた。
「ねえセリム。このインナー、ホントに似合ってる?」
「バッチリです。可愛さがぐーんとアップしてますよ。防具も付ければかっこよさも合わさってもう無敵です。これなら衆目の目に晒しても恥ずかしくありません」
セリム自ら選んだ青色のインナーは、以前の物と同様の全身ピッチリ素材だが、新たにミニスカート状の部分が加わった。
下半身はしっかりとレギンスで覆われているため、完全な飾り布。
腰にはベルトが巻かれ、全身タイツ感は大幅に薄まっている。
「意味あんのかな、このスカートみたいなの。ヒラヒラしてて邪魔じゃない?」
「とっても短いですから、そんなにヒラヒラしません。心配無用ですよ」
サラサラの金髪に櫛を通し終えると、後ろ髪を集めて真っ赤なリボンで束ねる。
動物の耳に見えるように、角を二つ立ててキュッと結ぶと、いつも通りのソラが完成。
「出来ました。今日もかわ……っ、けふん。あとは防具を付けるだけですね」
「ありがと。装備は自分でやるから、セリムは自分の支度済ませてて」
部屋の隅にまとめて置いてある武具。
今日という日を共に戦う相棒たちを、ソラは一つ一つしっかり装備する。
まずはイリヤーナで買ったライトアーマー。
胴体の急所を防いでくれる大事な鎧。
付き合いは短いが、中々気に入っている。
次にグリーブ。
王都滞在中に新たに購入した足防具だ。
そしてガントレット。
セリムと再会してすぐの頃、リゾネの町で購入したこの防具は、思えば最も付き合いが長い。
いつガタが来てもおかしくないが、少なくとも今日はまだ、共に戦える。
最後に——。
「頼むよ、相棒」
群青のツヴァイハンダー。
セリムとクロエの思いがこもったこの剣で、必ず優勝を勝ち取ってみせる。
鞘に付いた革ベルトを体に回して固定。
背中に感じる重みが心地よく、そして頼もしい。
「おっし、準備完了。セリムはもう終わった?」
「もうあらかた準備は終わっていたので。一応前髪のチェックは入れますが……」
鏡の前に座って手櫛で髪を整えるセリム。
微調整を入れて何度か角度を変えて確認すると、満足したのだろう、椅子を立ち上がった。
「私も準備万端。今日もどこに出しても恥ずかしくない美少女です」
「自分で言うんだもんね、ホントに可愛いんだけどさ」
ずっと一緒にいるソラですら、セリムには見惚れてしまう。
正しくは、ソラだからこそ、だろうか。
恋心を寄せる相手は、より一層輝いて見えるものだから。
「じゃ、行こっか。闘技場までデートだね」
「デ、デートじゃありません! 全然違いますから! 一緒に行くだけですから! もう、さっさと行きましょう」
「はーい」
恒例となった照れ隠しはもはや何も隠せておらず、本音は筒抜け。
本当は嬉しいのに素直になれないセリムを、ソラは可愛いとしか思っていない。
並んで宿を出た二人。
天気は生憎の曇りだが、西区画の大通りには臨時の屋台が並び、橋渡しされたカラフルな小旗の列が風にはためく。
普段から賑わいを見せる王都だが、今日はより一層混み合っている。
人の群れをかき分けて二人が向かう先は当然、南区画のシンボル・闘技場。
「人出が凄いですね。はぐれないよう気を付けないと」
「手、繋ぐ?」
「うぇっ!? し、仕方ないですね。大事な本番を控えたソラさんが余計な体力を使わないように、仕方なく手を引いてあげます。仕方なくですから」
「はいはい、仕方ないもんね」
ソラの方からセリムの手を取って、ぎゅっと繋ぐ。
可憐な少女の手は、イメージ通りの柔らかくてすべすべな感触。
長年のサバイバル生活で荒れてしまった手をここまでケア出来たのも、ひとえに彼女の努力の賜物だ。
「そ、それにしても歩きにくくって……」
少しでもよそ見をすれば誰かとぶつかってしまいそうな、歩くのも困難な人混み。
この混雑具合、ソラが一緒でもとても耐えられない。
通行人を避けて左右に曲がりくねりながら、セリムはとんでもない提案をした。
「ソラさん、いっそ屋根を飛び渡って行きましょうか」
「いや、すっごい目立つよ? それに疲れそう。後、あたしはいいけどセリムは下からパンツ見える」
「やめておきます。絶対にやりません」
「んー、でも確かに人、多過ぎだよね」
これでは大会が始まる前に疲れてしまいそうだ。
どうしたものかと考えを巡らせるソラの視界に映ったのは、人気の少ない裏路地。
「あれだ! セリム、こっち来て」
ソラに手を引かれて通りから一歩入ると、そこは入り組んだ住宅街の路地。
土地勘の無い者は迷ってしまうが、地元の住民なら話は別だ。
