003 世界最強、ちょっとだけ見せてあげます
早朝五時、来客用の布団で静かに寝息を立てるソラを横目に、セリムは身だしなみを整える。
姿鏡の前でクルリと一回転した彼女の今日のファッションは、胸元に黒いリボンのついた白のフリルブラウス。
ミニスカートとニーハイソックスは当然外せない。
髪型はいつも通りのツーサイドアップ。
二つ結びの髪が体の動きに合わせてゆらゆらと揺れる。
「うん、今日もさすがの美少女ですね!」
鏡に映った自分の姿にご満悦のセリムは、早速朝食と昼食の弁当の準備に取り掛かった。
まるで近くの山にピクニックにでも行くような雰囲気だが、彼女がこれから向かう場所は強大なモンスターが巣くう危険度レベル30の危険地帯。
たとえ上級冒険者でも、パーティを組まなければ命の保証は無い。
鼻歌交じりに昼食のサンドイッチをバスケットに詰め込むセリムと、のんきに寝息を立てるソラ。
彼女達からは、そんな場所に向かうという緊張感は欠片も感じられなかった。
○○○
リゾネの町から急ぎ足で四時間ほどの距離。
凶悪極まりないモンスターがひしめく危険地帯に、二人の少女が足を踏み入れた。
赤い土が堆積した大地に吹く乾いた風が砂を巻き上げ、むき出しになった地層から得体の知れない怪物の化石が覗く。
良質な鉱石が多数採れるものの、一部の猛者や命知らずを除いて誰も足を踏み入れない深い渓谷。
その場所の名はレッドキャニオン、死の渓谷と呼び恐れられる場所だ。
「さーてっ、果たしてここに目的のブツがあるのかっ!」
「あんまり離れないでくださいね。突然死んでも知りませんよ」
元気よく両手を振りながら、ずんずんと大きな足取りで先頭を進むソラ。
自信満々と言うよりは、何も考えていない顔だ。
セリムは注意深く魔物の気配を探り、周囲の索敵を怠らない。
一時間ほど歩いたところで、セリムは断崖に挟まれた狭い谷間で足を止めた。
「ソラさん、この辺りで一旦ストップです」
「何々、なんか見つけたの?」
「見つけてません、これから見つけるんです。あなたは鉱石がその辺に落ちてるとでも思ってるんですか」
周囲の地形を指し示すセリム。
剥き出しになった地層からは、魔鉄鋼がほんの少しだけ顔を覗かせている。
「これね、セリムの依頼の品って。やっぱり見つけてたんじゃん」
「言葉の綾です。まずはこれを掘り出さないと」
「任せて、この剣でほじくり出してやるから」
「アホですか、そんなことしたら折れますよ」
張り切って抜刀したソラに、セリムは容赦なくツッコミを入れる。
「この剣は絶対折れないんだよ。なんせ代々伝わる伝説の名剣だし」
「はぁ、伝説。ちょっと見せてください」
「いいわよ、ほら。見て驚くがいい!」
伝説の剣なるフレーズに興味の湧いたセリムに、ソラは快く剣を渡してくれる。
受け取ったセリムはまじまじとその刀身を観察。
やけに刃こぼれや傷が目立つ。
ちゃんと手入れはされているのだろうか。
ボロボロの刀身は、どこからどう見ても伝説の剣などには見えない。
「これは……。詳しく見てみますか、鑑定!」
アイテム使いの固有技能の一つ、鑑定。
目の前のアイテムの詳細を確認出来る、基本的な魔法だ。
空中に浮かび上がる魔力ビジョンに表示された鑑定結果に、セリムは案の定の呆れ顔。
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アイアンソード
レア度 ☆★★★★
攻撃力 10
品質 粗悪
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「……あの、伝説がなんですって? そもそもどこに代々伝わってたんですか、この伝説」
「露店のおっちゃんの家だよ! 代々伝わってた伝説の剣を処分したいからって、なんと300Gの出血大サービスで売ってくれたんだ!」
「はい、詐欺ですね」
こんな粗悪品のアイアンソードなど、50Gでも高いくらいだ。
「ソラさん、どこから旅をしてきたかは知りませんが、よく今まで無事でしたね」
「褒めてるのね。もっと褒めて」
「はいはい、よしよし」
八重歯を覗かせて笑うソラの頭をなでなでしつつ、ますます彼女に対する心配が増した。
剣を返しつつ、セリムは真実を伝える。
「その剣、伝説でもなんでもないただの剣です。かなり傷んでるので、もう買い換えた方がいいですよ」
「え、マジ!? ミスリルで出来た絶対に折れない剣じゃないの!?」
「それを真に受けて手入れもしてなかったんですか……。まあいいです、それより早く掘り出しましょう」
脱線した話を戻して、セリムは小さなポーチからニュルニュルと大きなツルハシを二本取り出した。
