035 パンツがどうとか言ってる場合じゃありません
先頭車両の広い荷台にて、馬車の心地良い揺れの中、アウスの膝枕でぐっすり眠っていた魔王様。
彼女の平和な眠りは、急停車した馬車によって強制的に終わりを迎えた。
急ブレーキの衝撃で転がっていきそうな体をメイドに抱きとめられ、ついでに全身をまさぐられる。
「な、なんだアウス、一体なにが起きたのだ! それと今すぐにその手を止めよ!」
「了解致しました、外を見て来ますわ。お嬢様と親方様はこの中でお待ちくださいませ」
「俺も行く。馬車のトラブルかもしんねぇからな」
アウスが右側から、スミスは左側から、それぞれ幌を除けて外へと飛び下りる。
着地までの僅かな時間に、発生している異常事態は一目で理解出来た。
「これは——ご説明頂けるでしょうか、セリム様」
「アウスさん、来てくださったんですか。突然ですよ、土の中からです」
停車した五台の馬車をぐるりと包囲する、百匹近いモンスターの群れ。
三節から成る大きな黒い体、短い触角と六本の脚。
見た目はただのアリと似通っているが、まずその大きさが尋常ではない。
大柄な成人男性ほどもある巨体。
そして不気味に光る赤い目と、カマキリのような鋭い鉤爪が付いた二本の前脚が、この存在がモンスターであると如実に語っている。
「セリム、こいつら知ってるの?」
「危険度レベル15、アーメイズ。群れで行動する働きアリさんですね」
「アリさん、まあそうだよね」
「今のソラさんなら問題ないですが、並の人間には危険な相手です。何よりの問題はこの数ですね」
戦うだけならば何の問題もない、ソラとセリムの二人だけでも余裕を持って殲滅できるだろう。
だが、荷台で怯える馬車の御者と鍛冶師達、そして不安げにいななく馬。
彼らを無事に守りきって戦うには、いささか数が多過ぎる。
「アウス、一体なにが——おぉ、なんだか大変なことに!?」
「お嬢様、ご安心くださいませ。お嬢様をお守りすることが、わたくしの勤めに御座いますれば」
スカートの裏から取り出した鞭状の蛇腹剣をひゅんひゅんと二振りする。
群れの先陣を切る二匹のアリがたじろぐが、すぐにアウスへと襲いかかった。
「あらあら、もう死んでおりますのに」
おかしそうに口元を隠して笑うアウス。
次の瞬間、二匹のアーメイズの首と胴体がずれ、綺麗な切断面を晒して倒れた。
「アウスさん、ここはお任せします。ソラさん、私達は中央の護衛を。ソラさんはこのまま右側、私は左側を担当します」
最後尾ではゴドムが鉄塊のような無骨な剣で奮戦している。
彼の冒険者レベルは19、アーメイズに遅れは取らないだろう。
今もっとも手薄なのは、車列の中央部だ。
「合点承知! ……ってセリム、自分で戦うの?」
「パンツがどうこう言ってる場合じゃないですから!」
新生ツヴァイハンダーを両手で持って、ソラは中央の馬車に侵攻を開始したアリの群れに走り込む。
セリムは幌馬車を一足で飛び越え、反対側に着地した。
「クロエさん、親方さん、無事ですか!」
「おう、なんとかな。だが俺ぁもう歳で……なっ!」
言いながら襲い来たアリを巨大なハンマーで叩きつぶすスミス。
一方のクロエは、馬車の幌に頭を突っ込んで何やら探している。
「バカ弟子が、整理整頓はきちんとしろっていつも言ってんだろうが!」
何を探しているのか、のんびり眺めている暇はない。
腰の短剣を引き抜いて、アーメイズの群れに突っ込む。
短いマントを風に靡かせながら、青色の疾風が駆け抜けた。
彼女が通った場所にいたアリは、すれ違いざまに次々首を跳ね飛ばされる。
「返り血を浴びないように戦うのは、骨が折れますね」
血と言うよりは緑色の体液。
そう考えると余計に嫌だ。
「よっし、発見! 親方、もう休んでていいよ!」
探し物が見つかったようだ。
クロエが荷馬車の中から取り出したのは、巨大な鋼鉄の突撃槍。
「あれはランス、クロエさんのクラスはランサーでしょうか」
一瞬だけ視線を送ると、また群れを駆け抜ける。
相手が視認出来ないほどの速さで隣を駆け抜け、すれ違いざまに短剣を振るう。
二十匹ほどいたアーメイズは、セリムの手によって残らず首を飛ばされた。
