025 崖の上からでも、後方支援と言うのでしょうか
地面を跳ねながら迫る白い球体を一撃の下に斬り捨てると、軽く振って血を飛ばし、ソラは剣を納める。
高く昇った太陽は、あと二時間ほどで真上に差しかかるだろう。
十メートル先の地点に、霊峰カザスの八合目を示す、八と書かれた杭が立っている。
「この山のモンスターってさ、なんだか独特だよね」
「確かに、他の場所とは感じが違いますね」
「そうなのですか?」
戦ったソラの率直な感想として、まずどれも色が白い。
そして、生物らしからぬ姿をしているというのも、奇妙な共通点。
ゴーレムなどの無生物系とは違い、転がっているモンスター——スノウボウルというらしい、の残骸から血が流れているあたり、少なくとも生物ではあるようだが。
「ま、いっか。考えてもお腹減るだけだし。メリィちゃん、疲れてない?」
「このくらい平気です。毎日坂を登って暮らしているので。それよりも剣士様が心配です」
「心配してくれてありがと。でも全然疲れてないよ」
安心させようと笑って見せるが、セリムにはバレバレだ。
疲労の色は濃く、体の何箇所かに小さな傷が出来ている。
「ソラさん、無理はしないでください。小さなダメージが蓄積してるのはわかってます」
「ほ、本当ですか、剣士様!」
「いやぁ、セリムにはバレてたか。でもほんとに大したことないから」
「仕方ないですね、癒しの丸薬でも——」
「無理はいけません! 私にお任せください」
ポーチから丸薬を取り出そうとしたセリムに先んじて、メリィはソラの傷口に手をかざした。
「ヒール!」
その手から放たれた魔力が淡い燐光となって傷口を包み、癒していく。
小さな切り傷はみるみる塞がり、跡形もなく消えた。
「ふぅ、もう安心です。キズは綺麗に治りましたよ」
「おぉ、メリィちゃんのクラスって治療術師だったんだ」
「実はそうなんです。恥ずかしながらレベルは1なので、小さなケガしか治せませんが……」
「恥ずかしがることなんかなにもないよ! ありが」
「絶対投擲」
「とむぐっ、ごくん」
無造作に投げつけられた癒しの丸薬が、あり得ない軌道を描いてソラの口へ。
突然飛び込んで来た小さな薬を反射的に飲み込む。
「ヒールでは傷は治せても体力は戻りませんから、飲んでおいてください」
逆も然り、回復アイテムでは体力は戻せても傷は癒せない。
強力な一部のアイテムを除いては。
「……セリム、やっぱりなんか怒ってる?」
「怒ってません。回復も休憩もしたでしょう、行きますよ。ほら、先頭に立って」
「う、うん……。じゃ、行こうか。足場悪いから気を付けてね」
「はい、お優しいのですね、剣士様」
あれは仕事、ただの仕事、ソラは役目を全うしているだけ。
手に手を取って神子をエスコートする様子を最後尾から眺めながら、セリムは自分に何度も言い聞かせる。
「メリィちゃん、頂上まではあとちょっとなんだよね」
「今八合目を越えたところですから、もうすぐだと思います」
「よーし、あと一息だね! モンスターも大したのはいないし、楽勝楽勝」
「油断はしないでください。帰りも護衛はあるんですし」
「わかってるわかってる、気合はバッチリ入ってるから!」
順調な時こそ気持ちは切らさずに、余裕と慢心は違うのだ。
いつどこからモンスターの襲撃があっても対応できるよう備えつつ、ソラは山道を登っていく。
その背中を目を輝かせながら見つめるメリィ。
彼女にはソラが白馬の王子様にでも見えているのだろう。
「……やっぱりソラさん一人でも十分だったでしょうか」
こんな気持ちになるなら、留守番でもしていればよかった。
そんな思いすら頭を過ぎるが、すぐにそれが間違いだと気付く。
「——っ! ソラさん、ストップ。声は出来るだけ小さくお願いします」
気配を感じ取ったセリムは姿勢を低くして、ソラに呼びかける。
この場所にはあり得ない程の強大な力を持った存在。
それがこの先にいる。
「ど、どうしたのさ、突然」
「セリムさん、急にしゃがみ込んだりして、体調でも悪いのですか?」
「違います、二人ともかがんでください」
