051 王城の方から、ロマンスの気配がします
木箱を抱えたままの状態で、クロエの頭は真っ白になった。
リースと言葉を交わしている女騎士は、確か騎士団の第三席。
貴族街の入り口まで、鍛冶師の馬車隊を迎えに来てくれた人だ。
さて、彼女は今、一体なんと言ったか。
アーカリア王国第三王女、リースを指してそう言ったのか?
「王女って、え? お姫様なの?」
クロエはソラと似通ったところがあるが、底抜けに脳天気でも恐れ知らずでもなかった。
むしろ、常識的な部分はセリムの方に近い。
生真面目で勤勉、だからこそ鍛冶師として技術を追求してきたわけだが、
「ボク、この国のお姫様に向かって馴れ馴れしくタメ口利いてたってこと?」
今回は生来の真面目さが、事の重大さを実像以上に大きく見せてしまった。
背中から冷や汗が滝の様に流れ出る。
恐れ多いなんてレベルを軽く飛び越えている。
無礼千万、その場で首を打たれてもおかしくない。
「いや、いやいやいや、だって、お姫様があんな格好であんな場所うろついてるとか思わないし……」
彼女の格好、まるで冒険者か騎士のような帯剣した鎧姿だったのに。
お姫様ってもっとふわふわしたドレスを着て、お城の奥にいるもんじゃないの?
誰に対して言っているのかは分からないが、クロエの頭の中で様々な言い訳がグルグルと駆け巡る。
「おーい、鍛冶師さん。門を閉めたいんだが、さっさと入ってくれないかい」
「わわっ、ご、ごめんなさい!」
ショックのあまり練兵所に入るのも忘れ、立ち尽くしていたクロエ。
焦れた騎士の一人に声をかけられ、ようやく我に帰ると大急ぎで建物内へ。
彼女が入ると、門は閉ざされ閂がかけられる。
騎士団詰め所の一角にある練兵所。
騎士たちはこの時間帯になるとここで訓練に励んでいると、ここに来る途中、リースからそう聞いていた。
「あんた鍛冶師さんだろ。その武器届けに来てくれたのか」
「うん、出来上がった武器の具合を見て欲しくて……」
「御苦労さん、早速見せてもらうよ」
木箱を床に置くと、検品が始まった。
剣を一本取り出した騎士は、色々な角度から刀身を眺める。
「なるほど、こりゃあいい出来だ。さすがはイリヤーナのトップランカー、その辺の鍛冶師とは腕が違う」
「良かった、合格みたいだね」
「一応後であの人にも見てもらうけどな、まず大丈夫だろう」
「あの人……」
騎士の言葉に、練兵所の中央で剣を構える金髪の女騎士へと視線を送る。
同時に、彼女に対峙するピンクの髪の少女にも。
「ねえ騎士さん。あそこで立ち合ってるのって、この国のお姫様なの?」
「そう、第三王女のリース様だ。大きな声じゃあ言えないが、小さな頃からお転婆でね、騎士や冒険者に憧れてるみたいなんだよ」
大型の剣を両手で握るティアナ。
対するリースは、片手に両刃の剣、片手に丸い盾のスタイル。
「近頃は毎日団長に勝負を挑んで、返り討ちにあってるんだ。鍛錬のつもりなんだろうけど、王様にバレやしないかヒヤヒヤものさ」
「そうだったんだ。……って団長? あの人、第三席って名乗ってたはずだけど」
「おっと、また団長って言っちゃったか。つい癖でな、忘れてくれ」
「癖? まあいいけどさ、忘れろって言うんなら」
審判を務める騎士の合図により、二人の手合わせは始まった。
まず先手を取ったのはリース。
不動の構えを取る騎士団最強の騎士に、果敢に挑みかかる。
「何にせよ、いい迷惑さ。あの方に気を使って鍛錬が中断しちまうし、ティアナ様も貴重な時間を取られちまうし。お姫様の道楽に付き合うこっちの身にもなれっての」
「そんな言い方……!」
ティアナと打ち合うリースの表情は真剣そのもの。
決して道楽や冷やかしで来ているのではないことが見てとれる。
わずかな時間しか話していないが、彼女の行いを悪く言われるのは何故か気に入らなかった。
「おっと、失言だったかな。それより見てみろよ、そろそろ決着がつくぜ」
「へ? まだ始まったばっかり——」
ガギィィィィン!
