054 やっぱり似たところもあるんですね
騎士の家系に生まれたソアラは、幼いころから剣を握ってきた。
多忙な父は殆ど家には居らず、病弱な母は優しかったが寝たきり。
母が亡くなってからの再婚相手である、無愛想で無関心な義母は言うに及ばず。
剣の稽古も、遊びの時も、その相手はいつも姉だった。
ずっとずっと姉の背中を追いかけ続けてきた。
そんな姉に生まれて初めて失望したのが、彼女が騎士団に入団した、あの春の日。
騎士団長になるという、物心ついた時からの目標。
幼いころに誓い合った、どちらが団長になっても恨みっこなしという約束。
生まれて初めて持った、将来の夢。
全てを粉々に砕いた挙句、三番目を目指して家を出た姿は、これ以上ないくらいかっこ悪く映った。
もしもセリムに出会わなければ、自分はあのまま腐っていたかもしれない。
姉とは違う自分だけの道を見つけ、大切な少女との思い出を胸に、ずっと前を向いて歩んで来たのに。
やはり姉は、何一つわかっていない。
「あたしがどんな思いでいたか、何も知らないくせに! 連れ戻すつもりが無いならもうどっか行ってよ!」
両手の拳を固く握りながら、ソラは一息に思いの丈をぶちまけた。
肩で息をしながら、胸に去来するのは後悔の感情。
心の中に、また会えて嬉しいと思う自分がいた。
今でも姉を慕う自分もいた。
もしもこの言葉が、姉妹の間に決定的な亀裂を産んでしまったら。
長い長い沈黙。
怒るだろうか、悲しむだろうか。
それとも愛想を尽かして立ち去ってしまうのか。
次に姉が何と言葉を発するのか、ソラは怖かった。
「……そうだな、お前の言う通りだ。私はお前の事を、何もわかってやれていないな」
が、彼女の反応はそのどれとも違った。
まったくその通り。
妹の事なのに、あの頃から何も変わっていない、何も理解してやれていない。
ティアナは自嘲しつつ静かに呟く。
「おねーちゃん……」
「だがな、一つだけ訂正させてくれ。私は三番目なんかで満足しちゃいない。いつか必ず騎士団長になってみせる。今までこの夢を、ただの一度だって諦めた事はない」
鎧に覆われた胸を叩きながら、ティアナは宣言する。
「あ、諦めてないって……。ならあの日、どうしてあんな事を……」
騎士団長と副団長の役職は、公爵家の人間しか任命されない。
どんなに能力を持っていても、三番目から上には行けない。
告げられた内容はあまりにもショックで、だから騎士になる夢を捨てたのに。
姉はまだ——騎士になって五年も経った、嫌という程現実を思い知らされただろう今もまだ、騎士団長の座を諦めていないと言う。
「私も初めて知った時はショックだったよ。でも、諦めなかった。だからソアラも諦めないだろうと勝手に決め付けて発破をかけたつもりだったんだが……」
「何それ……。子どものあたしにそんなん分かるワケないじゃん……」
「その通り、言葉足らずだった。本当にすまない」
深く頭を下げる姉に、ソラは深いため息を漏らす。
「で、具体的にどうする気なのさ。ウチを公爵家にでもするつもり? 王族の親戚筋しかなれないはずだけど」
「それは——わからない。わからないが、いつか必ずなってみせる」
「…………ぷっ、あははっ」
思わず噴き出してしまった。
思慮深く頭脳明晰な姉が、まさかのノープラン。
これではまるで——。
「はははっ、おねーちゃん、まるであたしみたい」
まるで、世界最強の冒険者になるためにノープランで王都を飛び出した、自分みたいだ。
「ふふっ、やっと笑ってくれたな。恥を掻いた甲斐があった」
「だって、アホみたいなんだもんっ。……でもさ、勘違いしないでよね。別に許した訳じゃないんだから」
笑顔を見せたのも束の間、まるでセリムのような事を言うと、ソラは両開きの扉に手をかける。
「ほら、早く戻ろうよ。マリちゃんの護衛中なんでしょ」
「ああ、お前が今まで何をしてきたかも聞いてみたいしな。……マリちゃん?」
はて、誰の事を指しているのか。
首を傾げつつ、ティアナは妹と共にギルドの中へ。
ソラはセリムの下に元気よく駆け寄っていく。
「セリム、お待たせー。寂しくなかった?」
「何を抜かしてるんですか、突然飛び出したりして。マリエールさん達にもいい迷惑です」
大好きな少女の隣に腰を下ろし、早速叱られるソラ。
人差し指をたててお説教モードのセリムが非常に可愛くて——今のソラにとってはどんなセリムも可愛いが、ついからかいたくなってしまう。
「ごめんね、寂しかったよね。もうセリムの側から離れないから」
「だから寂しくなんて……。そ、それよりもお姉さんとは仲直り出来たんですか?」
セリムの照れ顔を引き出せて満足すると、彼女の問いに答える。
