052 王城の方から、犯罪の気配がします
年に一度開かれる一大イベント、狩猟大会。
国中から集った猛者が、鍛え上げた己の力を世に知らしめるために競い合う。
参加資格はただ一点、会場となるアルカ山麓の危険度レベル13を越える冒険者レベルを有しているか。
レベルが基準を上回ってさえいれば、冒険者はもちろん、騎士、一般市民、果ては王族に至るまで、参加は自由。
参加不能な例外はただ一つ、歴代の優勝者のみ。
だが、いくら資格があっても王族が参加したなどという話を、少なくともクロエは聞いた覚えがない。
「狩猟大会に参加するって本気!? ……なんだよね、そりゃ」
「ふざけているように見えて?」
「見えない。リースの目、真剣だもん」
本気も本気、彼女は大真面目だ。
このお姫様は本気で優勝を狙っている。
「でもさ、参加資格は冒険者レベル13以上でしょ。魔物を倒した事がないと、いくら鍛錬しても参加出来ないんじゃないの」
「心配ご無用。騎士団が野外演習に出るたびに同行しては魔物を剣の錆にしているので、それなりに自信はあるわ」
当然、父である王には無許可で、半強制的に同行を申し出ている。
「出来得る限りの努力をして、レベルも技術も磨いてきた。今年の大会、優勝の栄冠に輝くのは間違いなくこの私、リース・プリシエラ・ディ・アーカリアよ」
決然とした態度で言い切るリースは、自らの勝利を微塵も疑ってはいない。
クロエとしても、彼女を応援してあげたい。
リースに優勝して欲しい。
その一方で、並々ならぬやる気を燃やしていた親友の姿も脳裏にちらつく。
「うーん……。リースを応援したいのは山々だけど、ボクの親友も出場するんだよね。どっちを応援すればいいのか」
「あら、そうなの。でも悩む必要なんてないわ。出場者の中で一番強いのは間違いなく私ですもの。その親友さんには今回、涙を飲んでもらうとしましょう」
「どうだろう、ソラはすっごく強いよ。鍛冶師の護衛もばっちりこなして、女王アリまでやっつけちゃってさ。キミがどれだけ強いかは知らないけど、さすがに——」
「……気に入らない」
「へ?」
ピシャリと言い切られ、クロエは思わずリースの顔を見る。
案の定、彼女は非常に不機嫌。
クロエがその親友とやらの肩を持ち、あまつさえそっちの方が強いとのたまう。
そもそも第三王女である自分を差し置いて親友などと、自分はそいつより優先順位が下だというのか。
まったくもって不愉快だった。
「気に入らないわね。あなたにそこまで言わせる親友さんとやら、気に入らないわ」
「あ、あの……」
リースは長椅子を立ち上がると、おもむろにクロエに人差し指を突きつけた。
「クロエ・スタンフィード、覚悟することね。大会までの三週間で、私以外を応援する気を失せさせてあげる。そして三週間後、その親友さんをけちょんけちょんに負かして、優勝者の称号も名声も私がいただくわ」
「えー……」
ゴメン、ソラの全然知らないところでややこしい話になっちゃった。
よく分からない宣戦布告を受けて、心の中でソラに謝罪する。
「親友さんの名前は?」
「ソレスティア・ライノウズ。みんなはソラって呼んでるけど……」
「その名前、胸に刻んだわ。我が好敵手、必ずクロエの一番の親友の座から追い落とす。優勝も渡さない……!」
勝手に好敵手に認定されたソラ。
彼女は今頃何をしているのか。
同じ空の下、セリムと平和にイチャイチャしているのだろうか。
今のクロエにはそれを知る術も、お姫様の心に燃え上がる炎を鎮火する術も持ち合わせていなかった。
「さて、私はそろそろお暇するわ。続きはまた明日」
「明日も会うの?」