練兵所に響く金属音。
一閃であった。
たった一撃、振り抜かれた大振りの刃。
リースの一瞬だけ晒した隙を逃さず、彼女の剣と盾をまとめて弾き飛ばした。
「勝負あり、ですね。姫殿下」
「また、届きませんでしたの……!」
床に転がる剣を睨み、心底悔しそうに歯噛みする。
クロエはただ、リースを遠巻きに見つめる。
彼女に何か声をかけてあげたい。
が、それは出来ない、許されない。
彼女と自分とでは、住む世界があまりに違い過ぎるから。
手合わせを終えたティアナは、早足でこちらへ向かって来た。
クロエの顔を見るや、気さくに話しかける。
「君は確か、クロエ君だったかな」
「お、覚えててくれたんですか!?」
貴族街の門で一度言葉を交わしたきりの、呼ばれてもいない自分を覚えていてくれたとは。
驚きと共に、この人が慕われている理由がなんとなく理解出来た。
「その箱に入っているのは、出来上がった剣か。用事はこれかな?」
「はい、出来栄えを確認して頂きたくて」
「拝見しよう」
箱の中から剣を一本取り出すと、ティアナは刀身を検める。
鋼鉄を指で弾き、音を確認。
両手で握って二、三度素振りをすると、感嘆したように声を絞り出した。
「うん、見事だ。さすがはイリヤーナの鍛冶師、完璧な仕事だよ」
「あ、ありがとうございます! 良かった、親方たち頑張ってたもんな……」
剣を箱に納めると、クロエに微笑みかける。
「御苦労だった。君も多忙だろう、戻って作業を続けるといい」
「はい、えーっと……」
「ティアナでいいよ。それと、そんなに畏まらなくていい。私など大した身分でも無いのだから」
「そんなこと……! えっと、それじゃあティアナさん、失礼します!」
ペコリと頭を下げる。
ティアナは軽く手を振ると、再開した騎士たちの鍛錬の見廻りに戻っていった。
「はぁー、立派な人だなぁ。強いしかっこいいし、ボクなんかの事まで気にかけてくれて」
「用事はお済みになったの?」
「っひょわあああぁあぁぁぁ!!!」
突然後ろから声をかけられ、クロエは飛び跳ねた。
「ひ、ひ、ひ、姫様、ボ、ボクのような下賤の者にそのような畏れ多い……!」
「……用が済んだなら戻るわよ。また迷子になって変な場所に出られては迷惑だし、送っていくわ」
「そ、そ、そんな……! 姫様が送ってくださるなどぉ……!」
もう自分でも何を言っているのかわからない。
パニック状態の中、とにかく無礼がないように、ひたすら畏まる。
「……木箱。早くしてくださらない?」
「はい、ただ今ぁ!」
床の木箱を力いっぱい持ち上げると、リースの後をガチガチになりながらついていく。
そのぎこちない足運びは、彼女が自作したカラクリ人形に非常に似通っていた。
練兵所を出て、騎士団の施設から離れても、二人は無言のまま。
王族に軽々しく声をかけるなど、常識人のクロエにはとても出来ない。
「……ねえ」
「ひゃいっ、なんでございましょう!」
「そのおかしな態度、やめてくれない? なんだか気に障るのだけれど」
「き、気に障る……?」
機嫌を損ねてしまったのか。
クロエは青ざめた。
このまま牢屋に投獄され、果ては断頭台の露と消えるのか。
「正直なところ、貴女が私に遠慮なく話しかけてくれて、少しだけ嬉しかったの」
「う、嬉しかったって……」
無礼どころか、あれが正解だったと。
「貴女の気持ちも理解できるわ。私と対等な口を利いて、誰かに聞かれでもしたら大変だもの。でもね……」
木箱で両手が塞がったクロエに、リースはグッと顔を近づけた。
赤みがかったピンクの瞳、美しい顔立ちに、思わず顔が熱くなる。
「そんな態度を取られると、私が面白くないの」
「面白くって……。じゃ、じゃあどうすれば……」
このお姫様は何をしたいのか。
さっぱり理解出来ない。
混乱状態に陥る頭の中で、可愛いな、綺麗だな、まつ毛長いな、と呑気な感想だけが浮かんでは消えていく。
「私と二人きりの時だけは、敬語を使うのをやめなさい。おかしな態度もやめて、自然体でいること。私は貴女をお友達にしたいの。この私の決定よ、文句は言わせない」
「ひゃいっ、わかりましたぁ!」
「わかってない!!」
「うぅ、……わかったよ、リース」
「よろしい」
仏頂面のお姫様は、ようやく笑顔を浮かべる。
笑った顔も可愛いな。
力なく笑い返しながら、クロエはもはや現実逃避気味。
「では早速、誰も来ない場所に行くわよ。ここじゃ誰に聴かれるかわからないもの」
「でもボク、鍛冶場に戻らないと……」
「この私の命令が、聞けないと?」
「行くよ! 行けばいいんでしょ!」
我がままなお姫様に、どうやら気に入られてしまったようだ。
剣の入った木箱を抱えながら、彼女について人が来ないらしい場所までついていく。