「んー、どうだろう。けどね、なんだかスッキリした」
姉が騎士団に入ったあの日からずっと心に残り続けていたわだかまりは、小さくはなったが、まだ完全には消えていない。
でも、いつか本当に姉が騎士団の頂点に昇り詰めたら、きっとその日が、全てを許せる日になるのだろう。
「魔王様、ただ今戻りました。この度はとんだ失礼を……」
「良い、お主は持ち場を離れておらぬのだ。何を謝罪する必要があろうか」
「その器の大きさ、感服仕ります」
ティアナはマリエールに対し、深々と頭を下げた。
その様子をソラは面白そうに眺める。
「おねーちゃん、そんなに畏まらなくてもいいじゃん。マリちゃん相手に」
「マリ……ッ!?」
「お主こそ忘れておろう、余が魔王であると」
「だって威厳の欠片も無いんだもん」
「威厳はある! お主が感じ取れぬだけだ! それよりもセリムから聞かせてもらったぞ、お主が貴族であったと。貴族なら貴族らしく、王である余を敬わぬか!」
「残念、もう貴族じゃないもーん」
もの凄く馴れ馴れしい態度で魔王に接する妹に、ティアナは絶句。
口をパクパクさせ、もはや二の句も継げない。
「あの、ソラさん。お姉さんが……」
「ん? どしたのおねーちゃん。そんなに青ざめたりなんかして」
「お、おま、そのお方を誰だと……」
「誰って、マリちゃんでしょ?」
当然のように答えるソラ。
本気で姉の反応を不思議がっているようだ。
「ソラ様、騎士様が泡を吹きそうになっておられますわ」
「んー? どうしたんだろ」
「アホですか、もう。マリエールさんは魔王ですよ。とっても偉い方なんですから。時々忘れそうになりますけど」
「セリムよ、お主も大概である」
妹のあんまりにもあんまりな無礼に卒倒しそうになりながらも、何とかアウスの下へ。
魔王に絶対の忠誠を誓う側近は、意外にも笑みを浮かべながら成り行きを見守っている。
「あ、アウス殿。これは一体……」
「驚いてしまわれますわよね。ですがあの方たちといると、とても楽しそうになさるのですよ」
魔王として気を張っていても、マリエールは人間年齢に換算するとまだ十歳の子ども。
心を許せる友として、ソラの存在は大きな癒しになっている。
「無礼な事とお思いでしょうが、お嬢様はあの方達に救われているのですわ」
「……そう、ですか」
「それよりも、貴女もお掛けになっては? 積もる話もあるでしょう」
「では、お言葉に甘えて」
アウスの引き出した椅子に腰を下ろす。
魔王とじゃれあう妹の姿はやはり肝が冷えるが、共に過ごした時間の中で築き上げた信頼が、確かに見て取れた。
「余は魔王だぞ! 礼を尽くすのだ!」
「マリエールさん、だめです。それでは駄々っ子みたいです、威厳が死んでます」
「にしし、セリムにまで言われちゃってる」
「ぬぅぅぅ、ソラ! お主のせいだぞ!」
両頬をリスのように膨らませる魔王。
確かにあんな表情は見た覚えがない。
あれが素の、飾らないマリエールなのだろう。
「お主、ソラの姉であろう! なんとかしてくれ!」
「——ソラ、ですか? ソアラではなくて」
魔王に無礼極まりない態度を取る妹へのショックが大きくてスルーしていたが、落ち着いた頭で考えると、確かに妹は先ほどからソラと呼ばれていた。
「そうだよ、今のあたしはソレスティア・ライノウズ。世界最強の剣士を目指す一介の冒険者。もう貴族のソアラじゃないの」
「……偽名か、道理で捜索が捗らなかったわけだ」
まさか偽名を思い付く頭があったとは、と非常に失礼な感想が思い浮かんだ。
同時に、妹が一人の冒険者として歩んだ旅路に強く興味が湧く。
「ソアラ、聞かせてくれないか。家を飛び出したお前が、今までどんな歩みをしてきたのか」
「興味出てきた? いいよ。ソラ様の武勇伝、たっぷり聞かせてあげる」
精一杯胸を張り、ソラはこれまでの旅路を語る。
王都を出てからセリムと出会うまでの、アダマンタイトを求めて東奔西走した様々な苦労話。
そして、大好きな女の子との運命的な再会。
三つ首の飛竜との戦い。
魔王とその変態な従者との出会い。
マリエールの依頼と謎の敵についてはストップがかかるが、その後の聖地での活躍、一周して戻って来た鍛冶師の町。
そして、リーヤ丘陵での戦いから今に至るまで。
長い話の間、ティアナは腕を組んで目を瞑り、時おり深く頷き、時おり苦笑いを浮かべた。
「と、まあ大体こんな感じ。そいで今は狩猟大会で優勝するところ」
「まだ優勝してないでしょう。そもそもまだ始まってませんし」
「ソラ様の優勝は揺るぎないから、嘘にはなんないもん」
なるほど、ソアラはこの旅の中で大きく成長したらしい。
強さだけでなく、元々持っていた才能——人を惹きつける力も。
そして、妹が旅路の中で得た最も大きなもの。