「明日だけじゃない、毎日会うわよ。大会までたったの三週間だもの、それまでにあなたの心を変えないと。信頼できるメイドを一人迎えに寄越すから、明日もこの時間、この場所で会いましょう」
とんでもない事を、当然のように言ってのけたお姫様に、クロエは軽い目まいを覚える。
「鍛冶場まで送っていくわ。明日からは一人で帰れるように、ちゃんと道を覚えて帰ってね」
「うん、助かるよ……」
どうしてここまでお姫様に気に入られてしまったのだろうか、しがない鍛冶師見習いのこのボクが。
心の中で問い掛けても、当然答えは返ってこない。
このまま状況に身を任せ、果てはどこに流れ着くのか——行く先が暗い未来でない事を、クロエは只々祈るのだった。
○○○
同時刻、アーカリア城中枢の一室。
白いテーブルクロスがかけられた長大な机の端と端に、大陸を二分する国家の最高指導者が向かい合っていた。
一人は魔族国家アイワムズの魔王、マリエール・オルディス・マクドゥーガル。
王家に代々伝わる原罪の紅き外套を身に纏い、傍らには側近たる重臣、アウス・モントクリフが控える。
一人はアーカリア王国第47代国王、ジョナス・ワトスン・ド・アーカリア。
金の王冠を戴き、王の証たる赤いマントを羽織った堂々たる姿。
髪の色と同じ立派な茶色の髭を生やした彼は、今年で五十歳を迎える。
傍らに控えるは、大臣を務めるルーフリー・ルーパー・ルーフレッド。
オールバックに撫でつけた黒髪、下級貴族から己の才覚一つでこの地位に昇りつめた知恵者は、片レンズの奥、切れ長の瞳で状況を静かに見守る。
「国王よ。まずは此度の会談、急な要請にも関わらずの迅速な対応。名君の呼び声に相応しい見事な手腕であった」
「魔王殿、アイワムズから遠路はるばるのご足労、痛み入る。大した持て成しも出来ず、恥入るばかり」
「否、歓待は充分に受けたぞ。礼を尽くした持て成し、堪能させてもらった」
まずは腹の探り合い。
五百年もの間友好関係にあるとは言え、心から信頼出来る関係にはなっていない。
五百年前は血で血を洗う戦争を繰り広げた間柄。
互いにそこまで平和ボケはしていない。
「それは何より。我が王都は今、狩猟大会で盛り上がっている。時間があるのなら、貴公も観戦していくと良い」
「そうさせて貰おう。余もかの大会には大いに興味がある。道中世話になった冒険者が参加するのでな」
「ほう、魔王殿が世話になった冒険者。儂も楽しみが増したぞ」
無難な世間話をしつつ、どちらが先に踏み込むのか、間合いを探る。
「ところで国王、貴殿は御存じであろうか」
「はて、何をだろうか」
「近頃巷を騒がせている、危険地帯に出没する場違いなモンスターについて」
「……おぉ、存じておる。深刻な被害が出た場所もあると聞く。儂も胸を痛めておった」
どこまで手札を見せるべきか。
国の宝である杖が盗まれたと国王に知られれば、アイワムズの威信に傷がつく。
アーカリア国内に部下を派遣し、スパイ活動を行わせていたと知られれば、信頼関係に亀裂が入りかねない。
マリエールの勝利条件は、手札を全て伏せたまま危機を知らせた上での、自由に動ける状況の確保。
「しかし報告によれば、優秀なる冒険者らの活躍によって事態は終息したと」
「——果たして、本当にそうであろうか」
「……と、言うと?」
国王がどこまで正確に事態を把握しているか。
そこに探りを入れる。
「道中、不穏な噂を耳にした。此度の騒動は、何者かの手で引き起こされた人為的なものであると」
「はて、そのような話は耳にしておらぬ。大臣よ、真であるか」