言われるがまま、二人はかがんで声を小さくする。
「この先百メートルほど行ったところに何かいます。おそらくは、場違いな強さのモンスターが」
「うぇっ、この場所にもいるの? なんなんだろ、この異変って」
「それはわかりませんが、ひとまず確認に行ってきます。ソラさんたちは後ろから静かに付いてきてください」
二人に指示を出すと、腰をかがめたまま足音を殺して駆け上がる。
右側に崖を臨む、左へと曲がるカーブ。
その場所から頭だけを乗り出して、崖下を覗き見る。
「……いましたね、案の定」
全身に極太の針のような毛を持つ、四足の獣。
その大きさは、十メートルはあるだろうか。
白い針毛の下に黒い毛皮、大地を踏みしめる太い四肢。
この山のモンスターはセリムですら初めて見るものばかりだったが、あのモンスターならば知っている。
「セリムっ、いた?」
「いましたよ、あれを見てください」
メリィを連れてやって来たソラは、セリムの隣で同じく崖下を覗き込む。
「うっわ、なにあれ。強いの?」
「危険度レベル33、ニードレッグ。全身の体毛を針のように逆立てて攻撃してくる、厄介なモンスターです」
「んん、どうする? まだ向こうは気付いてないみたいだけど」
「メリィさんもいますし、無理に戦いを挑まないほうがいいですね。役目を終えて彼女を下山させてから、後日討伐に来ましょう」
「らじゃっ、それじゃメリィちゃん。行くよ」
「は、はい……。うぅ、怖いです……」
物音を立てないように細心の注意を払いながら、一行はその場を立ち去る。
一歩一歩慎重に、気付かれないように祈りながら。
十メートルほど進んだ所で、ソラは小さな声でセリムに話しかける。
「どうやら上手くやり過ごせそうだね」
「そうですね、どうやら運よく——ソラさん、左……!」
「うぇっ!?」
彼女達の警戒は、全てニードレッグへと向けられていた。
故に反応が遅れてしまった。
すでに目前へと迫っていた二本の風の矢。
真空の刃を身にまとい、神子へと突進する二匹のエンジェルウィング。
全滅を免れた群れの生き残りだろうか。
メリィを庇って立つと、ソラはツヴァイハンダーを抜き放つ。
「また来たのか、このっ!」
突っ込んでくる敵をタイミングを合わせて斬り払う。
復讐を遂げること叶わず、二体の白翼は群青の剣閃に散った。
猛スピードで飛んできたその体は、勢いを殺さぬまま地面に激突。
何度も岩場をバウンドし、大きな音が響き渡る。
「タイミング悪っ……! アイツに気付かれたりしてないよね……」
「おそらくですが、耳が良いので……」
崖の下から何かが駆け上がる音が聞こえる。
後ろを振り向くまでもなく、足音はこちらに向かって来ていた。
「け、剣士様、どうしましょう!」
「どうしようって、どうしようセリム!」
「迎え撃つしかありません。幸い崖の下は平坦な地形ですから、ソラさんはあそこで敵と戦ってください。私は崖の上でメリィさんを守りつつ援護します」
「崖の下って、モンスターが上がって来てるじゃないですか!」
「……わかった。メリィちゃんはセリムから離れないでね」
「剣士様……?」
誰よりも信頼するセリムの言葉、それを信じない理由は無い。
ソラは大剣を抜くと、ニードレッグが駆け上がってくる断崖へと走る。
「セリムさん、本当に平気なんですか?」
「心配は要りませんよ。ソラさんはああ見えて意外とやりますし、何より私が絶対に死なせませんから」
地面に半分以上埋まった石、と言うよりは岩石を引っこ抜きつつ、ソラの背中に送る視線。
メリィがセリムのその目から感じ取ったのは、揺るぎない信頼と確かな絆。
崖下から敵が飛び出すそのタイミングを見極めるため、セリムは全神経を集中させる。
視界の外に存在する物体に対し、絶対投擲は効果を発揮しない。
「一瞬でもズレたらアウト、ですが——今っ!」
片手で投げられた岩石は、吸い込まれるようにある一点へ。
崖下から顔を出したニードレッグの視界いっぱいに移り込んだもの、それは怯えるメリィでも、向かって来るソラでも無い。
ピンポイントで自らの鼻先に飛んでくる、巨大な岩だった。
ガゴォォォォッ!