僅かな時間でも、彼女がソアラにとってかけがえのない存在だと理解出来た。
「どうよ、おねーちゃん。ソラ様最強伝説の大体一巻くらいの内容は。恐れ入った?」
「ソアラ——いや待て、お前狩猟大会に出るつもりなのか。間違いなく家にばれるぞ」
「覚悟の上! ってかさ、そっちでやんわりとあたしの事伝えといて」
「丸投げか!」
まさしくノープラン。
らしいと言えばらしいが。
「はぁ、やっぱり成長してないかもな」
「何がさ。ソラ様は以前のソアラとは全然違うよ」
「セリムさん。こんな不出来な妹です、大変なご迷惑をおかけするでしょうが、どうか面倒を見てやってください」
セリムに対し、深々と頭を下げるティアナ。
妹が彼女の事をどれほど深く信頼しているか、この短い間だけでも簡単にわかる。
外での会話では常に仏頂面だった妹が、彼女の隣に戻ってからはずっと笑顔を浮かべているのだから。
「迷惑ならかけられっぱなしですし、もう慣れっこです」
ニッコリと微笑む可憐な少女。
彼女になら安心して妹を任せられる。
ティアナを悩ませていた心配の種は、綺麗に取り去られた。
一方、アウスは懐中時計を取り出すと、時間を確認。
時刻は既に18時を回っていた。
「会話に花を咲かせているところ申し訳ありませんが、そろそろ潮時ですわ。外も暗くなってきております。城に戻らねば、騒ぎになりかねません」
「む、もうそんな時間か。では急いで戻るぞ」
「仰せのままに。ソアラ、悪いがここまでだ。家には私から上手く説明しておくから。あと——」
ティアナはソラの前に立つと、彼女に向けて握り拳を突き出す。
「ソアラ、絶対に夢を叶えろよ」
「……おねーちゃんこそ」
ソラも握り拳を作り、お互いにぶつけ合った。
騎士団長になる夢を誓い合った幼い日、ソアラが考案した女の約束。
本当は近所の男の子達がやっていたのを見て真似した物だが、姉はちゃんと覚えてくれていた。
なんだか嬉しくなり、姉の笑顔に笑い返す。
「お前が優勝する瞬間、見ておいてやるから。あともう一つ」
「んぇ、まだなんかあるの?」
最後にソラに顔を寄せると、そっと耳打ち。
「セリムさん、奥手みたいだから。お前から行かないと進展しないぞ」
「んなぁっ……!!」
「頑張れよ」
いたずらっぽく笑って見せた顔は、ソラにそっくりだった。
彼女は手を振ると、魔王に付き従ってその場を後にする。
残されたソラの顔が真っ赤になっている様子に、セリムは首をかしげるばかり。
「どうしたんですか、ソラさん。茹で上がったタコさんみたいです」
「な、なんでもない! ——もう、やっぱおねーちゃん嫌い……!」
○○○
その日も彼女は決まった時間に、練兵所を訪れた。
騎士団最強のクリスティアナに立ち合いを申し込み、数合打ち合った末に剣と盾をまとめて吹き飛ばされ、尻もちをつく。
何度も繰り返されてきた、日常の光景。
しかしリースは、一度たりとも負けるつもりで挑んだ事はない。
今日こそ勝てる。
そう信じて勝負に挑み続け、敗北の度に悔しさに身を震わせる。
そんな王女をティアナは一顧だにせず、ただ一礼するのみで鍛錬の時間に戻る、ここまでが繰り返された日常の光景だったのだが、
「姫殿下、立てますか」
「……あら、珍しい。今日は槍でも降るのかしら」
今日は違った。
リースに手を差し伸べるティアナ。
その手を取って助け起こした王女へ、彼女は更にアドバイスまで送る。
「貴女様のクラスはセイントナイト。光の魔法と癒しの魔法を軸とし、剣技と織り交ぜて戦うスタイルでしょう。対して私は剣士、真正面からの力と力のぶつかり合いでは私に大きな分があります。もっと搦め手を使うのが宜しいかと」
「……そう、まあ参考にはさせてもらうわ。で、一体どんな風の吹き回しかしら。まさか、何かよからぬ事を企んでいて?」
「滅相もありません。強いて言うなら——悩みの種が取れて心に余裕が出来たんでしょうね」
確かに今日のティアナからは、普段纏っているピリピリとした空気を感じない。
良い意味で力が抜けている、そんな雰囲気だ。
「悩みの種……?」
「実は、行方不明だった妹が見つかったんです。生きているかすらも分からなかったのに、元気そうで、見違えるような成長を遂げていて……」
「そ、よかったわね」
正直なところ、リースはこの件にあまり興味を抱いていなかった。
それよりも、この後クロエが庭園に顔を出してくれるか、既にそちらに気が行っていたのだ。
「鍛冶師の護衛をこなし、高レベルのアーメイズクイーンまで倒すとは……。きっともう、私より強くなってるでしょうね」
「……今、なんと?」
クロエから聞いていた『親友さん』の情報が、彼女の妹と合致してしまうまでは。