昔から屋敷を抜け出し、使用人たちの捜索の網を潜り抜けてきたソラにとって、西区画の路地は庭のようなもの。
「どうよ、裏道を通れば快適に闘技場まで行けるよ」
「ソラさん、良く考えましたね。偉いです。よしよし」
「ふにゃぁぁぁ……、また褒められちった」
頭を撫でられご満悦のソラ。
二人は人混みに悩まされることなく、スムーズに進んでいく。
本来、人の波に流されないように、との建前で繋いだ手は、もちろん繋いだまま。
そうしてどのくらい歩いただろうか、街の喧騒も遠ざかり、セリムはまるで別世界に迷い混んだかのような感覚に陥る。
「あの、本当に道合ってますか? 私、ここがどこだかさっぱり分かんないですけど」
人通りの少ない、同じような白壁の民家が立ち並ぶ狭い道。
迷わず進むソラの足取りは頼もしくあるが、やはり不安に思えてくる。
「問題ないない。もう南区画だし、そろそろ闘技場が見えてくるよ」
彼女がそう口にしてすぐに、民家の影から雄大な闘技場が姿を見せた。
「良かった、ホントに辿り着けました」
「え、疑ってたの? ヒドイなぁ……」
「いえ、決してそんなワケじゃ……。ただホッとしただけで……」
「んー、まあいいけどさ」
今回の祭りの中心地である闘技場。
そのすぐ側に位置するこの付近は、裏通りとはいえ、人の気配をまばらに感じる。
あと少し進めば、身動きも困難な人混みが待ちかまえているだろう。
未だ人気の無い路地裏で、何を思ったかソラは突然に歩みを止める。
「待って、セリム」
「どうしたんですか、急に止まったりして。まさか、ここまで来て忘れ物だなんて……」
「違う違う。あのね、ここから先に進んだらきっと人が沢山いるでしょ。だからここでしかお願い出来ないなぁって」
「お願い……ですか?」
わざわざ足を止めてのお願い。
それも、人の多い場所では頼めない内容。
見当も付かず、セリムは小首を傾げる。
「なんですか? 私に出来る事なら頑張りますけど。ソラさんには是非優勝して欲しいですから」
「うん、セリムにしか出来ない事。これをして貰えれば、絶対優勝出来る自信があるよ」
「もう、もったいつけないで早く言って下さい」
「ほっぺにちゅーして」
「………………はい?」
思考停止。
そして再起動。
セリムの顔はみるみる真っ赤に染まる。
「いやいやいや、急に何を言い出すんですかアホですか! 無理です、そんなの無理です!」
「いいじゃん、お願い」
「無理ですぅ……!」
「あーぁ……。セリムがちゅーしてくれないとやる気出ないなぁ……。優勝逃しちゃうかもなぁ……」
「そんな……! それはダメですよ! でも、恥ずかしい……。うぅぅぅぅっ……」
ソラのあからさまな棒読み台詞にも、今のセリムは激しく動揺してしまう。
羞恥心とソラへの献身の狭間で揺れ動く気持ち。
やがて彼女は、勇気を持って決断を下す。
「い、良いですよ……。でもこれは、ソラさんがどうしてもと頼むから、仕方なくですから、他意はありませんから……」
「わかってるって。ほらほら、早く」
「うぅ……、失礼します」
羞恥心に耐えながら、ソラの頬に唇を近付ける。
心臓が破裂しそうなほど脈打ち、恥ずかしさで死んでしまいそう。
イリヤーナでは何故、あんなにもあっさりと出来たのか、過去の自分に問いただしたい。
ゆっくり、ゆっくりと唇を近付け、ついに——。
「……ちゅっ」
触れた唇はすぐに離す。
僅かに濡れた柔らかな唇の感触が、ソラの頬に残り続ける。
「ま、満足ですか?」
「うん、バッチリ。これでもう負ける気がしないね」
口元を軽く押さえ、耳まで赤く染まったセリムは、頭の上から湯気が出そうな状態になっている。
「さ、行こうよ」
「は、はい……」
しっかりと手を繋いだまま、二人は再び歩き出す。
バクバクと激しく脈打つ心臓の音が相手に伝わってしまわないか、お互いに気にしながら。
闘技場に到着した二人は、その賑わいぶりに圧倒される。
屈強な冒険者や、観戦に来た王都の住民に、はるばる訪れた観光客。
警備に駆り出された兵士や騎士が各所で睨みを利かせ、商魂たくましい無数の出店屋台では店主が威勢よく呼び込みをかける。
これほどの人の群れを、セリムは生まれて初めて体験した。
「凄いですね、こんなにもどこから来たんですか」
「セリム、一人になっちゃうけど平気? あたしこれから出場登録しに行って、闘技場でレベル測定会だけど」
「当たり前でしょう、ソラさん一人いなくたって平気ですよ。ソラさんこそ、緊張して舞い上がったり……無用な心配ですね」
ソラが緊張した場面など、ローザと初めて遭遇したあの時一回きり。
