039 隠された秘密は、とってももふもふしていました
氷結した女王の脳天に叩きつけられた、闘気の鉄槌。
氷と共に頭が割れ砕け、二本の触角の間から緑色の体液が噴き出す。
頭部への打撃に、女王は大きく怯む。
軽やかに降り立ったソラは、一回転して遠心力を乗せた横振りの一撃を、
「もう、いっぱーつ!」
真正面に叩き込んだ。
ドグシャアァッ!
ガードも出来ず、渾身の殴撃をまともに受ける。
腹部と繋がった細い腰が千切れ、上半身が吹き飛ぶ。
背中から壁面に叩きつけられると、風船が割れたような音と共に体液をぶちまけた。
ずるずると壁をずり落ちたクイーンの上半身は、僅かな呻き声を上げると動かなくなる。
「——っふぅぅ、なんとかなったぁ……」
アーメイズクイーンの絶命を確認すると、ソラはようやく緊張を解く。
闘気を消し、群青のツヴァイハンダーを鞘に納めると、ぶよぶよと気持ち悪い女王アリの腹部から飛び下りた。
「よっと。セリム、クロエ、二人ともありがとー!」
そして、いつものように元気よく駆け足で戻って来るのだが。
「あれ、クロエ……?」
その足が止まってしまった。
「どうしたんですか、ソラさん。クロエさんがどうかして——」
隣に立つ少女に目を向けて、セリムも理解する。
極太のビームと、大切なソラの動きにばかり気を取られていた彼女は、クロエの帽子が飛ばされても気付かなかった。
帽子の下に隠された、腰まで伸びた長い赤髪と、頭の上に二つ付いた獣の——犬のような耳が露わになっていることにも。
「クロエさん、それ……」
「何さ、二人とも。変な顔して——うそ、帽子が無い!?」
頭の上を両手で探り、クロエはようやく帽子の不在を知る。
「二人とも、これは、その……!」
何で、どうして。
秘密を知られてしまった。
二人の視線が怖い。
二人の顔を見るのが怖い。
自分を見る目が変わってしまうのが怖い。
「あの……、帽子ならここに……」
突然現れたアモンが、帽子をそっと差し出す。
壁際で小さくなっていた時、丁度手元に飛んできたのだ。
クロエはひったくるように帽子を奪うと、髪を巻き込んで目深にかぶった。
「あの、その耳……」
「聞かないで」
ずっと隠してきた、他の人間と明確に違う特徴。
人間だけではない、魔族とも違う。
この世界に生きる誰とも同じではない、一体自分は何者なのか。
この耳について知っているのは、彼女自身を除けば、育ての親であるスミスだけ。
その他には、兄弟弟子は勿論、心を許した友人にすら明かしていない。
彼女の心にずっと影を落とす、大嫌いな耳。
「クロエさん……」
セリムには、かける言葉が見つからなかった。
絶対に他人には知られたくない、多くの人間と違う点。
形こそ違えど、彼女の気持ちは理解できる。
だからこそ、かける言葉が見つからない。
「ねえねえ、クロエ。それって耳? 可愛いね、もっかい見せて」
だが、この少女は違った。
「へ? ソラ、何言って——」
人懐っこい笑顔で、こちらの心に遠慮なく踏みこんでくる。
「こんな耳、気持ち悪いだろ? 可愛くなんてないよ」
「うんにゃ、可愛い。ちょっと触ってみたいかも……」
気持ち悪がるわけでもなく、奇異の目を向ける訳でもない。
青い瞳を輝かせ、手をわきわきと動かすソラ。
目を見れば分かる。
彼女は裏表無く単純に、ただ触ってみたいとだけ思っている。
「触るって、本気で?」
「本気も本気。お願い、触らせて!」
「……まぁ、ちょっとだけなら」
そんな彼女だから。
固く閉ざした扉も開いてしまう。
そっと帽子を取り、再び見せた赤い犬耳。
じっと注がれる視線が落ち着かず、ピクピクと動く。
「おぉ、動いた!」
「あの、触るなら早くしてくれないか……?」
「おっと、そうでした」
ついつい見入ってしまった。
気を取り直して彼女の耳に手を伸ばす。
ふさふさしたきめ細やかな毛に覆われた、少し固い耳。
ちゃんと耳の穴も開いている。
正真正銘、耳として機能している部位だ。
「……もふもふ!」
「ちょっ、くすぐったい、くすぐったいって。あははっ」
ふさふさの耳にソラの指が埋もれる。
側で見ていたセリムも、もう辛抱堪らない。