「はっ、報告は受けております。が、飽くまで噂。わざわざ国王のお耳に入れ、お心を乱す事もないと私が判断しました」
「ふむぅ……。大臣よ、以後この件は仔細に報告するように」
「ははっ」
どうやら、国王は事態を正しく認識していなかったようだ。
次は大臣。
あの男はどこまで知っているのか。
「大臣よ、報告を受けていると言ったな。余もこの件には感心がある。道中、リーヤ丘陵にてアーメイズの大群に襲われたのでな」
「なんと、無事で何より。リーヤ丘陵にアーメイズとは」
「優秀な冒険者と、我が家臣の手により事態は鎮圧されたがな。もはや余は当事者、これが人為的なものであるならば、余としても見過ごせぬ」
「大臣、魔王殿の要望だ。他に掴んでいる情報は無いか」
「……はっ、こちらをどうぞ」
ルーフリーはアーカリア一の切れ者と名高い。
こうなる事も予期していたのだろう。
羊皮紙に書かれた地図を懐から取り出し、王の前に広げた。
「これは、地図であるか」
「アーカリア王国の中央部、その地図に御座います。異変の起きた危険地帯、今からそれを線で結びます。始まりは西の果て、巨岩の荒野」
更に懐から取り出したペンで、地図上に線を引いていく。
「余も見て構わぬだろうか」
「問題ありません、どうぞこちらへ」
マリエールは席を立ち、アウスを伴って地図が見える位置へ。
「そして終点が、魔王様が襲われたというリーヤ丘陵」
「これは……」
地図上に、非常になだらかな曲線が出来上がる。
国王は低く唸った。
「なるほど、明らかに何らかの意図を持っておるな」
「国王よ、事態は想像以上に深刻であるようだ。この線、王都アーカリアに向けて伸びているように見受けられる」
「魔王様の仰る通り、巨岩の荒野からリーヤ丘陵、その先は王都に御座います」
「むぅ……、モンスターを操る方法も、このような行為の目的も分からぬが、何者かの意志が働いておるのはもはや明白」
王は席を立ち上がると、大臣へ命令を下す。
「直ちに冒険者ギルドへとこの情報を送れ。騎士団や憲兵隊にも通達、警戒を怠らぬよう伝えよ」
「御意のままに」
「魔王殿、済まぬが会談はここまでのようだ。貴殿の言葉で、事態を正確に把握できた。礼を言う」
「構わぬ、こちらとしても足を運んだ甲斐があるというもの。では国王、我らはこれにて」
事は完璧に運んだ。
脅威の実態を知らせ、こちらの手札を晒さずに、目的を達成できたのだ。
後は無事、身軽に動ける状態に戻れば万事解決。
完全勝利は間近に迫っていた。
「うむ、狩猟大会まで滞在なされるのだろう。魔王殿には引き続き、手厚く歓待をさせていただく」
「御厚意はありがたいが、余は王都の街並みをゆるりと見て回りたくてな。この城で世話になるのは、今日で最後に——」
「——それはいけませぬな」
「な、なに……!?」
大臣ルーフリーの切れ長の目が、ギラリと光る。
「たった今話にも出た通り、王都の周辺に危険人物が潜んでいる可能性は非常に高い。そのような危険な状況、他国の要人の身に何か起きたらば、アイワムズにどう顔向けすればいいか分かりませぬ。ですな、国王」
「大臣の言う通りだ。魔王殿、御意向に沿えず申し訳ないが、この城に滞在していてくれ。外出時には我が騎士団の最精鋭を付けよう。それならば異論はあるまい」
最後の最後で、躓いてしまった。
アウスに顔を向けるが、無言で首を横に振られるのみ。
彼はまったくの正論しか言っていない。
騎士が護衛に付けば王都を自由に歩けるのならば、こちらに不満はまったく無くなるはずなのだ——観光のみを目的としているのであれば。
ここで反論すれば、立場があからさまに怪しくなってしまう。