「うぇっ!? 何それ、今どっから出したの!?」
「このポーチは特別なんです。それよりほら、ソラさんも持ってください。採掘を始めますよ」
ツルハシを一本手渡すと、セリムは程良い力加減で採掘を始める。
もしも全力で叩きつければ、崖崩れどころか巨大な地割れが発生しかねない。
一方のソラは、トンテンカン、と軽快なリズムで掘り進めていく。
露出した魔鉄鋼の周りを慎重に削り、最後は手を使って取り出す。
ねずみ色に鈍く輝く鉱石を、セリムはポーチの中にしまいこんだ。
「よし、まずは一つ。この調子でどんどん行きましょう」
「おーっ! なんだか楽しくなってきたー!」
二人で並んで、ひたすらツルハシを振るい続ける。
剣の素振りみたいだとはしゃぐソラに、腕に筋肉が付きそうで嫌だと返すセリム。
そのまま二時間ほど掘り続け、掘り出した魔鉄鋼は予定を大きく越える60個。
おまけで産出した鉄鉱石は80個に及んだ。
通常なら持ち帰れないほどの量の鉱石を、セリムはポーチに全て収納する。
時刻は正午を過ぎた頃、そろそろ昼食の時間だ。
「この辺りで切り上げましょう。渓谷の外に出てからお昼にしますよ」
「りょーかーい。でもさ、なんにも出てこなかったね」
「モンスターが出ないに越したことはありません」
「そうじゃなくて、レアな鉱石の話」
二人分のツルハシをポーチに仕舞いながら、彼女の言葉にセリムはふと疑問を抱く。
ソラが危険を冒して、各地を旅してまで欲しい鉱石とは一体なんなのか。
彼女はミスリルの剣を所持していた——と思い込んでいたのだから、求める鉱石はそれ以上のものということになる。
「ソラさんが求める鉱石……、それって一体なんなんですか?」
「あれ、まだ言ってなかったっけ。それはもちろん——」
その時、激しく大地が揺れた。
ゴゴゴゴゴ、と鳴り響く轟音。
足下が強く上下に揺さぶられ、視界がぶれる。
断崖の砂がパラパラと崩れ落ち、立っていられなくなったソラはしゃがみ込み、地面に両手をついた。
「な、なにこれ、地震!?」
「違います、これは——ソラさん、危ない!」
ソラの足下、地面がひび割れていく。
飛び出したセリムは、彼女を抱えてその場から飛びのいた。
次の瞬間、ソラの居た場所の地盤が割れ、大口を開けた怪物が、地中深くから突き上げるように飛び出す。
「な、なんかとんでもないのが出た!」
「まずいですね。ソラさん、出来るだけ離れててください」
その怪物は、丸い巨岩が数珠つなぎになった巨大な蛇。
頭部についた大口、そこから覗いた赤い舌がチロチロと蠢く。
一つ目の真っ赤な眼球がぎょろりと見開かれ、二人の少女を、獲物をその瞳に映す。
「こいつは危険度レベル40、ロックヴァイパー。このレッドキャニオンの主とでも言うべきモンスターです」
「40って、ヤバいじゃん! さすがに勝ち目無いよ!」
「そうですね、ソラさんには勝ち目はありません。だから下がって……」
言うが早いか、ソラは剣を抜いてセリムを背に立ちはだかった。
「何をしてるんですか! 早く逃げてください!」
「嫌っ! いくらセリムが強くっても、さすがにこんなのに勝てるわけない! あたしは世界最強の剣士になるんだから、友達を犠牲にして逃げるなんて出来ない!」
「友達……、ですか……?」
友達、出会ってまだ一日程度なのに、彼女は自分をそう呼んで命を賭けて守ろうとしている。
よくよく見ればソラの足は震えている。
彼女だって恐怖心が無いはずがない。
にも関わらずセリムのため、なけなしの勇気を振り絞って、立ち向かおうとしている。
「セリムこそ早く逃げて。あたしは大丈夫、世界最強の剣士になるまで絶対に死なないから」
安物の剣を両手で握りしめて、ソラは岩蛇へと走り込んでいく。
「バケモノめ、あたしが相手——」
「ソラさん、右!」
セリムの声にワンテンポ遅れて、ロックヴァイパーの巨大な尻尾が薙ぎ払われた。
咄嗟にガードを固めるが、攻撃を受け止めた刀身は粉々に砕ける。
衝撃はそっくりそのままソラの身体を襲い、吹き飛ばされ、岸壁に叩きつけられた。
「がっ……」
そのままずるずると壁面を滑り、力なく横たわる。
即死こそ免れたが、たった一撃で戦闘不能。
全身が痺れて、指一本動かせない。
ロックヴァイパーはゆっくりと鎌首をもたげ、ソラににじり寄りながら大きな口を開く。
——こんなところで終わってたまるか、あたしは絶対世界最強になるんだ。
己を奮い立たせ、無理にでも体を起こそうとするが、気持ちだけではどうにもならない。
少女を捕食するため、毒の滴る牙をむき出しに大口を開けて迫る怪物。
ソラがとうとう覚悟を決めた瞬間。
——ドゴオォォォォ!