「……ごくり。クロエさん、私も触っていいですか?」
「えぇっ、セリムも!?」
「ソラさんばっかりずるいです! 私にもモフらせてください!」
「そんながっつかなくても。別に良いけどさ」
許可が下った瞬間、セリムの目がギラリと光る。
「ではお言葉に甘えて。ソラさん、代わってください」
「セリムも好きだねぇ」
ソラが下がると、セリムはクロエの前へ。
ぴこぴこ動く耳に、そっと触れる。
「これは、もふもふしてます!」
「一緒の感想が飛び出したね……」
「凄いです、もふもふです……!」
夢中になってクロエの耳を触る。
色々な角度から触り、撫で、擦る。
絹のような極上の指触り。
可愛いものに目が無いセリムは、もう夢中になる。
「あの、そろそろいいかな」
夢中になり過ぎて、苦言を呈されてしまった。
「……すみません。うぅ、私ったら我を忘れて。はしたないです」
気まずさを感じながら手を離すと、クロエは長い髪諸共、耳を帽子の下に隠す。
どんな時も絶対に脱がなかった帽子。
彼女は道中の宿でも一緒の入浴を頑なに拒み、夜は三角の先端に丸が付いたナイトキャップをかぶって寝ていた。
不自然なほど帽子を取らなかったその理由に、セリムはやっと納得がいく。
「クロエさん、その耳について聞いてもいいですか?」
「うん、二人にならいいよ。ぜんっぜん気にしてないみたいだし」
「お恥ずかしい限りで……」
一切物怖じしないソラの気質が、今回は吉と出てくれた。
二人に対して完全に警戒を解いたクロエは、質問に応じてくれるようだ。
「まずその耳ですけど、本物ですよね。生まれつきなんですか?」
「うん、あれがボクの耳。普通の人に耳がある場所には何も無いんだ。普段その部分は伸ばした髪で隠してる。この耳を知ってるのは親方だけ。少なくとも赤ん坊のボクを拾った時からこうだったみたい」
そこまで話すと、クロエは気まずそうに頬を掻いた。
「ゴメン、わかるのはそれだけ。この耳が何なのか、——そもそもボクは本当に人間なのか」
口に出す声は、少し震えている。
皆と違う存在かもしれない、やはりそれは耐えがたい恐怖だ。
「……ボクには何にもわかんないから」
「そうですか。ごめんなさい、こんな質問をして」
「いいんだ、二人を信じてボクの意志で話したんだから。それに、なんだかスッキリした」
彼女は今、晴れやかな気持ちだった。
心に溜め込み続けた不安を、生まれて初めて他人に話せた。
コンプレックスでしか無かった耳を、可愛いと言って貰えた。
「だからさ、二人とも——ありがとう!」
心の底から感謝を込めて、この場にいる二人の——親友に。
いつも通りの快活な笑顔と共に、言葉を贈った。
「にしし、どういたしまして。これからもよろしくね、クロエ」
「ホント、よろしくしてあげてください。こんなアホの子ですが、良い所も沢山あるので」
「そうそう、もっと褒めても……いや、さすがにこれは褒めてないでしょ」
「褒めてますよ、よしよし」
「撫で撫でなんかで誤魔化され……にゃぁぁ」
わしゃわしゃとソラの頭を撫でると、彼女の顔はすぐにだらしなく緩む。
扱いやすい——もとい、非常に可愛らしい。
「さて、すっかり話しこんでしまいましたね。馬車の方はどうなっているでしょうか」
「セリム、女王アリの素材は取ってかないの?」
「……欲しいですか? アレ、解体しますか?」
体液をぶちまけ千切れ飛んだ上半身と、中の卵が透けて見えるぶよぶよの下半身。
見るだけでもげんなりする、虫嫌いが見たら発狂しそうな有様。
「うん、あたしは嫌だ。セリムやって!」
「もっと嫌ですよ!」
「ならボクがやるよ、別に平気だし。セリム、どの部位が使えるか教えて」
平然とクイーンの亡骸に駆け寄ると、クロエは指示を仰ぐ。
これから広がるであろうグロテスクな光景に、眉を顰めつつ答えるセリム。
「まずは両手の大鎌、そのまま武器として使えるほどの代物です。かなり高く売れますね」
「なるほど、鎌っと」
根元の肩口から、ブチっと千切り取る。
「それから顎、良質な剃刀の素材となり、やはり高く売れます」
「ほいほい、顎ね」
割れた頭を引っ掴んで、ブチブチと引きちぎる。