「ふぅ、ここは片付きました。さて、どこへ援護に行くか……」
セリムの担当した左側中央部のアリは、あっという間に全滅した。
後部でゴドムが苦戦していたが、クロエの準備が整ったことでスミスが援護に向かったようだ。
アウスもソラも心配無用だろう。
「と、なると……。クロエさん、手伝います!」
鍛えているらしいが彼女は冒険者ではない。
そう判断し、彼女の援護に入ろうとする。
「セリム、もう片付けちゃったの!? でもボクは平気だよ。助けなんていらないから」
突撃槍の穂先をアリの群れに向けると、彼女は手元の紐を思いっきり引いた。
ドルルン、と聞いたこともない音が鳴ると、けたたましい轟音と共に、ランスが高速で回転を始める。
「な、なんですか、その武器!?」
「これはボクがボクのために作ったオリジナルの武器」
同時に、閉じた傘状になったランスの内側に仕込まれたスラスターに火が入る。
「削岩機と突撃槍を合わせた、名付けて——」
柄に付いたボタンを押すと、スラスターが青い火を吹きながら、回転するランスがクロエ諸共敵に突っ込んでいった。
「削岩突撃槍・ドリルランス!」
削岩機のように回転するランスによる高速の突進。
穂先に触れたそばから、アーメイズの体はバラバラに引き裂かれていく。
クロエの突進の軌道上にいたアリは、例外なく粉々に砕け散った。
群れの中を突っ切ったクロエは、体重を移動させて強引にカーブ。
再びアーメイズの大群に突っ込んでいった。
「見たことない武器ですね。威力は大きいですが、小回りが利いてないみたいです」
然り、使い勝手を求めるならもっと良い武器はあるだろう。
しかしクロエは冒険者ではなく鍛冶師。
実用性よりも、自分の技術を限界まで詰め込む道を選んだのだ。
「なんにせよ、こっちはもう大丈夫そうですね。ソラさんの方はどうでしょう……」
愛しのソラが一人でやれているのか、セリムは心配だった。
二人で行動を共にするようになってから、セリムの見ていないところで戦うのはこれが初めて。
不覚の取りようがないほどレベルは離れているが、それでも。
先ほどと同様、馬車の荷台をひとっ飛びで越える。
跳躍が頂点に達した時、セリムの目に飛び込んできたのは、闘気を纏った群青の大剣がアーメイズを蹴散らす瞬間だった。
「ソラさん……」
彼女は大群相手に一歩も引かず、大立ち回りを続けていた。
闘気収束によって切断力を増した刃は、敵の甲殻をバターのように斬り裂く。
ここまでの時間、ソラはたった一人で既に十五匹以上を倒している。
「心配なかったようですね」
思わず笑顔を浮かべるセリム。
彼女が着地するまでの間に、さらに二匹がツヴァイハンダーの錆と消えた。
「あ、セリム。そっちは片付いたの?」
こちらに目を向けながら、さらに一匹を斬り伏せる。
「あらかた片付きました。残りはクロエさんに任せてあります。こちらももう終わりそうですね」
馬車列の先頭付近では、アウスの振るう蛇腹剣によって最後のアーメイズがバラバラに引きちぎられた。
最後尾においても、スミスとガドムの二人がかりによって殲滅は成功。
二人の中年男性が無言でハイタッチを交わす。
「あたしの分も、これで最後っ!」
残った一匹を薙ぎ払うと、ソラは剣を一振りして背中の鞘に納めた。
「どうやら大体は片付いたみたいだね」
「そうですね。そろそろクロエさんも終わる頃でしょうか」
クロエの受け持った場所は、先頭車両の左側。
マリエールの乗っている荷台であるがため、アウスが救援に向かったところだ。
これで一安心、ようやくソラは一息つく。
「聞いて聞いて、新しい剣凄いよ。簡単にスパスパ斬れちゃうの。試し斬りはバッチリ」
「それは良かったです」
「そして、その剣を振るってバッタバッタと薙ぎ倒すあたし。セリムにも見せたかったなぁ、ソラ様の雄姿をさ」
「ちょっとだけ見せてもらいましたよ。かっこよかったです」
「にしし、もっと褒めて、アレやって」
「もう、ホントに好きですね」
金色の髪を撫で撫ですると、気持ちよさそうに目を細める。
セリムに頭を撫でてもらう時、ソラはこの上ない幸福感を感じるようになっていた。
「んにゃぁ、セリムぅ」