「ギュアァァァァァッ!!」
鼻っ柱に大岩が命中した怪物は、もんどりうって崖を転落していく。
「セリム、ナイスコントロール!」
「当然です」
ソラは登山道から飛び出すと崖にせり出した岩を足場に、身軽に駆け降りる。
何度も崖に叩きつけられ、黒い腹部を天に向けて引っくり返ったニードレッグ。
背中の巨大な針も、今は用をなさない。
「チャンスだね! 一気に決めてくる!」
固い針に守られていない腹部に剣を突き立てるため、八メートルの高さから一気に飛ぶ。
ツヴァイハンダーを下向きに構え、狙うは敵の心臓。
「待ってくださいソラさん、そいつは腹部にもトゲが……!」
「へ?」
落下中につき、身動きの取れないソラ。
その着地予測地点、心臓部周辺の黒い毛が、剣山のように逆立った。
「ちょっ、聞いてない! やばいってこれ!」
「もう、世話が焼けますね」
ポーチから取り出した腕輪を素早く装着し、セリムは魔力を送った。
次の瞬間、ニードレッグとの間、何もないはずの空間にソラは着地する。
「……へ? なんか浮いてる?」
「説明は後です、早く下へ! すぐ起き上がりますよ!」
状況はよく飲み込めないが、間違いなくセリムの支援の結果だ。
透明な足場から崖下の平地に着地すると、針山のような魔物は怒りに任せて起き上がった。
「おぉ、引っくり返ったら起き上がれないとかじゃないんだ……。セリム、こいつの弱点何さ」
「背中は巨大な針山、腹部も見ての通り。唯一顔面の毛だけは硬質化出来ません」
「おっけー、顔面ね!」
先ほどの顔面への投石にも、どうすることも出来なかった。
狙いを絞ると、ソラは早速突っ込んでいく。
「おっし、脳天カチ割ってやる!」
「迂闊ですよ、もっと慎重に!」
背中の針が逆立ち、鋭い先端が外敵に向けられる。
その筋肉に緊張が走った途端、極太の針が一本ソラに向けて射出された。
「うっそ、飛ばせるの!?」
右に飛びのいて回避すると、針は岩場に大穴を穿って突き刺さった。
間違いなく、当たれば一撃でお陀仏だ。
ゾッとする暇も無く、第二、第三の針が飛ばされる。
「セリム、これヤバい! なんか倒し方!」
「倒し方ですか。私が倒した時は、針を素手で弾きながら近づいて顔面をぶん殴って……」
「参考にならない!」
「背中の針を封じれば、勝算はありますね」
「それだ! で、どうやって封じるのさ!」
「そうですね……」
会話を交わしながら、飛んでくる針を身軽に避け続けるソラ。
防戦一方で反撃には転じられないが、回避に徹していれば、体力の続く内は大丈夫だろう。
直接助けに行くにはまだ早い。
セリムは崖上から、敵の攻撃をじっと観察する。
攻撃に使われる針は、体毛が硬化したもの。
その再生にかかる時間は、おおよそ十秒。
飛ばされたそばから、次々と生え代わる。
「回避を続けても弾切れは起きません。ですが……」
高質化しなければ、それはただの太い毛だ。
「……やってみますか」
ポーチからそっと取りだしたオレンジ色の筒は、一見するとただのタイマーボム。
違いはただ一点、黄色いラインが横向きに筒を一周している。
「セリムさん、それは……」
「まあ見ててください。多分これで行けると思います」
ボタンを押して、カウントダウンが開始。
右手に気力を集中させ、照準はニードレッグの背面部中央。
「行きます! 絶対投擲!」
タイマーボムの威力は標準的な魔法使いの放つ中級魔法程度。
口の中で炸裂させるなどの変化球を使わなければ、15レベル以上のモンスターの装甲は貫けない。
当然ニードレッグにも爆発は通らないが——。
「タイマーゼロ、燃えちゃってください」
背中に到達した筒が、爆発を起こす。
火薬と共に飛び散ったのは、油の飛沫。
ニードレッグの背中に満遍なく降りかかった油に、爆発で発生した熱が火を点ける。
針山地獄は、途端に灼熱地獄へと姿を変えた。
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タイマーボム改
レア度 ☆☆★★★
ボタンを押して3秒経つと大
爆発を起こす危険物。爆発と
同時に油が飛び散り、周囲を
火の海に変える。特級危険物
につき、取扱厳重注意。
創造術
タイマーボム×油類
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「おぉ、針が燃えてる……!」
「今ですよ、ソラさん。トドメはどうぞご自由に」
「あいよっ!」
燃え盛る炎に気を取られ、魔物はソラの動きに気付いていない。
その場に足を止めて、背中の火を消そうと体を左右に揺すっている。
「レベルアップしたあたしのとっておき、見せてやる!」
両手に力を込めて、ソラは自分の闘気をありったけ剣に込める。
闘気収束のさらに上、闘気の刃を越えたこれは、闘気の大剣。
「闘気大収束!!」
少女の身長の五倍にまで伸びた、極太の透明な刃。
いくら巨大でも、気である以上重さはゼロ、軽々と振り回せる。
「セリム、見てて! これがあたしの新しい力——」
低く剣を構えて、敵の顔面へと駆けこむ。
長い闘気の切っ先が引きずられ、ガリガリと岩場を削り取る。
目前に迫った少女、魔物はようやく危機を気取るが、もう遅い。
「集気大剣斬ッ!!!」
右の斬り上げ、左の薙ぎ払い、そして正中線を両断する渾身の振り下ろし。
三度の斬撃によって顔面を深々と斬り裂かれたニードレッグは、断末魔の呻き声を上げて沈黙、倒れ伏した。