「最後にその……、卵管……です。乾燥させて煎じると、良い薬になるらしく、とても高く売れます……」
もの凄く言いにくそうに、最後の指示を出す。
「はいはい卵管、これで最後っと」
そこから広がるのは、おぞましい光景。
ずるりと引き抜かれた卵管、ドバドバ出てくる卵、思わずえずくソラ。
「はい、持って来たよ」
顔色一つ変えず、平然と三つの素材を持ちかえったクロエ。
セリムは青ざめながら受け取ると、出来るだけ見ないようにしながら手早くポーチに突っ込んだ。
「で、では帰りましょう……。ソラさん、大丈夫ですか……?」
「だいじょばない……。ショッキングな光景すぎた……」
今日の夢に出て来そうな光景を極力忘れようとする。
セリムの可愛らしい顔に、彼女はひたすら癒しを求めた。
「よく平気だね、クロエ……」
「あはは、どうってことないよ」
朗らかに笑みを浮かべるクロエは、本当に全く動じていない。
「あの……、私、忘れられてませんよね……?」
隅っこでずっと様子を窺っていたアモンが、おずおずと会話に入ってきた。
「当然ですよ、アモンさん。あなたのお陰でスムーズにここまで来れたんですから」
「それは良かった……。私はこれで消えますが……、どうか私と出会ったことは他言無用でお願いします……」
「へ、どうして——」
「ではさようなら……。隠密化……」
マリエールに自分の存在を知られないために念を押す。
伝えたい事柄だけを伝え終えると、彼女は完全に気配を消してしまった。
もう姿を現すつもりは無いのだろう。
「なんだったんだろ、あの人」
「さっぱりわかりませんね、悪い人でないのは確かですが」
彼女はどうしてアリの巣の中にいたのか、どうして危険を冒して自分たちを助けてくれたのか、なぜ出会ったことを口止めしなければならないのか。
アモンにとっては、どれも深い理由あっての行動だが、セリムたちにとって彼女は最後まで謎だらけだった。
「——ッ! 誰か来ます……!」
ダメ元でアモンの気配を探ってみたセリムは、真っ先に気付いた。
何者かがアリの迷宮を走る足音に。
足音はまだ遠く、しかし迷わずに女王の間へ向かっている。
途中で何度か立ち止まり、そのたびに剣が振るわれる音、アーメイズが斬り伏せられる音が耳に届いた。
「……お、あたしにも聞こえて来た」
耳を澄ましていたソラとクロエにも、足音は届き始める。
「誰かな、まさか馬車に残った誰かとか? 向こうで何かあったんじゃ……」
「もしくは敵、そのどちらかでしょうね」
マリエールを狙う敵がセリムたちを邪魔者と判断し、戦闘後の疲弊した状態を狙って来る。
その可能性も充分に考えられた。
「くれぐれも油断はしないように」
セリムの一言で、緊張感が増す。
徐々に近づいてくる足音。
もう耳を澄ませなくても分かるほど、大きく聞こえている。
そうして、とうとう彼女は暗がりから姿を現す。
女王の間に到達した彼女は、感心したように三人の少女と女王の骸を見回した。
「……驚いたな、本当に倒してしまっているとは」
「あなたは……?」
やって来たのは銀髪の剣士。
白銀の鎧を纏い、細身の剣を腰に佩いた女性。
セリムは彼女の姿をみた瞬間、只者では無いと直感する。
「そう警戒しなくてもいい、私は味方だ。それと、馬車は無事だよ。安心すると良い」
いまだ警戒を解かないセリムの隣、ソラが小刻みに震えている。
口をパクパクと開け閉めしつつ、ぷるぷると人差し指を向けた。
「あ、あ、あ、あなたはまさかぁぁぁぁっ!」
「ソラさん? 知っているんですか?」
彼女の知り合いだろうか。
小首をかしげるセリム。
見ればクロエも、彼女の顔を見て呆気に取られている。
「知ってるも何も、この人は世界最強の剣士……!」
「へ? じゃあこの人が?」
以前話に聞いた、ソラの憧れ。
世界中の剣士の頂点に立つ最強の存在。
冒険者レベル67。
「申し遅れた。私はローザンド・フェニキシアス、しがない一人の冒険者だ。以後お見知りおきを」
深々とお辞儀すると、ローザは優しく微笑む。
思わぬ場所で唐突に出会った人生の目標。
ソラはもはや、何の言葉も紡げなかった。