今のクロエに、他の選択肢は許されていなかった。
広い広いアーカリア城の敷地内、その第一城郭の外れに、花の咲き乱れる庭園が存在する。
貴族を招いてのお茶会と、二日に一度早朝に行われる庭師の手入れ以外、足を踏み入れる者はいない。
建物からも離れ、背の高い生垣によって視界も遮られているこの場所は、密会にはこれ以上ない場所だった。
「ここなら誰も来ないわ。何をしていても誰も気付かない。ふふふ……」
「え、何かする気なの……?」
木箱を置いてやっと身軽になったクロエ。
長椅子に腰掛けたリースは、左側を開けながらじっと見つめてくる。
隣に座れ、と言っているのだろう。
「と、隣、座ってもいいかい」
「ご自由にしたら?」
素っ気ない態度を取りつつも、どこか嬉しそう。
素直な親友に対する、素直になれない親友の態度と、どこか被って見えた。
「それではお言葉に甘えて」
離れて腰を下ろすと、お姫様から笑顔が消えてしまった。
試しに体を寄せてみる。
すると、また笑顔が戻る。
——セリム以上に分かりやすいな、セリムも相当だけど。
やっぱり親友の一人と被る。
もっとも、セリムがソラに向けているのは明確に恋愛感情。
傍から見ていても一目瞭然だ。
分かりやす過ぎて、時々笑ってしまいそうになる。
逆になぜ、ソラは気が付かないのだろうか。
「…………えっと」
タメ口を許可されたとしても、やはり自分から話しかけるのは勇気が必要だった。
無言の時間が焦りと気まずさを倍増させる。
彼女の機嫌が良いうちに、なんとか話題を探さなければ。
「君ってお姫様だろ。なんで騎士団に混じって鍛錬なんてしてるのさ」
投げかけられた質問に対し、彼女はまたもムッとなる。
聞いてはまずい内容だったか。
焦るクロエだが、
「最初にそれ? お友達ってもっと、好きなケーキやお洋服について語り合うものではなくて?」
そういう訳ではなかったようだ。
「それもいいけどさ、まずはお互いをよく知ってからじゃないかなーって……」
普通の会話なはずなのに、心臓に悪い。
リースをお姫様だと意識せずに言葉を交わせる時は来るのだろうか。
「そんなモノなのね、まあいいわ。私は強くなりたいの。シヴィラ戦役の英雄、メアリスのように」
「シヴィラ戦役っていうと、五百年前くらいに起きた、人間と魔族の大戦争か」
「そう、その大戦で大陸中の戦場を縦横無尽に駆け回り、人類側有利の講和に導いた英雄が、メアリス・ダルケルス・ディ・アーカリア。王族でありながら最前線で剣を振るった、姫騎士の異名をとる伝説の英雄」
「西区画の広場にあるっていう鐘の名前にもなってる人だよね」
少々複雑な顔で、リースは頷いた。
クロエは詳しい事情を把握していないが、謎の恋愛成就スポットになってしまっている現状をリースは憂いている。
「そんな英雄がご先祖様にいると知って、私は心から誇らしかった。子どもの頃から彼女の英雄譚を読みふける中で、私には夢が出来たの。この国中に名を馳せる、勇猛果敢なる姫騎士となる夢が」
「夢……」
騎士の一人が口にした、道楽という言葉。
どうしてあれに腹が立ったのか、腑に落ちた。
リースの目が、真剣に夢を追いかける人間の目だったからだ。
夢を追いかける者として、人の夢を笑うことが許せなかったからだ。
「夢か、そっか夢か! ボク、応援するよ。キミならきっとなれるさ!」
彼女の両手を握り、グイっと顔を近づける。
女の子の、ましてや王女のものとは思えない、血豆や分厚い皮で荒れた手のひら。
どれだけの努力を彼女が積んできたか、自分には想像もつかない。
「あ、ありがとう……」
突然両手を握られ、顔を間近に寄せられたリースは、少しだけ照れながらお礼を返す。
「あの、ちょっと近いのだけれど……」
「へ? あぁっ、ごめん!」
目を逸らしながら恥じらうリース。
クロエは大慌てで両手を離し、両手を膝の上に置く。
——うわー、今の照れ顔可愛い。あんな顔もするんだ……。
二人きりの秘密の逢瀬。
お姫様の笑顔を一人占め。
非現実的な状況に、クロエの思考はおかしな方向に向かい始めた。
——ってダメダメ! こんなこと考えちゃダメ!
湧き上がる何かを振り払い、軌道修正。
「で、でもさ、名を上げるって具体的にはどうするの? 今は戦争なんて無いし、王家を出ない限り冒険者にも騎士にもなれないでしょ」
「もちろん、王家を出るつもりは毛頭ございません。私は王族である自分に誇りを持っている。この国の王女のままで、名を上げなければ意味は無いもの。まずは手始めに——」
彼女は懐から丸めたチラシを取り出し、クロエの前に広げて見せた。
「狩猟大会。三週間後に行われるこの大会で、優勝してみせるわ」