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027 ソラさんの隣に戻れて嬉しいなんて、絶対に思ってませんからっ

「とうちゃーく! おぉ、思ったより広いね」


 霊峰カザスの山頂に一番乗りを果たしたソラは、開口一番に感想を述べた。

 切り立った岩にわずかな足場、そんな光景を予想していた彼女にとって、平らになめされた広々とした空間は想定外。

 山頂広場の中央には、石造りの舞台が鎮座している。


「昔からこの場所では、色々な儀式が執り行われてきましたから。今は奉納の舞いに一本化されてますけど」

「へぇ、……ま、まさか生贄の儀式とか」

「ソラさん、失礼です。というかバチ当たりです」

「ふふっ、昔は大勢でこの場所に集まって、ノルディス神に祈りを捧げたと聞いています」


 中央の舞台へと歩きながら説明するメリィ。

 頭上に輝く太陽は、一番高い場所に昇っている。

 時刻は正午、ここまでの行程は予定通り。

 順調に行けば、日没までにはカルーザスに戻れそうだ。


「では、恥ずかしながら。奉納の舞い、舞わせていただきます」


 石の舞台の中央に上がったメリィは、まず胸の前で円を描き、この地に眠る神に祈りを捧げる。

 そうして始まった奉納の舞い。

 ゆったりとした足運びで刻むリズム。

 緩慢な動作から、くるり、くるりと体を回し、長く伸びた袖が蝶の羽のようにひらひらと舞う。

 厳しい修練を積んだのだろう、その足運び、緩急、動作から振り着けに至るまで、セリムもソラも目を奪われる。


「ほぇぇ、上手だねぇ」

「さすがは神子に選ばれた方、見事な舞ですね。観客が私達だけ、というのは勿体ない気がします」


 その場に腰を下ろし、彼女の神秘的なステップに見とれる二人。

 そんな中で、セリムは唐突に不思議な感覚に襲われた。

 何者かに呼ばれているような、頭の中で何かが囁いているような。

 もしかしたらソラも感じているかも、そう思い隣を見るが、彼女は目を輝かせて舞踏に見入っている。


「……私の勘違い? それにしては妙な感じが——」


 雰囲気に呑まれて何かの錯覚を感じたのか。

 いや、錯覚ではない。

 呼び声はどんどん強くなる。

 そして、はっきりと自分の名前を呼ぶ声が聞こえた時。

 時空のポーチが強烈な光を発した、少なくともセリムにはそう思えた。


「これは——」


 同時に、頭の中に流れ込んでくる断片的な映像の数々。

 ひび割れる大地、溶岩の大河、唸りを上げる火山と噴煙に黒く淀んだ空。

 殺し合う複数の何かと何かのおぼろげなシルエット。

 そして、空を埋め尽くすほど巨大な——。


「——ム、セリム。どうしたのさ、セリム」

「……あ、ソラさん? メリィさんも……」

「良かった、いくら呼びかけても反応が無いので心配しました」

「え? 私、そんなに長い間ぼんやりしてましたか?」


 体感時間はほんの一瞬だったはず。

 しかし、彼女達の様子を見ればそうでないことは予想出来た。

 全力で踊りきったのだろうメリィの額には玉のような汗が浮かび、息も切らしている。


「もうとっくに奉納の舞いも終わっちゃってるよ」

「あの舞は大体十分くらいあるんですよ」

「舞いが終わるまでは見入ってるだけかと思ってたけど、終わっても全然動かないんだもん」

「そ、そうだったんですか。ごめんなさい、心配をおかけして。……それにしても、あのビジョンは一体?」


 怒涛のように押し寄せて、過ぎ去っていった映像。

 思い出そうとしても、もう薄ぼんやりとしか思い出せない。

 今この瞬間にも、どんどん記憶の隙間から、小さな砂粒のように零れ落ちていく。


「一体どうしたのさ、セリム。なにかあったの?」

「……いえ、なんでもありません。少し疲れてたのかもしれませんね」


 うっかり居眠りしてしまい、その間に見た白昼夢。

 そうとしか思えない出来事、きっとそうなのだろう。

 体にはなんの変調も無いのだ、心配をかけないように笑顔を見せて立ち上がる。


「ご心配おかけしました。さ、カルーザスに戻りましょう」

「おーっ! 無事に帰るまでが護衛だからね、帰りもあたしが先頭で!」


 どこからそんな元気が湧いてくるのか。

 道中数多くのモンスターを倒し、場違いな強敵とまで戦った彼女は、元気よく腕を突き上げて見せる。

 そんな彼女を、メリィは遠慮がちに呼び止める。


「あの、剣士様。その前にお話が……」

「んぇ、あたしに? いいよ、なんでも言ってよ」


 おずおずとソラの前に進み出たメリィは、彼女だけに聞こえる声でお願いをした。


「その……、一度だけでいいんです。頬にでいいので、せ、接吻をさせてください……」

「ふんふん、せっぷん……。んぇ!? せっぷんってキスだよね……」