「猫ですか、かわい——こほん、なでなではここまでです。この場は収まりましたが、事態はどうやら深刻みたいですから」
「へ、どゆこと?」
「後で皆が揃ってから説明します。それよりも今は——」
クロエの方がどうなっているか。
そう続けようとした時。
「よっしゃ、終わったー!」
元気よく響いてきたクロエの声。
これにて馬車を襲撃した百匹以上のアーメイズは全滅した。
ハンマーを担いだスミスが、ゴドムと共にこちらへとやってくる。
そこへ、幌の中から顔を出したフォージが自慢げにがなり立てる。
「どうだスミス、やはり私の判断は間違っていなかった! 私の雇った冒険者がいなければ、被害が出ていただろう」
「あぁ、ナイス判断だったぜ、フォージ」
「……ぐぬぅぅぅ、涼しい顔をしおって。勝った気がせんじゃないか……!」
今の今まで幌の中で蹲って震えていたのに、現金なものである。
「親方さん、ゴドムさん、お疲れ様でした」
「おう嬢ちゃん、そっちも片付いたみたいだな」
「親方—! セリム、ソラーっ! こっちも終わったよーっ!」
複雑怪奇な機構のドリルランスを担いだクロエも、セリム達のもとへ駆け寄ってきた。
さらに荷台の幌をくぐって、マリエールを抱えたアウスが姿を現す。
「これで一件落着、王都までの旅を再開できるな」
「いえ、そうはいきません。このままではまた近い内に襲撃を受けます」
「どういうこと? 場違いモンスターは全滅したよ?」
セリムの発言にクロエはもっともな疑問を呈する。
「そもそも妙だとは思いませんか? この場所の場違いモンスター——長いですね、外来種と呼びましょう。外来種はトップランカーの方によって殲滅されたんですよ」
「確かに、あたしも妙だと思ってたんだよね」
「ただ単に、また紛れ込んだだけじゃないのか?」
そのゴドムの疑問には、マリエールが答えを返す。
「その可能性は低い。余は部下に調べさせた外来種……でよいのか、の出現データを持っている。これによると、一度討伐された場所に再出現したケースは一度もないのだ」
「そう、つまり考えられる可能性は一つ。このリーヤ丘陵に持ち込まれた外来種は、まだ倒されていないんです」
確信を持ったセリムの推理。
クロエと共に、今度はソラまでが混乱に陥る。
「……え、でも確かにタイガさんが倒したって報告が」
「だよね、クロエ。あの人が討ち漏らすなんて有り得ないよ」
「そうです、タイガさんは確かに倒したのでしょう。この場所に持ち込まれたモンスター、アーメイズクイーンが産み落とした兵隊アリを」
「あ、そういうことか!」
セリムの考えはこうだ。
リーヤ丘陵に持ち込まれた外来種は、危険度レベル45、アーメイズクイーン。
この女王アリによってこの場所で繁殖したアーメイズを、タイガは持ち込まれたモンスターと誤認。
その討伐報告により警戒態勢は解除、今回の襲撃に繋がった。
アーメイズの再出現を説明するには、もっとも筋が通る。
「働きアリはフェロモンを散布して、獲物をマーキングします。この馬車隊には、先ほどの戦闘でフェロモンがたっぷり付着しているはずです。このまま進めば、また襲撃に遭うでしょうね」
「……よし、セリム。あたしたちで女王アリをやっつけちゃおうよ! この街道、もう安全だと思われてるんでしょ。被害が出る前に本当に安全確保しなきゃだし」
「でしょうね。ソラさんならそう言うと思いました」
広大なリーヤ丘陵のどこかにある巨大アリの巣を見つけ、そこに乗り込み、最深部に巣食う強大な女王アリを駆逐する。
難しい話ではあるが、自分の索敵能力を駆使すればセリムは不可能ではないと思っている。
「皆さんもそれでいいですか?」
確認を取ると、一同揃って首を縦に振る。
王都と鍛冶師の町を結ぶ街道の安全確保は、鍛冶師にとっても冒険者にとっても死活問題。
こうしている間にも、王都方面から来る人間が襲われていないとも限らない。
「では、私とソラさんで巣を探しに行きます。皆さんはこの場に残って、馬車の守りについて下さい。いつまた襲撃があるかわかりませんから」
「よーっし、いっちょやるよ、セリム」
「待って、ボクもついて行くよ!」
方針が決定した所で、クロエが二人に同行を願い出た。