「そ、そうであるな。騎士が護衛に付いてくれるのならば、余も安心して王都を回れる」
「うむ、では儂はこれにて失礼する。大臣、後は任せた」
「はっ」
国王が部屋を退出すると、大臣はテーブルの上に置いてあったベルを軽く揺らす。
涼やかな音色を耳にして現れたメイドに、マリエールを部屋まで送るよう指示すると、彼も一礼して退出した。
「それでは、お部屋までご案内いたします」
「うむ、くるしゅうない……」
完全勝利まで後一歩。
後一歩で、肝心の自由を手に入れ損ねた魔王様は、頭を抱えて叫びたい衝動に駆られた。
部屋に到着し、アウスと二人きりになるや、マリエールは彼女の豊満な胸に飛び込んで泣きついた。
「ふえぇぇぇん、あうすーっ、どうしよぉ! これじゃあ杖探せないよぉ〜っ!」
「よしよし、泣かないでくださいまし。お嬢様はとっても頑張っていらっしゃいましたわ」
「せっかく、せっかくぱんつと引き換えに、自由を手に入れたのにぃ〜っ!!」
堰を切ったように涙と鼻水を流しながら、わんわんと泣きじゃくる魔王様。
国王を相手取っての堂々たる立ち回りは、もはや見る影も無い。
彼女の頭を優しく撫であやしながらも愉悦に震えるメイド、その背筋にはゾクゾクとした何かが駆け登っていた。
「んん、アウス、疲れた。抱っこして」
「ふふっ、甘えん坊の魔王様にございますわね」
「疲れたんだもん!」
すっかり子ども帰りしてしまったマリエール。
その小さな体を抱き上げると、メイドはお尻を支えながら指を蠢かせる。
「やぁ、えっちいのはダメ!」
「申し訳御座いません。しかしこのアウス、もはや辛抱堪りませぬ」
メイドは依然指を動かしたまま、異様に早口でまくし立てる。
普段の魔王様であれば、ドン引きしながら冷たくあしらっただろうが、今の彼女は完全に素が剥き出しの非常に脆い状態。
信頼を寄せるアウスに迫られては、拒む術など無かった。
「んー、じゃあいいけど。痛いのはダメだからね?」
まだ目尻に涙の残る顔で、上目づかいに小首を傾げられる。
アウスの理性はもう粉々に吹き飛ぶしかない。
鼻息荒く豪奢なベッドに押し倒し、その服に手をかけながら唇を奪おうとしたところで、
コンコン。
部屋のドアがノックされた。
「ひゃわっ! な、何者ぞ!」
「…………チッ」
あと一歩のところで。
露骨に舌打ちするメイド。
マリエールは即座に魔王モードとなってベッドから飛び起き、来訪者の応対を始める。
「騎士団の者です」
「そ、そうか。良い、入れ」
「失礼いたします」
静かに扉が開き、入室したのは金髪碧眼の女騎士。
彼女の顔をマリエールは知っている。
「お主は確か、出迎えに来た騎士。名はクリスティアナといったか」
「私のような者の名を覚えていただけているとは、光栄の極み。御滞在の間、王都を出歩く際は護衛に着くよう王から命を受け、まかり越した次第」
膝を付き、恭しく礼を尽くすティアナ。
容姿はどことなくソラを思い起こさせるが、自分に対する態度がまるで違う。
ちゃんと魔王として扱われる、当たり前の事に何故だか喜びを感じてしまう、そんなマリエールだった。
「御苦労。……そうだ、アウス。向かいたい場所があるのだが」
「冒険者ギルドに言伝、で御座いますわね」
「うむ、自由に動けなくなってしまったからな」
合流は難しくなってしまったと、セリム達に知らせなければならない。
運が良ければ直接ギルドで接触出来るかもしれないが、望み薄だろう。
「クリスティアナよ、早速だが余は街に出る。供としてついて参れ」
「ははっ」
女騎士とメイドを引き連れ、マリエールは南区画の冒険者ギルドを目指して客間を出発した。