「その、お礼がしたくて……、でも、あげられる物なんて何も持っていないので、その、感謝の気持ちとして……」


 ソラは悩む。

 彼女の感謝の気持ちを、素直に受け取るべきか否か。

 大きく首をひねり、頭に過ぎったのはセリムの顔。


「…………気持ちは嬉しいけど、ごめんね」

「あ……、そうですよね、迷惑ですよね……」

「いや、迷惑とかそんな話じゃなくてね。多分、セリムが泣いちゃうと思うから」


 困ったように笑うソラの瞳は、セリムの姿を映していた。

 最後にほんの少しでも思い出を、そう思って言ってみたけれど。


「昨日、あの後セリムを泣かせちゃってさ。どうして泣いちゃったのかわかんないけど、もしかしたらやきもち焼いちゃったのかなって」

「……むぅ、何ですか、二人でコソコソと話して。私はのけものですか」


 脹れっ面で割り込んで来たセリムは、まるで仲間外れにされるのが嫌だといった調子だが、メリィにはわかる。

 彼女の視線は、真っ直ぐソラに向かっている。


「……ふふっ、セリムさん、羨ましいです」

「へ、なんの話ですか?」

「なんでもありませんっ。さ、行きましょ、剣士様」


 メリィはぺロリと舌を出して笑うと、ソラの腕を取って、両手で抱き寄せる。


「わっちょ、メリィちゃん、歩きにくいよぉ」

「な、な、な、何してるんですか! 腕を組むなんて!?」


 なるほど、彼女はやきもち焼きだ。

 まだ自分の気持ちと向き合えていないのか、自覚は無いようだが。


「ごめんなさい、セリムさん。あなたの剣士様、もう少しだけお借りします」

「あ、あなたのって……!?」


 でも、グズグズしてたら本当に貰っちゃいますよ。

 続く言葉は心の中だけで紡ぎ、神子御一行は帰路につく。




 ○○○




 太陽が西の方角に沈み、空が茜色に染まる。

 三人は予定通り、無事に聖地カルーザスへと帰還した。

 入り口のゲートをくぐり、階段を登ると、人でごった返す聖地低層の歓楽街が出迎える。


「誰も迎えに来ないんだね。もっと総出で歓迎してくれると思ってたけど」

「神子の奉納は日程が不定期ですし、厳粛な行事ですから。お祭り騒ぎにはならないんです」

「大司教様も、お出迎えに来られないのですね」

「あの方はお歳ですし、見送りの時も相当無理なさったようです……」


 坂や階段の多い、というかほぼそれしかないこの町。

 ずっと暮していれば足腰は鍛えられるだろうが、大司教は王都からの出向。

 彼の腰に、この町はかなり住み辛いだろう。

 会話を交わしつつ、最上層を目指して登っていく三人。

 その道中、セリムが一軒の宿を見て残念そうな声を出した。


「あ……、あの可愛らしいピンクのお宿、営業停止処分って張り紙が……。どうしてでしょうか」

「うん。当たり前だと思うよ。むしろなんで許可通ったんだろうって不思議なくらい」

「残念です、ソラさんと一緒に泊まりたかったのですが……」


 本人の意図しない爆弾発言、メリィの顔が途端に真っ赤になった。


「セ、セリムさん!? 突然なんてことを……!」

「あー。メリィちゃん、セリムはね、意味分からずに言ってるから大丈夫。あの宿も、ピンク色で可愛いとしか思ってないから」

「そ、そうだったんですね……。セリムさん、そっちのことには疎いんですか」

「二人の会話、よくわかりません。私にも分かるように説明して下さい」

「ゴメン、セリム。爆弾咥えて自決なんかされたら嫌だから、黙っておく」


 全てを知った時、彼女がどんな反応をするのか。

 楽しみでもあり、怖くもある。


「それにしても休憩ですか……、宿なのに休憩とは、どういった宿泊プランなのでしょう」

「もうやめよう、こんな話はもうやめにしよう」


 何も知らない無垢な美少女の、白昼堂々あまりにも破廉恥な発言。

 真実を知ってしまった時に受けるダメージを、少しでも減らさなければ。

 彼女のためにも、ソラは全力で話題を転換する。


「ところでさ、今日ってマリちゃんたち、お昼に部下と会う予定だったんだよね。無事に会えたかな」

「その話、メリィさんが蚊帳の外になりませんか」

「あ、そうだね。じゃあえっと……、えっと……、この町においしいスイーツのお店とかある?」

「剣士様、そういった浮ついた店は聖地にはちょっと……」

「そうなんだ、じゃあ……」


 ピンク色の宿を忘れてくれと願いながら、必死に場を取り繕うこと二十分。

 三人はようやく頂上第一区画、大聖堂へと辿り着いた。


「帰って来たね。長かったような、短かったような」

「短かったですよ、半日ですし」


 大聖堂の扉を開けると、祭壇の前にひざまずいて祈りを捧げる大司教メイナードの姿があった。


「おぉ……、おぉ! 無事に戻られましたか」