「私の大事な友達を、エサになんてさせませんから」
岩蛇の横っ面に、セリムの飛び蹴りが炸裂した。
長さ十五メートルはあろうかという巨体が吹き飛び、反対側の壁面にお返しとばかりに叩きつけられる。
蹴りの反動で後方に一回転したセリムは、ソラの傍らに軽やかに着地した。
「セリム……、あなた……」
「ソラさん、ありがとうございます。ですが心配は無用です」
彼女はソラの目を見て、自分の秘密を明かす。
友達と言ってくれた相手に、隠し事は出来ないから。
「私、世界最強ですので」
ニコリと微笑むと、呆気に取られるソラから敵に目を移す。
体を起こして忌々しげに睨む単眼の岩蛇。
セリムはポーチからタイマーボムを二つ取り出した。
「絶対投擲、いきます」
ボタンを押してタイマーを起動、照準は第三関節の隙間。
敵に向かって走り込みながら、魔力を込めた爆弾を二つ同時に投げつける。
岩蛇は鎌首をもたげ、セリムを押しつぶそうと頭を叩きつけにかかった。
「当たりませんよっ」
ひらりと跳んで身をかわしつつ、更に二本の爆弾を取り出すと、空中で回転しながら追加で投擲。
先に投げておいた二つの爆弾が大きく弧を描いて第三関節の隙間に吸い込まれ、少し遅れて追加の爆弾が突き刺さる。
「タイマーゼロ、弾け飛びなさい」
関節の隙間で、四本の爆弾が連鎖的に爆発を起こした。
岩石の身体がひび割れ、半分ほどが砕ける。
前から三番目の岩石の中心、透き通った青い石が露わになった。
それは岩石生命体であるロックヴァイパーの弱点。
この石を砕けば、怪物は生命活動を停止する。
爆発の衝撃で大ダメージを受け、岩蛇は悶え苦しむ。
空中を蝶のようにひらひらと舞ったまま、その光景を眼下に臨むセリム。
彼女は断崖の壁面を強く蹴ると、腰の短剣を抜きつつ、敵の核へと真っ直ぐに跳んだ。
「これで終わりです」
両手で持って切っ先をコアに突き立てる。
小さなヒビが全体に広がり、青い石は粉々に砕け散った。
その瞬間、怪物の身体はただの岩の塊となり、各関節の接続も遮断。
丸い岩となって辺りに転がっていく。
彼女の圧倒的な戦いを、ソラは横たわったまま呆然と見つめていた。
「これが……、世界最強。これが、あたしの目指す場所……」
短剣を鞘に納めたセリムは、急いでソラへと駆け寄る。
傍らにしゃがみ込んで抱き起こし、ポーチから癒しの丸薬を取り出して彼女の口元へ。
「ソラさん、回復薬です。飲めますか?」
「うん……、口ぐらいなら、動かせるから……」
口の中に入れてもらった丸薬を咀嚼して飲み込む。
すぐに体の痺れが取れ、なんとか動かせるまでに回復した。
ソラは両手で体を起こすと、崖にもたれかかって座る。
「ふぅ。やっぱり効くわねー、これ」
「もう、無茶しすぎです。あんまり心配させないでください」
呆れと安心が入り混じった表情のセリムに、元気を取り戻したソラは容赦なく突っ込んでいく。
「それにしても凄かった! セリム、世界最強ってホント!?」
「あ、あくまでアイテム使いの中での話です、多分……。それに、師匠が勝手に押しつけた称号ですし……」
「それでも凄いわよ! くぅ〜、あたしもいつかあんな風に強くなるんだから!」
はしゃぎ出したソラを微笑ましく見つめていると、彼女の口から思わぬ言葉が飛び出した。
「でもさ、ミニスカートは止めたほうがいいと思う」
「ふぇ、どうしてですか?」
小首をかしげるセリム。
今まで人知れず戦ってきたが、不都合な事など何一つ——。
「戦闘中、すっごいパンツ見えてた」
衝撃的な発言に、セリムの顔は瞬時に真っ赤になった。
「……————〜〜っ!! もう二度と前衛はやりません!! 後方支援に努めさせていただきますっ!!!」