この子ほど、緊張と縁遠い娘はいないだろう。
余談ではあるが、セリムは割と緊張しっぱなしだ。
「じゃあ行って来るね。あたしが優勝するとこ、しっかり見ててよ」
「優勝報告、待ってますね。ご武運を」
こちらに手を振りながら、受付の白テントへと元気に走っていくソラ。
一人残されたセリムは——。
「さてと、客席はどこから入れば……?」
とりあえず周囲を見回し、
「えっ、チケットがいるんですか!?」
ようやく発見した入り口で門前払いされ、
「どこですか、チケット売り場どこなんですかぁ……」
半泣きでチケットブースを探し回っていた。
「なんなんですか、私はポンコツですか。仕方ないじゃないですか、こんなシステムだなんて知らなかったんですよ。早く見つけないと、もしもチケットが売り切れてしまったら……」
とうとう悲観的な思考の渦に陥り、泣き出しそうになってしまう。
こんなにも人が多いのに、自分を助けてくれる者は一人もいない。
人混みの中で味わう孤独感。
ソラの存在がどれほど大きなものか、嫌というほど体感していると、
「あれ、もしかしてセリム? こんな場所でうなだれて、どうしたのさ」
聞き覚えのある声。
顔を上げると、そこにいたのは目深に帽子を被った、つなぎ姿の赤髪の少女。
「ク、クロエ……さん?」
「いかにも、クロエだけど。そんな泣きそうな顔して、何かあった?」
「クロエさん……、助けてくださぁぁぁい!!」
「え、ええ……?」
偶然出会った親友に泣き付かれ、クロエはただただ困惑した。
クロエに助けられたセリムは無事にチケットを購入し、闘技場に入ることが出来た。
薄暗い通路を抜けると、地鳴りのような歓声が鼓膜を揺るがす。
びっしりと埋め尽くされた観客席。
中心の闘技場ではすでに選手たちの入場が始まり、レベルの測定が行われているようだ。
「盛り上がってるねー。どこに座ろうか。……あっちの方が良さそうだね、行こう」
「は、はい……。こんなに入るんですね……」
飄々としたクロエに対し、一観客にも関わらず雰囲気に呑まれてしまったセリム。
華奢な体を更に小さくしながら、おっかなびっくり後ろをついていく。
やがて到着した席は、王族が観戦する隔離された特設シートを遠く左方向に望むスタンド中段。
腰を下ろしたクロエは、すっかりリラックスした様子だ。
「中々良い席が空いてたね。……セリム、さっきから気分悪そうだけど、少し休む?」
「いえ、平気です。クロエさんがいてくれるから、平気です……」
「そう? あ、おねーさん。フルーツミックスジュース二つちょうだい」
巡回していた売り子からジュースを二本購入したクロエは、一本をセリムに渡す。
「はい、これ飲んで落ち着きなよ」
「ありがとうございます。お金は……」
「いいよ、こんぐらい。今度何かおごってくれればさ」
やはり持つべきものは親友だ。
感謝の念に包まれながら、ストローを咥えて爽やかなのど越しのジュースをいただく。
ようやく思考も落ち着いたところで、三週間ぶりの親友に近況報告。
師匠を捕まえてアダマンタイトの情報を入手したこと、ソラが貴族だった件、彼女の姉との再会。
主立った内容を伝えたが、意外にもアダマンタイトを除く情報についてはそれほど驚かれなかった。
「王しか知らない秘密の場所、か。厄介な話だね」
「そうなんですよ。この大会の優勝が突破口になってくれればいいんですけど」
「……優勝、当たり前って口ぶりだね」
「クロエさん……?」
いつも通りの朗らかなクロエから、突然笑顔が消える。
何か気に障る事を言ってしまったのだろうか。
「ま、いいさ。セリムはソラを応援するんでしょ、愛しのソラをさ」
「な、な、なぁ……っ」
しかし、それも束の間。
にんまりと笑いながら、からかい口調で冷やかしてくるクロエは、すっかり普段の調子だ。
「なんですか、愛しのって! もう、もう!」
「あはは、でもさ、わかるよ。セリムの気持ちも。ボクもあの子を応援するんだ。絶対に優勝して欲しいから」
「……え? クロエさん、ソラさんを応援してくれないんですか?」
「ごめんね、今日のボクはあの子の——リースの応援、させてもらうから」
「リース……さん?」
誰だろうか。
クロエの口から飛び出した、セリムの知らない名前。
ソラと同じく社交性の高い彼女のことだ。
他に友達も多いだろうが、秘密を打ち明けた親友よりも優先順位が上だとは。
「誰ですか、その方。クロエさんとはどんな関係なんですか。私、とっても興味が湧いてきました」
「あはは、秘密。ただ、とっても可愛くって、とっても強い娘だよ」