「大司教様。メリィ・バートレット、お役目をしっかりと果たして参りました」

「うむ、よくぞ。お二人も、大きなケガも無く何よりですな」


 彼は早朝に三人を見送った後、一日中祭壇に無事を祈っていた。

 その甲斐あって何事もなく済んだのだろうと、満足げに長い白ひげを撫でる。


「いやはや何より何より。どうでしたかな、霊峰カザスは」

「えっと、とっても言いにくいんだけど……。セリム、よろしく」

「なんで私に投げるんですか。……大司教様、霊峰カザスには危険度レベル33のモンスター、ニードレッグがいました」

「な、なんと……」


 セリムの報告に、老人は絶句してしまう。


「では、直ちに冒険者を呼びよせ、討伐を……」

「大司教様、その必要はありませんわ。剣士様が倒してくださったので」

「そ、それは本当かね、メリィ」

「本当です、とっても素敵でした」

「にしし、もっと褒めてもいいよ」

「調子に乗らないでください、私も手伝ったんですから」


 続けざまの信じがたい報告に、驚愕の色に染まっていた大司教。

 気を取り直し、白いひげを撫でさすりながら、うーむ、と低く唸る。


「いや、大したものですな。やはりあなた方に任せて正解でしたか」

「そういえばさ、33のヤツ倒したってことは、あたしまた大幅レベルアップしてるんじゃない?」

「この場所で計りたいとか言い出さないでくださいよ。あの祭具を用意するの、大変そうですし」

「むむむ、あたしの心を読むとは」


 本当にそう思ってたんですか、思わずため息がついて出る。


「ほっほっほ、いやはやまったく、これはお礼を用意しなければなりませんな」

「え、何かくれるの?」

「あの、私たち、お礼なんて結構です」

「いえいえ、どうぞ貰ってくだされ。つまらない物ではありますが」


 祭壇に置かれていた、エメラルドグリーンの小さな石がはめ込まれたネックレス。

 それを手に取ると、大司教はソラに手渡した。


「これは?」

「霊峰カザスの山頂、その場所でのみ発見される鉱物をはめ込んだネックレス。いわばお守りですな」

「いいんですか、そんな貴重な物を貰っちゃって」

「構いません。その鉱物は魔力を溜め込まず、強度も脆いため武器や防具の素材にも使えない、綺麗なだけの石。それに、この教会に同じものはいくらでもあります。気持ちばかりの品ですが」


 彼の口ぶりからして、本当にただのお守りのようだ。

 だがソラは気に入ったようで、早速首から下げている。


「にしし、どうかな、セリム、メリィちゃん、似合ってる?」

「はい、剣士様。とってもお似合いです」

「まあ、そこそこ様になってるんじゃないですか?」


 二人から褒められ、ソラは満足気。

 そろそろ付き合いも長くなってきた彼女は、あれが素直になれないセリムの最大限の褒め言葉だと知っている。


「じゃあ、あたしたちはそろそろ行くね」

「お礼まで頂いて、本当にありがとうございます」

「ほっほっほ、お二人の旅の無事を祈ってますぞ。ノルディス神の加護があらんことを」


 両腕を組んで深々と頭を下げるノルディン教の作法で、老人は二人の少女に別れを告げた。

 一方メリィは、涙は見せず、ソラに笑顔を向ける。


「剣士様、今日のことは私の一生の思い出にします。また、会えますよね?」

「もちろん! またここに来ることがあったら、一番に会いに来るからね」

「はい! さよならは言いません、また会いましょうね」

「うん、またね!」


 ソラの笑顔を、最後に目に焼き付ける。

 きっとまた会える、その時まで彼女のこともこの気持ちも絶対に忘れないように。


「セリムさん、一つだけいいですか?」

「はい? なんでしょう」

「剣士様はお返ししますけど、ちゃんと捕まえておかないと、誰かに取られちゃいますよ」

「なぁ…………っ!」

「ふふっ、次に会う時を楽しみにしてますね」


 顔を赤くしてあからさまに動揺するセリムがわかりやす過ぎて、思わず笑ってしまった。


「それじゃ、あたしたちは行くね」

「うぅ……、さよなら……」


 ブンブンと腕を振るソラ、真っ赤になりつつもペコリと一礼するセリム。

 彼女達は大きな扉を開け、星が瞬き始めた空の下に出た。


「ふぅ、終わったねぇ。……どしたの、セリム。顔赤いけど」

「な、何でもありません!」


 隣で歩くソラを、妙に意識してしまう。

 きっとメリィがおかしなことを言ったせいだ、そうに違いない。

 だからソラが自分の隣に帰って来て嬉しいとか、絶対に思っていない。

 誰に対する言い訳かも分からないまま、頭の中で繰り返す。

 彼女の胸に秘めた想いは、既に無視できない大きさにまで育っていた。

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